飯原誉士

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飯原 誉士
東京ヤクルトスワローズ #9
YS-Yasushi-IIhara.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県小山市
生年月日 1983年4月26日(28歳)
身長
体重
181cm
81kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手二塁手三塁手遊撃手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト5巡目
初出場 2006年3月31日
年俸 5,500万円(2011年)
経歴(括弧内は在籍年)

飯原 誉士(いいはら やすし、1983年4月26日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手外野手)。栃木県小山市出身。

愛称は、メッシ、ジゲン、ボンクラ、ヤス、やっし~(つば九郎より)。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] プロ入り前

小学校1年生で野球を始める。中学校は市立桑中学校であり、野球部の2学年後輩に成瀬善久(現千葉ロッテマリーンズ)がいた。高校は県立小山高校、大学は白鴎大学と、アマチュア時代は全て地元の栃木県小山市で過ごしている。元々は投手で、高校時代は県下随一の投手として鳴らした。プロのスカウトも注目するほどの逸材であったが、肩の怪我のため、大学時代に外野手へ転向する。俊足好打の外野手として活躍し、ベストナインを4度、スポニチ賞を1度獲得した。野球に対する視野を広げるため、一球に対する集中力を高めるためと、3年時には遊撃手を務めた。

2005年の大学・社会人ドラフトで、ヤクルトスワローズに5巡目で指名され入団。栃木県の大学からプロ野球入りするのは史上初めてのことである。

[編集] プロ入り後

2006年の春季キャンプは一軍でスタートしたが、当初の注目度はさほど高くなく、オープン戦も当初は代走や守備固めでの起用であった。しかし打撃面で最後まで4割超の打率を維持する好調を示し、ルーキーながら開幕一軍が決めると、3月31日の対阪神タイガース戦で、9回に左翼の守備固めとしてプロ初出場を果たした。4月22日の対横浜ベイスターズ戦では、7番・右翼手として初のスタメン出場を果たし、初安打、初盗塁を記録した。翌23日には3安打で初の猛打賞をマークするなど、最終的に28試合に出場して打率.324と活躍したが、一軍には定着しきれなかった。二軍では打率.274、5本塁打、12盗塁の成績を残している。7月20日のフレッシュオールスターゲームにて、4安打3得点1盗塁の活躍を見せ、チームでは青木宣親以来のMVPを獲得した。オフには古田敦也監督の方針から大学時代以来となる遊撃手に挑戦した。ハワイ・ウィンターリーグには遊撃手登録で派遣され、リーグ最多の5本塁打と打撃の結果も残した。

2007年外野手として登録されていたが、岩村明憲のメジャー移籍で空いた三塁手のポジションを宮出隆自畠山和洋らと争うことになった。春季キャンプでは、宮本慎也の故障もあって遊撃手のポジションを任せられる。経験は浅いものの堅実なプレーを見せ、監督の古田からは「キャンプ最大の収穫」と評価された。シーズンでは主に三塁手として起用されたが、特に強い打球が飛んできた場合に失策が多く、リーグ最多の18失策と守備が安定しなかった。三塁手118試合、遊撃手11試合、外野手11試合、二塁手1試合と、内外野さまざまなポジションを守った。打撃面ではシーズン当初は思い切りの良さを見せ、8本塁打と結果を出したが、相手からのマークもきつくなってじりじりと成績が後退した。最終的に初の規定打席に到達したものの、打率.246、83三振と、「飯原はもっと打てる」と起用し続けた古田の期待には応えきれなかった。しかし出塁した際はスピード感のあるプレーを見せ、青木宣親を上回りチーム最多の23盗塁を決めている。オフには「指定強化選手」に指名され、外野への再コンバートが行われた。また俊足を生かすためのスイッチヒッター転向も検討されていた。

