鶴岡一成

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鶴岡 一成
阪神タイガース #40
20120129 Kazunari Tsuruoka, catcher of the Yokohama DeNA BayStars, at Queen's Square Yokohama.JPG
DeNA時代(2012年1月29日、クイーンズスクエア横浜
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県高砂市
生年月日 1977年5月30日(36歳)
身長
体重
183 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1995年 ドラフト5位
初出場 2000年9月1日
年俸 4,000万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鶴岡 一成(つるおか かずなり、1977年5月30日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手捕手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

兵庫県高砂市出身。高砂市立鹿島中学校では野球部のキャプテンとして全国大会で優勝[1]し、地元兵庫の神港学園神港高等学校に進学。3年時には4番で主将として阪神・淡路大震災の直後に開催された第67回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦は天野勇剛を擁する仙台育英に、二回戦は大府に勝利。準々決勝で藤井秀悟を擁する今治西と対戦し、タイムリーを放つも延長13回サヨナラ負けを喫し敗退した。

1995年のドラフト会議において、横浜ベイスターズから5巡目に指名され、入団。背番号は57に決まった。

横浜時代[編集]

ドラフト最下位指名の高卒捕手ということもあってプロ入り当初から長い二軍生活を送り、1996年のプロ入りから4年間一軍出場はなかった。2000年9月1日の対阪神戦で、7回表に阿波野秀幸の代打の石井義人の代打として起用され一軍初出場を果たす。この年は3試合に出場し、プロ初安打も記録したが、一軍に定着するまでには至らなかった。2001年は9試合に出場し、2002年は12試合に出場。しかし2003年は一軍出場なしに終わった。

2004年、正捕手の相川亮二アテネオリンピックに出場するため離脱、中村武志も負傷したことで出場機会を得、相川に次ぐ二番手捕手として一軍に定着した。8月24日の対阪神戦でプロ初本塁打を記録。試合数は少ないものの、自己最多の25試合に出場し、打率.400・2本塁打を記録した。2005年も前年の好調を保ちつつ、2番手捕手・右の代打として一軍に定着し、シーズンを通して24試合に出場した。2006年は相川の故障や投手陣の不調などにより、スタメンに名を連ねる試合が増えた。結果的に自己最多の出場機会を得るなど、飛躍の年となった。しかし2007年は前年から一転して出場機会が減少。相川の離脱中も失策を重ねるなどチャンスを生かせず、36試合の出場に留まり、4年ぶりのシーズン無本塁打で打率.217に終わった。

2008年は結果を出しながらも、武山真吾など若手が優先起用されていた。しかし、横浜投手陣が相次いで打ち込まれる状態が続いたため、6月10日にチームは投手層の強化を目的に読売ジャイアンツ(巨人)から真田裕貴をトレードで獲得、代わって鶴岡が巨人に移籍した。巨人側は阿部慎之助北京オリンピック出場による離脱によって捕手が不足する事態を想定していたという事情であった。巨人での背番号は真田が着用していた43に決まった。

巨人時代[編集]

巨人時代(2010年10月5日、横浜スタジアム)

移籍後は一発のある打撃と強気な性格を買われ、加藤健の出遅れもあって二番手捕手として一軍に定着した。公式戦出場は31試合だったが、阿部がオリンピック出場によって離脱したことでレギュラーとして活躍し、チームの大逆転優勝に貢献した。クライマックスシリーズでも阿部が負傷離脱する中で本塁打を放つなど、日本シリーズ出場に貢献。阿部が代打や指名打者で出場した埼玉西武ライオンズとの日本シリーズでは全試合正捕手として出場したが、3勝3敗で迎えた第7戦で8回に逆転され、あと一歩で日本一を逃した。

2009年は負傷を抱える阿部が休養を挟みながらの出場を強いられたため、開幕から週に1・2試合で先発出場の機会を得た。その中でセス・グライシンガーと抜群の相性の良さを見せたため、阿部の負傷が完治した後も、グライシンガーの先発時は専属バッテリーを組んだ。また、4月10日の対阪神戦(東京ドーム)で自身初の2打席連続本塁打を放つなど、打撃成績も向上。前年に続いて優勝に貢献した。

