木田優夫
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| 木田 優夫 東京ヤクルトスワローズ No.42 |
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 東京都国分寺市 |
| 生年月日 | 1968年9月12日(39歳) |
| 身長 体重 |
188cm 95kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1986年 ドラフト1位 |
| 初出場 | NPB / 1989年4月17日 MLB / 1999年4月6日 |
| 経歴 | |
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木田 優夫(きだ まさお、1968年9月12日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。
五十嵐章人(現福岡ソフトバンクホークス二軍コーチ)は従兄にあたる(木田の父と五十嵐の父が兄弟)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
国分寺五中では関東代表として台湾に遠征。日本大学明誠高等学校を経て1986年にドラフト1位で読売ジャイアンツに入団(亜大-近鉄の阿波野秀幸のはずれ1位)。速球派の先発投手として活躍し、1990年には12勝を挙げて最多奪三振のタイトルを獲得、オールスターゲームにも監督推薦で出場した。1997年に右ヒジを手術し同年オフ野村貴仁とのトレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍し、抑え投手として16セーブを記録。
1998年オフにFA権を行使してデトロイト・タイガースに入団。日本人メジャーリーガーとなった。3A降格を機に2000年6月にオリックスで日本球界に復帰。2001年に自由契約となり、数球団の入団テストを受けるも不合格。腰痛治療のため2002年は球団に所属せず。2003年にロサンゼルス・ドジャースに入団、2003年3月には交通事故により全治6週間の重傷を負うも同年8月にはメジャーに昇格した。2004年9月にシアトル・マリナーズに移籍。
2005年はメジャーでは1試合しか登板できず自由契約となり、同年オフ、古田敦也新監督の意向もあり東京ヤクルトスワローズに入団。中継ぎで活躍し、監督推薦で16年ぶり2回目のオールスターゲーム出場。16年間のブランクは歴代最長記録である。
選手活動のかたわら、神宮球場やロサンゼルスで子供達への野球教室を開き、また私財を投じてスワローズクラブハウス前にファン用テントを設置したり、スワローズの広告を外装した都営バス1台の運行を2008年3月に手配する[1]など、様々なファンサービスに取り組んでいる。
[編集] エピソード
- 高校球児時代は甲子園大会に出場経験はなく、無名の高校生だった。ドラフトで巨人の1位指名を受け、1日にして超有名人になったのだが、実はドラフト会議の直前に占い師に「あなたはもうじき日本全国に名前が知れ渡るだろう」と言われており、その占いが的中したと本当に驚いたのだという。
- 趣味は漫画を描くことで、中学時代には美術部に所属していた。巨人時代は『月刊ジャイアンツ』に似顔絵のコーナーを持っていたこともあり、他には東京ドームで個展を開いたことや、日本テレビの『ズームイン!!サタデー』で「木田画伯展」というものを放送したこともある。またデトロイト・タイガース所属時代日本航空機内放送番組に出演した際にも、当時のラリー・パリッシュ監督はじめチームメイト数人のイラストを披露している。
- 2006年シーズン終了時現在、巨人の日本人投球最速記録(156km/h)を持っている。
- 投手ではあるが打撃も良く、通算3本の本塁打を放っている(実際、1990年4月8日のヤクルト戦で8回から登板して5イニングを抑え自らサヨナラアーチを放った)。巨人時代には長打力がチームで5本の指に入るとコーチが言ったこともある。
- サイドスローから投げ込むフォークボールが持ち味。サイドスローでフォークを投げる投手は世界でも稀である。木田によると、投げるときに親指の位置を微妙にずらすことで右に落ちるフォークと左に落ちるフォークを使い分けているそうだが、これはサイドスローにしかできない芸当である。
- 1997年オフ、オリックスにトレードになった際、槙原寛己ただ1人しか見送りに来てくれなかったという。後に木田はテレビ番組で、「槙原さんしか見送りに来てくれず、巨人はひどい所でした」とキレ気味に語った。
- ユーモアあふれる性格で知られ、多くのテレビ番組にも出演する。
