杉内俊哉

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杉内 俊哉
読売ジャイアンツ #18
HAWKS-No47-Toshiya.Sugiuchi.JPG
ソフトバンク時代、練習中の杉内
(2009年8月26日、千葉マリンスタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県大野城市
生年月日 1980年10月30日(31歳)
身長
体重
175cm
85kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト3巡目
初出場 2002年4月1日
年俸 5億円(2012年)
※2012年から4年契約[1]
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2000年2008年
WBC 2006年2009年
北京五輪での杉内(2008年)

杉内 俊哉(すぎうち としや、1980年10月30日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手投手)。福岡県大野城市出身(春日市生まれ)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

大野城市立大野小学校大野城市立大野中学校鹿児島実業高等学校卒業。小学4年生の時に大野城少年野球に所属し野球を始めた[2]。当時は外野手で、5年生で一塁手。6年生の時に投手に転向し、エースとして全国大会に出場(ベスト16)。小学生の時はドッジボールが得意だった[2]。中学時代は市の少年硬式野球チーム(大野城ガッツ)のエースで、チームを全国準優勝に導いた。鹿児島実業高等学校時代には2度甲子園に出場。

高校3年生次の1998年全国高等学校野球選手権鹿児島大会決勝では、共に当時から注目を集めていた川内高校木佐貫洋との投げ合いに勝利し、甲子園出場を決めた。県大会では47回2/3で64三振を奪い、「南国のドクターK」と称された[3]第80回全国高等学校野球選手権大会の1回戦で八戸工大一青森)相手にノーヒットノーランを達成。同2回戦で松坂大輔らを擁する横浜東神奈川)と対戦するも、松坂に本塁打を喫するなど8回6失点で敗退。大会後に第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出され優勝に貢献した。

高校卒業後、三菱重工長崎に就職。2000年には都市対抗野球大会出場に貢献。大会直後にシドニーオリンピック野球日本代表に選出され、オリンピックに出場(4位)。2001年日本選手権ではチームの初優勝に貢献。ドラフト会議で地元プロ球団の福岡ダイエーホークスに3巡目指名され入団。自身が憧れていた工藤公康と同じ背番号47番を与えられる。家族(結婚前は母・姉・祖父母)を非常に大切にしダイエーとの契約金で母と姉と祖父母のためにマンションをそれぞれ購入した[4]。ホークスでチームメイトだった本多雄一は、大野城ガッツ・鹿児島実業高等学校の後輩[5]

[編集] ダイエー・ソフトバンク時代

2002年はシーズン2勝に終わる。2003年にフォームをセットポジションに変更して制球が安定[6]先発ローテーションに定着して10勝を挙げ、リーグ優勝に貢献する。8月1日の対オリックス戦に先発し、7回無失点でチームが2リーグ制以後の最多得点試合・最多点差試合(29-1)を記録した試合の勝利投手になった。日本シリーズでも阪神から2勝を挙げ日本一に貢献、シリーズMVPを獲得。シーズンオフに、とべとべホークスのレポーターだった上葉えりかと結婚。

2004年、6月1日の対ロッテ戦に2回7失点で降板直後、悔しさのあまり、帽子とグローブを投げつけた直後、ベンチを殴打して両手の小指付け根を骨折。この行為に対して球団から罰金100万円・謹慎10日を科せられた。長期離脱を余儀なくされ、この年はこの日が最後の先発登板となってしまう。

2005年、4月、5月と2ヶ月連続で月間MVPを獲得。チームでは杉浦忠以来4人目となるシーズン200奪三振(218)を達成。18勝、防御率2.11で初の最多勝最優秀防御率沢村賞(パ・リーグの左腕投手の受賞は史上初)のタイトルを獲得。MVPにも選出された。死球暴投ボーク失策がいずれも0であった。

2006年ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出。2試合に登板し0勝1敗、防御率5.40。レギュラーシーズンでは中盤以降失速し、規定投球回数に届かず7勝に終わった。プレーオフでは第2ステージ第1戦で先発し、3回2失点で敗戦投手になった。

2007年、前半戦終了時点で12勝2敗、防御率1.755と抜群の成績を残す。後半戦は失速し、3勝にとどまるものの、2年ぶりの2桁勝利となる15勝を挙げて先発陣の軸として活躍。ロッテとのクライマックスシリーズでは、7回3失点で勝利投手となった。洞爺湖サミットが開催される2008年7月7日までの一年間、広報大使“Cool Earth Ambassador”を務めた。