2008年は長らく左翼手を務めていたアレックス・ラミレスの移籍で7番・左翼手として開幕。5月から一気に調子を落とし、福地寿樹にレギュラーの座を奪われる。その後は不振に陥りレギュラー落ちしたアーロン・ガイエルの代わりにライトに回った福地の代わりのレフトとして長らく川島慶三武内晋一と併用されていたが、6月後半から息を吹き返して7番に復帰。失速せずに調子を上げたことが認められ、青木宣親が五輪で離脱中は3番に抜擢される。長打も打てる存在として青木の復帰後は5番に定着した。最終的に2年連続で規定打席に到達し、打率.291、9本塁打とまずまずの成績を残した。

2009年は主に対左投手としての出番が多く、右投手が先発の場合はガイエルの出場機会が多く前年よりも出番が減少した。打率.250でありながらも本塁打での得点が多くなった。

2010年はガイエル・福地らの不調もあり、再びレギュラーに定着。リーグトップの19死球と厳しい攻めにあうものの自己最高の15本塁打を記録するなど、スラッガーとしての開花の兆しを見せた。一方で、チャンスの打席で凡退する場面が多く、例年高い数字を残していた得点圏打率がリーグワーストの.212に低迷。また、盗塁失敗も増え8盗塁に留まるなど、来季への課題も残した。

2011年は開幕からこれまでとは考えられない不振に陥り、1軍昇格と2軍降格を何度も繰り返していたが、結局調子が上向くことはなく、自己最低の成績でシーズンを終えた。なおCSファイナルステージ第2戦では本塁打を打ちチームの勝利に貢献した。

[編集] プレースタイル

打撃では2007年・2009年には打数のうち2割前後の三振数を記録。また2008年には.356、2009年にも規定打席未満ながら3割を記録した得点圏打率が2010年には.212と低迷する。

2007年序盤は特に三塁守備で失策がかさんだ。外野守備ではファインプレーを見せることもある。

2008年8月28日の対広島戦ではホームスチールに成功。また9月17日の対広島戦では2アウト一・三塁の場面で一塁ランナーであったが、盗塁を敢行しながらもわざと一・二塁間に挟まれ、タッチアウトになる前に三塁ランナーの青木宣親がホームインするというディレードスチールを見せた。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 ヤクルト 28 40 37 4 12 0 0 0 12 3 2 1 0 0 1 0 2 9 0 .324 .375 .324 .699
2007 136 467 418 56 103 19 4 8 154 32 23 4 21 2 18 0 8 83 9 .246 .289 .368 .658
2008 135 469 412 64 120 18 7 9 179 62 28 9 10 6 29 1 12 60 8 .291 .351 .434 .785
2009 94 198 180 26 45 8 0 6 71 23 11 2 1 0 10 1 7 40 6 .250 .315 .394 .709
2010 130 492 430 62 116 20 3 15 187 48 8 8 5 2 36 0 19 74 10 .270 .351 .435 .786
2011 64 122 103 6 13 4 0 0 17 8 0 0 4 1 14 1 0 20 7 .126 .229 .165 .394
通算:6年 587 1788 1580 218 409 69 14 38 620 176 72 24 41 11 108 3 48 286 40 .259 .323 .392 .715
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 年度別守備成績


二塁 三塁 遊撃 外野
















































2006 - - - 24 24 1 0 0 1.000
2007 1 1 2 0 0 1.000 118 71 197 18 11 .937 11 7 12 0 2 1.000 11 1 0 0 0 1.000
2008 - 5 4 4 1 0 .889 - 114 184 6 1 0 .995
2009 - - - 66 67 1 1 0 .986
2010 - - - 125 196 6 2 2 .990
2011 - - - 51 49 1 0 0 1.000
通算 1 1 2 0 0 1.000 123 75 201 19 11 .936 11 7 12 0 2 1.000 391 521 13 4 2 .993
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 表彰

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 46 (2006年 - 2007年)
  • 9 (2008年 - )

[編集] 関連情報

[編集] 出演番組

[編集] 関連項目

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