町田公二郎

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町田 公二郎
阪神タイガース No.73
基本情報
国籍 日本
出身地 高知県高知市
生年月日 1969年12月11日(38歳)
身長
体重
180cm
85kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 外野手
プロ入り 1991年 ドラフト1位
初出場 1992年6月3日
最終出場 2006年8月27日
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

町田 公二郎(まちだ こうじろう、1969年12月11日 - )は、高知県高知市出身の阪神タイガースの2軍打撃コーチ。元プロ野球選手外野手)。セ・リーグ代打本塁打記録保持者。

目次

[編集] 来歴・人物

明徳義塾高では3年春の甲子園で1回戦敗退。その後専修大学に入学。2年春にはチーム31回目のリーグ優勝に貢献。大学では通算21本塁打の記録を持っている。その長打力を買われ、1991年ドラフト1位で広島東洋カープに入団。1年目から4番を任されるなど、早い時期から右の大砲として首脳陣に期待されるが、前田智徳江藤智緒方孝市などの台頭もあり、年々スタメンに名を連ねる試合が減少する。以降は右の代打の切り札としての地位を確立し、代打通算本塁打20本はプロ野球歴代2位タイの記録で、セ・リーグ記録でもある。1996年には代打で9打席連続出塁の新記録を打ち立てた。1997年には「公二郎」から「康嗣郎」に改名。

2000年のシーズンは規定打席不足ながら、右の絶対的な代打として存在感を大いに発揮し、打率2割8分1厘、ともに自己最高となる13本塁打、34打点をマークした。ちなみに、あまり知られてはいないが、このシーズン前半戦までは規定打席に到達していて3割3分台の高打率を残していた。同じくチームメイトで左の代打の切り札である浅井樹もこの年は打率3割、13本塁打、46打点と活躍した。この両者は、プロで活躍していた時期及び代打というポジション、ともに自己最高の成績を残したのが同じシーズンであるという縁があり、他球団では2人ともレギュラーあるいは主軸を打てるだけの力はあったとされる。本塁打は町田が多く、巧打は浅井の方が優れていた。入団時から4番候補と言われるだけの逸材だけあってパンチ力はある。故障がちな点を克服できず、毎年のように本塁打数こそ伸び悩むものの、レギュラーとして年間を通じて活躍すれば、20本塁打越えはまず確実であった。中軸の主力選手が故障した際にはクリーンアップでスタメン出場する事が多かった。1998年には1試合であるが、江藤智に代わり4番を任されている。翌1999年にはヤクルト戦でスタメン4番に起用され本塁打も放っている。勝負所や好機の場面には滅法強く、ここぞという時にはよく打った。満塁の場面にも強く、代打満塁本塁打を通算4本放っている。この記録はオリックス・ブルーウェーブで活躍した藤井康雄と並ぶ日本タイ記録である。2002年にはセ・リーグ通算代打本塁打記録を塗り替え、2006年に阪神移籍後初の代打本塁打を放ち、更に記録を更新。 この年までは代打本塁打を量産していたので、一時は日本記録及び世界記録でもある高井保弘の27本に迫る勢いを見せたが、2004年以降は故障や若手の台頭などもあり、出場機会は大幅に減少した。それでも、生涯の通算代打本塁打数は20本となり、大島康徳と並ぶ堂々の歴代2位に名を連ねる。

広島時代は左右の投手によって左打者の浅井樹との併用が多かった。プロ生涯で1度も規定打席に到達した事はなく、レギュラーというポジションではなかったものの、ファンの人気は高く、応援時(特に好機での代打起用)ではゲーム1、2を争う盛り上がりを見せ、その際には「未来へ輝け 町田公二郎」と書かれた垂れ幕も用いられていた。守備では外野手登録ではあったが一塁二塁三塁を守った事もある。ただ守備はお世辞にも上手いとは言い難く、外野を守ることは多くても肩が弱いことを問題視されたこともある。

