脇谷亮太

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脇谷 亮太
読売ジャイアンツ #023
YG-Ryouta-Wakiya.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県大分市
生年月日 1981年11月4日(30歳)
身長
体重
176cm
74kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト5巡目
初出場 2006年6月4日
年俸 2,600万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

脇谷 亮太(わきや りょうた、1981年11月4日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手内野手)。

ニックネームは「ワッキー」「ワキさん」。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

1981年に大分県で生まれる。父親が社会人野球チームの投手だったことから野球に興味を持ち、小学二年生の時に地元のチームで野球を始める。ポジションは当時からプロ入り後と同じく遊撃手・三塁手だった。柳ヶ浦高等学校時代は2年夏に甲子園出場。控えでベンチ入りも出番はなく、1回戦で松坂大輔を擁する横浜高校に敗れた。日本文理大学硬式野球部では四年次に主将を務め、2003年全日本大学野球選手権大会で大学日本一を経験、同大会MVPに輝いた。

卒業後は社会人野球NTT西日本に進み、俊足の三塁手として第31回社会人野球日本選手権大会で優秀選手賞に選ばれるなどの活躍を見せた。2005年の大学・社会人ドラフト5巡目で巨人に指名される。ドラフト会議の際、指名はないと思っていた脇谷はチームの通常練習に参加しており、慌てて会見場に向かう途中には「ドッキリカメラじゃないか」とユーモアも交えて感想を述べた。なお、同年のドラフトではNTT西日本から5人が指名されている[1]

[編集] プロ入り後

イースタン・リーグで8打席連続安打を記録し、2006年6月4日の対埼玉西武ライオンズ戦で、小久保裕紀に代わり1軍登録、即先発出場を果たした。9回裏に清水崇行がサヨナラ犠飛を放つが、そのきっかけとなった三塁打を放ち、チームの勝利に貢献した。8月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦では1番・二塁手でスタメン出場すると、5打数4安打の猛打賞の活躍を見せたほか、10月5日の対横浜ベイスターズ戦では土肥義弘からプロ初本塁打を放った。

2006年6月8日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、斉藤和巳完全試合ノーヒットノーランを阻止する投手内野安打を放ったが、直後に牽制でアウトとなり、結果的に打者27人の準完全試合を決められた。なお、翌2007年3月4日の対福岡ソフトバンクホークス戦(オープン戦)でも、9回2死の状況で完全試合を阻止するこの試合唯一の安打を放っている。シーズン後半は1番・二塁として固定され、2番・中堅の鈴木尚広と「ダブル1番」として出場していた[2]。この年は後半戦200打席超で、打率.270の好成績を残す。

2007年は主に二塁で木村拓也ルイス・A・ゴンザレスと併用された。同年9月26日の対中日ドラゴンズ戦では朝倉健太から逆転本塁打を放ち、勝利に貢献。クライマックスシリーズでは全試合にスタメン出場を果たすが、守備に精彩を欠いたため、全試合で途中交代となった。11月2日からの若手・中堅選手中心の秋季キャンプでは野手キャプテン・強化指定選手に指名されている。

2008年は木村の好調によって、脇谷の出番は大きく減少した。しかし、終盤では昨年見せた勝負強い打撃も発揮され、課題とされた守備に格段の進歩をみせたが、不振のシーズンに終わり年俸500万減(推定)で契約更改。木村・寺内崇幸の後塵を拝したシーズンとなった。それでも、日本シリーズでの対埼玉西武ライオンズ第5戦では、同点で迎えた7回表に涌井秀章から決勝の2点適時三塁打を放った。

2009年は木村の不振により二塁でスタメン起用される機会が増え、89試合で打率.268の成績を残した。9月28日にはプロ初となる3番で起用された。クライマックスシリーズ3回戦では、8回裏に浅尾拓也から代打逆転決勝2点適時二塁打を放ち、3打数1安打の成績ながらシリーズMVPを受賞した。脇谷は「3試合でトータル10分くらいしか試合に出ていないんですけどいいのかな、という気持ちです」とコメントしている。

2010年5月3日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、自身プロ入り初の満塁本塁打を放った。8月5日の対阪神タイガース戦では、15試合連続得点のセ・リーグ記録を達成。10月2日の対横浜ベイスターズ23回戦では、3回に内川聖一の三ゴロを捕球した事をきっかけに三重殺を達成。巨人としては2001年以来9年ぶりであった[3][4]。今季は自己最多の132試合に出場し、初めて規定打席に到達。打率.273・7本塁打・43打点。走塁技術にも磨きがかかり、リーグ最多の三塁打(8本)、チーム最多となる28盗塁(盗塁死は5)を記録した。一方で5月と9月は打率1割台と好不調の波が大きく、2番打者で起用された際にたびたびバントや進塁打を失敗するなど、多くの課題も残した。

