新日本プロレス
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
|
| 略称 | 新日本、新日、NJPW |
| 本社所在地 | 〒153-0042 東京都目黒区青葉台4丁目4番5号 8F |
| 電話番号 | 03-6407-3111 |
| 設立 | 1972年1月 |
| 業種 | その他の興行団 |
| 代表者 | 菅林直樹(代表取締役社長) |
| 資本金 | 7,500万円 |
| 従業員数 | 38人 |
| 主要株主 | ユークス 51.5% |
| 関係する人物 | アントニオ猪木 坂口征二 新間寿 サイモン・ケリー猪木 |
| 外部リンク | http://www.njpw.co.jp/ |
新日本プロレス(しんにほんぷろれす)は、日本のプロレス興行団体。略して新日(しんにち)とも呼ばれる。「KING of SPORTS」を標榜している。1972年1月、日本プロレス選手会を除名されたアントニオ猪木が設立。同年9月に設立されたジャイアント馬場率いる全日本プロレス(全日)と、男子プロレス界の二大老舗団体として君臨。「ストロングスタイル」と呼ばれるファイトスタイルを掲げている。2005年11月14日、ユークスが株式の過半数取得を発表、同社の子会社となる。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 1970年代
- 1月13日、新日本プロレスリング株式会社設立。参加レスラーはアントニオ猪木、山本小鉄、藤波辰巳、木戸修 らの他、豊登が「テレビが付くまでは」と条件付きで参戦。
- 3月6日、大田区体育館で旗揚げ戦を行う。
- 4月、日本プロレスのエースであった坂口征二が猪木と全く対等の条件と言う約束で新日本に移籍。NET (現:テレビ朝日)がこれに追随し、「ワールドプロレスリング」で新日本プロレス中継を開始。
- 11月、タイガー・ジェット・シン、新宿伊勢丹前でアントニオ猪木を襲撃。
- 3月19日、アントニオ猪木、元国際プロレスのエース・ストロング小林とメインイベントのNWFヘビー級選手権試合で対戦。
- 2月6日、アントニオ猪木とミュンヘンオリンピック柔道金メダリスト、ウィレム・ルスカによる団体初の異種格闘技戦が日本武道館で行われる。
- 6月26日、アントニオ猪木対ボクシング世界ヘビー級王者、モハメド・アリによる異種格闘技戦が行われる。試合は後に猪木アリ状態と呼ばれる膠着戦となり引き分けに終わり「世紀の凡戦」と評されるが、後世の総合格闘技に多大な影響を与える。
- 8月26日、新日本、全日本、国際プロレスによる合同興行「プロレス夢のオールスター戦」が行われる。
- 2月27日、アントニオ猪木対空手家、ウイリー・ウイリアムスによる異種格闘技戦が行われる。
[編集] 1980年代
- 4月23日、初代タイガーマスク、蔵前国技館におけるダイナマイト・キッド戦でデビュー。
- 長州力ら、維新軍を結成。
- 営業本部長新間寿が前田日明、高田伸彦、藤原喜明、佐山聡らと共に退団、後に第一次UWFを設立。
- 6月14日、蔵前国技館で行われた第2回IWGPリーグ戦決勝戦で猪木がホーガンに雪辱を果たし優勝。しかし長州力の乱入を経てリングアウト勝ちという不透明な決着に不満を爆発させた観客が放火事件を起こすなど暴動に発展する。
- 長州力ら維新軍が団体を離脱、ジャパンプロレスを設立。
- 第1回ヤングライオン杯を開催。優勝は小杉俊二。
- 11月、第一次UWF崩壊に伴い、前田日明、高田延彦、藤原喜明らが業務提携という形で復帰。新日本対UWFの抗争が始まる。
- IWGPタッグ王座設立。初代王者は藤波辰巳&木村健吾組。
- 新日本プロレス学校開校。
- IWGPジュニアヘビー級王座設立。初代王者は越中詩郎。
- IWGPヘビー級王座設立。初代王者はアントニオ猪木。
