1968年の野球

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競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

セントラル・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 読売ジャイアンツ 77 53 4 .592 -
2位 阪神タイガース 72 58 3 .554 5.0
3位 広島東洋カープ 68 62 4 .523 9.0
4位 サンケイアトムズ 64 66 4 .492 13.0
5位 大洋ホエールズ 59 71 3 .454 18.0
6位 中日ドラゴンズ 50 80 4 .385 27.0
パシフィック・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 阪急ブレーブス 80 50 4 .615 -
2位 南海ホークス 79 51 6 .608 1.0
3位 東京オリオンズ 67 63 9 .515 13.0
4位 近鉄バファローズ 57 73 5 .438 23.0
5位 西鉄ライオンズ 56 74 3 .431 24.0
6位 東映フライヤーズ 51 79 5 .392 29.0

日本シリーズ[編集]

  • 読売ジャイアンツ (4勝2敗) 阪急ブレーブス

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 長嶋茂雄 巨人   米田哲也 阪急  
最優秀新人 高田繁 巨人   該当者なし  
首位打者 王貞治 巨人 .326 張本勲 東映 .336
本塁打王 王貞治 巨人 49本 野村克也 南海 38本
打点王 長嶋茂雄 巨人 125点 G.アルトマン 東京 100点
最多安打 長嶋茂雄 巨人 157本 G.アルトマン 東京 170本
盗塁王 古葉竹識 広島 39個 安井智規 近鉄 54個
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
王貞治 巨人 275個 張本勲 東映 .437
最優秀防御率 外木場義郎 広島 1.94 皆川睦男 南海 1.61
最多勝利 江夏豊 阪神 25勝 皆川睦男 南海 31勝
最多奪三振 江夏豊 阪神 401個 鈴木啓示 近鉄 305個
最高勝率 島田源太郎 大洋 .700 村上雅則 南海 .818

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 江夏豊 阪神 皆川睦男 南海
捕手 森昌彦 巨人 野村克也 南海
一塁手 王貞治 巨人 榎本喜八 東京
二塁手 土井正三 巨人 D.ブレイザー 南海
三塁手 長嶋茂雄 巨人 国貞泰汎 南海
遊撃手 黒江透修 巨人 阪本敏三 阪急
外野手 江藤愼一 中日 G.アルトマン 東京
D.ロバーツ サンケイ 土井正博 近鉄
山内一弘 広島 張本勲 東映

オールスターゲーム[編集]

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

4月[編集]

  •  4月3日 - プロ野球のオーナー会議が開かれ、欠員中のコミッショナー委員会の後任に中松潤之助の就任を正式決定[4]
  • 4月29日 - 交通事故で入院していたパ・リーグ会長の松浦晋が入院先の病院で死去[5]
  • 4月30日 - パ・リーグは緊急の理事会を開き、パ・リーグ会長の松浦晋が死去したため、近鉄の球団代表の芥田武夫が当面の間会長代行を詰めることを決定[6]

5月[編集]

6月[編集]

  • 6月21日 - 南海の広瀬叔功が日生球場での対近鉄11回戦の7回表に二塁盗塁を決め、プロ通算400盗塁を達成[10]
  • 6月23日 - 巨人の金田正一が広島球場での対広島11回戦に6回表から登板し、プロ通算907試合となりMLB記録のサイ・ヤングの906試合の記録を抜く[11]
  • 6月25日 - 中日の杉下監督とチーフコーチの近藤貞雄がチームの成績不振を理由に休養。代理監督に2軍チーフコーチの本多逸郎[12]

7月[編集]

  • 7月1日 - パ・リーグのオーナー懇談会が東京・丸の内のパレスホテルで開かれ、パ・リーグの会長に阪急の球団代表の岡野佑を選ぶ[13]。岡野の就任はシーズン終了後からの就任とする。
  • 7月12日 - 南海野村克也が東京球場での対東京戦の3回表に15号本塁打を放ち、プロ野球史上初の通算400号本塁打を達成[14]
  • 7月21日 - 東京の榎本喜八が東京球場での対近鉄17回戦の1回裏に二塁打を放ち、プロ通算2000本安打を達成[15]

8月[編集]

  • 8月4日 - 東映は監督の大下弘が休養し、一軍打撃コーチの飯島滋弥が監督代行となったことを発表[16]
  • 8月22日 - 第五十回全国高校野球選手権大会の決勝戦が行われ、興国高校が静岡商業に1-0で勝利し初優勝[17]

9月[編集]

10月[編集]

  • 10月6日 - 南海の皆川睦雄が30勝目を挙げる(この年31勝で最多勝)。これ以降、日本プロ野球ではシーズン30勝を挙げた投手は出ておらず、皆川が最後の30勝投手となっている[26]
  • 10月8日 - 巨人が後楽園球場での対広島戦ダブルヘッダーで2勝し、4年連続セ・リーグ優勝を決める[27]
  • 10月10日 - ワールド・シリーズの第7戦がブッシュ・スタジアムで行われ、タイガースがカージナルスを4-1と下し、タイガースが対戦成績を4勝3敗としてワールド・チャンピオンに。
  • 10月11日 - 阪急が対東京戦で延長11回に矢野清のサヨナラ本塁打で勝利、その直後に南海が近鉄に4-6と敗戦し、阪急が2年連続パ・リーグ優勝決定[28]
  • 10月19日 - 南海監督の鶴岡一人が[29]オーナーの川勝伝、球団社長の新山滋に辞任を申し出て了承される。
  • 10月20日 - 日本シリーズの第6戦が行われ、巨人が阪急を7-5で破り、4勝2敗で阪急を下して、4年連続日本一を達成[30]
  • 10月21日
    • プロ野球最優秀選手にセ・リーグは長嶋茂雄、パ・リーグは米田哲也が選出される[31]
    • 最優秀選手にセ・リーグは高田繁が選出、パ・リーグは「該当者なし」[31]
    • 沢村賞に阪神の江夏豊が選出される[32]
    • 東映は新監督に松木謙治郎が就任したと発表[33]
  • 10月23日
    • 南海は新監督にヘッド・コーチの飯田徳治が昇格したと発表[34]
    • 阪急は球団代表の岡野佑がパ・リーグ会長に就任するのに伴い、岡野の後任に阪急電鉄運輸部長の渓間秀典が就任すると発表[35]