2008年、2年連続2桁勝利を達成。交流戦期間では12球団トップの48個の三振を奪った。北京オリンピック野球日本代表に選出され、2試合に登板し1勝0敗・防御率0.84の成績を残す。10月1日の対オリックス戦(京セラドーム大阪清原和博の引退試合)に先発登板し、清原の打席では全球速球で勝負した。清原の最終打席の球は球審を務めた東利夫から清原に手渡されたが、清原はボールに『杉内へ 最高の球をありがとう 清原和博』とサインして杉内に贈った。王貞治が指揮する最終戦となった10月7日の対楽天戦で、9回無失点で11個の三振を奪い、ダルビッシュ有を抜いて初の最多奪三振のタイトルを獲得した。3年振りの200奪三振を達成し、奪三振率は9.78で両リーグ1位を記録した。

2009年からグラブの位置を上げ、左手が隠れるようにした投球フォームに変更[7]ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選ばれ、5試合に中継ぎとして登板し6回1/3を無安打無失点と、日本チームの2連覇に大きく貢献。「陰のMVP」と称された[8]。4月5日の対オリックス戦で史上122人目・現役では8人目となる通算1000奪三振を、現役では2番目・歴代4位のスピード(979回1/3)で達成。交流戦では12球団最長の44回を投げるなど負けなしの3勝を挙げてチームの交流戦連覇に貢献し、交流戦のMVPに選出された。6月度の月間MVPにも選出され、6度目の月間MVPはパ・リーグ投手部門史上最多となった。8月23日の対日本ハム戦で先発選手全員から三振を奪い、自己最多の15奪三振。9月20日の対西武戦で10奪三振し、1993年の野茂英雄以来史上2人目、左腕では史上初の5試合連続2桁奪三振を達成。2年連続の最多奪三振、最優秀投手の二冠を獲得した。クオリティ・スタートは23を記録し、QS率(QS/先発回数)は88.5%で12球団トップであった。2009年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ第1ステージでは、楽天に3回途中7失点でKOされた。12月25日に投手では球団史上初の3億円で契約更改した。

2010年、4月30日の対ロッテ戦で7回5失点ながら6勝目を挙げ、1968年の鈴木啓示以来42年ぶり、球団では1957年の木村保以来53年ぶりとなる4月中の6勝を達成。オールスターファン投票最終中間発表の時点ではダルビッシュ有に次いで2位だったが、最終的には1位となりファン投票で初選出された(過去4回は監督推薦)。6月29日の対ロッテ戦で4年連続2桁勝利となる10勝目を挙げ、8月21日の対楽天戦で自己最速となる150km/hを計測し、9月11日の対日本ハム戦で3年連続200奪三振を達成。リーグ2位となる5回の完封勝利のうち4回は日本ハム戦(4月9日、7月6日、8月14日、9月25日)であり、1995年に斎藤雅樹ヤクルト戦で記録して以来、パシフィック・リーグでは1978年に鈴木啓示が南海戦で記録して以来32年ぶりとなる同一カードでの4完封を達成した[9]。杉内は印象に残っている試合としてマジック2で迎えた9月25日の日本ハム戦でダルビッシュと投げ合って完封した試合を挙げている[10]。この試合まで4試合勝ちがつかなかった不甲斐無さと責任からこの日のお立ち台で涙するというシーンがあった。防御率は規定投球回に到達したシーズンでは最低だったが、リーグ2位の援護率が12球団2位の6.97を記録するなど打線の援護もあり、自身2番目に多い16勝、2年連続となる最優秀投手のタイトルを獲得。奪三振率はリーグ最高の10.74を記録し、自己最多の218個だったが、3年連続奪三振王のタイトルには届かなかった。優勝を決めた最終戦ではチームメートに胴上げされた。2010年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズでは、ファイナルステージの初戦と最終戦の先発を任されるが2試合とも敗戦投手となった。

2011年、4月は防御率1.64と成績を残したが0勝1敗に終わりプロ10年目で初の4月0勝に終わる。5月14日の西武戦で自己最多タイとなる15奪三振を記録して初勝利[11]。6月18日の対横浜戦で6回に1500奪三振を達成[12]。交流戦では3勝し交流戦の優勝に貢献した。7月9日の対ロッテ戦で、球団の福岡移転後の入団選手としては初となる通算100勝を達成した。シーズンを通して打線の援護に恵まれず自身初となる防御率1点台を記録、QS達成率も91%を記録するも5年ぶりに二桁勝利を逃した。2011年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズファイナルステージ第3戦(対西武戦)に先発。涌井秀章との投手戦となり9回を無失点に抑えたが、10回に先制を許して降板。しかしチームはサヨナラ勝ちで日本シリーズに進出。日本シリーズ(対中日戦)では第2戦と第7戦に先発。第2戦は8回1失点に抑えるもののチームは敗戦。第7戦では7回無失点と好投しチームを日本一に導き優秀選手賞を受賞した。

