アレックス・ラミレス
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| 読売ジャイアンツ #5 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | カラカス |
| 生年月日 | 1974年10月3日(34歳) |
| 身長 体重 |
180cm 86kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 外野手(左翼手)、指名打者 |
| 初出場 | MLB / 1998年9月19日 NPB / 2001年3月30日 |
| 年俸 | 5億円 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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アレックス・ラミレス(Alexander Ramon Ramirez、1974年10月3日 - ) は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称ラミちゃん。
目次 |
[編集] 来歴・人物
- 2001年、ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団。1年目から打率.280、29本塁打、88打点の好成績を残し、主に7番左翼手としてチームのリーグ優勝及び日本一に貢献。
- 2003年、読売ジャイアンツに移籍したロベルト・ペタジーニに替わって4番に座り、打率.333、40本塁打、124打点で打点王・本塁打王・最多安打・ベストナインの各タイトルを獲得。
- 2004年末には代理人の意向もあって移籍が取り沙汰されたが、本人の希望もあってチームに残留。その際、義理の息子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの入団が決め手となった。
- 2007年10月4日、横浜ベイスターズ21回戦(神宮)において、外国人選手、右打者としては史上初のシーズン200本安打を達成。最終的にはセ・リーグ歴代最多の204安打を記録した。シーズン終了後、ヤクルト側との契約の折り合いがつかずに退団が決まり、11月30日に自由契約公示。約1ヶ月後の同年12月29日、巨人への入団が正式に発表された。余談ではあるが、巨人初のビデオレターによる入団会見となった。入団会見に際し「このチームに足りないものを加えに来た」とコメントしている。
[編集] 移籍の経緯
2005年からの3年契約を結んでいたヤクルトとラミレスだが、2005年及び2006年の成績は決して推定年俸3億円に見合った成績とは言い切れなかった。しかし、2007年は打撃スタイルの変化により右打者として初の200本安打、セントラル・リーグの最多安打記録を更新。だが、球団側はラミレスとの交渉に消極的であった。シーズン終了後、球団側からラミレス側への残留要請が行われたが、提示された条件は契約年数1年、年俸4億円(推定)というラミレス側の希望とはかけ離れたものであった。
報道によるとラミレス側はシーズン終盤にもかかわらず残留要請が無かったことを不満に思っていた。7年在籍した球団に対する彼の希望は、高年俸ではなく契約年数であり、球団側が複数年契約を認めていれば残留するという選択も考えていた。しかし前年、引き抜き阻止のためにアダム・リグスやディッキー・ゴンザレスの2選手と2年契約したものの、両者ともが故障や不振で満足のいく成績を残せずに終わったこと、過去ラミレスと複数年契約を結んだ場合に最終年以外の成績が満足できる結果ではなかったこと、という経緯から最終的に球団側は複数年契約を提示しなかった。
また、ラミレスの交渉が早く打ち切られた背景には、この年に最多勝のタイトルを獲得し、防御率も2位の好成績を残していたセス・グライシンガーとの交渉を控えていたことも一因だった。古田監督、石井一久など前年在籍した選手の大量退団、また本拠地明治神宮野球場の外野拡張工事などによる野球スタイルの変化を考慮し、この年のエースといえたグライシンガーと功労者のラミレスを天秤にかけた苦しい選択であった。結果的には、そのグライシンガーまでもがラミレスと同じく巨人に移籍するという、ヤクルトにとっては実に皮肉な結果となっている。
