アレックス・カブレラ
ソフトバンク時代のカブレラ
2011年4月16日、福岡Yahoo! JAPANドームにて |
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | モナガス州カリピト |
| 生年月日 | 1971年12月24日(41歳) |
| 身長 体重 |
185 cm 100 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 一塁手 |
| プロ入り | 1991年 アマチュアFA |
| 初出場 | CPBL / 1999年3月16日 MLB / 2000年6月26日 NPB / 2001年3月24日 |
| 最終出場 | CPBL / 1999年9月20日 MLB / 2000年9月30日 NPB / 2012年6月17日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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アレキサンダー・アルベルト・カブレラ(Alexander Alberto "Alex" Cabrera, 1971年12月24日 - )は、ベネズエラ出身の元プロ野球選手(内野手)。日本プロ野球シーズン最多本塁打記録保持者(タイ記録)。
目次 |
経歴 [編集]
カブス・メキシコ時代 [編集]
1991年5月、シカゴ・カブスとマイナー契約を結ぶ。1992年からメジャーリーグ傘下で5年間プレーするもA+が最高で、1997年から2年間はメキシカンリーグでプレーする。
台湾時代 [編集]
1999年に台湾の中華職棒でプレーした[1]後、同年末にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結ぶ。
ダイヤモンドバックス時代 [編集]
2000年は、ルーキーリーグ・2A・3A・MLBの4階級でプレーする。特に2Aでは53試合で打率.382・35本塁打・OPS1.438の活躍を見せ(3Aでは21試合で.282・4本塁打・OPS.867)、6月にはメジャー昇格を果たした。メジャーでも、初打席本塁打でデビューするなど活躍していたが、徐々に失速し、打率.263・5本塁打・OPS.799でシーズンを終了する。メジャー昇格後、試合前の打撃練習中に場外へ何発も打ち込んでいたのを目の当たりにした(ダイヤモンドバックスの球場は開閉式ドームだが、壁も可動式で開閉する)当時のチームメイトだったランディ・ジョンソンは、「マグワイアも遠くへ飛ばすが、こんなにも遠くへ飛ばす奴は今まで見たことがない。」とコメント。
2000年シーズン終了後、ダイヤモンドバックスの監督交代をもって西武ライオンズへ保有権譲渡された。
西武時代 [編集]
西武ライオンズに入団。64試合で30本塁打に到達というプロ野球タイ記録を作るなど、NPB1年目の最多記録となる49本塁打を放つ。同期入団のスコット・マクレーンとのコンビも「ツインバズーカ砲」として話題になった。三振もリーグ最多だったが、圧倒的な長打力で日本プロ野球界を席捲した。
6月に腰痛で出場登録を抹消[2]。前年に比べ本塁打のペースが上がらなかった[2]が、7月1日から来日初の4打席連続本塁打を放つなど7月は11本塁打を放ち[3]、8月に15本塁打、9月に10本塁打を記録し史上初の3カ月連続2桁本塁打を記録した[4]。9月10日のダイエー戦で史上最速のペースで球団新記録となる50号を達成し[4]、3日後には51本目の本塁打を放ち打率.335、109打点で初めて三冠1位となった[4]。135試合目(出場は123試合目)10月2日西武ドームでの近鉄戦で岡本晃から王貞治、タフィ・ローズの日本記録と並ぶ55号ソロ本塁打を放った。このシーズンは高めにストライクゾーンが広がるいわゆる新ストライクゾーン導入もあり(この年のみで廃止)、リーグ打率は00年代ではもっとも低い.255、リーグ総本塁打数も前年から150本以上減少するなど打低化が顕著であったにも関わらず、打率.336(リーグ2位)、55本塁打(リーグ1位)、115打点(リーグ2位)、四球数100(リーグ1位)、出塁率.467(リーグ1位)、長打率.756(リーグ1位)でのOPS1.223(リーグ1位)を記録するなど活躍し、パ・リーグMVPにも輝いた。
落合博満が1985年とその翌年に達成して以来史上2人目となる2年連続50本塁打を放ち、3年間で150本塁打以上を記録した史上初の選手となった。同時に2年連続打率3割、入団から3年連続での100打点も達成。しかし、タフィ・ローズの51本塁打には及ばず、本塁打王は逃した(50本塁打を放ちながらタイトルを逃したのは史上唯一)。