- 村上ショージに弟子入りしており、明石家さんまは大師匠になる。(実際は村上はさんまの弟子ではない。)毎年、『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』にレギュラー出演している。
- デトロイト・タイガースの入団会見では羽織袴姿で登場し、「ロボコップに会えなくて残念(映画の舞台がデトロイト)」とジョークを飛ばして報道陣の笑いを誘った。このジョークの原案は先輩の槙原寛己だと後に明かした。
- アメリカでの愛称は名字をひっくり返した「ダーキー」。オリックス復帰当時はさんまが『明石家マンション物語』に出演していたこともあって、その中の人気コーナー「ダメダメボーイズ」の決め台詞と合わせた「DAKYXX(ダーキー・ダメダメ)」グッズが発売された。
- 従兄の五十嵐章人とは『痛快!明石家電視台』に「クイズ!パァちゃいまんねん ペアでんねん」で共演したことがある。
- マイナー時代は、野球だけじゃなく生活面でも苦労し、その苦労により白髪も増えたといい、日本やメジャーにいる時の3倍の速さで年を取ると語っていた。
- (ヤクルト移籍1年目の)2006年1月8日に東京・目黒で新春恒例となっている後援会主催の激励会に出席した際に、「(古巣の)巨人じゃ球界を変えられない」と言い放った。
- 2007年からは高井雄平が背番号を41に変更した(高津臣吾が球団側の提示で22番に戻したため)ことに伴い、42に変更した。
- 週刊誌をいつも買ってきてロッカーに入れていて、他の選手が借りて読んでいる。それを宮本慎也が「紀伊國屋(きのくにや)」をもじって「キダクニヤ」とあだ名を付けている。(『あっぱれさんま大教授』)
- ホテル暮らしをしている。理由は家に帰っても1人だし、ホテルだと受付の人から「お帰りなさいませ」と言われるのが癒されるから。(『あっぱれさんま大教授』)
[編集] 成績
[編集] 日本年度別投手成績
| 年度 | 所属 | 背番号 | 登板 | 完投 | 完了 | 当初 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | S | 勝率 | 打者 | 投球回 | 安打 | 本打 | 四球 | 死球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 87 | 巨人 | 47 | ─ | |||||||||||||||||||
| 88 | ─ | |||||||||||||||||||||
| 89 | 8 | 1 | 1 | 3 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | .667 | 164 | 37 | 41 | 6 | 14 | 1 | 26 | 19 | 19 | 4.62 | ||
| 90 | 32 | 13 | 15 | 4 | 1 | 2 | 12 | 8 | 7 | .600 | 711 | 182.2 | 130 | 21 | 51 | 4 | 182 | 56 | 55 | 2.71 | ||
| 91 | 19 | 2 | 8 | 3 | 0 | 0 | 4 | 7 | 1 | .364 | 235 | 50.1 | 51 | 8 | 31 | 2 | 44 | 41 | 36 | 6.44 | ||
| 92 | 29 | 2 | 10 | 9 | 1 | 0 | 3 | 6 | 0 | .333 | 409 | 93.1 | 103 | 16 | 35 | 1 | 87 | 48 | 47 | 4.53 | ||
| 93 | 19 | 35 | 1 | 11 | 16 | 1 | 1 | 7 | 7 | 2 | .500 | 538 | 131.2 | 129 | 11 | 40 | 1 | 97 | 50 | 49 | 3.35 | |
| 94 | 28 | 1 | 7 | 12 | 0 | 0 | 6 | 8 | 1 | .429 | 376 | 87.2 | 86 | 11 | 37 | 2 | 61 | 52 | 49 | 4.93 | ||
| 95 | 40 | 2 | 6 | 10 | 0 | 0 | 7 | 9 | 0 | .438 | 506 | 121.2 | 117 | 16 | 31 | 8 | 97 | 49 | 46 | 3.40 | ||
| 96 | 33 | 3 | 9 | 13 | 2 | 1 | 7 | 9 | 2 | .438 | 517 | 123.2 | 121 | 15 | 34 | 5 | 99 | 53 | 52 | 3.78 | ||
