大島公一

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大島 公一
オリックス・バファローズ No.76
基本情報
国籍 日本
出身地 東京都板橋区
生年月日 1967年6月17日(40歳)
身長
体重
167cm
67kg
選手情報
投球・打席 右投両打
守備位置 二塁手
プロ入り 1992年 5位
初出場 1993年4月18日
最終出場 2005年9月28日
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手
オリンピック
男子 野球
1992 野球

大島 公一おおしま こういち1967年6月17日 - )は、東京都板橋区出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手(主に二塁手)。右投げ両打ち。現在はオリックス・バファローズの二軍内野守備・走塁コーチ。

目次

[編集] 来歴・人物

法政二高から法政大に進み、チーム3回目の4連覇に二塁手として貢献、4年時には主将を務め、3期連続でベストナインに選出された。社会人野球の日本生命ではバルセロナ五輪に代表選手として出場し、銅メダル獲得に貢献。

1992年ドラフト5位で近鉄バファローズに入団。大御所である大石大二郎の存在、水口栄二の台頭によりレギュラーポジションをなかなか奪えず1996年、オリックスにトレードで移籍。レギュラーに定着し、同年のチームのリーグ優勝、日本一にも貢献。身長167cmと小柄な体型ながら闘志あふれるプレーで観客を沸かせた。

巧みなバントやしぶといバッティング、俊足と堅実な守備には定評がある。打率の割に出塁率の高さ、併殺死の少なさが持ち味。ゴールデングラブ賞を通算3回受賞。

オリックスに移籍してからは8シーズン連続で規定打席を到達させレギュラーの座を守り続けて来たが、左打ちに専念した2004年シーズンには体力の衰えもあり出場機会が一気に減少。 同年、Yahoo!BBスタジアム(現スカイマークスタジアム)での球団最終戦、対大阪近鉄バファローズでホームラン性の打球を放つ。 オフに球団からコーチ就任を要請されたもの現役にこだわり拒否。選手分配ドラフト東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍、スイッチヒッターに再転向した。楽天ではシーズン前半は不調だったものの、後半以降は代打の切り札として結果を残すようになる。特に、2005年7月2日北海道日本ハムファイターズ戦(フルキャストスタジアム宮城)では、横山道哉から満塁走者一掃の逆転サヨナラタイムリー三塁打を放ち、7月30日の対西武ライオンズ戦(インボイスSEIBUドーム)では、延長11回表に大沼幸二から決勝2ランを放った。10月2日、現役引退を表明。

2006年からはオリックス・バファローズの打撃コーチに就任。

[編集] 年度別打撃成績

  • 表中の太字はリーグ最多数字
年度 チーム

試合 打数 得点 安打 二塁
三塁
本塁
塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死
三振 打率(順位)
1993年 近鉄 00 91 279 34 78 9 3 1 96 11 10 2 1 25 38 .280
1994年 0 97 309 60 88 19 4 5 130 29 6 6 7 41 32 .285
1995年 105 271 29 52 6 2 0 62 20 1 6 2 43 41 .192
1996年 オリックス 52 125 397 62 101 11 3 4 130 37 8 29 4 55 59 .254(22)
1997年 127 372 50 89 23 2 1 119 27 2 33 2 56 58 .239(27)
1998年 129 409 58 113 14 2 8 155 50 10 30 3 64 53 .276(16)
1999年 110 361 46 101 15 1 1 121 33 5 28 3 70 54 .280(11)
2000年 119 382 64 108 17 1 1 130 33 1 35 2 90 46 .283(17)
2001年 122 414 67 109 19 0 1 131 31 4 30 3 77 52 .263(23)
2002年 116 374 32 86 12 0 1 101 25 13 32 1 47 70 .230(28)
2003年 109 369 53 105 20 1 0 127 20 9 16 1 53 50 .285(24)
2004年 67 152 22 40 13 1 0 55 10 2 16 1 24 21 .263
2005年 楽天 13 58 81 11 18 5 1 1 28 8 0 2 0 14 14 .222
通算成績 1375 4170 588 1088 183 21 24 1385 334 71 265 30 659 588 .261

[編集] 表彰

[編集] 背番号

[編集] エピソード

  • 近鉄との入団交渉では、当時監督だった鈴木啓示が現役時代につけていた1番を要求した。大島は近鉄の1番が永久欠番だと承知の上での要求だったが、1番が無理だとわかると今度は01番を要求。結局00番に落ち着いたが、この話を聞いた鈴木監督は「1番があいつに似合いそうなのに…」と苦笑いしていたそうである。これにより大島は鈴木のお気に入りの選手となったという。
  • オリックス時代は1番のイチローに続く2番を打つことを期待されたため、背番号もイチローの51に続いて52となった。
  • 大島の身長は167cmとプロ野球選手にしては比較的小さい部類に入り、みずしな孝之の漫画『ササキ様に願いを』では身長167mm(実際の10分の1)のプチ選手として登場し、身長170cm以下の選手で構成する「プロ野球プチ選手会(略称:ププ会)」の会長としても活躍した。このププ会には万永貴司仁志敏久らが入会していた。
  • 大島がみずしな孝之の漫画『ササキ様に願いを』のププ会会長として取り上げる前やくみつるが自分の連載4コマ漫画で「ミクロ大島君」として取り上げていた事があったがこれはみずしなが万永貴史を「リトル万永君」として売り出していたため対抗したという説がある。まったく話題にならずその後大島がププ会会長となってみずしなの漫画に登場。万永は会員として活動するようになった。やくとみずしなの交友関係を示したエピソードといえる。
  • 1996年にオリックスがリーグ優勝を決めた試合でサヨナラのホームを踏んだのが大島である。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

近鉄バファローズ
1992年ドラフト指名選手
1位:小池秀郎 / 2位:吉田道 / 3位:内匠政博 / 4位:衣川幸夫 / 5位:大島公一 / 6位:渕脇芳行 / 7位:久保充広
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