田中浩康

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田中 浩康
東京ヤクルトスワローズ #7
20120501 Hiroyasu Tanaka, infielder of the Tokyo Yakult Swallows, at Yokohama Stadium.JPG
2012年5月1日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府木津川市
生年月日 1982年5月24日(32歳)
身長
体重
177 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手
プロ入り 2004年 自由獲得枠
初出場 2005年4月6日
年俸

1億2,500万円(2014年)

(2013年から2年契約)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田中 浩康(たなか ひろやす、1982年5月24日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手内野手)。

来歴・人物[編集]

アマチュア時代[編集]

小学校2年生のときに野球を始める。中学2年になる春に千葉県から京都府木津川市木津第二中学校に転校し、ボーイズリーグのチーム、奈良スターズ(現・南京都ニュースターズ)に入団する。

高校は香川県尽誠学園高等学校に入学し、1年時と2年時に二塁手として全国高等学校野球選手権大会に出場[2]

2001年早稲田大学に入学。1年春から二塁のレギュラーに定着し、東京六大学リーグ戦の全試合に出場。3年秋にベストナインに選出。青木宣親と1・2番、また鳥谷敬と二遊間を組み、走攻守揃った二塁手として活躍する。4年時にはキャプテンを務め、鳥谷が抜けた後のショートも担った。史上24人目となる大学通算100安打以上を放つ。大学通算95試合出場、368打数102安打、打率.277、6本塁打、44打点。

また、大学時代は1年春の開幕明大1回戦に1番セカンドで出場(4打数4三振)して以来、全試合全イニング出場のまま4年秋のシーズンを迎え、「鉄人」とも呼ばれたが、同シーズンの法大戦で左手に死球を受け骨折、その後も試合出場は続けたものの、かすり傷の影響で全イニング出場は叶わなかった。

2年時(2002年)に第1回世界大学野球選手権日本代表メンバーに選出。2年~3年時(2002年~2003年)の2年連続で日米大学野球選手権大会日本代表メンバーに選出される。

2004年のドラフト会議ヤクルトスワローズが自由獲得枠で交渉権を獲得し契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で入団した[3]

プロ入り後[編集]

2008年

2005年は開幕一軍入りを果たすも、出場機会を得られないまま5月限りで二軍落ちとなる。一時不調に陥るが、8月にはイースタン・リーグで月間MVPを獲得。二軍では新人ながら打率.286の成績を残した。

2006年はオープン戦が絶好調で、WBCで怪我をした岩村明憲の不在もあり、2番二塁手で初の開幕スタメンの座を掴んだが、岩村の復帰までに結果を残せず、以降はグレッグ・ラロッカが本来のセカンドに入りポジションが空かず、二軍落ちとなった。しかし、7月に宮本慎也の怪我により空いた遊撃手として一軍へ昇格。その後、宮本が復帰すると一時スタメンから外れるが、今度はラロッカが離脱。結果的に一軍に定着し、公式戦初本塁打を放つなどの活躍を見せ、9月には5番での起用もなされた。最終的に75試合出場、打率.266、5本塁打、22打点と結果を残した。

2007年はラロッカが退団し、開幕から二塁手のレギュラーとして起用される。春先は去年同様にオープン戦絶好調でありながらシーズン開幕後パッタリ当たりが止まり併用になるが、5月ごろには本来の力を発揮し、レギュラーに定着した。中盤に2番二塁手として、早稲田大学時代に1・2番を組んだ1年年上の青木と再びスワローズで1・2番を組み、8月25日には自身初のサヨナラヒットを放つなど、チームに欠かせない戦力となった。3年目にして自身初の規定打席に達し、132試合に出場して、打率.295、5本塁打、51打点、また、リーグ最多の51犠打、8三塁打を記録。初のベストナインにも選出された。

レギュラーを約束された2008年、開幕で3安打猛打賞を記録すると、4試合で11安打を放つなど打率が急上昇。4月終了時点で打率4割を維持していた。夏場でも3割を保ち、後半失速するも.290の高打率を残した。守備に関しても前年の8失策から半減の4失策で守備率.995とリーグトップ、守備機会も両リーグトップの堅守を魅せた。チームで唯一の全試合出場を果たした。一方で、同年監督に就任した高田繁が、足を使う野球を浸透させチームは12球団一の総盗塁数を残すものの、自身は4盗塁7盗塁刺の結果に終わってしまい上位打線を担える選手だけに盗塁技術向上が今後の課題となった。オフには守備の評価が球団と食い違い、12球団初の契約更改保留者となった。この年の8月に開催された北京オリンピック野球日本代表の1次候補に名前が挙がる。