同年オフにFA権を行使し、2011年12月19日、読売ジャイアンツへの移籍を表明した[13]

[編集] 選手としての特徴

投球前の、腕を頭上へかざす動作

ランナー無しの状態からでも、セットポジションからバランスのとれたゆったりとしたフォームで投げ込み[14]、投手の手本として取り上げられることも多い。投球前には腕を上げて余分な力を抜き、投球時に膝の前で両手を叩き合わせて打者に軽い気持ちで投げているように見せて球をより速く見せるといった工夫もしている[15]また投球前に腕を頭上にかざすフォームはホークスの若手選手にも多大な影響を与えており、同じような動作を行う投手が同チームには非常に多い[要出典]。(森福など)

最速150km/hのストレートカーブスライダー、数種類のチェンジアップサークルチェンジ、無回転のチェンジアップなど)を武器とし[16]、通算の奪三振率は現役の先発投手中最高の9.47を残しており、本人も「追い込んだら狙っている」と意識しているという[17]。一方で近年は球数が増え、与四球率が悪化している傾向にある。

ストレートはそのほとんどが140km/h前後のスピードだが「腕を振ってから球をリリースしている」と形容されるほど球持ちが良く、上原浩治が理想の形に挙げているなど、三振を奪う武器となっている[18][19]。2009年シーズン中盤から「ストレートと同じ振りで投げられるようになった」とチェンジアップを多投するようになり、同年の被打率は.143を記録し[16]、三振を奪う決め球の1つとなった[20]すぽるとの「プロ野球選手100人に聞く、打ちにくい投手ランキング・変化球部門」で杉内のチェンジアップが4位に選ばれ、ダルビッシュ有も他球団の選手で「『この人の変化球はすごいな』と思うのは誰ですか?」との質問に杉内のチェンジアップを挙げており[21]メジャーのスカウトからもカーブと共に高い評価を得ている[22]。高校時代には曲がりの大きなカーブを投げていたが、現在はカウント球として投球割合の数パーセントしか投げなくなり、当時とはフォームが違うため投げると肩が痛くなるという[23]

プロ入り6年目まで成績の良いシーズンと悪いシーズンの差が顕著で、それが交互に訪れたため、「隔年エース」と呼ばれることがあった[24]。本人もそれを気にしていたが、7年目の2008年に10勝を挙げ自身初の2年連続2桁勝利を達成。最多奪三振のタイトルも獲得し、その汚名を返上した。2010年までに4年連続2桁勝利、3年連続で主要タイトルを獲得している。

斉藤和巳、和田毅、新垣渚と共にかつてはホークス投手の四本柱と呼ばれていた。斉藤が故障でシーズンを棒に振り、新垣が不振に陥った2008年からは、和田と共に「ホークスのエース」とも言われていた。

クリネックススタジアム宮城を苦手にしており鬼門と呼ばれている。2006年4月2日以来勝てていなかった[25]が、2010年8月21日に4年半ぶり、実に1602日ぶりに勝利を上げた。この試合で直球の自己最速(150km/h)を更新した。 千葉マリンスタジアムは得意にしており2003年の7月18日以来負けていなかったが、2011年4月30日のデーゲームで8年(2843日)ぶりに黒星を喫した。 この年から導入された統一球への対応が遅れ、マリン特有の強い風の中で決め球であるチェンジアップのコントロールが定まらなかったのが原因と言われている。

山崎武司は「個人的にはコイツだけは打てないな」と思う投手に杉内を挙げている[26]。ただ投げられているだけでも全然タイミングが合う気がしないとのこと[26]

5月に強く『ミスター・メイ』の異名をとり4年連続無敗の14連勝を記録したことがある[27]。2005年と2007年が5勝、2008年は4勝。いずれも無敗で月間MVPを獲得しているが、2009年は後続が打たれて3勝(無敗)に留まり受賞を逃した(ダルビッシュ有が受賞)。月曜日にも強く連勝中。

各シーズン初登板は10戦7勝(1完封)無敗で勝ち負けがつかなかった3試合は全てチームがサヨナラ勝ちしている。

[編集] 社会福祉活動・慈善活動

「杉内基金」を設立し、2005年までは車いす、2006年からは1勝ごとにAEDを寄贈している。2010年から日本骨髄バンクにドナー登録している。

東日本大震災の復興支援のため今季公式戦での球数1球につき1000円の義援金を送ることを発表した[28]