- 長州力ら元ジャパンプロレス勢が新日本復帰。
- 10月4日、アントニオ猪木とマサ斎藤が巌流島で2時間にも及ぶ決闘を行う。
- 11月19日、前田日明、後楽園ホールで行われた6人タッグ戦で長州力の顔面を蹴り欠場に追い込む(前田顔面蹴撃事件)。これを受けて新日本は前田を無期限出場停止処分とする。
- 12月27日、両国国技館興行でたけしプロレス軍団が登場。当初開催予定だったメインイベントのアントニオ猪木対長州力戦を中止し猪木対ビッグバン・ベイダー戦に急遽変更。カード変更に加えて猪木がベイダーに3分弱で敗れるという試合結果に観客席からリングにゴミが投げ込まれるなど暴動騒ぎに発展。新日本は両国国技館の使用を禁止される(翌々年に解除)。
- 2月1日、前田日明、解雇される。その後前田は第2次UWFを設立。高田伸彦、藤原喜明、船木優治、鈴木実らが新日本を退団しこれに合流。
- 武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也が闘魂三銃士結成。
- 第1回トップ・オブ・ザ・スーパージュニア開催。優勝は越中詩郎。
[編集] 1990年代
- 4月13日、新日本、全日本、WWFによる合同興行「日米レスリングサミット」を開催。全日本とWWFが対抗戦を行う中、新日本は所属・レギュラー参戦選手同士によるカード提供に留める。
- WCWと提携開始。
- 越中詩郎、選手会に無断で誠心会館の自主興行に参戦し選手会と対立、木村健悟らと反選手会同盟(後の平成維震軍)を結成。
- 5月3日、初の福岡ドーム興業開催。
- 第1回ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア開催。優勝は獣神サンダー・ライガー。
- SUPER J-CUP1st STAGE開催。優勝はワイルド・ペガサス。
- 4月28日、北朝鮮・平壌で「平和の祭典」興行を開催。メインイベントにはアントニオ猪木対リック・フレアー戦が組まれ、10万人以上を動員する。
- 10月9日、東京ドーム興行でUWFインターナショナルと全面対抗戦を行う。
- 4月12日、東京ドーム興行でバルセロナオリンピック柔道銀メダリストの小川直也がデビュー。デビュー戦で橋本真也に勝利。
- 1月4日、東京ドーム興行で長州力が引退。
- 4月4日、東京ドーム興行でアントニオ猪木が引退。ドーム興行としては最高の70000人を記録。
- IWGPジュニアタッグ王座設立。初代王者は大谷晋二郎&高岩竜一組。
- 1月4日、東京ドーム興行でUFO対新日の対抗戦が行われ、小川ー橋本戦が無効試合となる。また、試合後に大乱闘となる。
- 平成維震軍が解散。
- 長期欠場から復帰した蝶野正洋が欠場の間にnWoを掌握した武藤敬司と対立、TEAM 2000を結成。
- 4月10日、東京ドーム興行で蝶野正洋対大仁田厚戦が団体としては初となるノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ形式で行われる。(ただし団体側は公式試合としてこれを認めず「第0試合」としている)
- 6月24日、藤波辰爾が代表取締役社長に就任。前社長の坂口征二は代表取締役会長に就任する。
[編集] 2000年代
- WCWの経営悪化に伴い提携解消。
- 1月4日、東京ドーム興行でTEAM2000・蝶野正洋とnWoジャパン・武藤敬司が直接対決。蝶野が勝利し、nWoは消滅。
- 4月10日、東京ドーム興行で橋本真也が引退を賭けて小川直也と対決するも敗れ、公約通り引退。
- 4月14日、気仙沼市総合体育館興行における福田雅一対柴田勝頼戦の試合中に福田が意識不明となり緊急入院。4月19日に永眠。試合中の事故による死亡は日本の男子プロレスでは史上初。
- 7月30日、横浜アリーナ興行で長州力が現役復帰。第0試合で大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで対戦。