3月のオープン戦で大阪近鉄の山村宏樹から死球を受け右腕を骨折、前半戦の大半を棒に振ったが、驚異的な回復力で4ヶ月後の6月後半に復帰し、64試合の出場で25本塁打。更に同年より導入されたパ・リーグのプレーオフでも北海道日本ハムファイターズとの第1ステージ第3戦に逆転満塁本塁打を放つなどリーグ優勝に貢献(当時はプレーオフ第2ステージ勝利チームがリーグ優勝扱い)、中日ドラゴンズとの日本シリーズでも岡本真也からの満塁本塁打を含む3本塁打を放ち[5]、西武の12年ぶりの日本一に貢献。優秀選手賞を獲得し、日本一に輝いた時には「もう俺たちはガキじゃない! 成長したんだ!」と発言した。
3度目の打率3割、リーグ3位の92打点、36本塁打を記録。リーグ最多の15敬遠(2位はフリオ・ズレータらの6)と、勝負を避けられる場面も目立った。6月3日の対横浜戦(インボイスSEIBUドーム)の2回、三浦大輔から放った打球はレフトの屋根に当たって左中間のグランドに落ちた。これはインボイスSEIBUドームのグラウンドルールにより認定本塁打とされた。推定飛距離は180mとも言われ、日本最長飛距離の本塁打とも言われている。打球が直撃した屋根の鉄骨部分には記念プレートが取り付けられた。7月11日の対ロッテ戦(インボイス)の2回に小林宏之から来日200号本塁打を放つ。538試合での200本塁打はラルフ・ブライアント(元近鉄)の578試合を大きく更新する最速記録となった。
小笠原道大と同点(100打点)で、自身初となる打点王のタイトルを獲得した。三冠王を狙える位置にいたが、本塁打は小笠原に1本及ばず、打率は松中信彦に9厘及ばずにどちらも2位だった。8月7日の対日本ハム戦で木下達生から2ラン本塁打を放ち、木下が亀田興毅に似ていることから、8月2日のボクシング世界戦の亀田対ランダエタ戦での借りを返したという報道があった(カブレラとランダエタはベネズエラの同郷だったため)。なお、ボクシングの試合の翌日である3日には、報道陣に対して「アンビリーバブルな判定だ!」と声を荒らげていたが、「知り合いなのか?」と記者団に聞かれると「実は全然知らない」と苦笑していた。シーズン中、スポーツ紙でたびたび移籍を考える発言をし、巨人や中日といったセ・リーグの球団に売り込むような発言が目立ったが、2007年の9月に「契約がまとまれば生涯西武でもいい、またこのチームで現役を終えたい」など以前の確執は解消されたような報道がされた。
4月29日の対ロッテ戦(グッドウィルドーム)で成瀬善久から来日250号本塁打を放つ。733試合での250本塁打は元近鉄のラルフ・ブライアントに並ぶ最速タイ記録となった。7月に故障で欠場するが、7月31日の本拠地・グッドウィルドームでの対日本ハム戦で復帰した。しかし、復帰後は調子が上がらず、一時はリーグトップに立っていた打率も徐々に下がり、打撃三部門において前年から大きく数字を下げてしまった。来日後規定打席に到達しながら30本塁打に達しなかった初のシーズンとなり、不動の4番の座もG.G.佐藤に譲ることもたびたびあった。それでも打率.295(リーグ8位)、27本塁打(リーグ3位)、81打点(リーグ5位)で、打点と本塁打はチームトップだった。得点圏打率はチームトップの.331を記録。4年ぶり3度目のベストナイン(一塁手部門)を受賞した。
10月30日、西武ライオンズがカブレラとの翌年の契約を結ばない方針であることが明らかになり、11月30日付で自由契約公示された。自由契約後はオリックス・バファローズが獲得に乗り出し交渉を行ったが、薬物疑惑(後述)により交渉は難航した。
オリックス時代 [編集]
1月9日にオリックスと1年契約、年俸2億5000万円プラス出来高5000万円で正式に契約を交わし、西武時代に3年連続で本塁打王を争ったかつてのライバル、ローズとも同僚となった。背番号は西武と同じ42に決まった。(それまで42をつけていた清水章夫投手は13に変更となった)メディカルチェックで薬物の陽性反応が出たら、契約を破棄できる契約となっていることも話題となった。春先は極度の不振に陥ったが、月が経つにつれて徐々に調子を上げていき、5月9日の対西武戦(京セラドーム大阪)で岡本真也から本塁打を放ち、史上3人目のセ・パ13球団から本塁打を達成。6月14日の対中日戦では、9回裏に岩瀬仁紀から逆転サヨナラ2ランを放ち、それまでサヨナラ本塁打を浴びた事の無かった岩瀬に初のサヨナラ本塁打を浴びせた。8月は月間で4割の打率を残し月間MVPを獲得するなど、チームのAクラス入りに大きく貢献した。8月20日の対楽天戦(スカイマークスタジアム)で青山浩二から来日300号本塁打を放つ。934試合での300本塁打は田淵幸一の1072試合を大きく更新する最速記録となった。10月29日に自身初となるゴールデングラブ賞を受賞(ただし該当の一塁手部門は「該当者なし」が53票と最多であったが有効投票数である143の過半数(72以上)に満たなかったために受賞し、カブレラの得票は40票であった)。オリックスの一塁手がゴールデングラブ賞を獲得するのは1987年のブーマー・ウェルズ以来だった。
