脇谷亮太
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| 読売ジャイアンツ #23 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大分県大分市 |
| 生年月日 | 1981年11月4日(27歳) |
| 身長 体重 |
176cm 74kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| 守備位置 | 内野手(二塁手、三塁手、遊撃手) |
| プロ入り | 2005年 大学生・社会人ドラフト5巡目 |
| 初出場 | 2006年6月4日 |
| 年俸 | 1,900万円 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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脇谷 亮太(わきや りょうた、1981年11月4日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手。読売ジャイアンツ所属の内野手(二塁手・三塁手、遊撃手)。
ニックネームは「ワッキー」(高い身体能力と、苗字が脇谷であることから)
目次 |
[編集] 経歴
柳ヶ浦高等学校2年夏に甲子園出場。控えでベンチ入りも出番はなく、1回戦で松坂大輔擁する横浜高校に敗戦。
2003年、日本文理大学が全日本大学野球選手権大会で大学日本一になった時の主将である。
2005年、NTT西日本から巨人にドラフト5巡目で入団。イースタン・リーグで8打席連続安打を記録するなど活躍し、2006年6月4日の西武ライオンズ戦に怪我で離脱した小久保裕紀に変わり一軍登録、即先発出場を果たした。9回裏に清水隆行のサヨナラ犠飛のきっかけとなった三塁打を放ち、チームの勝利に貢献した。ヒーローインタビューでは、サヨナラ犠飛を打った清水が「脇谷が一生懸命走ってくれたので」と繰り返し、脇谷が照れ笑いする場面が映し出された。8月15日の東京ドーム対東京ヤクルトスワローズ戦では1番・セカンドでスタメン出場し、5打数4安打の猛打賞の活躍を見せ、プロ入り初のお立ち台を経験した。10月5日の横浜ベイスターズ最終戦(東京ドーム)で土肥義弘からプロ初本塁打。
2006年6月8日の福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)で、斉藤和巳の完全試合を阻止する投手内野安打を放つ。しかし牽制でアウトにされ、結果的に打者27人の準完全試合を決められるが、脇谷が放ったのは安打であるため、ノーヒットノーランも阻止した事になる。2007年3月4日のソフトバンク戦(オープン戦)でも、9回2死まで完全試合ペースだったが、再びこれを阻止するこの試合唯一の安打を放っている。
2006年のシーズン後半は1番・二塁としてスタメンに固定され、2番・中堅の鈴木尚広と「ダブル1番」として出場していた(ダブル1番という構想は開幕前から度々原辰徳監督が起用法として口にしていたものであるが、40数通りの組み合わせを経てようやくこの組み合わせに落ち着いた)。この年は後半戦200打席超で打率.270の好成績を残す。
2007年は主に二塁で木村拓也、ルイス・ゴンザレスと併用された。同年9月26日の中日ドラゴンズ戦では朝倉健太から逆転2ランホームランを放ち、勝利に貢献。試合後のファンへのヒーローインタビューでは、「優勝しまーす!応援してくださーい!!」と締めくくった。中日とのクライマックスシリーズでは全試合にスタメン出場を果たすが、守備に精彩を欠き全試合で途中交替となった。11月2日からの若手・中堅選手中心の秋季キャンプでは野手キャプテン・強化指定選手に指名されている。
2008年、春季キャンプで「ポスト二岡」として遊撃手の坂本勇人が台頭。脇谷もアピールを見せるが、オープン戦後半の息切れが響き、二塁の守備も無難にこなす坂本がスタメン出場した。終盤では昨年見せたような勝負強い打撃も発揮、課題とされた守備に格段の進歩をみせたが、不振のシーズンに終わり年俸500万減(推定)で契約更改。本来の遊撃手に戻った坂本、実質的な正二塁手の木村、シーズン中盤以降急速に成長した寺内崇幸の後塵を拝したシーズンとなった。
2009年 7月9日横浜12回戦で、寺原隼人から人生初の逆方向への本塁打を打った。