| 97 | 39 | 0 | 15 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 7 | .500 | 216 | 49.2 | 47 | 3 | 22 | 2 | 53 | 13 | 11 | 1.99 | ||
| 98 | オリックス | 20 | 36 | 1 | 22 | 12 | 0 | 0 | 4 | 7 | 16 | .364 | 420 | 97.1 | 97 | 9 | 36 | 4 | 74 | 54 | 50 | 4.62 |
| 00 | 11 | 24 | 0 | 12 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 3 | .500 | 196 | 41.1 | 55 | 7 | 18 | 1 | 31 | 29 | 26 | 5.66 | |
| 01 | 13 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | .667 | 80 | 19.1 | 15 | 4 | 9 | 0 | 18 | 9 | 8 | 3.72 | ||
| 06 | ヤクルト | 41 | 56 | 0 | 15 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 8 | .375 | 253 | 58.1 | 66 | 5 | 18 | 3 | 47 | 22 | 20 | 3.09 |
| 07 | 42 | 50 | 0 | 16 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 2 | .250 | 221 | 48.2 | 51 | 4 | 19 | 6 | 44 | 21 | 17 | 3.14 | |
| 日本通算 | 442 | 26 | 155 | 82 | 5 | 4 | 63 | 76 | 50 | .453 | 4842 | 1142.2 | 1109 | 136 | 395 | 40 | 960 | 516 | 484 | 3.81 | ||
[編集] MLB通算投手成績
- 登板65 1勝1敗1セーブ 防御率5.83
- 投球回95 2/3 被安打114 被本塁打9 与四死球39 奪三振68
- 先発2 完投0 完封0
[編集] タイトル・表彰
- 最多奪三振1回(1990年)
[編集] 脚注
- ^ “地道な努力を続ける“苦労人””, Goo Number Web, 2008年1月31日.
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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|---|---|
| 監督 | 88高田繁 |
| コーチ | 80小川淳司(ヘッド)|77八重樫幸雄(打撃)|73大田卓司(打撃)|72荒木大輔(投手)|84伊藤智仁(投手)|83馬場敏史(内野守備走塁)|85飯田哲也(外野守備走塁)|71中西親志(バッテリー)|81長田孝幸(コンディショニング) |
| 二軍監督・コーチ | 89猿渡寛茂(監督)|99山部太(投手兼トレーニング)|74八木沢荘六(投手)|75土橋勝征(打撃)|79淡口憲治(打撃)|76角富士夫(内野守備走塁)|82佐藤真一(外野守備走塁)|97高橋寛(育成)|92中村達昭(コンディショニング) |
| 投手 | 11由規|12林昌勇|13佐藤賢|14高市俊|15村中恭兵|16加藤幹典|17川島亮|19石川雅規|20鎌田祐哉|21松岡健一|22増渕竜義|24花田真人|25館山昌平|26岡本秀寛|30西崎聡|35橋本義隆|41高井雄平|42木田優夫|44松井光介|47遠藤政隆|48萩原淳|52伊藤秀範|53五十嵐亮太|57丸山貴史|58高木啓充|61石井弘寿|62吉川昌宏|63山本斉|65押本健彦|66山田弘喜|68上原厚治郎|70河端龍|78ゴンザレス |
| 捕手 | 28川本良平|32小野公誠|37福川将和|38衣川篤史|51米野智人|59水野祐希|112小山田貴雄(育成選手) |
| 内野手 | 00川島慶三|4度会博文|6宮本慎也|7田中浩康|10城石憲之|33畠山和洋|36川端慎吾|39梶本勇介|40大原秉秀|45ウィルソン|46鬼崎裕司|55野口祥順|60三輪正義|67大塚淳 |
| 外野手 | 0志田宗大|5ガイエル|8武内晋一|9飯原誉士|23青木宣親|29福地寿樹|31真中満|43宮出隆自|49松元ユウイチ|50上田剛史|54斉藤宜之|56中尾敏浩|64牧谷宇佐美 |
| 読売ジャイアンツ 1986年ドラフト指名選手 |
|---|
| 1位:木田優夫 / 2位:水沢薫 / 3位:高田誠 / 4位:樽見金典 / 5位:勝呂博憲 / 6位:緒方耕一 |