2009 ワールド・ベースボール・クラシック・ベネズエラ代表候補に選出されるが最終メンバーから落選。4月23日の対西武戦(京セラドーム)の1回裏に三塁走者としていた場面で、打者後藤光尊のファウルボールが右足小指に直撃し、全治2ヶ月の骨折を負った。7月7日の対ソフトバンク戦で一軍復帰を果たし、この試合で大隣憲司から決勝打を放った。この月は出場全試合で安打を放ち、月間打率.409で自身6度目となる月間MVPを獲得した。8月7~9日に行われたチームイベント「Bs大坂夏の陣」にて、外国人選手の名前に漢字を当てる企画の中で台湾時代の登録名の「亜力士」が再び使用された[2][6]。8月7日の対ロッテ戦で球審に対して暴言を吐いたとして通算6度目(オリックスとして初)の退場処分を受ける。9月19日、左胸から背筋に痛みを訴えて再び登録抹消。65試合の出場、13本塁打39打点はいずれも来日後最低だった。7月19日には一軍登録日数が8年に達し、国内移籍が可能なフリーエージェント資格取得の条件を満たしたため、翌年より外国人枠を外れ、日本人選手扱いとなった。
開幕戦のスタメンから外れた[7]。4月24日に左脇腹痛で登録抹消され、その後一軍に復帰するも、5月19日に左太もも裏を痛めて再び登録抹消された。7月30日の対楽天戦で通算4000打数に到達し、王貞治の.634に次いで歴代2位となる長打率.614を記録した(規定打数に達し長打率で6割を超えたのは王とカブレラのみ。3位は松井秀喜の.582)。112試合に出場し、打率.331、24本塁打、82打点、リーグトップのOPS.997という成績を残したが、オフの残留交渉では複数年契約を求めるカブレラ側と単数年契約を求める球団側とのねじれが生じ、球団から自由契約を公示された。
ソフトバンク時代 [編集]
1月5日にソフトバンクと2年総額3億6000万円プラス出来高で正式に契約を交わした。背番号は西武、オリックス時代と同じ42に決まった。4月15日の対西武戦にて藤田太陽からチーム第1号となるサヨナラホームランを放った。また、5月14日の対西武戦で通算350号本塁打を放った。しかし、シーズン中は度重なる故障に加え、この年より導入された統一球に苦しみ、最終的に打率.225、10本、35点と、来日以来最低の成績だった2009年の記録を更に下回ってしまった。
開幕は故障もあり、二軍スタートとなった。7月24日、球団より退団が決まった旨の発表がなされた[8]。
ベネズエラへ帰郷後、引退 [編集]
12月、ベネズエラウィンターリーグで、相手チームの捕手である息子のラモンと待望の初対決。 見事に一打席目にホームランを放ち、ゆっくりとベースを一周、ホームベースを踏んだ直後、ユニホームを脱ぎ息子に手渡し[3]、現役引退を表明した。[4]
プレースタイル [編集]
手首や腰などの故障が多い反面、回復力も非常に高く、死球や打球直撃以外での大きな戦線離脱がほとんど無い。
打撃 [編集]
打席で構える際に背中を後方に反る独特の構えが特徴で、その構えは平田良介や中田翔も高校時代に真似るなど、全国の高校球児に伝播するほどの人気を誇ったが、2008年頃からは持病の腰痛の為、反らずに担ぐような形になっている[9]。
2010年までは、年単位での打撃不振が一度もなく、日本球界を代表するホームランバッターの一人として不動の地位を確立している強打者。アッパースイングからの豪快なフルスイングが魅力のパワーヒッターだが、バットコントロールも極めて巧みで、走者がいる場面では広角に打ち分けることもできる上[10]、ここぞという場面ではコンパクトなスイングや持ち前の反射神経を生かした単打狙いのバッティングができる器用さも備え、規定打席に到達した年では7年間で5度の3割をマークしている[9][11]。
2011年は、前年までのプレースタイルと異なりツーストライクに追い込まれてからも強振を続け、高めの釣り球に空振り三振する場面が多く見られ、340打席で94三振を記録し、反面四球は25に止まった。
強靭な筋力で打球を上方向に上げる打撃をするため、特大の本塁打が多い。しかし特大すぎるがために、ドーム球場の天井に打球が直撃し、本塁打を損したエピソードも多数ある(球場のルールによってまちまちだがルール上、天井に当たった打球は、そのままフライとしてプレーが続行される)。札幌ドームの完成以降の天井に当たった6度の打球はいずれもカブレラによるものであり、天井に当たって二塁打になった際には「間違いなく200mは飛んでたね」とインタビューに答えたことがある。東京ドームで天井にぶつけた打球は外野のレフト近辺のフェアゾーンに落ちたが、東京ドームのローカルルールにより、天井に当たってフェアゾーンに落ちてきたボールはそのままインプレーとして扱われる為、記録上は「ヒット」となった。この打球の推定飛距離は200mともいわれている[12]。
守備 [編集]
