小山良男

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小山 良男
選手時代の小山
(2008年6月26日、阪神鳴尾浜球場)
基本情報
国籍 日本
出身地 神奈川県川崎市
生年月日 1980年7月14日(29歳)
身長
体重
181cm
80kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 捕手
プロ入り 2004年 ドラフト8巡目
初出場 2005年10月1日
最終出場 2007年9月23日
経歴(括弧内は在籍年)

小山 良男(こやま よしお、1980年7月14日 - )は、中日ドラゴンズに在籍した元プロ野球選手捕手)。現在は同球団のブルペン捕手

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

神奈川県川崎市出身。平間中学校では中本牧リトルシニアに所属(後に中日に入団する小池正晃も所属していた)し、全国大会で優勝した。シニア日本代表にも選抜され、のちにバッテリーを組むことになる松坂大輔とはここでに出会っているが、この時すでに横浜高校に進学が決まっていた小山が、ほかの高校に進学が決まっていた松坂を誘ったことが、松坂が横浜高入りするきっかけとなった。また、横浜高校では上地雄輔(現俳優)に代わり正捕手となり、主将として松坂とバッテリーを組み、1998年の甲子園春夏優勝を果たした。横浜高校の同級生にはほかに小池や後藤武敏がいる。その後、進学した亜細亜大学でも主将を務め、木佐貫洋永川勝浩らとバッテリーを組み、2002年の大学選手権、明治神宮大会優勝。中学(中本牧シニア)・高校・大学とそれぞれの所属チームで日本一を経験した実績をもつ。

アマチュア野球の指導者を目指して高校の教員免許も取得していたが、同期である松坂世代の活躍に刺激を受けてプロ入りを決意(プロ経験者でも高校野球の指導者になれるようになった事情もある)。大学卒業後はJR東日本硬式野球部に入部。その後、2004年のドラフト中日ドラゴンズから8巡目で指名される。きっかけは、落合博満監督が著書に掲載する写真の撮影のためJR東日本を訪れた際に監督の目に留まったからだという。下位指名であるが、8000万円という破格の推定契約金で入団した。

[編集] プロ入り後

ルーキーイヤーの2005年、即戦力として期待され1軍に昇格。5試合に出場してプロ初安打、初打点を記録。(しかし、これが1軍で記録した最後の安打、打点となる)

2006年わずか3試合の出場であったが、日本シリーズ有資格者にも選ばれた。

2007年は、1軍ではわずか1試合の出場、2軍でもルーキーの田中大輔が正捕手として定着したため出場機会も減少した。

2008年は結局、一度も一軍に昇格することなく、オフに戦力外通告を受け、現役引退。ブルペン捕手に転身した。本人は「ブルペン捕手のプロになる」と新たな目標を語った。[1]

[編集] 引退後

2009年第2回WBC日本代表にブルペン捕手として参加。優勝後のシャンパンファイトでは、イチロー松坂大輔稲葉篤紀城島健司岩隈久志に続いて、周りの「ヨシオ」コールの中で小山も胴上げされた。この事について松坂は、「大会中自分の他、ピッチャーの球を受け続けた彼が胴上げに値すると、投手陣が当然の感覚として湧き上がった気持ちだと思う。」という旨をテレビの取材で告白している。

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
2005 中日 5 10 10 0 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .200 .200 .300 .500
2006 3 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .500 .000 .500
2007 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:3年 9 13 12 0 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .167 .231 .250 .481

[編集] 背番号

  • 37 (2005年 - 2008年)

[編集] アマ時代の戦歴

  • 中学(中本牧リトルシニア)
  • 横浜高校
    • 明治神宮大会優勝(1997年)
    • 甲子園優勝(1998年
    • 神奈川国体優勝(1998年)
  • 亜細亜大学
    • リーグ優勝(2000年春・2002年春秋)
    • 全日本大学選手権優勝(2000年・2002年)
    • 明治神宮大会優勝(2002年)

[編集] 脚注

  1. ^ スポニチ・アネックス2008年「惜別球人」より。

[編集] 関連項目