三浦大輔

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三浦 大輔
横浜DeNAベイスターズ #18
Daisuke Miura, pitcher of the Yokohama BayStars, at Yokohama Stadium.JPG
2010年11月23日 横浜スタジアム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 奈良県橿原市
生年月日 1973年12月25日(38歳)
身長
体重
183cm
88kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト6位
初出場 1992年10月7日
年俸 1億5,000万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
五輪 2004年
オリンピック
男子 野球
2004 野球

三浦 大輔(みうら だいすけ、1973年12月25日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手投手)。

リーゼントの髪型がトレードマークで、通称「ハマの番長」。

目次

[編集] 経歴

真菅北小学校時代、2人の弟と共に真北リトルズ[1]で活躍する。 その一人が演劇集団キャラメルボックス所属の俳優、三浦剛で、後年、アテネオリンピック出場時には、当時キャラメルボックスで上演されていた公演のグッズであるタオルマフラーを使用していたこともある。また自身のラジオ番組に兄弟で共演を果たす。剛はプロ野球の始球式で投げたことがある。もう一人は典之で地元でカイロプラクティック[2]を経営している。

幼少期は大阪市玉造で過ごし、実家の花屋の配達で岡田彰布(現・オリックス・バファローズ監督)宅を訪れた事もある。岡田も地元でずば抜けた才能を持っていた三浦を評価しており、ドラフトで指名しなかった阪神球団に対し激怒したという(しかも、三浦は阪神戦に強い)。この縁で2008年にFA宣言した際、阪神から手厚いスカウトを受けるきっかけになった。

橿原中学校卒。中学時代は、北大和シニアで野球をしていた。高田商高校では甲子園出場は無く、1991年の県大会は春・夏ともに決勝で谷口功一率いる天理高校に敗れる。

[編集] 横浜時代

1991年ドラフト6位で横浜大洋ホエールズに入団。1993年9月4日広島東洋カープ戦で初勝利。

1995年から先発ローテーションに加わる。

1997年は初の二桁勝利(10勝3敗)を達成。7月29日中日ドラゴンズ戦では5回までノーヒットに抑えるものの、6回に代打を出されノーヒットのまま降板。

1998年には12勝をあげ日本一に貢献した。

2002年オフに2008年までの6年契約の複数年契約を結ぶ。

2004年アテネオリンピック日本代表として銅メダルを獲得。

2005年、プロ14年目にして初のタイトル(最優秀防御率最多奪三振)を獲得。4年ぶりの二桁勝利(12勝9敗)を達成。

2007年6月20日7月27日、35イニング連続無失点を記録し、連続イニング無失点の球団記録を更新(それまでの記録は平松政次の33回1/3)。この年、第9回ゴールデンスピリット賞を受賞。これは、野球選手が老人・身体障害者の慰問や小学校への訪問を積極的に行う選手に対して贈られる賞で、野球選手が訪問するのは珍しくないが、三浦はそういった活動に特に率先的であったことが評価された。

2008年オフにFA宣言し、阪神タイガースが獲得に動いたが、球団やファンの熱心な引き留めで残留した。なお、石井琢朗が広島に移籍したことにより、2009年からはベイスターズに所属する選手の中では唯一ホエールズ時代を知る現役選手となった[1]

2010年は3勝8敗と不振に陥り、1994年以来16年ぶりに投球回数が100イニングを下回った。

2011年、現役の野球選手として競走馬を所有することとなり、日本中央競馬会の馬主登録も行った。 7月10日、中日戦に先発し、6回を1失点に抑え勝ち投手となり、19年連続勝利の球団記録を更新。この年は開幕当初は二軍落ちする等不本意な成績であったが、二軍での調整を通して全身のバネを鍛えるためショートダッシュを繰り返す等、独自の練習で調整するなか往年の球威と制球力を取戻し、7月に一軍に上がるとシーズン終了まで先発ローテーションを守り抜き、この年チームただ一人の完投・完封を含むチーム最多(高崎健太郎と同数)の5勝をマークした。投球回数も規定投球回数には達しなかったものの、2年ぶりに100イニングを超えた。