2009年、開幕から二塁のレギュラーでスタート。当初は7番だったが、川島慶三の不振で7月からは2番に定着した。8月までは打率.282と例年並みの成績を残すが、9・10月に月間打率.172と失速し、打率.258、4本塁打と自己最低の成績に終わり、打撃に課題が残る年となった。犠打の成功率が高く、38犠打でリーグ最多犠打を記録した。守備では積極的にボールに飛びつく堅守で幾度となくチームを救い、7月10日の横浜戦では、同点の9回表一死一、三塁のピンチで二塁ライナーをジャンピングキャッチし、チームのサヨナラ勝ちにつなげた。失策はわずか3、守備率.996は2年連続二塁手部門でリーグ最高だった。

2010年、開幕当初から打撃好調でスタートを切り、チームが貧打で低迷する中でも打率3割を維持しチームの要として活躍。一時は打率が自身最高となる3割2分台まで引き上げ終盤の失速を補い、自身初のシーズン通しての打率3割を記録した。また、長打力の低い打者でありながらリーグ3位の67四球を選ぶなど、選球眼の良さを発揮し、自己最高の出塁率.385を記録。守備でも堅守の印象を強めたもののその半面でイージーミスも増えてしまった。

2011年は打撃面で不調が続き、打率.252という低調な成績に終わった。それでもリーグトップの62犠打(歴代3位)を記録するなど、2番打者としてチームに貢献した。

2012年はチームの新たな方針として1番打者に指名される。しかし、シーズン途中からラスティングス・ミレッジ比屋根渉高井雄平が1番に座ることとなり、例年通り繋ぎ役として2番に固定された。6月23日の巨人戦で通算250犠打を達成するなどリーグトップの40犠打を記録。通算282犠打とし、正田耕三の犠打数と並び通算犠打数は8位タイに。打撃は前年の不振を払拭し、打率.274を記録する。出塁率はリーグ9位の.354、得点圏打率はリーグ4位の.313を記録。守備率.995を誇る堅実な守備も評価され、念願のゴールデングラブ賞を受賞。さらに5年ぶりのベストナインに輝くなど充実した1年となった。オフには新たに2年契約を結んだ。

2013年は開幕から打撃不振が続き、次第に若手の山田哲人に出場機会を奪われるようになる。結局、97試合の出場に留まり、7年振りに100試合を下回った。打率も.225に終わるなど、厳しいシーズンとなった。

2014年も山田が二塁手に固定され、主に代打での出場が多くなるが、比較的打撃が好調であった為、5月13日の読売ジャイアンツ戦ではプロ入り後初めて三塁手として起用され、同シーズン初のスタメン出場を果たした。6月11日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦ではプロ入り後初めて一塁手として起用された。

田中のバッティングフォーム

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2005 ヤクルト 6 4 4 0 2 1 0 0 3 0 1 0 0 0 0 0 0 1 0 .500 .500 .750 1.250
2006 75 248 214 23 57 12 0 5 84 22 1 1 12 2 19 0 1 47 11 .266 .326 .393 .719
2007 132 543 451 58 133 23 8 5 187 51 8 1 51 3 33 0 5 51 14 .295 .348 .415 .762
2008 144 604 510 61 148 19 1 5 184 50 4 7 34 4 45 1 11 72 8 .290 .358 .361 .719
2009 130 514 434 48 112 24 2 4 152 35 6 2 38 4 34 0 4 50 10 .258 .315 .350 .665
2010 140 637 516 64 155 16 2 4 187 54 4 4 45 3 67 3 6 48 15 .300 .385 .362 .747
2011 142 619 511 57 129 13 2 1 149 40 2 3 62 3 40 0 3 63 9 .252 .309 .292 .600
2012 139 593 486 48 133 16 1 2 157 40 1 1 40 4 54 0 9 60 15 .274 .354 .323 .677
2013 97 252 227 22 51 7 0 0 58 14 1 1 6 1 17 1 1 32 6 .225 .280 .256 .536
通算:9年 1005 4014 3353 381 920 131 16 26 1161 306 28 20 288 29 309 5 40 424 88 .274 .341 .346 .687
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]

年度 二塁 遊撃
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2005 2 1 1 0 0 1.000 -
2006 51 80 129 5 21 .977 20 23 58 5 6 .942
2007 132 278 389 8 61 .988 -
2008 144 359 489 4 85 .995 -
2009 130 314 414 3 81 .996 -
2010 140 317 468 9 98 .989 -
2011 142 379 435 7 91 .991 -
2012 139 448 409 4 99 .995 -
2013 60 138 147 6 32 .979 -
通算 940 2314 2881 46 568 .991 20 23 58 5 6 .942
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録

背番号[編集]

  • 7 (2005年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 【ヤクルト】田中が2年2・5億でサイン - 日刊スポーツ(2012年11月30日)
  2. ^ 高校野球情報.com 独占インタビュー 第50回 田中 浩康選手(2010年8月2日)
  3. ^ 朝日新聞、2004年12月2日付朝刊 (19面)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]