来日1年目には4試合右翼手を守ったこともあるが、以降は主に一塁を守る。守備範囲は狭く動きも俊敏とは言えないが、グラブ捌きは柔らかく、捕球の能力には定評がある[11]。一方で投手との連係、送球、バント処理などの際に雑な動きが見られるなど集中力を欠くこともある[13]。守備でリズムを作るタイプであり、捕球能力には自信があるため、指名打者での起用を拒否したこともある。
特筆 [編集]
人物 [編集]
家族は夫人との間に一男一女がいる。長男のラモン・カブレラは2011年現在ピッツバーグ・パイレーツ傘下でフロリダ・ステートリーグに所属するブレイデントン・マローダーズ(en:Bradenton Marauders)で捕手としてプレーしており[14]、2011年にはフロリダ・ステートリーグの首位打者を獲得した[15]。
両腕に派手な刺青をほどこしている。2011年のソフトバンク移籍以降は三分の一程の試合で刺青を隠す黒いサポーターを両腕にはめて出場することがあり、ソフトバンク首脳陣から刺青を露出してのプレーに苦言があったとの説もあったが、ヤフードームでの主催試合でも刺青を露出して出場した試合も多く真偽は不明である。
激高しやすく乱闘が多い選手として知られている。
シーズンオフにはベネズエラで開かれるウィンターリーグに参加している。カリビアンシリーズ制覇に貢献したこともあり、また、この参加がもっぱら自主トレ代わりのオフシーズントレーニングとなっているようである。しかし2006年オフは母親の体調不良もあり、同リーグにほとんど参加しないまま来日。翌年の開幕はオープン戦を含め不調のスタートとなった。
薬物疑惑 [編集]
異常に筋肉が発達した体型、2005年頃から身体が一回り小さくなり(筋肉増強剤の服用をやめた時に見られる現象)本塁打の数も減少したこと等から、薬物使用が噂されている。これに対しカブレラ本人は、体が小さくなったのは脚への負担を減らすためにダイエットを行った結果だと説明している[16]。
2007年12月13日、ミッチェル報告書の中で薬物使用の疑いがある選手として名前が挙げられた。それによると、カブレラがダイヤモンドバックスに在籍した2000年9月、球団のクラブハウスに届いたカブレラ宛の荷物にアナボリックステロイドと数百錠の錠剤(後に市販の痩せ薬であることが判明)があるのをクラブハウス係員が発見。カブレラには荷物が紛失したことにしてコミッショナー事務局に報告した。その後、事務局から依頼された麻薬取締局が薬物を検査している間に、選手契約が西武ライオンズに譲渡されたとしている。
カブレラ地蔵 [編集]
西武時代、文化放送ライオンズナイターの企画の一つとして、発泡スチロール製の「カブレラ地蔵」が作られたことがある。その後、所沢の石材会社が本当に石で造ったカブレラ地蔵を寄付、西武ドームの入口横に建てられていた。
2008年3月17日、当人が退団したことを理由に、地元の神主による「御霊払い」の儀式を受けて撤去された。地蔵の受け取りをカブレラやオリックスに打診したが、拒否されたために以後は球団事務所によって保管されている(その後カブレラが一時不振となったために地蔵を渡してほしいとオリックス側から要請されたが西武は拒否)。
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1999 | 和信 | 80 | 335 | 302 | 63 | 98 | 23 | 0 | 18 | 175 | 64 | 6 | 2 | 0 | 3 | 27 | 0 | 3 | 58 | 9 | .325 | .382 | .579 | .962 |
| 2000 | ARI | 31 | 87 | 80 | 10 | 21 | 2 | 1 | 5 | 40 | 14 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 1 | 21 | 3 | .263 | .299 | .500 | .799 |
| 2001 | 西武 | 139 | 605 | 514 | 96 | 145 | 23 | 0 | 49 | 315 | 124 | 3 | 4 | 0 | 3 | 84 | 10 | 4 | 150 | 7 | .282 | .385 | .613 | .998 |
| 2002 | 128 | 559 | 447 | 105 | 150 | 23 | 0 | 55 | 338 | 115 | 4 | 1 | 0 | 1 | 100 | 29 | 11 | 117 | 2 | .336 | .467 | .756 | 1.223 | |
| 2003 | 124 | 533 | 457 | 85 | 148 | 24 | 0 | 50 | 322 | 112 | 2 | 3 | 0 | 1 | 68 | 15 | 7 | 106 | 14 | .324 | .418 | .705 | 1.123 | |