2010年も引き続き2番手捕手として活躍した。32試合の出場で打率.229という成績だったが、同年に阿部以外のチーム内の捕手で安打を放ったのは鶴岡のみだった。2011年はプロ16年目にして初の開幕スタメン出場を果たし、チームを勝利に導いた。阿部の復帰後以降は再び二番手捕手としてチームを支え、前年を上回る34試合に出場した。同年オフに出場機会を求めて国内FA権を行使し、12月11日にDeNAと契約したことが発表され、4年ぶりに古巣に復帰した[2]。背番号は10に決まった。なお、4年前のトレード相手だった真田も2012年3月19日に古巣の巨人に復帰しており、共に同じ年に古巣球団へ復帰する形となった。

DeNA時代[編集]

2012年前半は黒羽根利規との併用が多かったが、中盤より黒羽根に代わってスタメンマスクを被る機会が増えた。7月12日の対東京ヤクルトスワローズ戦で石川雅規からプロ入り初となる満塁本塁打を放った。8月に新人の高城俊人が一軍に昇格して以降は途中出場が増えたものの、藤井秀悟王溢正が先発の際にはスタメンマスクを被った。同年はシーズンを通して一軍に帯同し、自己最多となる102試合に出場した。

2013年は開幕一軍入りを果たしたが、開幕捕手は高城に奪われ、二番手捕手としてのスタートとなった。しかし打撃不振に苦しむ高城が7月26日に一軍登録を抹消されて以降は正捕手に定着。前年を上回る108試合に出場し、自己最多となる70安打、40打点を記録。打順は主に8番と下位ながら二塁打が18本と多かった。また、得点圏打率は.303を記録した[3]。この打撃もあり先発出場した85試合では42勝42敗1分とチームを勝率5割に導き[4]、6年ぶりの最下位脱出に大きく貢献した。また、この年に1つだけ記録した盗塁はスクイズ失敗(空振り)と暴投が重なったホームスチールであった[5]

阪神時代[編集]

2014年国内FA権を行使して阪神からDeNAへ移籍した久保康友に対する人的補償として、1月6日に阪神が鶴岡の獲得を発表した[6]。背番号は40。開幕一軍は逃したが、4月10日に一軍登録され、同日の対DeNA戦で即先発出場した。4打数2安打1打点と活躍し、チームの勝利に貢献した[7]

プレースタイル[編集]

打撃[編集]

下位打線を打つことが多いものの、パンチ力のある打撃を持ち味としており[8]、二番手捕手として一軍に定着した2004年(この年の打率は.400)からその力を発揮。巨人移籍後の2009年には自身初の2打席連続本塁打を記録。横浜DeNA復帰後の2012年には自身初の満塁本塁打を記録した。また、チャンスにも強く、2013年の得点圏打率は.303を記録した。

2013年8月24日の対巨人戦では、プロ野球タイ記録となる1打席19球を記録した。結果は三振だった。

守備・走塁[編集]

若手投手を巧みにリードするインサイドワークに定評があり[9]、投手を鼓舞して引っ張っていく強気なリードを持ち味とする[10]。2013年には先発出場した試合では勝率5割を記録するなど、多くの若手投手を支え、チームの6年ぶりの最下位脱出に大きく貢献した。