交渉が打ち切られ自由契約となったラミレスに対しては、右の大砲を欲していた巨人やオリックス・バファローズが食指を動かしていたが、オリックスは西武を退団した一塁手のアレックス・カブレラに方針転換。巨人がほぼ単独でラミレスと交渉を続け、獲得とあいまった。推定年俸は5億円(契約年数2年、総額10億円)である。
[編集] プレースタイル
[編集] 打撃
典型的な右の大砲で、好調な年は3冠王を狙うほどの実力がある。ヤクルトでは2003年以降、ペタジーニに替わるチームの4番打者として活躍。インコースに滅法強いが、その一方で外角低めに決まる(もしくはストライクからボールになる)スライダーに滅法弱く、空振り三振や強引に引っ掛けた併殺が多くなってしまい、三振数は来日から7年連続100三振以上を記録している(2008年にとぎれる)。初球から積極的に振りにいく打撃スタイルで、2007年の初球打ちの打率は5割を超えたが、それゆえに四球が少なく、打率の割には出塁率が低い。2006年はシーズンを通して636打席中、19四球という少なさでセ・パ両リーグの中で出塁率最下位を記録した。
2007年シーズンはこうしたバッティングスタイルが変化。常に長打狙いの打撃ではなく、アウトコースをライト方向へ流し打つなど成長を見せ、打率.343をマーク。四球の少ない傾向もあり右打者初の200本安打を達成した。このシーズンは途中から同僚のアーロン・ガイエルに4番を譲り、3番を打つことが多かった。2008年の巨人移籍後もこのバッティングスタイルに変化はなく、加えて長打力も再び発揮し、4番候補で左打ちの強打者であるイ・スンヨプや高橋由伸がケガや不振に苦しんでいた事もあり、シーズン途中から4番で起用されるようになった(144試合中125試合、4番で出場)。
[編集] 守備・走塁
あまり足は速くないが、走塁のセンスはよく、2004年8月21日の阪神タイガース戦(明治神宮野球場)でトレイ・ホッジスから1回2死にランニングホームランを放っている。これは阪神のライト・桧山進次郎が、詰まり気味のライト前ヒットにバウンドを合わせ損ねて球がライト線に転がる間に一気に本塁を陥れたものである。また、200安打を達成した2007年には右打者でありながら22本の内野安打を記録している。
外野守備については肩の強さ、捕球は水準以上だが、鈍足であるため守備範囲は狭く、また送球の正確さに難があるため、総合の守備能力は高くない。ヤクルト時代は広い守備範囲を持つ中堅手の青木宣親、遊撃手の宮本慎也が左翼のラミレスをフォローしていたためにさしたる問題は起こらなかったが、巨人に移籍した当初は、肘の手術をうけた谷佳知が中堅手、高卒2年目で経験の浅い坂本勇人が遊撃手だったためにラミレスの拙守が大きくクローズアップされ、古巣のヤクルトを中心に徹底したラミレス狙いの打撃が行われた[要出典]。シーズン後半は中堅手に守備範囲の広い鈴木尚広が定着し、また実戦慣れするにつれて坂本の守備力が大きく向上したため、ラミレスも無難な守備を見せるようになっている。
[編集] エピソード
- メジャーリーグの1994年のストライキの際、マイナーリーグの試合かどうか不明瞭なままメジャーリーグの試合に出場。スト破りとしてメジャーリーグ選手会からは追放されている。
- 入団の3年前から、ヤクルト編成部がリストアップしており、当時ピッツバーグ・パイレーツの4番を打っていたが、後にマイナー降格になったところでオファーをかけ、3年待って獲得した経緯がある。
- ベネズエラ出身だが、現在自宅はアメリカ・フロリダ州にあり、オフ期間の大部分をフロリダで過ごしている。またメジャー・マイナーでの経験も長いため英語は非常に堪能。さらに長年日本で活躍していることもあって、日本語も簡単な日常会話程度なら概ねこなすことができる。選手同士の会話やヒーローインタビューでも、母語であるスペイン語を話すことはあまり無い。
- 陽気な性格でメジャー出身の選手らしくファンサービスの心得があり、チームメイト、フロント、ファンからも好かれている。さらに、チャリティー活動などにも熱心に取り組んでいる。打席で見せる鋭い眼光とは対照的に素顔は極めて温厚な紳士で、審判の判定や投手の内角攻めに対しても激昂することはない。巨人でもファンサービスを期待されている。
