八重樫幸雄

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八重樫 幸雄
基本情報
国籍 日本
出身地 宮城県仙台市
生年月日 1951年6月15日(58歳)
身長
体重
180cm
92kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 捕手
プロ入り 1969年 ドラフト1位
初出場 1971年5月26日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
監督・コーチ歴

八重樫 幸雄(やえがし ゆきお、1951年6月15日 - )はヤクルトスワローズに在籍していたプロ野球選手である。現役時代のポジションは捕手宮城県仙台市出身。

目次

[編集] 来歴・人物

仙台商業高等学校から1970年、ドラフト1位でヤクルトアトムズに入団。視力の低下で眼鏡をかけており控え暮らしが長かったが、同期入団(大学出)の大矢明彦の衰えが目立つと正捕手に座る。元来打撃には定評があり、中西太打撃コーチとの二人三脚で編み出したグリップを下げ投手と完全に正対するくらい極端なオープンスタンスで入団16年目の1985年には打率3割をマークして念願のベストナインに輝く。秦真司が正捕手に定着すると、右の代打の切り札的存在になる。1993年には一軍バッテリーコーチ兼任となり、この年限りで現役引退。実働24年、42歳まで現役を続けた。

引退後は1994年1995年ヤクルト二軍バッテリーコーチ、1996年一軍バッテリーコーチ、1997年1998年二軍監督(バッテリーコーチも兼任)、1999年2008年一軍打撃コーチを務め、入団以来40年間近くヤクルト一筋である。2009年からはコーチの職を離れスカウトに就任(東北・関東地区担当)。

[編集] 背番号

  • 28(1970年〜1993年)
  • 77(1994年〜2008年)

[編集] エピソード

  • “東北球界始まって以来の大型捕手”と評されたが、別所毅彦監督は即座に外野転向を指令。さらに1971年から指揮を執った三原脩監督には三塁へのコンバートを命じられた。大型捕手を内外野に移そうとした最大の理由は同期入団で大学出の大矢の存在があり、正捕手不在のチームは鉄砲肩の即戦力捕手を起用することになり育成に時間のかかる高校出の捕手に構っていられる時間はなかった為である。若手のころは細身でフットワークのいい俊足の選手で、天性のバッティングセンスを生かすために首脳陣はコンバートを急いだ。その為、投手以外のポジションは全部やったという。
  • 初優勝した1978年、ケガで戦列を離れ一軍に復帰し試合前の打撃練習で打席に入ろうとした時、広岡達朗監督から「お前は打たなくていい」という一言で戦力として扱われていない悔しさを味わい、そこからバッティングフォームを研究。1971年〜1973年に在籍していた中西打撃コーチが1983年に再就任すると、二人三脚で極端なオープンスタンスの構えを会得した。その独特のオープンスタンスは普通に構えると投手が眼鏡の縁にかかって視界から外れてしまうのでこれを回避するため、編み出されたものである。なお現役を引退し、コーチになってからは眼鏡をしていない。
  • SMAP中居正広が番組で度々このしぐさを真似していた。また、それは八重樫打法とも呼ばれる。
  • 1977年9月3日巨人王貞治が756号本塁打を放ったときの捕手。ライトスタンド側から撮影された王がバンザイしている写真に、しゃがみこんだままライトスタンドを見つめる幸雄も写っている。
  • 初めて100試合以上に出場したのは入団15年目の1984年で、監督推薦でオールスターにも初出場。選出直後の7月15日、巨人17回戦(後楽園)でファウルチップで右手人さし指にひびが入るケガをしたが「代打ならいける」と強行出場した。
  • 通算100本塁打到達までのスロー記録(所要在籍年数で1位タイ)を持っている。1990年6月22日、21年目での大台達成だった(所要出場試合数での1位は、2009年7月4日達成の石井琢朗で2202試合…所要在籍年数では幸雄と並んだ)。前年夏から用意されていた花束は生花から造花に変わっていたという。ホームランが出ても出迎えることのない野村克也監督が「お祝いごとやからな」と特別にベンチから出てきた。
  • 仙台出身のため、2004年東北楽天ゴールデンイーグルス発足時の初代監督候補として噂された。
  • 南米に旅行に行った際、移動の際の飛行機にトイレが原因で乗り遅れたがこの飛行機が墜落し九死に一生を得ている事を週刊ベースボール上で明かした。
  • ヤクルトのマスコット・つば九郎と仲が良い。試合後にはよく飲みに行くらしい。つば九郎の著書『つば九郎のおなか』で、インタビューを行った。
  • 今年から( 2009年)酒を辞めて15kg痩せた。その八重樫の痩せた姿を見て川島慶三は「別人みたいですね!」と発言している。

[編集] 年度別打撃成績

年度 チーム 背番
試合 打席 打数 得点 安打 二塁
三塁
本塁
打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
1970年 ヤクルト 28 一軍出場なし
1971年 7 12 11 0 2 0 0 0 0 0 0 0 1 0 4 .182
1972年 38 48 46 4 9 2 1 1 7 0 2 0 8 2 16 .196
1973年 20 21 17 0 0 0 0 0 1 0 0 1 2 1 5 .000
1974年 8 12 10 2 2 0 0 1 1 0 0 0 2 0 5 .200
1975年 29 40 33 2 6 1 0 1 1 0 1 0 5 1 11 .182
1976年 36 61 54 7 10 2 0 1 1 0 0 0 6 1 21 .185
1977年 60 191 176 24 47 9 0 6 18 0 2 0 11 2 48 .267
1978年 22 68 60 4 11 1 0 1 3 0 1 0 6 2 15 .183
1979年 74 203 173 24 36 3 0 10 27 0 2 1 18 9 55 .208
1980年 63 124 113 12 24 7 0 3 13 1 0 0 6 5 35 .212
1981年 71 183 164 8 28 2 0 3 15 0 2 1 13 3 42 .171
1982年 73 212 186 11 34 6 0 5 14 0 1 1 22 2 47 .183
1983年 97 294 264 27 67 8 1 16 45 0 3 3 20 4 43 .254
1984年 124 447 398 50 100 19 2 18 58 1 4 4 39 2 76 .251
1985年 120 481 427 57 130 28 3 13 68 2 6 4 42 2 72 .304
1986年 119 400 365 26 79 11 0 6 23 0 7 4 21 3 86 .216
1987年 120 437 400 35 112 18 1 9 47 2 5 5 24 3 69 .280
1988年 53 102 92 7 24 5 0 2 11 0 0 1 9 0 17 .261
1989年 55 58 49 4 17 2 0 3 17 0 0 0 8 1 11 .347
1990年 54 88 78 6 14 2 0 2 13 0 0 0 8 2 10 .179
1991年 38 38 33 0 9 1 0 0 7 0 0 0 5 0 5 .273
1992年 36 38 33 1 8 2 0 1 9 0 0 3 2 0 6 .242
1993年 31 31 25 1 4 0 0 1 2 0 0 0 6 0 5 .160
通算成績 1348 3600 3207 312 773 129 8 103 401 6 36 28 284 45 704 .241

[編集] 関連項目

先代:
若松勉(1995年〜1996年)
ヤクルトスワローズ二軍監督
(1997年〜1998年)
次代:
小川淳司(1999年〜2007年)