[編集] 人物

  • 左投げだが、筆記・食事では右利き。母親が「左利きの人が好きだから」という理由で杉内を左投げにした。筋力トレーニングに「加圧トレーニング」を利用している。プロ入り前に「プロでやっていくには体が小さすぎる」と言われたため、早急に筋肉量を増やす必要があったからだという。[要出典]
  • 休日は長男に付き合い、自宅で「実況パワフルプロ野球」で遊んだ後に近所の公園で野球を教えている。
  • メジャーリーグ志向について、杉内は否定的な立場を取っている。本人曰く「英語がわからないから」。
  • 2009年12月30日に当時のチームメイト新垣が自身の妻の妹と入籍し、これにより新垣とは義兄弟となった。
  • 他の着用者がイチローしかいない、新素材のアンダーシャツを2009年から使用している。
  • 福岡ドームでの登板の日には、ゲン担ぎで登板前に自宅のトイレ掃除をする[29]
  • 2010年9月25日の北海道日本ハムファイターズ戦でダルビッシュと投げ合い、1-0で完封勝利。ヒーローインタビューの途中で感極まって涙した。2010年レギュラーシーズンの最後の登板となり、勝てばチームの優勝マジックが残り1に減り、負ければ西武に優勝マジックが移動するという大事な試合だった。「ここ4試合ふがいなかった(4試合で0勝2敗、防御率9.58)。ラスト登板で悔いのない投球ができた。」とインタビューに応えている。
  • 吉川晃司のファンで、ヤフードーム入りする愛車の中ではいつも吉川の曲を流すという[30]

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
2002 ダイエー
ソフトバンク
11 9 0 0 0 2 2 0 -- .500 204 44.0 48 5 23 3 4 46 1 0 29 29 5.93 1.61
2003 27 24 3 2 0 10 8 0 -- .556 675 162.2 148 13 55 1 3 169 4 0 64 61 3.38 1.25
2004 10 9 0 0 0 2 3 0 -- .400 216 45.2 56 8 27 1 2 51 2 0 36 35 6.90 1.82
2005 26 26 8 2 2 18 4 0 0 .818 765 196.2 150 14 43 1 0 218 0 0 51 46 2.11 0.98
2006 22 21 0 0 0 7 5 0 0 .583 558 132.2 130 15 44 2 5 114 2 0 57 52 3.53 1.31
2007 28 28 5 3 3 15 6 0 0 .714 793 197.2 166 12 46 1 5 187 1 0 58 54 2.46 1.07
2008 25 25 8 1 3 10 8 0 0 .556 776 196.0 162 15 36 1 2 213 3 0 63 58 2.66 1.01
2009 26 26 6 1 0 15 5 0 0 .750 764 191.0 145 14 63 1 4 204 7 0 59 50 2.36 1.09
2010 27 27 5 5 2 16 7 0 0 .696 779 182.2 169 12 60 1 8 218 10 0 75 72 3.55 1.25
2011 23 23 7 3 0 8 7 0 0 .533 676 171.1 122 8 49 1 8 177 5 0 40 37 1.94 1.00
通算:10年 225 218 42 17 10 103 55 0 0 .652 6206 1520.1 1296 116 446 13 41 1597 35 0 532 494 2.92 1.15
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

[編集] タイトル

[編集] 表彰

  • 西日本スポーツ年間MIP賞:2回 (2005年、2008年)
  • 西日本スポーツ月間MIP賞:2回 (2008年5月度、2009年6月度)
  • ヤナセ・福岡ソフトバンクホークス年間MVP賞:1回 (2005年)
  • スポーツ日本年間MRP賞:1回 (2005年)
  • ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in「プロ野球部門」(主催:日本メンズファッション協会):2009年度
  • 福岡市スポーツ栄誉賞:2006年
  • 大野城市民スポーツ栄誉賞:2003年
  • 大野城市民特別栄誉賞:2009年
  • 第3回西新勝鷹水神MIP賞(主催:西新商店街):2005年
  • 九州放送VIVA!!SPORTAS MOSTハイアールヒーロー賞:2009年

[編集] 記録

投手記録
打撃記録
節目の記録
その他の記録
  • 毎回奪三振:2回
  • 1イニング4奪三振:2003年4月14日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(千葉マリンスタジアム
  • 日本シリーズ最少四球(投球回10以上):0個(日本シリーズタイ記録)※史上6人目
  • 1シーズン2桁奪三振11度:2008年 ※史上7人目
  • 5試合連続2桁奪三振:2009年(8月23日 - 9月23日)※史上2人目(左腕史上初)
  • 通算100勝到達試合数:215試合(左腕史上2位)
  • 救援勝利なしで通算100勝:史上初
  • 3年連続200奪三振:2008年 - 2010年 ※ドラフト制以降史上5人目
  • 4年連続月間MVP受賞:2007年 - 2010年 ※パ・リーグ投手史上2人目
  • オールスターゲーム出場:6回(2005年、2007年 - 2011年)