捕手ではあるが脚力もあり、併殺打は少なく積極的な走塁を見せる。また、捕手のタイミングを読んで盗塁している。[要出典]盗塁数は少ないが、2008年の初盗塁以降盗塁死はなく、2013年には前述の通りホームスチールを記録した。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2000 横浜 3 3 3 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .333 .333 .333 .667
2001 9 7 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .000 .000 .000 .000
2002 12 10 9 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .111 .200 .111 .311
2004 25 60 55 6 22 2 1 2 32 5 0 2 3 0 2 1 0 13 0 .400 .421 .582 1.003
2005 24 30 28 3 8 2 0 1 13 2 0 0 0 0 1 0 1 4 3 .286 .333 .464 .798
2006 60 146 127 7 31 8 1 3 50 16 0 0 5 1 11 1 2 39 5 .244 .312 .394 .706
2007 36 87 69 3 15 3 0 0 18 8 0 0 4 0 11 3 3 10 3 .217 .349 .261 .610
2008 27 61 52 4 15 2 0 0 17 2 1 0 5 0 4 1 0 7 3 .288 .339 .327 .666
巨人 31 56 48 4 8 2 0 2 16 6 0 0 2 0 6 0 0 12 2 .167 .259 .333 .593
'08計 58 117 100 8 23 4 0 2 33 8 1 0 7 0 10 1 0 19 5 .230 .300 .330 .630
2009 59 160 142 17 37 10 0 5 62 18 1 0 8 1 8 3 1 30 4 .261 .303 .437 .739
2010 32 43 35 4 8 1 0 0 9 0 0 0 3 0 3 1 2 8 2 .229 .325 .257 .582
2011 34 63 55 6 12 1 0 0 13 1 0 0 3 0 4 1 1 9 0 .218 .283 .236 .519
2012 DeNA 102 229 201 9 38 8 1 1 51 15 0 0 8 1 19 3 0 39 4 .189 .258 .254 .513
2013 108 318 280 27 70 18 0 3 97 40 1 0 7 4 26 3 1 50 7 .250 .312 .346 .658
通算:13年 562 1273 1111 92 266 57 3 17 380 113 3 2 48 7 96 17 11 229 33 .239 .304 .342 .646
  • 2013年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


捕手
球団 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2000 横浜 1 0 0 0 1.000 0 0 0 -
2002 横浜 10 10 0 0 0 1.000 0 0 0 -
2004 横浜 19 0 2 2 .979 10 8 2 .200
2005 横浜 7 24 1 0 0 1 1.000 5 0 0 .000
2006 横浜 34 211 18 0 3 0 1.000 30 22 8 .267
2007 横浜 32 183 14 4 4 3 .980 25 20 5 .200
2008 横浜 26 106 10 1 2 0 .991 17 12 5 .294
2008 巨人 29 116 7 0 1 1 1.000 8 7 1 .125
2009 巨人 54 301 29 1 4 3 .997 31 17 14 .407
2010 巨人 31 93 7 0 1 1 1.000
2011 巨人 29 116 9 1 2 0 .992
2012 DeNA 101 428 46 2 4 4 .996 75 55 20 .267
2013 DeNA 107 606 48 4 13 5 .994 76 53 23 .303
通算 480 13 36 20
  • 2013年度シーズン終了時

記録[編集]

その他の記録
  • 1打席19球:2013年8月24日、対読売ジャイアンツ19回戦(横浜スタジアム)、8回裏に山口鉄也から ※プロ野球タイ記録、史上3人目

背番号[編集]

  • 57 (1996 - 2008途中)
  • 43 (2008途中 - 2011)
  • 10 (2012 - 2013)
  • 40 (2014 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 高砂市立鹿島中学校野球部 鹿島中野球部の歴史”. 2013年12月27日閲覧。
  2. ^ 補強着々 横浜DeNAに鶴岡復帰 日本ハムから2投手も獲得発表”. スポーツニッポン (2011年12月11日). 2013年12月27日閲覧。
  3. ^ 抜群の勝負強さ誇った鶴岡一成流出でDeNAの強力打線に暗雲も”. NEWS ポストセブン (2014年1月12日). 2014年1月13日閲覧。
  4. ^ ノリ&鶴岡 戦力外危機 球団“銭闘”認めず、期限は日本S終了まで”. スポーツニッポン (2013年10月30日). 2013年12月27日閲覧。
  5. ^ 横浜DeNA 石川雄洋スクイズ空振り&鶴岡一成ホームスチール成功!130922”. 2013年12月27日閲覧。
  6. ^ 阪神がFA補償による選手の獲得について”. 阪神タイガース公式サイト (2014年1月6日). 2014年1月7日閲覧。
  7. ^ 阪神鶴岡スタメン即結果”. 日刊スポーツ (2014年4月10日). 2014年4月12日閲覧。
  8. ^ 鶴岡が急浮上!阪神、久保の人的補償候補に“ハマの正妻””. サンケイスポーツ (2013年12月26日). 2013年12月27日閲覧。
  9. ^ 阪神 FA久保の人的補償で鶴岡獲得へ 6日にも発表”. スポニチアネックス (2014年1月5日). 2014年1月5日閲覧。
  10. ^ 他球団注目 鶴岡は阪神投壊止める男”. 東スポWeb (2014年4月11日). 2014年4月12日閲覧。

関連項目[編集]