常に笑顔を絶やさない明るい性格の持ち主で、サインや写真撮影にも気軽に応じ、女性ファンの人気も高かった。その一方で、勝負所で本塁打を打った際やヒーローインタビューなどではあまり表情を変えないクールなコメントが多かった。ただ、そんな町田が唯一感情を表に出したときがある。1999年広島市民球場でライト前に代打サヨナラタイムリーを放った際に両手をあげガッツポーズ。ヒーローインタビューで涙を浮かべ「また明日から頑張ります」と語った。スランプにより代打で自分の思うような打撃ができなかった事に対するものだと思われる。1打席しか許されない代打というポジションからうかがえるように、責任感も人一倍強かった。打撃と比較して、守備と走塁には課題があったが、全力プレーは健在で、内野守備ではしばしばダイビングキャッチによる好守も見せた。

12球団屈指のハードな練習と言われる広島にいながら、チーム1、2を争う練習量を誇る事でも有名で、合同練習の3時間前に球場入りし、特製の錘付バットをひたすらスィングするのが彼のトレーニングスタイルであった。その成果により筋骨隆々とした体をつくりあげた。とあるプロ野球中継で「和製シュワルツェネッガー」と称された事がある。山本浩二監督には「そんな練習したら、体を壊してしまうぞ」と驚かれた。このように真面目で練習熱心な態度による評価は首脳陣やチームメイトはもとより、ファンからも高く、広島、阪神時代を通じて若手選手の良い見本ともなった。

2004年シーズン終了後に、八木裕の引退により右の代打が手薄となった阪神へ金銭トレードで移籍した。多くの広島ファンに惜しまれ、「阪神に行っても応援する」という声が後を絶たなかった。移籍に伴い登録名を再び「公二郎」に戻す。

阪神移籍後は2005年こそ故障であまり出場できなかったものの、代打で同点タイムリーを放つなど、好機では持ち前の勝負強さをいかんなく発揮し、2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。2006年は天王山の中日戦で小笠原孝から阪神移籍後第1号本塁打を放った。その後の中日戦でも山本昌から均衡を破るセンター前ヒットを放つなど首位争いを繰り広げるチームにあって活躍を見せる。ただチーム事情でもあるスタメンの固定化もあり、代打としてもなかなか出場できなかった。そしてシーズン終盤に片岡篤史とともに戦力外通告を受ける。チームはこのとき中日と首位争いをしている最中であったのに加えて、町田が右の代打の切り札として印象的な活躍を見せていた事もあって、シーズン中のこの戦力外発表に不満の声を漏らす阪神ファンも多かった。一時は現役続行の道も考えるも、持病の首痛の悪化もあり、このシーズンでの現役引退を表明。2007年より2軍打撃コーチに就任する。引退会見の際打撃コーチの就任について、「好かれるコーチはいらない。(自分は)嫌われるコーチになる。好かれるコーチよりも一緒にいて将来良かったと思ってもらえるコーチになりたい」と早くも鬼コーチ宣言をしていた。

[編集] 所属球団

[編集] 背番号

[編集] エピソード

  • 2002年6月7日の阪神戦の1回表で、偵察要員として先頭打者に起用されていた鶴田泰の代打として登場しトレイ・ムーアから本塁打を放った。これはセ・リーグでは通算3人目の「初回先頭打者代打HR」である。同時にこの本塁打で代打本塁打数をセ・リーグ新となる通算17本とした。
  • 阪神タイガースの金本知憲とは広島時代の同期にあたり、仲が良かった。阪神移籍後も、ともに若手選手への兄貴的存在として慕われた。若き日の金本も、町田の人並外れたウエイト・トレーニングを参考にしたという。町田が中日戦で阪神移籍後第1号本塁打を放った際には、ベンチの誰よりも喜びをあらわにし、ヒーローインタビュー(この試合で金本も本塁打を打っている)では、「町田は広島時代からの同期で、阪神に来てからなかなか1本が出なくて心配していたが、(今日本塁打を打てて)自分の事のように嬉しい」とのコメントを残している。町田が戦力外通告を受けた際、現役引退の意向を最初に伝えたのも金本であった。

