田中幸雄 (内野手)

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田中 幸雄
基本情報
国籍 日本
出身地 宮崎県都城市
生年月日 1967年12月14日(41歳)
身長
体重
184cm
91kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 遊撃手外野手一塁手
プロ入り 1985年 ドラフト3位
初出場 1986年6月10日
最終出場 2007年10月28日
日本シリーズ第2戦)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本
五輪 2000年

田中 幸雄(たなか ゆきお、1967年12月14日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手

現役22年間を日本ハム一筋で過ごし、ミスター・ファイターズと呼ばれる。

目次

[編集] 来歴

[編集] プロ入り前

都城高等学校では2年生の春夏に連続して甲子園に出場。1985年ドラフト3位で日本ハムに入団した。同期にPL学園清原和博桑田真澄ら。

[編集] プロ入り後

  • 1986年から1989年にかけて、同じチームに同姓同名の投手が在籍したため、球場のスコアボードや新聞紙上では投手の田中幸雄田中幸、内野手の田中幸雄を田中雄と表記した。場内アナウンスでは背番号によって区別していた。

1年目から一軍に出場し、プロ入り2打席目で本塁打を放った。1988年にはファン投票1位でオールスターに出場し、ベストナインゴールデングラブ賞を獲得。以降、1991年まで4年連続全試合出場を達成した。オールスターにも4年連続ショート部門ファン投票1位で出場した。

1992年、開幕戦に代走として1試合出場したのみで、6月に「上腕骨頭後部軟骨はく離」の診断で手術を受けた。

1993年、故障から復帰して外野にコンバートされた。リーグ最多の32本の二塁打を記録。

1994年、右翼手として起用された。以降3年連続で全試合出場・140安打・20本塁打・80打点を記録した。また自己最高の87打点(リーグ2位)、27本塁打を記録した。

1995年上田利治が監督に就任し、ショートに復帰。4番打者としてイチロー初芝清とともに80打点で打点王を獲得した。また339守備機会連続無失策を樹立、打率も自己最高を記録。

1996年、22本塁打・82打点とチーム2位の成績に貢献。またオフにはシーズン中に痛めた膝を手術した。

1997年8月12日に全打順本塁打を達成。

1998年、一塁手として2年ぶりの20本塁打以上を記録。

1999年、両リーグワーストの132三振を記録。7月8日にパ・リーグ記念の通算35,000号を放った。

2000年シドニーオリンピック野球日本代表に選出され、チーム最年長選手として活躍。2本塁打を含む31打数10安打、打率.323を記録。

2001年、2年ぶりの20本塁打と規定打席到達を記録。また、通算250号本塁打を達成。

2002年、サードにコンバートされた。中盤以降は外野での起用も多かった。9年ぶりの30二塁打と4三塁打を記録。

2003年、DHあるいはファーストで出場した。故障で2度登録抹消され、連続二桁本塁打は10年でストップした。またこの年の終盤に通算1900安打をクリアし、2000本安打に残り99本とした。

2004年、たびたび二軍落ちを経験するなど苦しいシーズンで、一軍での試合出場は35試合にとどまった。

2005年8月27日の対福岡ソフトバンク戦ではサヨナラ安打を放ち通算1000打点を記録。

2006年、チームは10月12日プレーオフでソフトバンクを破り、10月26日には日本シリーズ中日に勝利し、プロ生活21年目にして初めてリーグ優勝と日本一を経験し、胴上げも経験した。また、かつての本拠地・東京ドームで行われたアジアシリーズにも先発出場を果たし安打を記録、アジア制覇に貢献する。

2007年4月28日の対東北楽天7回戦(フルキャスト)で2年振りの本塁打(6年振りの満塁本塁打)を放った(代打での満塁本塁打は自身初)。5月5日(対オリックス8回戦)の札幌ドームでの本塁打で球場別本塁打を33球場とし、金本知憲を抜いて現役1位、通算でも山本浩二衣笠祥雄門田博光を抜いて単独2位となった(通算1位は山内一弘の39球場)。

5月17日の対東北楽天戦(東京ドーム)4回の第2打席に山村宏樹から右前安打を放ち、史上35人目の2000本安打を達成。到達までに要した打席数は史上最多、試合数2205は史上2位のスローペース(1位は大島康徳の2290)。