2011年はプロ6年目で初の開幕スタメン(二番・セカンド)を勝ち取った[5]4月20日の阪神戦、7回裏二死1、3塁の場面で打者クレイグ・ブラゼルのセカンド後方へのフライを落球するも主審を欺く捕球アピールを行い、捕球したと判断した土山剛弘塁審はアウトの判定。誤審だとして阪神の真弓明信監督が激しく抗議したが判定は覆らなかった。テレビ中継で流れたVTRではボールが地面に落ちる様子が確認できたが、試合後に脇谷は「捕りましたよ。自分の中ではスレスレのところでやってますから。VTR?テレビの映りが悪いんじゃないですか」と含み笑いで主張したという報道がなされた[6][7]。そのため、脇谷のTwitterに批判のコメントが殺到する事態となり、他球団ファンからだけでなく巨人ファンからも批判を浴びた[8][9]。5月には打撃不振のために二軍で再調整を強いられ、その間に藤村大介に二塁手のレギュラーを奪われた。7月5日のヤクルト戦では右手有鉤骨を骨折し[10]、10月1日まで戦列を離れた。

シーズン終了後の11月21日に球団側から自由契約とすることが通知された[11]。同月24日には右ひじの靱帯再建手術を受けたことが発表された[12]。術後のリハビリは長期間に及ぶことが予想されている[13]。12月1日、巨人と育成選手として再契約したことが発表された[14]

[編集] プレースタイル

50m5秒7の俊足と遠投110メートルの肩の強さを持つ。セカンドまたはサードとして出場することが多いが、遊撃手一塁手もこなすことができ、内野4ポジションを守れるユーティリティープレイヤーである。社会人時代は三塁手、大学時代は二塁手を務めていた。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 巨人 60 226 215 22 58 7 2 1 72 11 4 3 1 0 8 1 2 42 1 .270 .302 .335 .637
2007 91 188 177 28 50 6 5 1 69 14 8 1 3 0 5 1 3 30 3 .282 .314 .390 .703
2008 56 130 120 15 25 5 2 1 37 8 4 2 3 0 7 0 0 32 0 .208 .252 .308 .560
2009 89 245 231 26 62 7 2 2 79 16 5 3 1 0 10 1 3 52 0 .268 .307 .342 .649
2010 132 459 414 65 113 14 8 7 164 43 28 5 6 1 35 4 3 80 5 .273 .333 .396 .729
2011 53 167 154 12 27 3 2 0 34 10 7 2 4 1 6 1 2 24 0 .175 .215 .221 .436
通算:6年 481 1415 1311 168 335 42 21 12 455 102 56 16 18 2 71 8 13 260 9 .256 .300 .347 .647
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 年度別守備成績


一塁 二塁 三塁 遊撃
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2006 - 47 117 144 7 22 .974 9 6 9 0 1 1.000 -
2007 - 57 94 116 3 16 .986 18 5 7 0 0 1.000 2 0 4 0 0 1.000
2008 - 21 25 42 0 9 1.000 32 13 44 3 6 .950 -
2009 - 53 89 120 3 25 .986 40 15 38 2 7 .964 1 1 0 0 0 1.000
2010 - 78 150 196 3 48 .991 67 38 79 4 4 .967 -
2011 11 61 4 0 4 1.000 28 61 74 2 19 .985 17 6 14 1 1 .952 -
通算 11 61 4 0 4 1.000 284 536 692 18 139 .986 183 83 191 10 19 .965 3 1 4 0 0 1.000
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 表彰

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 57 (2006年)
  • 23 (2007年 - 2011年)
  • 023 (2012年 - )

背番号23を背負うこととなったのは「同学年で同じ1番打者の青木宣親を目標して活躍してほしい」という原辰徳の期待がこめられている(後に青木は1に変更)[15]

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

  1. ^ 夢のプロへ! 大量5人が指名されたNTT西日本(スポーツナビ 2005年11月18日)
  2. ^ ダブル1番という構想は開幕前から原辰徳監督が起用法として口にしていたが、この形に落ち着くまで40数通りの組み合わせを試みている。
  3. ^ 巨人では9年ぶりの三重殺!脇谷「本当かよ」スポーツニッポン 2010年10月2日
  4. ^ 巨人では9年ぶり三重殺!脇谷もニッコリサンケイスポーツ 2010年10月2日
  5. ^ 初の開幕スタメン/脇谷亮太選手(asahi.com 2011年04月18日)
  6. ^ ポロリ?も判定アウトに!巨人に幸運の女神(スポニチアネックス、2011年4月21日)
  7. ^ 真弓監督“誤審”に激怒 監督通算150勝目お預け…阪神スポーツ報知 2011年4月21日
  8. ^ 巨人・脇谷の暴言でツイッターが炎上 “お前を一生許さん”(Sports Watch、2011年4月21日)
  9. ^ 世紀の大誤審招いた“ウソつき男”巨人・脇谷内野手に大バッシング!Exciteニュース、2011年4月22日
  10. ^ 巨人・脇谷、骨折で登録外れるmsn産経ニュース 2011年7月6日
  11. ^ 脇谷選手ら7人を自由契約に読売巨人軍公式ホームページ 2011年11月21日
  12. ^ 脇谷が右肘手術スポーツ報知 2011年11月24日
  13. ^ 【巨人】脇谷「メド今は全然立たない…」日刊スポーツ 2011年11月30日
  14. ^ 脇谷選手と育成契約読売巨人軍公式ホームページ 2011年12月1日
  15. ^ 「週刊ベースボール」2010、vol.24 P45

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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