- 8月11日、両国国技館興行に当時、大量離脱で存亡の危機に晒されていた全日本プロレスの渕正信が来場。新日本対全日本の対抗戦が開戦し、長らく対立関係にあった両団体の歴史的交流が開始する。
- 10月9日、テレビ番組の企画でファンに押される形で現役復帰した橋本真也が藤波辰爾と復帰戦を行う。その後、「新日本プロレスリングZERO」を設立し他団体交流などを目的とした団体内の別組織として独立を宣言するが、反対した現場監督・長州力と対立。
- 11月13日、橋本真也の解雇を発表。
- WCWから帰国した武藤敬司、団体の垣根を超えた超党派ユニット「BATT」を結成。
- 10月8日、東京ドーム興行にプロレスリング・ノアの秋山準が参戦。永田裕志と組み、武藤敬司&馳浩組に勝利。新日本とノアの交流が始まる。
- 1月31日、武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンの3選手とフロントスタッフ5人が新日本を退団し全日本に移籍。
- 新日本プロレスLA道場開設。
- 5月2日、東京ドームにおける創立30周年記念興行にプロレスリング・ノアの三沢光晴が参戦。メインイベントで蝶野正洋と対戦するも30分時間切れ引き分けに終わる。
- 5月、現場監督を解任された長州力が団体批判を行った後に退団。10月には佐々木健介が、翌年には越中詩郎、鈴木健想がこれに追随。
- 8月11日、第12回G1 CLIMAX終了後、新日本隊と魔界倶楽部・藤田和之・高山善廣ら外敵との抗争が勃発。
- 藤田和之の提案によりNWFヘビー級王座が復活。
- 9月6日、ジョーニー・ローラー参戦。新日本初となる男女混合試合が行われる。
- 10月14日、東京ドーム興行にボブ・サップが参戦。
- 11月28日、棚橋弘至、交際中の女性タレントにナイフで背中を刺され重傷を負う。
- 棚橋弘至の提案によりIWGP・U-30無差別級王座設立。初代王者は棚橋弘至。
- 5月2日、東京ドーム興行で新日本独自ルールの「アルティメット・クラッシュ」形式による総合格闘技戦が開催される。
- 坂口征二CEOと高山善廣との間に遺恨が生じ、坂口が限定復帰。10月13日の東京ドーム興行における真猪木軍とのイリミネーションマッチでは次男で俳優の坂口憲二がセコンドにつく。
- 1月4日、東京ドーム興行でIWGPヘビー級王座、NWFヘビー級王座の統一戦が行われ、IWGP王者の中邑真輔がNWF王者・高山善廣を下しNWF王座を封印。
- 6月、経営コンサルタントの草間政一が代表取締役社長に就任。前社長の藤波辰爾は代表取締役副会長に就任。
- 7月、獣神サンダー・ライガーが、邪道、外道、竹村豪氏らとヒールチーム「C.T.U」を結成。
- 10月9日、両国国技館興行に長州力が登場。新日本対リキプロの抗争が始まる。
- 上井文彦取締役が新日本を退団。その後、同じく退団した柴田勝頼らとビッグマウスを設立。
- 2月20日、天山広吉対小島聡による史上初のIWGPヘビー級王座、三冠ヘビー級王座ダブルタイトルマッチが行われ、三冠王者の小島が勝利。
- 永田裕志、中西学、ケンドー・カシン、藤田和之が山本小鉄を顧問にアマレス軍団チーム・ジャパンを結成。
- 第1回NEW JAPAN CUP開催。優勝は棚橋弘至。
- 5月、草間政一が代表取締役社長を解任され、後任としてアントニオ猪木の娘婿であるサイモン・ケリー猪木が就任。
- 10月8日、東京ドーム興行に元WWE王者のブロック・レスナーが参戦。蝶野正洋、藤田和之との3ウェイ戦を制しIWGPヘビー級王座を獲得。
- 同日、長州力がリキプロに在籍したまま新日本の現場監督に復帰。
- 11月14日、ユークスがアントニオ猪木から全株式の51.5%に相当する株を購入し、新日本プロレスを子会社化したことを発表。
