デーブ・ヒルトン (野球)
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | テキサス州ウバルデ郡 |
| 生年月日 | 1950年9月15日(62歳) |
| 身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 190 lb =約86.2 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 二塁手、遊撃手、三塁手 |
| プロ入り | 1971年 MLBドラフト1巡目 |
| 初出場 | MLB / 1972年9月10日 NPB / 1978年4月1日 |
| 最終出場 | MLB / 1975年4月27日 NPB / 1980年5月7日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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監督・コーチ歴
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この表について
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ジョン・デービッド・ヒルトン(John David Hilton, 1950年9月15日 - )ことデーブ・ヒルトンは、アメリカ合衆国テキサス州ウバルデ郡出身の元プロ野球選手(内野手)。
目次 |
来歴・人物 [編集]
1971年のMLBドラフトでサンディエゴ・パドレスに指名され契約。1972年9月10日の対アトランタ・ブレーブス戦(サンディエゴ・スタジアム)で、7番・三塁手として先発出場しメジャーデビューを果たし、5回裏にロン・リードからセンター前にメジャー初安打を放った。
1978年に春季キャンプでヤクルトスワローズのテストを受けて合格し、入団。主に1番を打ち、開幕から首位打者を争うほど高い打率を残し、ヤクルトの球団創設初優勝、そして日本一に貢献。初回先頭打者本塁打シーズン8本は2007年に高橋由伸が9本を記録するまで史上最多記録だった(右打者としては1986年の石毛宏典・1999年の緒方孝市と並び最多タイ記録)。
背中を屈めた極端なクラウチングスタイルの打撃フォームが特徴の選手だった。常に全力疾走するなど気迫あふれるプレーを見せた。守備面ではスローイングに難があり、当初のポジションは遊撃手だったがシーズン途中で二塁手にコンバートされている。
1978年の阪急ブレーブスとの日本シリーズの第4戦、4-5とリードされた9回表2アウト一塁の場面で、今井雄太郎から逆転2ランを放った。これは、シリーズの流れを変えた本塁打と絶賛され、同年の日本シリーズのハイライトの一つに挙げられる。
1979年は成績が低迷してオフに自由契約となるが、阪神タイガース監督のドン・ブレイザーが獲得を希望し入団する。しかし、阪神には1979年のドラフト会議で大阪出身の早稲田大学・岡田彰布が指名を受けて入団しており、ファンは岡田の起用を強く望んでいた。1980年のシーズン開幕後から、ブレイザーはヒルトンを起用するが、ブレイザーは岡田の起用を望むファンやマスコミから総攻撃を受け、ヒルトンもそのあおりを受けて打席に立つたびに岡田コールやヤジを浴びせられることとなる。結局、ヒルトンは打撃不振でシーズン途中で解雇され、ブレイザーも解任された。
帰国後は1980年シーズン途中から1982年までピッツバーグ・パイレーツ傘下(当時)のAAA級ポートランドでプレーした。
引退後は台湾球界で指導者となる。1999年はシーズン終盤のみではあるが高屏雷公でコーチを務め、2000年と2002年は嘉南勇士の監督を務めた。
作家の村上春樹が自著『走ることについて語るときに僕の語ること』にて、1978年4月1日に神宮球場でヤクルト対広島を観戦した際、ヒルトンが先頭打者として二塁打を放った際に小説を書くためのひらめきがあったと述べている。
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972 | SD | 13 | 51 | 47 | 2 | 10 | 2 | 1 | 0 | 14 | 5 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 6 | 0 | .213 | .260 | .298 | .558 |
| 1973 | 70 | 258 | 234 | 21 | 46 | 9 | 0 | 5 | 70 | 16 | 2 | 1 | 4 | 0 | 19 | 6 | 1 | 35 | 4 | .197 | .260 | .299 | .559 | |
| 1974 | 74 | 234 | 217 | 17 | 52 | 8 | 2 | 1 | 67 | 12 | 3 | 5 | 3 | 1 | 13 | 1 | 0 | 28 | 5 | .240 | .281 | .309 | .590 | |
| 1975 | 4 | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 1978 | ヤクルト | 128 | 568 | 501 | 76 | 159 | 37 | 1 | 19 | 255 | 76 | 6 | 6 | 6 | 6 | 48 | 2 | 7 | 75 | 9 | .317 | .381 | .509 | .890 |
| 1979 | 105 | 432 | 399 | 59 | 103 | 14 | 3 | 19 | 180 | 48 | 1 | 1 | 5 | 2 | 25 | 0 | 1 | 65 | 7 | .258 | .302 | .451 | .753 | |
| 1980 | 阪神 | 18 | 75 | 71 | 8 | 14 | 1 | 1 | 0 | 17 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 12 | 1 | .197 | .240 | .239 | .479 |
| MLB:4年 | 161 | 551 | 506 | 40 | 108 | 19 | 3 | 6 | 151 | 33 | 6 | 6 | 8 | 1 | 35 | 7 | 1 | 69 | 10 | .213 | .265 | .298 | .564 | |
| NPB:3年 | 251 | 1075 | 971 | 143 | 276 | 52 | 5 | 38 | 452 | 128 | 7 | 7 | 11 | 8 | 76 | 2 | 9 | 152 | 17 | .284 | .347 | .465 | .812 | |
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰 [編集]
- NPB
記録 [編集]
- NPB
- 初出場・初先発出場:1978年4月1日、対広島東洋カープ1回戦(明治神宮野球場)、1番・遊撃手として先発出場
- 初打席・初安打:同上、1回裏に高橋里志から二塁打
- 初本塁打・初打点:1978年4月2日、対広島東洋カープ2回戦(明治神宮野球場)、2回裏に池谷公二郎から左越逆転3ラン
- オールスターゲーム出場:1回 (1978年)
背番号 [編集]
- 18 (1972年 - 1973年)
- 8 (1974年)
- 10 (1975年)
- 3 (1978年 - 1979年)
- 42 (1980年)
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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