一場靖弘
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| 東京ヤクルトスワローズ #43 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 群馬県吾妻郡吾妻町(現・東吾妻町) |
| 生年月日 | 1982年7月5日(27歳) |
| 身長 体重 |
183cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2004年 自由獲得枠 |
| 初出場 | 2005年4月12日 |
| 年俸 | 2,300万円(2009年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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一場 靖弘(いちば やすひろ、1982年7月5日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
桐生第一高等学校では2年時に第81回全国高等学校野球選手権大会に2番手投手として出場。正田樹(現:興農ブルズ)をエースとして群馬県勢初の優勝に貢献した。甲子園のマウンドでは145km/hを記録した。3年時には背番号1を付け、再び第82回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たしたが、初戦敗退。卒業後は明治大学に進学した。
明大時代に才能が開花。エースにのし上がり、東京六大学野球連盟を代表する投手に成長する。4年春に歴代2位となる通算107奪三振を達成。これは1925年秋に湯浅禎夫が記録した109奪三振以来、79年ぶりの三桁奪三振記録である。また、同シーズンには六大学史上最速の154km/hをマークし、8勝3敗の成績を上げるなどの活躍を見せて、1993年春以来12季ぶりとなる明大野球部の完全優勝に貢献、ベストナインに選ばれた。第53回全日本大学野球選手権大会では完全試合を達成、全日本大学選抜に選出された。大学通算52試合登板26勝15敗、防御率2.00。通算379奪三振は歴代5位の記録。ドラフトの目玉となる。
後述の問題もあって大きく騒がれた2004年のドラフト会議では、新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスから自由獲得枠で入団する。楽天での背番号は大学時代と同じ11。
[編集] 楽天時代
2005年、選手層の薄いチーム事情もあり、一軍で先発ローテーション入りを果たす。しかし5月19日時点で0勝7敗、防御率7.15となり中継ぎを経た後に二軍に降格する。一軍復帰後の8月27日の対西武ライオンズ戦(インボイスSEIBUドーム)で、相手先発の西口文也が9回をパーフェクトに抑える中、178球で9回を無失点に抑える力投を見せ、勝敗はつかなかったもののチームの完全試合献上を阻止。次の登板となった9月3日の対オリックス・バファローズ戦でも、9回2失点完投で球団シーズン100敗を阻止するプロ初勝利を挙げた。シーズンを通してチームが圧倒的最下位であったこともあり、最終的に23試合2勝9敗となる。
2006年、エース岩隈久志とセドリック・バワーズの両投手の出遅れにより、プロ2年目で初の開幕投手を務める。開幕戦は好投したものの打線の援護なく敗北したが、2度目の登板で楽天のシーズン初勝利、3度目の登板となった4月7日の対千葉ロッテ戦(千葉マリン)ではチームの連敗を止め、自身もプロ入り初の完封勝利をあげた。前半戦で5勝を上げ、楽天投手陣の柱として活躍し大いに期待を集めた。交流戦以降は2勝8敗と大きく負け越したが、9月29日の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)でシーズン2つめとなる完封勝利を上げる。同年同球団が9回まで一人で投げ抜ぬいて完封したのは、一場のあげたこの2つのみである。最終的には、最多敗戦数(14敗)、最多被本塁打(22本)など不名誉な「八冠」を手にしたが、一方で先発不足に喘いだ楽天にとってただ一人1年間先発ローテーションを守リ、チーム勝ち頭となる7勝をマークした。
2007年は、オープン戦から不調が続き、開幕2軍スタートとなる。4月の初めに一軍登録されたが、4月7日の対ロッテ戦で3回途中降板、続く4月15日の対日本ハム戦には中継ぎとして登板し、5回を投げ本塁打2本を含む被安打18、14失点と結果を残せず、また右肘の炎症を起したために一軍登録抹消となった。後半戦まもなく1軍に合流し、7月27日のオリックス戦で3回からリリーフとして復帰登板。8月16日にシーズン初勝利を挙げると、これ以降防御率2点台の快投を続け、最終的に後半戦だけで6勝を挙げ、球団初の最下位脱出に貢献した。故障から復帰して以降は、不安定な立ち上がりで早い回に大量失点するという昨年までの悪癖はあまり出ず、多くの被安打を浴びながらも少ない失点で切り抜ける粘り強さを発揮し、成長の跡を窺わせた。また左打者対策としてカットボールの使用を始めた。
2008年は、前年オフに受けた視力回復手術(レーシック)の影響で右目の角膜炎を起こし、1月中旬に入院。右目視力は0.04まで低下し、一時は失明の危機もあったが回復、開幕に間に合い先発ローテーション入りを果たした。しかし結果が出ず、4月8日の日本ハム戦(札幌ドーム)で、味方打線が2回表に7点加点した後の3回裏に二塁打1と四球3を与えてしまい7点差をひっくり返され、後日二軍降格となった。7点差からの逆転負けは楽天史上初のこと。その後は秋まで2軍で調整を続け昇格したものの、結局先発した試合は結果を残せずこのシーズンを未勝利で終えてしまった。
2009年、上半身に力が入りすぎずに、下半身主導になるよう、新任の佐藤義則投手コーチと共に投球フォームの矯正に取り組んでいた。しかし、オープン戦で四球の多さが目立った。
[編集] ヤクルト時代
開幕直前の3月23日、宮出隆自との交換トレードで東京ヤクルトスワローズへの移籍が決定(先発投手陣の補強を目指すヤクルトと外野手の補強を目指す楽天の思惑が一致した形となった)。背番号は宮出が付けていた43。荒木大輔投手コーチからの打診から発展したトレードであったと楽天の野村克也監督が明かしている[1][2]。
トレード後の同年4月11日の横浜戦に先発として初登板し、5回無失点で移籍後初勝利を挙げた。また、この日に移籍後初安打をライアン・グリン(楽天時代の元チームメイト)から放っている。