- ヤクルトでは2007年まで7シーズン在籍していた。活躍しても、短期で移籍・退団することが多いスワローズの外国人選手の中では異例の存在であり、ヤクルトでは他の外国出身選手の良きアドバイザー役も務めていた。退団することとなったが、金銭よりも複数年契約を要求しており、2007年もリグスの不調や、神宮球場の外野守備拡張工事に備え自らファーストの守備に取り組んでいたほどであった。
- 2006年、アダム・リグス、グレッグ・ラロッカとの外国人野手トリオにFブラザーズというニックネームが付いた。
- ヤクルト時代の応援歌は、かつて在籍したドゥエイン・ホージー、ジョニー・レイ と同じ。
- 巨人移籍後の打席登場曲はヨーロッパの「ファイナル・カウントダウン」と、MINMIの「シャナナ☆」。
- チームメイトへは常に尊敬の念を持っており、高橋由伸を「走攻守に素晴らしい素質を持っている。ケガさえなければ球界屈指の5ツールプレイヤーだ。」、小笠原道大を「彼のメンタル面の強さには敬服するよ。チームの精神的な柱だ。」と評し、その能力を高く評価している。他チームの選手に対しても同様で、2008年はシーズン終了まで激しい本塁打王争いを展開した村田修一(横浜ベイスターズ)に対し、「(自分は1本差で及ばなかったが)村田選手に心から敬意を表したい」と紳士的なコメントを残している。
- 外国人選手、特に中南米系の選手が審判の判定やピッチャーの投球に激怒して乱闘やトラブルになる騒ぎが多いがラミレスは紳士的な選手である為そういった事にはほぼ無縁の選手である。
[編集] パフォーマンス
ホームランを打った際やヒーローインタビューの際に行うパフォーマンスが、ファンの間で人気を博している。本塁打を打った際にはダッグアウト前でチームメイトとハイタッチを交わした後、ベンチ脇のテレビカメラ前でコミカルなアクションを披露する。特にホームゲームでは、マスコット(東京ヤクルト=つば九郎、巨人=ジャビット)とコンビでアクションを行う。パフォーマンスには毎年モデルチェンジが加えられており、近年はシーズン前にファンからパフォーマンス内容を募集している。下記にこれまでラミレスが行ってきた主なパフォーマンスの基本フォーマットを示す(括弧内はパフォーマンスの元ネタを演じているお笑い芸人)。またヒーローインタビューなどの際にパフォーマンスを行う際、開始前に「1、2、3(イチ、ニー、サン)」と日本語によるカウントアップを行うことがある。なお、これらのパフォーマンスを指導してやらせていたのは、古田敦也と度会博文であると言われている。
- 2001年・2002年
- 「アイーン」と右肘を前方にかざす(志村けん)。
- 2003年
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」と両人差し指で前方を指し、そのままカメラからフレームアウトする(ダンディ坂野)。
- 2004年
- 「ラミちゃんペッ」と鼻に右人差し指・中指を当てる(加藤茶の「カトちゃんペッ」をもじった)。
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- この年から、球団ウェブサイトなどでのパフォーマンスアイデア募集がスタート。約300通のうち11通寄せられた「ラミちゃんペッ」が採用された。4月3日の開幕カード・横浜ベイスターズ2回戦(神宮)で初披露。ヒーローインタビューでは初回限定で、加藤ばりのハゲヅラと眼鏡、付け髭を着用してファンにお披露目した。
- この試合でラミレスはエディ・ギャラードから決勝本塁打を放ったが、三塁を回る際に嬉しさの余り、三塁側の横浜ベンチに向かって「ペッ」のジェスチャーをして見せた。これが横浜側から「挑発的」と指摘されたことから、ラミレスが翌日「さすがにあれはやり過ぎた。もうあんな真似はしない」と謝罪するというおまけも付いた。
- 2005年
- 上記の「ラミちゃんペッ! アイーンゲッツ」を使用した他、下記のパフォーマンスもレパートリーとなっていた。
- 「俺の時代だ!」と自分を指す。
- 「ハイ! ハイ! ハイ、ハイ、ハイ!」と、左隣の人の肩に両手を添えながら足踏み(レギュラー)。
- 2006年
- 「ラミちゃんチッチキチー」と親指をカメラ前に差し出す(大木こだま)。
