初芝清

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初芝 清
基本情報
国籍 日本
出身地 東京都豊島区
生年月日 1967年2月26日(42歳)
身長
体重
183cm
96kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 内野手三塁手一塁手
プロ入り 1988年 ドラフト4位
初出場 1989年5月30日
最終出場 2005年9月28日
経歴(括弧内は在籍年)

初芝 清(はつしば きよし、1967年2月26日 - )は、東京都豊島区出身、埼玉県坂戸市育ちの元プロ野球選手内野手)。現役生活の17年間をロッテ一筋で貫き、ミスターマリーンズと呼ばれる。

現在はニッポン放送解説者千葉テレビ放送解説者、サンケイスポーツ野球評論家、東京シティベースボールクラブゼネラルマネージャー市民球団かずさマジックコーチ。

目次

[編集] 来歴・人物

埼玉に移り住んだ小学4年より野球を始める。二松學舍大付属高校では、2学年時からエース投手・3番打者で活躍し、高3夏の東東京大会は惜しくも準優勝で甲子園ならず。高校通算30本塁打。同校卒業後は社会人野球の東芝府中に入社、打者に転向し、内野手としてプレーする。都市対抗野球に3回出場した。1989年ドラフト4位でロッテオリオンズ(1992年より千葉ロッテマリーンズ)に推定年俸520万円で入団。1995年には第一次バレンタイン政権の5番打者となり、打率.301、本塁打25本、打点80で自身初の打点王、三塁手のベストナインに輝いている。またこの年球団初の1億円プレーヤーとなる。

ポジションは主に三塁手、一塁手、指名打者。オリオンズ時代には二塁を守ることもあった。若干小太りの体型に赤ら顔、眼鏡(1996年から着用)、ストッキングをふくらはぎとすねの辺りまで上げるオールドスタイル(ファンから親愛の情も込めて田吾作スタイルとも呼ばれていた)という独特の風貌と、高校球児張りの守備位置までの猛ダッシュを晩年欠かさず、また勝負強い打撃でパ・リーグファンの間では知名度は高かった。幕張のファンタジスタと言われた。

現役晩年は成績こそ振るわなかったが、2003年は代打7打席連続安打(プロ野球記録)を達成するなど、代打の切り札として活躍した。

2005年9月19日、体力の衰えと若手の台頭を理由に現役引退を表明。9月22日、本拠地最終戦の対福岡ソフトバンク戦で引退セレモニーが行われた。その後に行われた福岡ソフトバンクとのプレーオフ最終戦においては逆転勝利・チーム優勝に繋がる内野安打を放って、現役生活で最初で最後となる「優勝の美酒」を味わった。その時のインタビューで感極まった初芝は「みんな一緒だ。ハッピハッピーだ」と言って咽び泣いた。

その後日本シリーズを制覇し、出場することとなったアジアシリーズは、初芝本人が辞退したため出場しなかった(TBSテレビ系で放送された対興農ブルズ戦のゲスト解説を務めた)。

そのため日本シリーズ(第2戦の出場)を最後に現役を引退するはずだったが、11月5日のパ・リーグオールスター東西対抗へ、怪我をしているチームメイト・堀幸一福浦和也に代わり出場。8回裏1アウトの場面で代打で登場し、ショートフライに倒れた。

その後、12月3日には千葉県野球場での軟式草野球試合でも引退試合が行われた(初芝の他に諸積兼司井上純や同年戦力外となった澤井良輔なども出場)。初芝は選手兼監督として出場。三塁手の他に二塁手や右翼手、そして9回には高校時代以来の投手のポジションにもついた。このとき初芝は野茂英雄トルネード投法を真似て投げた。9回2アウト満塁で初芝に最後の打席がまわってきたが、結果はライトフライで試合には敗れた。試合後の挨拶でスタンドから飛んだ野次「初芝!辞めるな!」に「だってもう言っちゃったんだもん!しょうがないじゃん!」と返し、球場は爆笑に包まれた。

2005年12月に福岡Yahoo!JAPANドームで開催されたNPB12球団ジュニアトーナメントでは千葉ロッテマリーンズジュニアの監督を務めた。結果は決勝戦でヤクルトスワローズジュニアに敗れ準優勝。