[編集] プレイスタイル
直球はMAX154km/h。平均は140km/h前半から150km/h。スライダー、スローカーブ、カットボール、フォーク、チェンジアップと多彩な球種を持つ。
制球が悪く四球や暴投が多い。ボールが先行するためフルカウントになりやすく、一試合に多くの球数を要する。ボールの先行からストライクを取りに行った甘い球を痛打されることを課題としている。野村克也監督からはシュートの習得を命じられた。それ以外にも、野村監督曰く「ノミの心臓」といわれるほどの精神的なもろさの改善も求められていた。
[編集] 人物
桐生第一高校の小林正人(一場の2年先輩)、正田樹(1年先輩)、そして一場と、3年連続で同校のエースがプロ入りしている。
自由獲得枠で楽天に入団した唯一の選手である。
楽天に同期入団した大廣翔治とは桐生一高時代のチームメイト、西谷尚徳とは明治大学時代のチームメイトである。
大学では商学部に在籍。大学在籍中の2004年12月にタレント安田芽衣子と結婚し、2005年7月1日に長女が誕生。翌2006年11月21日、第二子となる長男が誕生している。
2005年、二軍落ちにショックを受けて落ち込んでいた一場を励まし、練習に付き合っていたのが明大の先輩でもある野村克則(現楽天一軍バッテリーコーチ)。
楽天の生え抜き選手の中で初めて、チームを離れた選手となる(育成ドラフト入団選手を除く)。
[編集] プロ入りをめぐる混乱
2004年のドラフトに際し、大学屈指の右腕として注目を浴びた一場をめぐる争奪戦は激化する。本人の在京志向もあって読売ジャイアンツへの入団が内定していたが、同球団が一場に栄養費名目で裏金を受け渡していたことが分かり、入団は白紙化。この事件の責任をとり、巨人のオーナー・渡邉恒雄が辞任、一場も野球部を退部し謹慎生活となった。
さらにその後、横浜ベイスターズ、阪神タイガースからの金銭授受も明るみに出たため、横浜・砂原幸雄、阪神・久万俊二郎の両オーナーも辞任となった。この事件により、長らく暗黙の了解で慣習的に行われてきた有力選手への金銭授受を見直す動きがおこり、翌年以降の野球改革を作るきっかけとなった。
一時は日本のプロ野球をあきらめ、メジャーや台湾の中華職棒への入団も視野に入れていたが、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した。(関連項一場靖弘を巡る裏金事件参照)
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 楽天 | 23 | 12 | 2 | 0 | 0 | 2 | 9 | 1 | 0 | .182 | 473 | 102.0 | 119 | 15 | 53 | 0 | 4 | 72 | 8 | 0 | 67 | 63 | 5.56 | 1.69 |
| 2006 | 30 | 30 | 5 | 2 | 1 | 7 | 14 | 0 | 0 | .333 | 848 | 193.2 | 205 | 22 | 71 | 3 | 7 | 151 | 13 | 0 | 103 | 94 | 4.37 | 1.43 | |
| 2007 | 12 | 9 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | .750 | 264 | 58.2 | 73 | 5 | 21 | 0 | 1 | 40 | 7 | 1 | 39 | 35 | 5.37 | 1.60 | |
| 2008 | 12 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 165 | 31.1 | 49 | 3 | 21 | 0 | 1 | 27 | 5 | 0 | 38 | 34 | 9.77 | 2.23 | |
| 通算:4年 | 77 | 59 | 7 | 2 | 1 | 15 | 28 | 1 | 0 | .349 | 1750 | 385.2 | 446 | 45 | 166 | 3 | 13 | 290 | 33 | 1 | 247 | 226 | 5.27 | 1.59 | |
- 2008年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 記録
[編集] 投手記録
- 初登板・初先発:2005年4月12日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦(フルキャストスタジアム宮城)、4 1/3回4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回表に大村直之から
- 初セーブ:2005年5月26日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤドーム)
- 初勝利・初完投勝利:2005年9月3日、対オリックス・バファローズ18回戦(フルキャストスタジアム宮城)、9回2失点
- 初完封勝利:2006年4月7日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(千葉マリンスタジアム)
[編集] 打撃記録
- 初安打:2005年5月13日、対阪神タイガース1回戦(阪神甲子園球場)、5回表に安藤優也から
- 初盗塁:2009年5月2日、対広島東洋カープ4回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、5回表に二盗(投手:コルビー・ルイス、捕手:石原慶幸)
[編集] 背番号
- 11 (2005年 - 2008年)
- 43 (2009年 - )
[編集] 登場曲
- 『SCARY-Delete streamin' freq. from fear side-』 THE MAD CAPSULE MARKETS(2007年)
- 『Pure』 EXILE(2008年)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- 群馬県出身の人物一覧
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 一場靖弘を巡る裏金事件
- 第2回世界大学野球選手権日本代表
- 大廣翔治(桐生一高時代のチームメイト)
- 西谷尚徳(明治大学時代のチームメイト)
[編集] 外部リンク
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