| 2004 | 64 | 290 | 250 | 47 | 70 | 14 | 1 | 25 | 161 | 62 | 1 | 2 | 0 | 3 | 34 | 4 | 3 | 71 | 0 | .280 | .369 | .644 | 1.013 | |
| 2005 | 127 | 528 | 444 | 78 | 133 | 28 | 0 | 36 | 269 | 92 | 1 | 0 | 0 | 2 | 71 | 15 | 11 | 117 | 11 | .300 | .407 | .606 | 1.013 | |
| 2006 | 126 | 540 | 466 | 74 | 147 | 21 | 1 | 31 | 263 | 100 | 0 | 2 | 0 | 3 | 68 | 7 | 3 | 115 | 12 | .315 | .404 | .564 | .968 | |
| 2007 | 119 | 501 | 441 | 51 | 130 | 15 | 0 | 27 | 226 | 81 | 0 | 2 | 0 | 1 | 53 | 3 | 6 | 109 | 8 | .295 | .377 | .512 | .890 | |
| 2008 | オリックス | 138 | 576 | 504 | 88 | 159 | 28 | 2 | 36 | 299 | 104 | 2 | 0 | 0 | 4 | 62 | 5 | 6 | 110 | 17 | .315 | .394 | .593 | .987 |
| 2009 | 65 | 275 | 239 | 37 | 75 | 10 | 0 | 13 | 124 | 39 | 0 | 0 | 0 | 1 | 33 | 0 | 2 | 53 | 10 | .314 | .400 | .519 | .919 | |
| 2010 | 112 | 481 | 408 | 66 | 135 | 21 | 2 | 24 | 232 | 82 | 1 | 0 | 0 | 2 | 69 | 4 | 2 | 91 | 14 | .331 | .428 | .569 | .997 | |
| 2011 | ソフトバンク | 89 | 340 | 311 | 25 | 70 | 13 | 0 | 10 | 113 | 35 | 0 | 0 | 0 | 2 | 25 | 3 | 2 | 94 | 11 | .225 | .285 | .363 | .649 |
| 2012 | 8 | 29 | 29 | 1 | 6 | 1 | 0 | 1 | 10 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | .207 | .207 | .345 | .552 | |
| CPBL:1年 | 80 | 335 | 302 | 63 | 98 | 23 | 0 | 18 | 175 | 64 | 6 | 2 | 0 | 3 | 27 | 0 | 3 | 58 | 9 | .325 | .382 | .579 | .962 | |
| MLB:1年 | 31 | 87 | 80 | 10 | 21 | 2 | 1 | 5 | 40 | 14 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 1 | 21 | 3 | .263 | .299 | .500 | .799 | |
| NPB:12年 | 1239 | 5257 | 4510 | 753 | 1368 | 221 | 6 | 357 | 2672 | 949 | 14 | 16 | 0 | 23 | 667 | 95 | 57 | 1143 | 106 | .303 | .398 | .592 | .990 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の赤太字はNPBにおける歴代最高、太字はリーグ最高
年度別守備成績 [編集]
| 年 度 |
一塁 | 外野 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2001 | 121 | 983 | 70 | 7 | 92 | .993 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2002 | 124 | 1008 | 44 | 13 | 70 | .988 | - | |||||
| 2003 | 101 | 815 | 60 | 4 | 83 | .995 | - | |||||
| 2004 | 59 | 479 | 29 | 3 | 30 | .994 | - | |||||
| 2005 | 111 | 871 | 45 | 5 | 76 | .995 | - | |||||
| 2006 | 119 | 976 | 61 | 8 | 74 | .992 | - | |||||