2006年より野球解説者の傍ら東京シティベースボールクラブのコーチ兼ゼネラルマネージャーを務める。

同年7月24日に行われたモルツドリームマッチ2006モルツ球団の一員として8番サードでフル出場し、タイムリーツーベースを放つなど活躍した。

2007年から千葉県君津市を本拠地にする社会人野球チーム・市民球団かずさマジックのコーチに就任することとなった。

[編集] 年度別打撃成績

年度 チーム



















1989 ロッテ 0 70 202 21 49 18 0 7 88 24 2 11 36 .243
1990 120 426 50 113 16 3 18 189 67 0 23 81 .265
1991 87 264 22 67 12 5 5 104 35 2 21 47 .254
1992 千葉ロッテ 110 377 37 94 17 0 10 141 46 0 25 58 .249
1993 115 407 46 102 25 2 12 167 43 0 39 72 .251
1994 6 129 476 66 138 31 5 17 230 75 1 40 90 .290
1995 123 458 60 138 27 5 25 250 80 1 44 86 .301
1996 123 469 52 124 23 5 17 208 61 2 38 106 .264
1997 75 242 22 51 9 0 7 81 35 0 14 60 .211
1998 134 473 68 140 38 3 25 259 86 0 61 79 .296
1999 123 457 56 119 33 1 22 220 85 1 56 77 .260
2000 123 392 57 108 19 2 23 200 73 1 54 61 .276
2001 117 371 50 94 23 2 16 169 61 0 62 74 .253
2002 125 403 38 90 15 0 17 156 55 0 43 96 .223
2003 63 125 11 39 13 1 4 66 26 1 9 17 .312
2004 61 170 20 48 11 1 6 79 21 0 10 30 .282
2005 34 50 2 11 2 0 1 16 6 0 5 12 .220
通算成績 1732 5762 678 1525 332 35 232 2623 879 11 555 1082 .265

[編集] タイトル・表彰・記録

[編集] 球歴

[編集] 過去の出演番組

  • 優勝記念年越し特番「マリーンズファン感ナイト」(千葉テレビ) - 特別ゲスト。
  • バース・デイTBS) - 特集。
  • 孝太郎+フジテレビ) - ゲスト。初芝邸の地下カラオケルームなどが紹介された。
  • 徳光&所の世界記録工場Part2「スポーツアスリートが世界記録に挑戦!」(日テレ) - ゲスト
    • フライキャッチの名手として紹介され、260m上空から落下するボールを捕球するという世界新記録樹立に挑むも失敗。また、Part3では元チームメイトの里崎智也が更に5m高い265m上空からのフライキャッチに挑戦するもまたもや失敗。
  • 虎の門テレビ朝日) - 司会
    • ネット検索山くずし」罰ゲーム「うろ覚え名画再現」で映画『ロッキー』の主人公ロッキーを熱演。「」、「初芝清」の検索ワードで2億件から1000件に減少させ、史上最高の減少率と称される。
  • 日曜ビッグスペシャル 有名人のお宅のキッチン拝見(テレビ東京2000年頃、千葉県某市の初芝邸のキッチンが映る(キッチンの機種はラヴィ-タ(現・ラヴィータセンテナリオ)サンウェーブ工業製)。