[編集] プレースタイル
- 遠投110メートル、50m5秒7の身体能力を生かした守備走塁と、大一番での勝負強い打撃が武器。レギュラー候補と期待されているが、現在は二塁を中心に内野のユーティリティープレーヤーをつとめている。控え選手に必要なチームバッティングや、守備走塁技術は身に付けつつあるが、左投手を不得手としていることやバントミスの多さ、淡白な打撃を課題としている。
- 社会人野球時代は三塁手で、二塁手は大学時代のポジション。初スタメン出場となった2006年6月4日の西武ライオンズ戦では、小久保の代役として7番三塁手でスタメン出場した。
俊足に加えて強肩で守備範囲は広く、再三チームを救ってきた。また、日本シリーズで遊撃手としても出場した。
[編集] エピソード
- 打席に入る時のBGM(出囃子)は2009年シーズン現在は湘南乃風の『親友よ』。2008年シーズンはEXILEの『銀河鉄道999』。2006年シーズンはケツメイシの『さくら』。2007年シーズン前半はFUNKY MONKEY BABYSの『Lovin’Life』、2007年シーズン後半から2008年シーズン開幕直後まではASIAN2の『COUNTRY ROAD』。
- 全日本大学野球選手権大会で大学日本一になった際には青木宣親の他、田中浩康、武内晋一、越智大祐、鳥谷敬ら後にプロ入りした選手8人を擁する早稲田大学を相手に勝利を収めている。2007年からは青木と同じ背番号「23」を背負うこととなったのは、同学年でなおかつ同じ1番バッターの青木をライバル・目標と置くため。出身地も大分・宮崎と近い。
- 脇谷自身は「雲の上の人であっても目標は高いほうが良い」と小笠原を目標に設定している。小笠原にはアドバイスを聞いたりしているそうである。
- 吉川輝昭は大学時代のチームメイト。山口俊は高校の後輩に当たる。
- 定食屋で店員を呼ぶときになぜか「いらっしゃいませ!」と叫んでいた事をチームメイトに暴露されたことがある。
- 元木大介のエキサイトサタデー内で、元木大介から「二代目曲者」を襲名された。
- 2007年リーグ優勝決定後の祝賀会(ビールかけ)で、セーラー服に「勝利の女神」と書かれたタスキをかけた女子高生コスプレで登場し、周囲を笑わせた。これは、チームメイトにして球界の先輩である木村拓也に着させられたとの事。
- お笑いコンビはんにゃの川島章良に似ている。
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2006 | 巨人 | 60 | 226 | 215 | 22 | 58 | 7 | 2 | 1 | 72 | 11 | 4 | 3 | 1 | 0 | 8 | 1 | 2 | 42 | 1 | .270 | .302 | .335 | .637 |
| 2007 | 91 | 188 | 177 | 28 | 50 | 6 | 5 | 1 | 69 | 14 | 8 | 1 | 3 | 0 | 5 | 1 | 3 | 30 | 3 | .282 | .314 | .390 | .704 | |
| 2008 | 56 | 130 | 120 | 15 | 25 | 5 | 2 | 1 | 37 | 8 | 4 | 2 | 3 | 0 | 7 | 0 | 0 | 32 | 0 | .208 | .252 | .308 | .560 | |
| 通算:3年 | 207 | 544 | 512 | 65 | 133 | 18 | 9 | 3 | 178 | 33 | 16 | 6 | 7 | 0 | 20 | 2 | 5 | 104 | 4 | .260 | .290 | .348 | .638 | |
- 2008年度シーズン終了時
[編集] 個人記録
- 初出場:2006年6月4日・対西武6回戦(セ・パ交流戦)・東京ドーム
- 初安打:2006年6月4日・対西武6回戦(セ・パ交流戦)・東京ドーム (西口文也から)
- 初本塁打:2006年10月5日・対横浜22回戦・東京ドーム(土肥義弘から)
[編集] 背番号
- 57 (2006年)
- 23 (2007年 - )
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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