9月8日、球団から戦力外通告された。コーチ転向を打診されたが、固辞した。9月19日、かつての本拠地である東京ドーム最終戦の対東北楽天戦で代打として登場し、田中将大からタイムリーを放つ。試合後、同年限りでの引退を正式に発表。11月25日、札幌ドームで開催されたファンフェスティバルにおいて引退セレモニーを行った。11月26日付で任意引退が公示された。11月28日、札幌グランドホテルで、財界人、友人、知人、現役選手、OBの奈良原浩等が参加し盛大な「2000本安打達成記念祝賀会」が開催された。12月27日には宮崎県から県民栄誉賞が贈られた。

2000本安打達成者の中で、生涯打率.262はワースト記録。並びに一度もシーズン打率3割に達せず引退したのは柴田勲以来2人目。

現役時代に長くつけていた背番号「6」は、その功績を称え球団の永久欠番にする向きもあったが、本人の快諾もあり高卒ルーキーの中田翔へと継承された。

引退後は「一度、外からプロ野球を見て勉強したい」という思いと、現役時代からの持病だった右肘と左肩の不調を理由に打撃コーチ就任を固辞していたが、コンディションが良くなってきたという理由から2010年からの日本ハム打撃コーチ就任に意欲を見せている。

また、正式に野球解説者にはなっていないが、2008年5月14日のSTVアタックナイターにゲスト解説者として、また、2009年4月3日の札幌ドーム開幕戦の「HBCファイターズナイター」にもゲスト解説として出演した。

[編集] タイトル・表彰

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 37(1986年~1990年)
  • 6(1991年~2007年)

[編集] 年度別打撃成績

年度 球団

























1986年 日本ハム 37 14 29 27 3 4 1 0 1 8 4 0 0 0 1 0 1 4 1 .148
1987年 112 351 325 36 66 11 0 9 104 33 1 5 3 2 19 2 80 10 .203
1988年 130 543 509 68 141 21 2 16 214 57 1 2 3 7 21 3 60 13 .277
1989年 130 465 429 41 106 16 3 7 149 43 7 8 8 4 21 3 50 5 .247
1990年 130 495 450 63 129 30 2 18 217 52 4 6 5 2 38 0 61 7 .287
1991年 6 130 494 453 46 109 15 6 13 175 62 3 1 7 3 30 1 44 12 .241
1992年 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 .000
1993年 128 509 474 63 120 32 1 12 190 63 5 7 2 4 27 2 72 17 .253
1994年 130 566 518 76 148 29 2 27 262 87 2 1 1 4 40 3 88 13 .286
1995年 130 555 488 76 142 28 1 25 247 80 1 4 0 5 58 4 77 10 .291
1996年 130 575 513 73 142 29 3 22 243 82 3 2 0 6 52 4 90 12 .277
1997年 133 599 539 72 137 29 3 19 229 63 1 1 0 5 51 4 96 17 .254
1998年 107 482 420 62 115 28 0 24 215 63 2 0 0 3 53 6 102 8 .274
1999年 131 556 508 73 137 23 2 23 233 74 2 1 0 3 39 6 132 14 .270
2000年 97 373 328 45 84 16 1 15 147 46 1 1 5 2 30 8 85 4 .256
2001年 139 556 491 46 125 22 0 20 207 77 2 2 4 2 57 2 109 12 .255
2002年 132 514 467 57 130 31 4 17 220 53 0 2 5 2 37 3 102 13 .278
2003年 78 264 240 31 66 11 1 9 106 32 3 0 1 0 20 3 50 8 .275
2004年 北海道
日本ハム
35 91 79 7 20 5 0 0 25 10 0 0 0 0 12 0 22 3 .253
2005年 98 211 194 17 46 11 2 5 76 22 0 0 1 3 13 0 46 5 .237
2006年 58 96 86 3 15 2 0 0 17 4 1 0 1 1 8 0 18 3 .174
2007年 65 141 135 16 30 4 0 5 49 19 0 0 1 0 5 0 28 4 .222
通算成績 2238 8465 7673 974 2012 394 33 287 3333 1026 40 43 47 59 631 55 1416 191 .262
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 初記録

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
石井浩郎
パ・リーグ打点王
1995年
イチロー初芝清
次代:
T.ニール
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