[編集] 「幻の本塁打」

  • 広島時代の1999年6月30日横浜戦(富山市民球場アルペンスタジアム)の5回、東出輝裕の代打町田は初球を左翼ポール際へ本塁打性のあたりを打つ。ボールは明らかにポールを巻いていたが三塁塁審真鍋勝己はファールという判定。広島首脳陣は約10分間猛抗議したが認められなかった(ちなみに球審は渡真利克則)。町田は結局空振り三振し、バットを叩き付けて悔しがった。
  • また、阪神移籍後の2005年5月3日の広島戦(甲子園球場)では1点ビハインドの9回に走者一塁の場面で代打出場。ジョン・ベイルから左翼ポール際への逆転決勝本塁打かという大飛球を放つも、塁審上本孝一の判定はファール。この時も結果は三振だった。

[編集] 年度別成績

[編集] 年度別打撃成績

年度 球団
























1992年 広島 49 175 153 19 41 9 1 6 70 19 1 1 0 2 16 4 34 3 .268 0
1993年 103 317 276 26 68 16 0 6 102 31 1 0 4 1 28 8 72 9 .246 1
1994年 18 32 26 0 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 6 0 7 0 .077 0
1995年 69 155 138 16 36 5 0 8 65 22 2 1 2 0 14 1 36 2 .261 1
1996年 73 148 130 25 40 6 0 9 73 23 2 1 1 0 15 2 26 3 .308 2
1997年 103 301 257 34 62 10 0 10 102 33 4 4 3 1 33 7 56 7 .241 5
1998年 89 198 172 14 42 8 0 4 62 23 2 0 1 3 18 4 41 3 .244 4
1999年 81 199 177 17 43 8 0 8 75 28 0 1 0 2 17 3 33 7 .243 2
2000年 102 307 260 43 73 14 0 13 126 34 4 1 1 2 39 5 56 9 .281 1
2001年 70 114 92 16 24 3 0 9 54 22 0 0 2 0 18 2 28 3 .261 0
2002年 73 113 97 11 21 3 0 7 45 12 1 0 0 0 14 2 36 2 .216 0
2003年 70 146 118 17 27 8 0 4 47 19 1 0 3 1 16 8 24 3 .229 1
2004年 7 7 6 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 2 0 .167 0
2005年 阪神 34 37 32 3 6 1 0 0 7 3 0 0 0 0 4 1 9 1 .188 0
2006年 14 15 12 2 3 1 0 1 7 2 0 0 0 0 3 0 2 0 .250 0
通算成績 955 2264 1946 243 489 92 1 85 838 272 18 9 17 12 241 48 462 52 .251 17

[編集] 年度別守備成績

年度 一塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 - - 43 63 0 0 0 1.000
1993 - - 83 154 4 1 0 .994
1994 - - 10 17 1 0 0 1.000
1995 26 118 8 0 14 1.000 - 27 40 1 1 0 .976
1996 11 16 2 0 0 1.000 9 3 9 2 1 .857 29 29 2 0 0 1.000
1997 28 50 8 2 4 .967 27 12 44 1 1 .982 29 47 1 0 0 1.000
1998 55 356 29 4 30 .990 - 4 3 0 0 0 1.000
1999 36 214 14 1 22 .996 4 3 3 0 0 1.000 10 7 1 0 0 1.000
2000 12 84 9 0 10 1.000 - 75 97 3 1 0 .990
2001 - - 26 28 0 0 0 1.000
2002 14 104 9 0 8 1.000 - 7 8 0 0 0 1.000
2003 18 117 9 0 15 1.000 - 25 18 0 1 0 .947
2005 1 4 0 0 1 1.000 - -
2006 1 5 2 0 0 1.000 - -
通算 202 1068 90 7 104 .994 40 18 56 3 2 .961 368 511 13 4 0 .975
年度 二塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1997 15 34 39 2 9 .973
1999 18 21 27 1 3 .980
2002 1 0 0 0 0 -
通算 34 55 66 3 12 .976

[編集] 関連項目

広島東洋カープ
1991年ドラフト指名選手
1位:町田公二郎 / 2位:徳本政敬 / 3位:佐藤貞治 / 4位:金本知憲 / 5位:杉田勇
6位:伊藤真 / 7位:小畑幸司 / 8位:大石昌義