- 「ペッ」と鼻に人差し指・中指を当てる(加藤茶)。ただしこれは省略されることが多かった。
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 2007年
- 「ラミちゃん」と自分の顔を指す。
- 「カッチカチ」と左二の腕に力瘤を作り、右の拳で2度叩く(ザブングル・加藤歩の「見ろや、この筋肉! カッチカチやぞ!」がモチーフ)。
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 5月10日の横浜ベイスターズ戦(神宮)の試合前、ザブングルの両名と対面を果たし、加藤らと取材陣の前でパフォーマンスを共演した。
- 2008年
- ジャイアンツがリードしている場面で本塁打を打った際のパフォーマンス
- 「そんなの関係ない!!」と右拳を地面へ振り下ろし、さらに「はい、オッパッピー!」と両手を広げる(小島よしお。本来は「そんなの関係ねぇ!!」だが、ラミレスは「子供たちへの影響も考え、丁寧な言葉にした」としている)。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 相手チームにリードを許している場面で本塁打を打った際のパフォーマンス
- 「ラララライ! ラララライ!」と両腕を上下させながら足踏み(藤崎マーケット)。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 前年の離日前、宮本慎也ら元チームメイトからお笑い芸人のネタを複数収録したDVDをプレゼントされ、これらを元にキャンプ、オープン戦の間アイディアを練り続けた。さらに東京ヤクルト時代に引き続き、2月下旬には球団Webサイトでパフォーマンスのアイディア募集を実施し、約600通のアイディアが寄せられた。またこの間、多くの有名人から本人直々にパフォーマンスの売込みもあった。主なものは「どげんかせんといかん」(東国原英夫)、スキップするように横向きに走る「欽ちゃん走り」(萩本欽一)。このうち欽ちゃん走りについては萩本本人と、東京ドームで初本塁打を打った折に本塁からダッグアウトに戻る際に披露すると約束を交わした(この欽ちゃん走りは4月18日の東京ヤクルト5回戦で、移籍後東京ドーム初となる3号3ランを放った際に披露し、公約を果たした)。
- こうして検討を進めた結果、ラミレスは同年のパフォーマンスを2本立てで行うことを決め、3月16日に東京ドームで行われたオープン戦前のファンイベントで発表した。まず巨人がリードしている場面でのパフォーマンスには「そんなの関係ねぇ!!」を採用。「リードしていても気を抜かずに戦っていこう」という意味合いを持つ。一方、追う展開でのパフォーマンスには「ラララライ体操」を採用。「みんなでテンションを上げていきたい」とチームを鼓舞する気持ちが込められている。また、お立ち台ではこの2本をミックスしたパフォーマンスを行っている。蛇足だが、そもそもラミレスが1月25日に来日した際、当初から今季のパフォーマンス候補としていたのがこの2本であった。
- 本塁打や適時打を放った後に守備に向かう際や、お立ち台に立った際にも、ファンの歓声に応えて「そんなの関係ない!!」や「ラララライ!!」などのジェスチャーを披露している。また、かつて巨人に在籍していたウォーレン・クロマティばりの「バンザイコール」を行う予定もあるという。
なお、上記で特筆したものを除くパフォーマンスについては、本人などの使用許可を得ているか否かは不明。
この中でも特に「アイーン」と「ゲッツ」を気に入っており、2003年以降、パフォーマンスの締めには「アイーンゲッツ」が使用されている。またアンダーシャツやグラブ、打撃グラブ、リストバンドなど用具類にも「アイーン」「Get's」「ラララライ」などの刺繍を入れている。 2009年 ファンからのパフォーマンス応募もあったが2月の宮崎キャンプでラミレスが宮崎学園高校の女子生徒と日本の伝統文化で茶道体験し2009年から選手登録が日本人扱いになった為日本人の心である『和』の心の要素取り入れパフォーマンスは『ラ・ミ・茶』と変わった。
[編集] 略歴
- 1974年、ベネズエラの首都カラカスで生まれる。
- 1992年、クリーブランド・インディアンスと契約。
