喜田剛

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喜田 剛
徳島インディゴソックス コーチ
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県福岡市
生年月日 1979年10月25日(32歳)
身長
体重
183cm
84kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手三塁手左翼手
プロ入り 2001年 ドラフト7巡目
初出場 2003年9月27日
最終出場 2010年
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴

喜田 剛(きだ ごう、1979年10月25日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手内野手)。現在は、四国アイランドリーグplus徳島インディゴソックスの打撃コーチ。愛称は「キダゴ」。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

沖学園高等学校から福岡大学に進学。大学時代は捕手だったが外野手へ転向。2001年ドラフト会議阪神タイガースから7巡目指名を受けて入団。背番号は55。阪神入団後に内野手へ転向する。

[編集] 阪神時代

2002年に行われた第14回アジア競技大会野球日本代表に参加し、チームの主軸として6試合で3本塁打を記録。チームの銅メダル獲得に貢献した。

2003年7月13日のフレッシュオールスター(札幌ドーム)で、一時は逆転となる3ラン本塁打を放ってMVP最有力となったが、その後に登板した三東洋が逆転打を浴びたため、優秀選手賞を獲得した。9月27日の対中日ドラゴンズ戦では、大塚晶則から一軍初打席で初安打を放った。

2005年、2軍で打率.303・21本塁打・55打点・長打率.631の活躍で、ウエスタン・リーグ本塁打王・打点王・最高長打率の三冠を獲得。2006年も2軍で打率.278・14本塁打・56打点・8盗塁を記録し、ウエスタン・リーグで2年連続の本塁打王・打点王、さらに最多安打と最多得点も獲得した。シーズン終盤には1軍でプロ初打点も挙げる。ファーム日本選手権(対千葉ロッテマリーンズ戦)では、成瀬善久から桜井広大藤原通とともに三者連続本塁打を放った。

2007年は前年から一転して調子を落とし、2軍でも打率.220・2本塁打・12打点と振るわなかった。同年5月18日、マーティ・ブラウンの要望もあって、山田真介との交換トレード広島東洋カープへ移籍した。

[編集] 広島時代

移籍後すぐに昇格し、5月22日の対オリックス・バファローズ戦で「7番・指名打者」としてスタメン出場。広島での初打席をランス・カーターから安打で飾った。5月30日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、清水直行からプロ初本塁打を放った。一時は打率3割を超えて右翼手のレギュラーに定着するかの活躍を見せたが、8月後半から約1ヶ月間に渡って安打が出ず、打率を下げてしまった。阪神時代は5年間で8試合しか出場できなかったが、この年だけで67試合に出場し、打率.247・3本塁打を打った。2008年以降は左の代打の切り札として起用されている。

2008年1月、交際していた女性と結婚した。2007年に広島へのトレードが決定した直後、阪神時代の同僚である浅井・桜井と藤田太陽埼玉西武ライオンズ)が喜田と女性を招いて送別会を開いた日にプロポーズしたという。

2008年から、登録名が姓と名の間を区切らない「喜田剛」に変わった(球団サイトでの登録名変更発表はなし)。これは応援歌の歌詞が言いやすく、フルネームで呼ばれていることを考慮してである。ユニフォームの背ネーム表記も「KIDA.GO」に変更した。

2010年5月15日長谷川昌幸と共に、迎祐一郎との交換トレードでオリックス・バファローズへ移籍した(登録名と背ネームは広島時代と同じ)。背番号は40

[編集] オリックス・横浜時代

交流戦中は主に代打で起用され、6月7日の対広島東洋カープ戦では代打で安打を放ち、プロ野球新記録となる10人連続安打の一員となった。しかし、交流戦終了後に降格し、9月29日の対千葉ロッテマリーンズ戦で再昇格・スタメン起用され、右翼フェンス直撃の適時二塁打を放つ活躍を見せた。結局、10試合出場で打率.235と物足りない成績に終わった。

2010年12月6日、山本省吾と共に、寺原隼人高宮和也との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍。オリックス在籍期間は僅か半年ほどだった。背番号は阪神時代以来の55、登録名は引き続き喜田剛となった[1]。しかし、横浜では一度も一軍昇格することなく、2011年10月9日戦力外通告を受け、12月2日に自由契約公示され、引退した。

[編集] 引退後

2012年、四国アイランドリーグplus徳島インディゴソックスの打撃コーチに就任した [2]

[編集] 人物

  • 父親は元力士・佐田ノ花で、最高位は幕下18枚目だった。
  • 2011年現在も、阪神時代に同僚だった林威助桜井広大にライバル心を燃やしており、対オリックス・バファローズ戦(2007年6月11日、広島市民球場)でサヨナラ適時打を放った際のインタビューで「あいつ(桜井)には負けたくないです!」と発言した。2011年10月9日に戦力外通告を受けた時、奇しくも桜井も同日に阪神タイガースから戦力外通告を受けている。
  • 2007年の開幕前に、阪神タイガース私設応援団が喜田の応援歌を作ったが、喜田が昇格することなく広島へ移籍したため、応援歌は公式戦で使用されないままお蔵入りとなった。広島での応援歌は7月16日の対横浜ベイスターズ戦で初披露され、この応援歌はカープ特有のスクワット応援(名前を繰り返しコールしながらスクワット運動を行うもの)とは異なる。
  • 広島移籍後は外野手としての出場が多かった。2008年は内野手としての出場が増えたものの、2009年は再び外野手としての出場が多くなった。
  • 新井貴浩の人的補償で広島入りした赤松真人とは阪神時代から仲が良い。
  • 広島時代、栗原健太と顔が似ていたために移籍当初はファンに名前を間違って呼ばれてショックを受けていた。これについて「顔を覚えてもらうためには(広島で)活躍をするしかない」と発言している。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2003 阪神 1 1 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
2004 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2005 3 8 8 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .250 .500
2006 2 5 5 0 3 2 0 0 5 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .600 .600 1.000 1.600
2007 広島 67 167 150 13 37 11 0 3 57 12 1 1 1 0 15 0 1 35 3 .247 .319 .380 .699
2008 66 100 92 11 22 2 1 4 33 11 0 0 0 0 6 0 2 22 3 .231 .300 .359 .659
2009 78 134 126 8 32 12 0 2 50 20 0 1 0 0 6 0 2 30 0 .254 .299 .397 .695
2010 10 10 8 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 2 0 0 4 0 .125 .300 .125 .425
オリックス 10 17 17 1 4 2 0 0 6 2 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .235 .235 .353 .588
'10計 20 27 25 2 5 2 0 0 7 2 0 0 0 0 2 0 0 9 0 .200 .259 .280 .539
通算:8年 239 444 409 35 102 29 1 9 160 46 1 2 1 0 29 0 5 100 6 .249 .307 .391 .698

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 22 (2002年 - 2003年)
  • 55 (2004年 - 2007年途中、2011年)
  • 44 (2007年途中 - 2010年途中)
  • 40 (2010年途中 - 同年終了)

[編集] 脚注

  1. ^ 2011年度 新背番号および登録名のお知らせ”. 横浜ベイスターズ (2010年12月21日). 2011年12月27日閲覧。
  2. ^ 徳島IS 新コーチ決定のお知らせ”. 四国アイランドリーグplus (2011年12月27日). 2011年12月27日閲覧。

[編集] 関連項目

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