| 2007 | 95 | 759 | 54 | 4 | 61 | .995 | - | |||||
| 2008 | 132 | 1134 | 68 | 9 | 104 | .993 | - | |||||
| 2009 | 51 | 439 | 29 | 1 | 38 | .998 | - | |||||
| 2010 | 85 | 655 | 42 | 4 | 55 | .994 | - | |||||
| 2011 | 32 | 245 | 15 | 3 | 12 | .989 | - | |||||
| 2012 | 8 | 54 | 2 | 0 | 1 | 1.000 | - | |||||
| 通算 | 1038 | 8418 | 519 | 61 | 696 | .993 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
タイトル [編集]
表彰 [編集]
- 最優秀選手(MVP):1回 (2002年)
- ベストナイン:5回 (一塁手部門・2002年、2007年、2008年、2010年、指名打者部門・2003年)
- ゴールデングラブ賞:1回 (一塁手部門・2008年)
- 日本シリーズ敢闘賞:1回 (2002年)
- 日本シリーズ優秀選手賞:1回 (2004年)
- 月間MVP:6回(2001年4月、2002年8月、2003年6月、2006年5月、2008年8月、2009年7月)
記録 [編集]
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2001年3月24日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(西武ドーム)、4番・指名打者として先発出場
- 初三振:同上、6回裏に黒木知宏から
- 初安打・初打点:2001年3月27日、対オリックス・ブルーウェーブ1回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回表に川越英隆から左前適時打
- 初本塁打:同上、6回表に木田優夫から左越3ラン
- 初盗塁:2001年4月10日、対オリックス・ブルーウェーブ4回戦(西武ドーム)、6回裏に二盗(投手:川越英隆、捕手:日高剛)
- 節目の記録
- 100本塁打:2002年9月13日、対大阪近鉄バファローズ25回戦(大阪ドーム)、9回表に吉川勝成から左越2ラン ※史上224人目(247試合目で達成、ラルフ・ブライアントに次いで史上2位の速度)
- 150本塁打:2003年9月14日、対日本ハムファイターズ27回戦(西武ドーム)、4回裏に伊藤剛から右中間へソロ ※史上126人目(380試合目で達成、史上最速)
- 200本塁打:2005年7月11日、対千葉ロッテマリーンズ10回戦(インボイスSEIBUドーム)、2回裏に小林宏之から左越ソロ ※史上84人目(538試合目で達成、史上最速)
- 250本塁打:2007年4月29日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(グッドウィルドーム)、6回裏に成瀬善久から中越ソロ ※史上50人目(733試合目での達成、ブライアントに並んで史上最速タイ)
- 1000本安打:2008年7月10日、対東北楽天ゴールデンイーグルス14回戦(クリネックススタジアム宮城)、3回表にドミンゴ・グスマンから中前適時打 ※史上251人目
- 300本塁打:2008年8月20日、対東北楽天ゴールデンイーグルス19回戦(スカイマークスタジアム)、6回裏に青山浩二から中越ソロ ※史上33人目(934試合目での達成、史上最速)
- 1000試合出場:2009年7月31日、対埼玉西武ライオンズ14回戦(スカイマークスタジアム)、4番・一塁手として先発出場 ※史上431人目
- 1000三振:2010年7月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス16回戦(クリネックススタジアム宮城)、9回表に小山伸一郎から ※史上49人目
- 350本塁打:2011年5月14日、対埼玉西武ライオンズ5回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、2回裏に岸孝之から中越ソロ ※史上25人目(1169試合目での達成、史上最速)
- 13球団からの本塁打
- 2004年限りで消滅した近鉄を含む13球団からの本塁打は、史上3人目
| 日付 | 対戦球団 | 球場 | 回 | 相手投手 | 通算本数 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2001年3月27日 | オリックス1回戦 | グリーンスタジアム神戸 | 6回表 | 木田優夫 | 1 |
| 2 | 4月2日 | ダイエー1回戦 | 西武ドーム | 1回裏 | 星野順治 | 3 |