- 1998年、メジャー昇格。
- 2000年、シーズン途中にピッツバーグ・パイレーツに移籍。この年は主力の怪我が多く、メジャーで初めての4番打者も経験する。
- 2001年、ヤクルトスワローズに入団。
- 2002年、前年度同様、主に6番以降を打つ。
- 2003年、打率.333、40本塁打、124打点と惜しくも三冠王は逃すものの、来日以来最高の成績を残す。
- 2006年9月16日の試合で、プロ野球史上5人目の4年連続100打点を記録した。
- 2007年
- 4月21日の対中日ドラゴンズ戦で、外国人選手としては球団史上初の1000本安打を達成した。
- 7月から9月まで連続で月間MVPを受賞。3か月連続はプロ野球史上初。
- 8月19日の対読売ジャイアンツ戦で、金刃憲人からソロホームランを放ち、外国人選手としては球団史上初の200号本塁打を達成した。
- 9月14日の対横浜ベイスターズ戦で、山口俊から2点タイムリーを放ち、史上3人目、外国人選手では初の5年連続100打点を達成した。
- 9月25日の対広島東洋カープ戦で、連続試合出場を473試合とした。これは外国人選手としては歴代1位の記録である。
- 9月27日の対広島戦で、シーズン24度目の猛打賞を記録。前田智徳が持っていたセ・リーグのシーズン最多猛打賞記録を塗りかえた。また、この試合で安打数を195まで伸ばし、ロバート・ローズが持っていたシーズン右打者最多安打記録も更新した。
- 10月4日の対横浜戦で、三橋直樹からサード強襲の内野安打を放ち、史上3人目、また外国人選手、右打者としては史上初のシーズン200本安打を記録した。
- 10月8日の対横浜戦で、青木宣親のセ・リーグ記録を塗り替えるシーズン203安打を記録。さらに翌日の対広島シーズン最終戦で1安打を追加し、204本に記録を更新した。しかし首位打者のタイトルはこの年まで同僚の青木宣親が獲得している。200本安打を放ちながら首位打者を逃したのは両リーグ通じて初めてである。
- 2008年
- 3月28日の対東京ヤクルトスワローズ1回戦で、「全球団から本塁打」を達成。
- 5月3日の対東京ヤクルト戦から6月4日の対オリックス・バファローズ戦まで、巨人の球団歴代2位、外国人枠選手としては球団新記録となる27試合連続安打を記録した。
- 5月7日対阪神戦(東京ドーム)で左中間へホームラン性の打球を打ったが、心無いファンがフェンスより前で手を差し出し打球に触れた為、二塁打と判定された。
- 5月8日の対阪神戦で来日から8年連続2桁本塁打を達成。この試合のホームラン談話で「今日は阪神ファンがいないところ(バックスクリーン)に打ったよ」とコメントした。
- 9月3日の対広島戦で王貞治以来プロ野球史上2人目の6年連続100打点を達成した。
- 9月17日の対横浜戦でプロ野球53人目の通算250本塁打を達成した。
- 9月21日の対阪神戦でスコット・アッチソンから通算1338本目の安打を放ち、与那嶺要が持つセ・リーグの外国人最多安打記録を更新した。
- 10月25日のクライマックスシリーズでの第二ステージでの対中日戦での同点の場面から中日の高橋聡文から決勝2ランホームランを放ち6対2で巨人が中日ドラゴンズを下して勝利をしアドバンテージ含む3勝1敗1分けでクライマックスシリーズでの第二ステージを制し、2001年以来の日本シリーズ出場となり、クライマックスシリーズのMVPを受賞した。
- 埼玉西武ライオンズとの日本シリーズでは7試合シリーズでの個人最多となる併殺4を記録してしまうなど不調のときもあったが、第2戦ではサヨナラ本塁打を放つなど随所での活躍を見せ、日本シリーズ敢闘選手賞を獲得した。
シーズンを通じて活躍し、自己最高の本塁打、打点、出塁率、長打率、OPSを記録した。そして来日して初めて三振が2桁で収まったシーズンでもあった。
[編集] その他
- 以下のような「疑惑の判定」に絡んだことがある。
- 2001年8月16日 横浜戦(神宮) 12回表、佐伯貴弘の打球をダイレクト捕球したと判定されるも、横浜側がワンバウンドで捕球したと抗議し中断、森祇晶監督が退場処分。