[編集] 現在の出演番組

石井力アナ以外(西達彦アナや小笠原聖アナなど)と組むことが多い。

[編集] CM

[編集] エピソード

  • ファウルグラウンドが広く風の強い千葉マリンスタジアムでのサードファウルフライの捕球のさまが実に危なっかしく名物となっていた。それにもかかわらず「僕は守備に関しては一家言ある」と発言して物議を醸したことがある。
  • ファウルフライを追う際によくベンチに落ちた。
  • 守備練習中、強烈な打球に逆シングルで飛びついたが捕球出来ず、起き上がらずに寝そべって悔しがっていたら、次の打球が飛んで来て右肘を直撃。故障に発展、二軍落ちとなったことがある。
  • 上記のような危なっかしい守備を披露することから、当時西武に所属していたデニー友利は「千葉に行くのが楽しみ」と話しており、初芝も「西武のベンチは、自分が来たと分かったらみんな笑っている」と話している。また、現役引退後に千葉ロッテ戦の解説に登場した伊原春樹(元西武・オリックス監督)は千葉ロッテの三塁手がファールフライを捕球した際「初芝はよく落としてくれて助けてくれた」という発言を残している。
  • ロッテオリオンズ時代の対福岡ダイエー戦(川崎球場)で初芝は二塁打を打つが、外野手からの返球をダイエーの遊撃手の小川史が二塁ベース後方でキャッチし、二塁ベース上に二塁手のトニー・バナザードがいるであろうと小川がボールを投げたが、二塁手がいなかった為、その送球が丁度二塁に到達した初芝の右腕に当たったという珍プレーがあり、『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』のネタになった。
  • 相手チームがマジック1だと、どんなに不調でも別人のように打ちまくるという実績を持つ(ロッテというチーム自体も目の前の相手チームの胴上げを阻止しようとする傾向があり、相手チームを何度となく苦しめている)。そのことから一部で「胴上げクラッシャー」のあだ名がつき、スカイパーフェクTV!でそのことについて触れられたこともある。
  • 黒のソックスをユニフォームパンツの裾に収めずに上から履く“田吾作スタイル”(正式にはオールドスタイル、ジャッキー・ロビンソンスタイル)を引退まで貫く。
  • 一時(1998年1999年ごろ)、髪型を金髪にしていたことがある。別に本人が望んだわけではなく、行きつけの床屋で店主から「初芝さん、たまにはブリーチでもしてみる?」と聞かれ、初芝はブリーチの意味が分からないのに、何のことかも聞かずにお願いしてしまったことで金髪になってしまったというのが本当のところだそうである。しかし、自身の娘が近寄らなくなったり、「田吾作スタイル」に代表されるように男臭いことが魅力である初芝だけにあまり好評ではなかったため、すぐに黒髪に戻している。
  • 契約更改はよくても悪くても3分で終了。一発サイン。
  • 打席での応援歌は背番号6で東芝府中出身の先輩である落合博満の曲を引き継いだが、歌詞は日本一多く、確認されているものだけで8種類ある[1]
  • ルーキーイヤー(1999年)の松坂大輔からは、最多の3本塁打を放っている。そのため「松坂キラー」の異名がつき、当時発売された『未来蜂歌留多商会』(ハドソン子会社)の『パワーリーグ』、コナミの『フィールド・オブ・ナイン』といったプロ野球カードゲームでも、相手投手が松坂の時に初芝が打席に立つと、打力がアップするように設定されていた。
  • 2001年、アメリカのスポーツ専門局ESPNのスポーツニュース内のイチローを特集したコーナーで何故かイチローではなく初芝の顔写真が画面に登場した。なお、同様の事件がメジャーへ移籍する岩村明憲の紹介のときには今江敏晃の写真が貼られ、福留孝介の紹介のときは松中信彦の写真が貼られていた。
  • 2001年初芝橋本高校甲子園に出場した際に、「名前が身近に感じる」という理由で同僚の橋本将とともに、同校に差し入れをしている。又その苗字のせいか、地縁が全く無かったが特に阪神近鉄ファンから、同校や初芝高校(現役当時、日本ハムには同校出身の沼田浩が在籍していた)・南海高野線初芝駅の事をヤジられた事があった。
  • ある雑誌[要出典]で元ラッツ&スター桑野信義に似ていると言われ「クワマン」のニックネームがあると書かれていた。
  • 趣味はヘヴィメタルを聴く事。自宅の地下に専用のカラオケルームまで作ってしまうほどのメタルマニアで、ヘヴィメタル専門誌『炎』1997年1月号(現在は休刊)にインタビューが掲載された事もある。同じくメタルマニアのエリック・ヒルマンとは非常に仲が良かった。千葉マリンスタジアムで行われた『サマーソニック'05』に際し、東芝EMIからインタビューを受けている。ハロルド作石の漫画『ストッパー毒島』中では登場人物とメタル論議を繰り広げるシーンが描かれている。2005年9月22日の引退セレモニーでは、メタリカの『ヒーロー・オブ・ザ・デイ』等の曲が場内にかかり、スタジアムに感動を呼んだ。2005年12月放送のラジオ番組『Heavy Metal Syndicate』では「歳をとればとるほどデスメタルにハマっているんですよ」と発言していた。