[編集] 人物

[編集] プレースタイル

武器は抜群の制球力とスローカーブなど多彩な変化球。制球力に関しては、2010年6月12日放送のすぽるとにおける「1/100 この選手がすごい! 投手編・コントロール部門」で1位に選出されている。変化球に関してはかつてはスライダーが決め球だったが、近年はカットボール、フォークであり、2005年にはシュートも会得。100km/hを切るスローカーブも得意としている。豊富なスタミナの持ち主で完投能力も高い。2段モーションの先駆け・代表格であったが、2006年以降のボークに関する規定の厳格化(いわゆる2段モーションの禁止)により、投球モーションの変更を余儀なくされた。

しばしば試合を作っても援護点に恵まれない。2005年は、横浜の7つの引き分けのうち5試合に先発登板してあり、その中には互いが完封リレーを行い0-0というスコアで引き分けてしまうという試合(4月15日広島戦、相手投手は黒田博樹)もあった。また、7回を2失点以内に抑えて勝てなかった試合が9試合もあった。しかし、援護に恵まれず僅かな失点で試合に負けても「打たれた自分が悪いんです」とコメントし、決して人のせいにしない。被安打や与四球に比べ被本塁打が多く、チームが低迷している上、前述の通りの援護が少なかったり、守備に足を引っ張られる事も多い為、負け数も多い。特に阪神戦(2010年シーズン終了時点で、対阪神戦通算41勝17敗)と広島戦には相性が良いが、その一方で、巨人戦(2009年シーズン終了時点で、対巨人戦通算10勝30敗、2005年8月23日を最後に対巨人戦勝利なし)やヤクルト戦には通算成績でも負け数が勝ち数を上回っており、相性が良くない。

現役期間中に球団名は横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ→横浜DeNAベイスターズと変化したが、三浦はただ一人「横浜ベイスターズ」の19年間(1993~2011)を通して在籍し続けた。

[編集] 開幕戦未勝利

2011年時点で7回も開幕投手を務めているが、結果は0勝7敗といずれも敗戦投手となっている。開幕登板での7連敗はプロ野球記録である。

年月日 対戦相手 球場 相手投手 備考
1999年 ヤクルトスワローズ 横浜スタジアム 石井一久 1-1の同点で迎えた7回に力尽きる。
この年は開幕から6連敗を経験し、14試合目の登板で初勝利[2]
2002年 広島東洋カープ 広島市民球場 佐々岡真司 8回途中まで投げて2失点と好投するも、打線の援護に恵まれず。
2004年 ヤクルトスワローズ 明治神宮野球場 ジェイソン・ベバリン 7回に3本のソロ本塁打を浴びて3失点。打線の援護もなく黒星。
2005年 中日ドラゴンズ ナゴヤドーム 川上憲伸 0-0で迎えた9回裏、アレックス・オチョアにサヨナラ満塁本塁打を浴びる[3]
2006年 読売ジャイアンツ 東京ドーム 上原浩治 初回に4失点、3回にも2失点し、4回6失点で敗戦投手。
2007年 読売ジャイアンツ 横浜スタジアム 内海哲也 高橋由伸に初球を本塁打にされるなど、逆風にも関わらず6回を3被弾で3失点。
2009年 中日ドラゴンズ ナゴヤドーム 浅尾拓也 2年ぶりに開幕投手となるが和田一浩に2本塁打を喫するなど、7回で4被弾4失点。
7連敗で東尾修を抜きプロ野球記録となった。