11月[編集]

  • 11月2日 - パ・リーグは岡野佑の会長就任を正式発表。
  • 11月14日 - 中日は午後4時より名古屋市内の中日パレスで記者会見し、新監督に水原茂が就任したと発表。水原が名古屋市内の球団事務所を訪れて球団幹部と最終的な話し合いを行い、監督就任に合意し、その後発表[36]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 朝日新聞1968年1月18日13面「中日の西沢監督辞任 後任候補、杉下氏ら 今月中に決定」朝日新聞縮刷版1968年1月p459
  2. ^ 読売新聞1968年1月19日11面「放棄試合の制裁金 二千万以下などをセ・リーグきめる」
  3. ^ 読売新聞1968年1月21日9面「田中勉、中日入り 広野とトレードが成立」
  4. ^ 読売新聞1968年4月4日10面「コミッショナー委員に中松氏」
  5. ^ 読売新聞1968年4月29日夕刊11面
  6. ^ 読売新聞1968年5月1日9面「近鉄・芥田代表が会長代行 パ・リーグ」
  7. ^ 読売新聞1968年5月6日11面「広瀬(南海)千五百本安打」
  8. ^ 読売新聞1968年5月16日11面「米田、奪三振二千五百個」
  9. ^ 読売新聞1968年5月28日11面「4試合連続完封勝ち ド軍のドライスデール」
  10. ^ 読売新聞1968年6月22日11面「広瀬が通算四百盗塁」
  11. ^ 読売新聞1968年6月24日11面「金田、907試合登板 大リーグ記録破る」
  12. ^ 朝日新聞1968年6月26日13面「杉下中日監督が休養 代理には本多コーチ」朝日新聞縮刷版1968年6月p761
  13. ^ 読売新聞1968年7月2日11面「パ・リーグ会長に岡野死 今季終了後に就任」
  14. ^ 読売新聞1968年7月13日11面「野村、球史初の四百号 プロ入り15年目で達成」
  15. ^ 読売新聞1968年7月22日11面「榎本(東京)が二千本安打」
  16. ^ 読売新聞1968年8月5日11面「大下監督 ついに休養 東映 代理監督に飯島コーチ」
  17. ^ 朝日新聞1968年8月22日夕刊1面「興国、初優勝を飾る 全国高校野球 静岡商、1点を返せず」朝日新聞縮刷版1968年8月p627
  18. ^ 読売新聞1968年9月3日11面「近藤和が千五百安打」
  19. ^ ベースボールマガジン2012年11月号72ページ
  20. ^ 読売新聞1968年9月16日夕刊「カージナルス優勝 米のナ・リーグ」
  21. ^ 読売新聞1968年9月18日10面「タイガース優勝 ア・リーグ 23年ぶり8度目」
  22. ^ 北原遼三郎『完全試合 15人の試合と人生』東京書籍、1995年、p266-p287
  23. ^ 読売新聞1968年9月19日15面「甲子園で乱闘騒ぎ 巨人ー阪神戦 投球めぐり試合中断」
  24. ^ 読売新聞1968年9月21日11面「小野(中日)が奪三振二千」
  25. ^ 読売新聞1968年9月22日9面「米田、救援で250勝目(通算)」
  26. ^ ベースボールマガジン2011年9月号30ページ
  27. ^ 読売新聞1968年10月9日1面「巨人が四年連続優勝 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1968年10月p237
  28. ^ 読売新聞1968年10月12日1面「阪急2年連続優勝 パ・リーグ」読売新聞縮刷版1968年10月p333
  29. ^ 読売新聞1968年10月20日8面「鶴岡監督(南海)が辞任 後任は内部昇格の線」読売新聞縮刷版1968年10月p580
  30. ^ 読売新聞1968年10月21日1面「巨人 四年連続日本一 日本シリーズ」読売新聞縮刷版1968年10月p601
  31. ^ a b 読売新聞1968年10月22日11面「プロ野球最優秀選手 長島(4回目)と米田(初めて)新人王に高田 パは該当なし」読売新聞縮刷版1968年10月p639
  32. ^ 読売新聞1968年10月22日11面「沢村賞は江夏」読売新聞縮刷版1968年10月p639
  33. ^ 読売新聞1968年10月22日11面「東映監督に松木氏」読売新聞縮刷版1968年10月p639
  34. ^ 読売新聞1968年10月22日11面「南海監督 飯田コーチ昇格」読売新聞縮刷版1968年10月p699
  35. ^ 読売新聞1968年10月22日11面「阪急代表、渓間氏にきまる」読売新聞縮刷版1968年10月p699
  36. ^ 読売新聞1968年11月15日8面「中日、水原監督を発表 早くも来シーズン構想」