  • 2003年キャンプ中の短距離30mダッシュの練習メニュー際、初芝はトレーニングコーチの言われるがままにメニューをこなしていたが、やたらダッシュ量が多いと思ったために「これ、若手より練習量多いんちゃう?」と文句を言ったことがあった。その通り、メニュー一覧が書かれているホワイトボードに「でぶは2倍」と書かれていた。
  • 2005年の千葉マリンスタジアム最終戦(対福岡ソフトバンク)で代打で出場の引退を控えた初芝。コールがかかる前に観客に気付かれ歓声が上がる。そして三瀬幸司から足に死球を受け激しく足踏みをして痛がりながら一塁に行く。このコミカルな挙動に更に大きな歓声が上がった。千葉マリンでの公式戦最後の打席はその次の打席で放った右飛であった。その後の引退セレモニーではスピーチを始めるもマイクの電源が入っておらず慌て、球場を沸かせた。
  • 引退セレモニーが行われた日の翌日から、今江敏晃の負傷で3試合連続スタメン出場。この日の試合前にはチームメイトから「あれ、昨日引退セレモニーをしたんじゃなかった?」と言われたが、その後も試合での出場が続くたびに、チームメイトから言われる言葉が「早く引退してくれ!!」になってしまったという。なおロッテの先輩園川一美も引退試合の後の試合に登板しているが、こちらは順位が決まった後の消化試合であり、初芝の場合、この時点では順位は決まっていたが、当時のプレーオフのルール「1位と2位の差5ゲーム差だと1位のチームに1勝分のアドバンテージがつく」がかかっており、状況としては決して落としていい消化試合ではなかった。同様のケースで2001年巨人村田真一と、2006年中日川相昌弘と、2007年広島東洋カープ佐々岡真司も引退試合の後の試合に出場している。
  • プレーオフ第2ステージ第1戦に代打で出場。千葉マリン最終戦の代打時と同じ相手、三瀬からまるで引退試合のリプレイのような死球を受けている。
  • プレーオフ第2ステージ第5戦に代打で出場。対戦相手はまたもや三瀬。三遊間へのボテボテの当りを放ってしまいサードゴロと思われたがサードトニー・バティスタショート川崎宗則と交錯、初芝自身がアウトは確実な状況にもかかわらず一塁へ全力疾走していた事も重なり神がかり的な内野安打となる。続く福浦和也がヒットで繋ぎ、里崎智也が起死回生の逆転適時二塁打を放った。出塁した時点で内野手を使い切っており、代走を出されることなくランナーとして同点となるホームインをする。さらにそのまま守備にもつき、8回裏からはサード初芝、セカンド今江の守備陣になる。
  • 千葉県野球場で行われた草野球での引退試合では選手兼監督として出場、9回裏二死満塁の場面でフライを打ち上げ選手生活に幕を引く。試合後のスピーチではマイクの電源が入っているかを確認してから話しはじめ、ポストシーズンの連勝を止めてしまったことに触れ「いい厄払いになったと思います」と述べた。
  • パソコンは全く利用しないと断言していたが、2006年より東京シティベースボールクラブホームページ内にてブログを開設した。しかしほどなくして更新が止まり2007年中に閉鎖された。
  • ロッテ優勝当時、漫画雑誌「週刊少年チャンピオン」連載の漫画『元祖!浦安鉄筋家族』にて、加藤君という中学2年生の少年が初芝(漫画の中では『初島』という名前)に間違えられるという話が掲載された。
  • 引退後の2006年12月25日、突然の自由契約選手公示。これはアマチュア野球の指導者(かずさマジックコーチ)に就任の際自由契約の手続きが必要だったため。自身が付けていた背番号6は球団が推薦する選手が現れるまで2006年から欠番となった。2009年よりMLBから日本プロ野球復帰の井口資仁が背負う。
  • 2007年9月19日に初芝がマリーンズ対ホークスの試合を千葉テレビで解説をしていた時、マリーンズは成瀬善久に代わって渡辺俊介をリリーフ登板させた。そこで初芝は「驚きというよりサプライズですね」(驚きとサプライズは同じ意味)とコメントした。
  • 息子は千葉日本大学第一中学校野球部で四番を打っている。また、船橋市の選抜チーム(船橋ポートジュニア)に入っており全国大会に出場している。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ この応援歌は、落合の中日移籍のあと、古川慎一高沢秀昭にも使われた。ちなみに、彼の応援歌は1999年ごろの一時期だけ作り替えられている。

[編集] 外部リンク