なお、2010年の開幕は自身の調整遅れのため、スティーブン・ランドルフが務めた。ランドルフは球団史上初となる外国人開幕投手ともなった。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
1992 大洋
横浜
1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 2.0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.00
1993 15 8 1 0 0 3 3 0 -- .500 255 60.1 60 4 21 1 2 61 2 0 23 23 3.43 1.34
1994 17 6 1 1 0 2 2 0 -- .500 228 47.2 61 2 25 0 0 35 2 1 27 23 4.34 1.80
1995 25 22 3 0 1 8 8 0 -- .500 619 147.2 131 17 52 5 4 107 5 0 66 64 3.90 1.24
1996 34 21 4 0 0 5 10 0 -- .333 582 131.1 151 17 55 1 1 101 0 0 82 72 4.93 1.57
1997 26 22 4 1 1 10 3 0 -- .769 578 142.1 113 9 51 1 3 129 4 1 54 53 3.35 1.15
1998 25 24 2 1 0 12 7 0 -- .631 656 158.2 138 12 60 3 3 119 4 0 64 56 3.18 1.25
1999 30 25 4 3 1 9 10 0 -- .473 729 175.0 174 22 51 1 2 130 2 0 92 83 4.27 1.29
2000 24 24 4 0 1 11 6 0 -- .647 665 164.2 154 22 32 0 3 122 3 0 64 59 3.22 1.15
2001 26 25 5 2 0 11 6 0 -- .647 673 168.2 137 14 53 6 2 135 1 0 56 54 2.88 1.13
2002 19 18 4 2 2 4 10 0 -- .285 488 119.2 108 12 28 6 2 100 1 0 46 43 3.23 1.14
2003 15 15 1 0 0 5 5 0 -- .500 420 101.1 94 18 21 3 5 82 1 0 48 46 4.09 1.13
2004 22 22 1 0 1 6 8 0 -- .428 618 144.0 158 17 33 0 5 135 7 0 69 68 4.25 1.33
2005 28 28 10 2 3 12 9 0 0 .571 856 214.2 168 20 52 2 4 177 4 0 68 60 2.52 1.02
2006 30 30 9 3 3 8 12 0 0 .400 912 216.2 227 19 44 5 5 160 3 0 94 83 3.44 1.25
2007 28 28 4 3 0 11 13 0 0 .458 793 185.1 184 15 51 3 7 159 5 0 74 63 3.06 1.27
2008 21 21 4 1 1 7 10 0 0 .412 589 144.0 137 22 29 0 4 111 4 0 63 57 3.56 1.15
2009 28 28 6 1 0 11 11 0 0 .500 799 195.1 175 28 37 1 4 138 2 0 82 72 3.32 1.09
2010 16 16 0 0 0 3 8 0 0 .273 365 79.2 108 12 23 3 4 58 2 0 67 64 7.23 1.64
2011 18 18 2 1 0 5 6 0 0 .455 463 111.1 96 9 31 2 7 74 1 0 39 36 2.91 1.14
通算:20年 448 401 69 21 14 143 147 0 0 .493 11294 2710.1 2574 291 749 43 67 2134 53 2 1178 1079 3.58 1.23
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

[編集] タイトル

[編集] 表彰

[編集] 記録

初記録
節目の記録
その他の記録

[編集] 背番号

  • 46 (1992年 - 1997年)
  • 18 (1998年 - )
    • 17 (2004年アテネ五輪)

[編集] 関連情報

[編集] 著書

[編集] 出演番組

[編集] 脚注

  1. ^ 1992年までのホエールズ時代に所属していた現役選手は三浦・石井の他、谷繁元信(中日)・斎藤隆ダイヤモンドバックス)の4人のみ
  2. ^ さらに2桁勝利も逃したため(9勝止まり)、リーゼントを切ってスポーツ刈りにした。
  3. ^ この時は8回まで0点に抑えながら味方の援護が無く、9回裏に立浪和義の平凡な左飛を鈴木尚典が後逸(記録は三塁打)し、満塁策を取った挙げ句に本塁打を打たれたものであり、開幕戦における不運の象徴的試合となった

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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