- 2008年5月7日 阪神戦(東京D) 7回裏、レフトスタンド際のオーバーフェンスの打球に対し、阪神ファンの男がフェンスより前で打球を手に当てた。男の妨害が無ければスタンドに入っていたが、判定はツーベースになった。このシーズンには自身最多となる45本を放ったがこれにより1本差でホームラン王を逃している。
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998 | CLE | 3 | 8 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .125 | .125 | .125 | .250 |
| 1999 | 48 | 102 | 97 | 11 | 29 | 6 | 1 | 3 | 46 | 18 | 1 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 26 | 1 | .299 | .327 | .474 | .801 | |
| 2000 | 41 | 117 | 112 | 13 | 32 | 5 | 1 | 5 | 54 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 17 | 3 | .286 | .316 | .482 | .798 | |
| PIT | 43 | 123 | 115 | 13 | 24 | 6 | 1 | 4 | 44 | 18 | 1 | 0 | 1 | 0 | 7 | 2 | 0 | 32 | 6 | .209 | .254 | .383 | .637 | |
| '00計 | 84 | 240 | 227 | 26 | 56 | 11 | 2 | 9 | 98 | 30 | 2 | 0 | 1 | 0 | 12 | 2 | 0 | 49 | 9 | .247 | .285 | .432 | .717 | |
| 2001 | ヤクルト | 138 | 547 | 510 | 60 | 143 | 23 | 0 | 29 | 253 | 88 | 1 | 2 | 0 | 5 | 27 | 0 | 5 | 132 | 11 | .280 | .320 | .496 | .816 |
| 2002 | 139 | 569 | 539 | 65 | 159 | 25 | 0 | 24 | 256 | 92 | 0 | 4 | 0 | 4 | 22 | 6 | 4 | 146 | 10 | .295 | .325 | .475 | .800 | |
| 2003 | 140 | 614 | 567 | 105 | 189 | 34 | 3 | 40 | 349 | 124 | 4 | 6 | 0 | 7 | 34 | 6 | 6 | 104 | 14 | .333 | .373 | .616 | .989 | |
| 2004 | 129 | 557 | 525 | 79 | 160 | 30 | 2 | 31 | 287 | 110 | 2 | 0 | 0 | 2 | 23 | 1 | 7 | 118 | 22 | .305 | .341 | .547 | .888 | |
| 2005 | 146 | 629 | 596 | 70 | 168 | 19 | 1 | 32 | 285 | 104 | 5 | 1 | 0 | 3 | 23 | 5 | 7 | 121 | 13 | .282 | .315 | .478 | .793 | |
| 2006 | 146 | 636 | 603 | 79 | 161 | 28 | 2 | 26 | 271 | 112 | 0 | 0 | 0 | 10 | 19 | 1 | 4 | 104 | 28 | .267 | .289 | .449 | .738 | |
| 2007 | 144 | 628 | 594 | 80 | 204 | 41 | 3 | 29 | 338 | 122 | 0 | 0 | 0 | 5 | 23 | 3 | 6 | 106 | 14 | .343 | .371 | .569 | .940 | |
| 2008 | 巨人 | 144 | 600 | 548 | 84 | 175 | 28 | 0 | 45 | 338 | 125 | 1 | 0 | 0 | 3 | 39 | 9 | 10 | 90 | 20 | .319 | .373 | .617 | .990 |
