喜田剛
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| 広島東洋カープ #44 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 福岡県福岡市 |
| 生年月日 | 1979年10月25日(29歳) |
| 身長 体重 |
183cm 84kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| 守備位置 | 右翼手、一塁手、三塁手 |
| プロ入り | 2001年 ドラフト7巡目 |
| 初出場 | 2003年9月27日 |
| 年俸 | 1,000万円 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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喜田 剛(きだ ごう、1979年10月25日 - )は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手。広島東洋カープ所属。登録上のポジションは内野手(一塁手、三塁手)だが、外野手としての出場も多い。愛称はキダゴー、キダゴ。背番号は44。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 阪神時代
2001年のドラフト会議で阪神タイガースに指名され入団。当時の背番号は22。2002年秋に行われた第14回アジア競技大会野球日本代表に参加し、チームの主軸として6試合で3本塁打を記録。チームは銅メダルを獲得。
2003年7月13日のフレッシュオールスター(札幌ドーム)で、一時は逆転となる3ランを放ち、MVP最有力だったが、その後リリーフ登板した同僚の三東洋投手が逆転打を浴びてしまったため、優秀賞止まりとなってしまった。9月27日の対中日ドラゴンズ戦では、当時抑えのエースだった大塚晶則からプロ入り一軍初打席で初ヒットを放った。
2004年、マイク・キンケードが22を付けたため背番号を55に変更。
2005年、二軍で打率.303、21本塁打、55打点、長打率.631の活躍で、ウェスタン・リーグ本塁打王・打点王・最高長打率の三冠を獲得。
2006年も、二軍で打率.278、14本塁打、56打点、8盗塁を記録し、ウェスタン・リーグで2年連続の本塁打王・打点王、さらに最多安打と最多得点も獲得した。シーズン終盤には一軍でプロ初打点も挙げる。ファーム日本選手権にて千葉ロッテマリーンズの成瀬善久から桜井広大、藤原通とともに3者連続本塁打を放った。
2007年は二軍での成績は打率.220(123打数27安打)、2本塁打、12打点とあまり振るわなかったが、広島東洋カープのマーティ・ブラウン監督の要望もあり、5月18日に山田真介との交換トレードで広島に移籍した。
[編集] 広島時代
広島移籍後、即一軍登録され、5月22日のオリックス戦(京セラドーム大阪)で7番DHでスタメン出場。広島での初打席をオリックス先発のランス・カーターから安打で飾った。5月30日の千葉ロッテマリーンズ戦(広島市民球場)では、ロッテ先発の清水直行からプロ入り第1号となる右越え本塁打を放った。一時は打率3割を超え右翼手のレギュラーを奪うかの活躍を見せたが、8月後半から約1ヶ月ノーヒットが続き、打率を下げてしまった。阪神時代は5年間で8試合しか出場できなかったが、この年だけで67試合に出場し、打率.247、3本塁打を打った。2008年以降は左の代打の切り札として起用されている。
2007年1月、交際していた女性と結婚。広島へのトレードが決まった5月、阪神のチームメイトである浅井良・桜井広大・藤田太陽らが二人を招いて送別会を開いてくれた日にプロポーズしたという。
2008年から登録名が姓と名の間を区切らない喜田剛に変わった(球団サイトでの登録名変更発表はなし)。これは応援歌の歌詞が言いやすくフルネームで呼ばれていることを考慮してである。またユニフォームの背ネーム表記も「KIDA.GO」となっている。
[編集] 人物
福岡大学時代は、当初捕手だったが外野手に転向。阪神入団後、内野手に転向する。広島に移籍した2007年は外野を守る機会が多かったが、2008は再び内野手としての出場が増えている。
現在も、阪神時代のチームメイトの林威助や桜井広大にライバル心を燃やしており、サヨナラヒットを放った2007年6月11日のオリックス戦(広島市民球場)でのインタビューでは「あいつ(桜井)には負けたくないです!」と言った。
2007年の開幕前に阪神私設応援団が喜田個別の応援歌を作ったが、一軍に昇格することなく広島に移籍したため、応援歌は公式戦で歌われないままお蔵入りとなった。 広島での応援歌は7月16日の横浜戦(横浜スタジアム)で初披露された。この応援歌はカープ特有の名前を繰り返しコールしながらスクワット運動を行うものとは異なる。
父親は元力士で最高位は幕下18枚目。
新井貴浩の人的補償で広島入りした赤松真人とは阪神時代から仲が良い。
チームメイトの栗原健太と顔が似ているため、移籍当初はファンに栗原と間違えて呼ばれることが多々ありショックを受けていた。顔を覚えてもらうためには活躍をするしかないと発言している。
[編集] 初記録
- 初出場:2003年9月27日 対中日ドラゴンズ(阪神甲子園球場)
- 初安打:2003年9月27日 対中日ドラゴンズ(阪神甲子園球場)大塚晶則投手から
- 初本塁打:2007年5月30日 対千葉ロッテマリーンズ(広島市民球場)清水直行投手から
- 初サヨナラヒット 2007年6月11日 対オリックス・バファローズ(広島市民球場) 岸田護投手から
[編集] 年度別打撃成績
| 年度 | 球 団 |
背 番 号 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
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| 2002年 | 阪神 | 22 | 一軍出場なし | ||||||||||||||||||
| 2003年 | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.00 | ||
| 2004年 | 55 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | |
| 2005年 | 3 | 8 | 8 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .250 | ||
| 2006年 | 2 | 5 | 5 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .600 | ||
| 2007年 | 一軍出場なし | ||||||||||||||||||||
| 広島 | 44 | 67 | 167 | 150 | 13 | 37 | 11 | 0 | 3 | 57 | 12 | 1 | 1 | 1 | 0 | 15 | 1 | 35 | 3 | .247 | |
| 2008年 | 66 | 100 | 92 | 11 | 22 | 2 | 1 | 4 | 33 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 22 | 3 | .231 | ||
| 通算成績 | 141 | 283 | 258 | 25 | 65 | 15 | 1 | 7 | 98 | 24 | 1 | 1 | 1 | 0 | 21 | 3 | 61 | 6 | .252 | ||
[編集] 関連項目
- 福岡県出身の人物一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 広島東洋カープの選手一覧
- マーティ・レオ・ブラウン
- 岡田彰布
- 星野仙一
- 山田真介(トレード相手)
- 赤松真人(阪神時代から仲がいい)
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