[編集] 背番号

  • 47 (2002年 - 2011年)
  • 18 (2012年 - )

[編集] 登場曲

『To All Tha Dreamers』SOUL'd OUT
終わりなき旅Mr.Children
every little thing every precious thingLINDBERG
  • 2007年
遠くまでDo As Infinity
Starlight Destiny』SOUL'd OUT
ALIVE』SOUL'd OUT
『Torero』Chayanne
  • 2008年
BAD COMMUNICATIONB'z
LIVIN' ON A PRAYERボン・ジョヴィ
『Crystal Lady』MEGARYU

[編集] 関連情報

[編集] 著書

  • サウスポー論(KKベストセラーズ 2011年11月) - 和田毅との共著

[編集] 注釈

  1. ^ 杉内、目標は18勝=巨人に移籍会見-プロ野球”. 時事通信 (2011年12月23日). 2011年12月23日閲覧。
  2. ^ a b トップランナーNHK総合)2011年1月15日 プロ野球選手 杉内俊哉
  3. ^ 月刊ホークス、2010年10月号、P.22
  4. ^ 週刊現代 2010.3.13号 P186 福岡ソフトバンクホークス投手 杉内俊哉
  5. ^ 2009年にチームメイトだった同級生の新垣渚が杉内の妻の妹と結婚したことで、義兄弟になった。
  6. ^ 月刊ホークス、2010年10月号、P.23
  7. ^ 杉内WBCへ“新フォーム
  8. ^ スポニチ Sponichi Annex ニュース 2009年11月18日[リンク切れ]
  9. ^ 4度目 杉内 300勝投手以来32年ぶりの快挙
  10. ^ 月刊ホークス、2011年2月号、P.9
  11. ^ 杉内完封やっと今季初勝利は最多タイ15K日刊スポーツ、2011年5月15日。
  12. ^ 【ソフトB】杉内1500K!早さ3番目日刊スポーツ、2011年6月18日。
  13. ^ 杉内、巨人に入団表明=「すっきりした」-プロ野球”. 時事通信 (2011年12月19日). 2011年12月20日閲覧。
  14. ^ 『トッププロが教える上達する練習法ピッチング―投球フォーム・練習法・速球の投げ方、ISBN 9784415109114、P30
  15. ^ 『トッププロが教える上達する練習法ピッチング―投球フォーム・練習法・速球の投げ方、P34
  16. ^ a b プロ野球 投手「球種リスト」 『野球小僧』2010年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、150頁。
  17. ^ 『トッププロが教える上達する練習法ピッチング―投球フォーム・練習法・速球の投げ方、P31
  18. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、212-213頁。ISBN 978-4-7572-1628-0
  19. ^ 上原、杉内手本の「コージーボール」でクローザースポーツ報知、2011年1月31日。
  20. ^ 選手分析 ~ソフトバンク #47 杉内俊哉~プロ野球 データスタジアム、2010年01月08日。
  21. ^ 週刊ベースボール、2010年5月31日号、P.9
  22. ^ WBCで輝いたMLB未経験選手9人の評価は? MLBのスカウトから見た日韓の選手たち 『月刊スラッガー』2009年6月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-6、50-52頁。
  23. ^ 鷹のエースが語る「変化球奥義」『週刊ベースボール』2011年26号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-6/20、6-10頁。
  24. ^ “ソフトB杉内が「脱・隔年投手」”. 日刊スポーツ. (2006年12月21日). http://kyusyu.nikkansports.com/baseball/professional/hawks/p-kh-tp0-20061221-133009.html 2010年12月12日閲覧。 
  25. ^ 杉内 “鬼門”仙台でまた勝てず…今季4敗目
  26. ^ a b 日刊ゲンダイ2011年7月12日号『楽天 山崎武司の週間日記熱く激しく時々やさしく』
  27. ^ 【5月26日】2010年(平22) “ミスター・メイ”健在 杉内俊哉 4年連続無敗の14連勝スポーツニッポン
  28. ^ 杉内 日本一まで1球につき1000円義援金スポーツニッポン、2011年8月16日。
  29. ^ “鷹のエース・杉内が「勝つため」にやっていること”. スポーツナビ. (2009年9月8日). http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/text/200909080001-spnavi.html 2010年12月12日閲覧。 
  30. ^ 九州スポーツ、2010-9-27.P2

[編集] 関連項目

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