- 1月4日、東京ドーム興行を開催。ビッグマウス、ZERO1-MAXなど他団体の選手が多数参戦するが、長州力がこれを「新日本対インディー」とコンセプトづけたため、村上和成、上井文彦らから批判を浴びる。
- 1月、西村修、田中秀和リングアナウンサーら団体史上最多の11人の選手・スタッフが契約を更改せず退団。その後も木村健悟、藤波辰爾など退団者が続出。
- 3月、新日本とは別ブランドとなる興行LOCK UP、WRESTLE LANDの開催を発表。
- 7月、ブロック・レスナーが「契約上のトラブル」で来日を拒否、これを受けて新日本はレスナーの持つIWGPヘビー級王座を剥奪。しかしレスナーがベルトを返還しなかったために、以降しばらく新日本では2代目IWGPベルトを使用。
- 10月、天山広吉がG・B・Hを結成。
- 3月、サイモン・ケリー猪木が代表取締役社長を辞任。副社長の菅林直樹が後任として社長に就任。
- 8月12日、蝶野正洋、長州力、獣神サンダー・ライガーらがレジェンド軍を結成。
- 9月1日、9月2日、蝶野正洋プロデュースによる興行「蝶野王国」が開催される。
- 2月17日、中邑真輔がカート・アングルを破りIWGP王座防衛とともに3代目IWGPベルトを奪取して王座を統一。その後、4代目IWGPベルトを使用。
- 4月27日、武藤敬司が8年4ヶ月ぶりにIWGP王者になり、全日本プロレスに2度目の流出。
[編集] 他団体との関係
- 全日本プロレス
- アントニオ猪木、ジャイアント馬場の時代は両団体はライバル団体として長らく反目し合ってきた。両団体の初交流は1979年、東京スポーツ主催のプロレス夢のオールスター戦でBI砲が一夜限りの再結成を果たした。しかし両者の対立はその後も変わらず、1980年代前半には外国人選手の引き抜き合戦を行い、スタン・ハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン、ブルーザー・ブロディらが両団体を行き来した。坂口征二体制発足後の1990年、東京ドーム興行のメインイベンターを飾る予定であった当時のNWA世界ヘビー級王者・リック・フレアーが来日をキャンセル、興行の目玉を失った坂口は自らの足で全日本に赴き、選手を貸し出してくれるよう馬場に直談判。馬場も「坂口なら信頼できる」と快諾し、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、谷津嘉章、2代目タイガーマスク、ハンセンの5選手がドーム興行に参戦した。その後の交流は馬場が死去するまでついになかったが、2000年に三沢光晴らが大量離脱した事によって全日本は崩壊の危機に晒される。これを打開すべく渕正信が単身で新日本に赴き、両団体の対抗戦が開戦。渕のほか、川田利明、太陽ケアらが参戦し、川田と佐々木健介の抗争を中心に対抗戦が展開する。2001年に武藤敬司が天龍を破り、新日本の選手として初めて三冠ヘビー級王座を獲得。しかし当時の新日本の格闘技路線に嫌悪感を抱いた武藤は小島聡、ケンドー・カシン、5人のフロントスタッフと共に2002年に全日本に移籍。これにより両団体の交流は凍結される。しかし蝶野正洋と武藤の関係は継続しており、2003年に小島が新日本に参戦してからは単発的ながら交流は行われている。2007年には新日本の親会社であるユークスが発売するゲームソフト、レッスルキングダムの名を冠した東京ドーム興行が行われ、全日本が全面協力した。2008年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会「レッスルキングダム2」にはグレート・ムタが参戦、4月27日は武藤が中邑を破って8年4ヶ月ぶりにIWGP王者になり、全日本プロレスに2度目の流出。両団体の交流が注目される。
- プロレスリング・ノア