| MLB:3年 | 135 | 350 | 332 | 38 | 86 | 17 | 3 | 12 | 145 | 48 | 3 | 1 | 2 | 0 | 15 | 2 | 1 | 78 | 10 | .259 | .293 | .437 | .730 | |
| NPB:8年 | 1126 | 4780 | 4482 | 622 | 1359 | 228 | 11 | 256 | 2377 | 877 | 13 | 13 | 0 | 39 | 210 | 31 | 49 | 921 | 132 | .303 | .338 | .530 | .869 | |
| 通算:11年 | 1261 | 5130 | 4814 | 660 | 1445 | 245 | 14 | 268 | 2522 | 925 | 16 | 14 | 2 | 39 | 225 | 33 | 50 | 999 | 142 | .300 | .335 | .524 | .859 | |
- 2008年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル・表彰・記録
[編集] タイトル
- 本塁打王:1回(2003年)
- 打点王:3回(2003年、2007年、2008年)
- 最多安打:2回(2003年、2007年)
[編集] 表彰
- 最優秀選手:1回(2008年)
- ベストナイン:3回(2003年、2007年、2008年)
- 月間MVP:6回(2003年4月、2004年9月、2007年7月 - 9月、2008年5月)
- セ・リーグ会長特別賞(2007年)
- オールスター出場:3回(2002年、2003年、2007年)
- オールスターMVP:1回(2007年第1戦)
- クライマックスシリーズMVP:1回(2008年)
- 日本シリーズ敢闘賞:1回(2008年)
[編集] 記録
- 初出場:2001年3月30日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、5番・左翼手として先発出場
- 初安打:同上、7回表に竹下慎太郎から左翼へ二塁打
- 初本塁打・初打点:2001年4月4日、対読売ジャイアンツ2回戦(明治神宮野球場)、4回裏に高橋尚成からソロ
- 初盗塁:2001年5月26日、対横浜ベイスターズ7回戦(横浜スタジアム)、3回表に二盗(投手:河原隆一、捕手:谷繁元信)
- 100本塁打:2004年6月15日、対読売ジャイアンツ10回戦(明治神宮野球場)、9回裏に岡島秀樹から
- 150本塁打:2005年8月19日、対阪神タイガース15回戦(明治神宮野球場)、1回裏に下柳剛から
- 1000本安打:2007年4月21日、対中日ドラゴンズ5回戦(明治神宮野球場)、3回裏に吉見一起から
- 200本塁打:2007年8月19日、対読売ジャイアンツ8回戦(東京ドーム)、4回表に金刃憲人から
- 1000試合:2008年4月18日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、5番・左翼手として先発出場
- 250本塁打:2008年9月17日、対横浜ベイスターズ22回戦(横浜スタジアム)、3回表に三浦大輔から
[編集] 背番号
- 3 (2001年 - 2007年)
- 5 (2008年 - )
[編集] 関連項目
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- アレックス・ラミレス・ジュニア(義理の息子)
- マニー・ラミレス - 日米野球で、パフォーマンスの「ラミちゃんぺっ」を東京ドームでやったことがある(親戚ではないが、クリーブランド・インディアンス時代の元チームメイトで友人でもある)。
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- アレックス・ラミレスの応援歌(ヤクルト時代)
- アレックス・ラミレスの応援歌(読売ジャイアンツ)
- アレックス・ラミレス公式webサイト
- アレックス・ラミレス オフィシャルブログ
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