| 3 | 4月7日 | 日本ハム2回戦 | 東京ドーム | 1回表 | 下柳剛 | 5 |
| 4 | 4月13日 | ロッテ3回戦 | 千葉マリンスタジアム | 1回表 | 横田久則 | 9 |
| 5 | 5月10日 | 近鉄8回戦 | 西武ドーム | 2回裏 | ナルシソ・エルビラ | 20 |
| 6 | 2005年4月3日 | 楽天3回戦 | フルキャストスタジアム宮城 | 1回表 | ケビン・ホッジス | 181 |
| 7 | 5月10日 | 中日1回戦 | 西武ドーム | 9回裏 | 岡本真也 | 188 |
| 8 | 5月25日 | ヤクルト1回戦 | 明治神宮野球場 | 6回表 | 藤井秀悟 | 189 |
| 9 | 6月3日 | 横浜4回戦 | 西武ドーム | 2回裏 | 三浦大輔 | 190 |
| 10 | 6月12日 | 巨人6回戦 | 東京ドーム | 1回表 | 内海哲也 | 193 |
| 11 | 2006年5月18日 | 広島2回戦 | 広島市民球場 | 6回表 | 長谷川昌幸 | 225 |
| 12 | 2007年6月14日 | 阪神6回戦 | グッドウィルドーム | 6回裏 | 上園啓史 | 258 |
| 13 | 2008年5月9日 | 西武10回戦 | 京セラドーム大阪 | 8回裏 | 岡本真也 | 280 |
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:5回 (2001年 - 2003年、2006年 - 2007年)
背番号 [編集]
- 39 (2000年)
- 42 (2001年 - 2012年7月24日)
登場曲 [編集]
- La Colegiala(HABANA CLUB BAND)
- 西武在籍時から使用している登場曲である。西武時代には、ビジターの試合で打席に立つ際に応援団がトランペットで演奏する事もあった。
脚注 [編集]
- ^ 台湾球界時代は、亞力士(「アレックス」の中国語表記)という登録名でプレーしていた。
- ^ a b 『西武ライオンズTHE HISTORY 1979‐2003』 ベースボール・マガジン社、2003年、156頁。ISBN 4-583-03758-9。
- ^ 『西武ライオンズTHE HISTORY 1979‐2003』 ベースボール・マガジン社、2003年、157-158頁。ISBN 4-583-03758-9。
- ^ a b c 『西武ライオンズTHE HISTORY 1979‐2003』 ベースボール・マガジン社、2003年、158頁。ISBN 4-583-03758-9。
- ^ [1]
- ^ 2011年の同企画の対戦相手はカブレラが移籍したソフトバンクだったが、その時は漢字表記にはならず「カブレラ」のままだった。
- ^ 理由は本人のケガや不振などではなく、本来は4番・指名打者としてカブレラが起用される予定だったが、カブレラが指名打者の起用を拒んだ発言をした事で、岡田彰布監督がこれを自分勝手な発言と捉えたために、カブレラに対する制裁措置として急遽スタメンを外した事によるものである。なお、カブレラの代役には北川博敏が4番・DHとして起用された。
- ^ “アレックス・カブレラ選手の退団について”. 福岡ソフトバンクホークス (2012年7月24日). 2012年7月24日閲覧。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、74-75頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、143頁。ISBN 978-4-86191-595-6。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2007』 アスペクトムック、2007年、70-71頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。
- ^ 2005年6月4日付スポーツニッポン
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクトムック、2008年、456-457頁。ISBN 978-4-7572-1439-2。
- ^ 東京中日スポーツ・2011年9月27日付 5面
- ^ Pirates Prospect Ramon Cabrera Wins Florida State League Batting Championship - SBNation・2011年9月5日
- ^ 不振カブレラ、消えぬ“疑惑”…禁止薬物問題余波
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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