- 2001年のZERO-ONE旗揚げ戦で永田裕志が橋本真也と組み、三沢&秋山準組と対戦した事が両団体の初交流である。これを契機に秋山と永田の間に友情が生まれ、同年10月8日の東京ドーム興行における「プロレス50周年スペシャルマッチ」で初タッグを結成し、武藤&馳浩組と対戦。2002年には獣神サンダー・ライガーが田中稔と共にノアマットに赴き、丸藤正道の「ノアのジュニアは最強です」という発言を契機にジュニアヘビー級の対抗戦が開戦する。同年5月の東京ドーム興行には蝶野対三沢戦が行われる。この試合以降、蝶野と三沢の関係が良好であった事からタイトルマッチも含めた本格的な交流が2004年7月10日のノア東京ドーム大会まで続く。その後交流は途切れるが、2005年5月の新日本東京ドーム大会に三沢光晴が参戦し約10ヶ月ぶりの交流が実現。そのバーターとして棚橋弘至が同年7月のノア東京ドーム大会に参加した。しかし2006年にノアはサイモン・ケリー猪木社長がテレビ朝日と日本テレビとの間で取り決められていたバーター契約を一方的に白紙化した(後にノア仲田龍がこの契約の存在を否定)とし、絶縁を宣言する。この煽りを受けて新日本の親会社であるユークスはノアに関する版権を借りられなくなり、「レッスルキングダム」に登場していたノアの選手は次回作の「レッスルキングダムII」は登場していない。
- みちのくプロレス
- 現存する団体では最も古くから交流が続いている団体で、旗揚げ直後からライガーとザ・グレート・サスケが良好な関係を築いている。テリー・ボーイ(現:MEN'Sテイオー)が学生プロレス出身であったために、学生プロレスを嫌う風潮にあった新日本の選手から疎外され袋叩きにされる事態があったが、後にプロレスに対する姿勢を目の当たりにし大谷晋二郎が報道陣の前で土下座して詫び、わだかまりは解けている。90年代にはサスケが初代ジュニア8冠王者に戴冠、スペル・デルフィンが第1回ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで準優勝するなどジュニア黄金期の一翼を担った他、ヘビー級でもグレート・ムタ対白使戦といった試合が実現している。2002年に4代目タイガーマスクがみちのく所属ながら1年間新日本のシリーズに帯同し、2003年に円満移籍。その後も互いのビッグマッチには選手の派遣を度々行っている。
- DRAGON GATE
- 闘龍門JAPAN時代にみちのくプロレス主催のSUPER J-CUP決勝でCIMAがライガーを相手に健闘し、その将来性を高く買われる。CRAZY-MAXが新日本に一度参戦するが、その後は団体の方針から長らく交流は行われていなかった。2006年にDRAGON GATEが開国宣言を行い、ライガーが参戦。2007年の東京ドーム興行にはDRAGON GATE離脱組であるVOODOO-MURDERSやミラノコレクションA.T.が参戦する関係からか参戦しなかったが、後日の後楽園ホール興行では望月成晃&ドン・フジイが邪道&外道とIJタッグ王座を賭けて対戦。同年にはライガーがフジイからオープン・ザ・ドリームゲート王座を奪取するが、DRAGON GATE・神戸ワールド記念ホール興行でCIMAに奪還されている。
[編集] タイトルホルダー
新日本プロレスが管轄するチャンピオンベルトの保持者(2008年4月27日現在)
- 第49代IWGPヘビー級王座:武藤敬司(全日本プロレス) (2008年4月27日:大阪府立体育会館)
- 第51代IWGPタッグ王座:真壁刀義&矢野通 (2008年2月17日:両国国技館)
- 第53代IWGPジュニアヘビー級王座:井上亘 (2007年12月8日:大阪府立体育会館第二競技場)
- 第20代IWGPジュニアタッグ王座:獣神サンダー・ライガー&AKIRA (2008年2月17日:両国国技館)
- IWGP U-30無差別級王座:空位
- G1 CLIMAX 2007:棚橋弘至
- NEW JAPAN CUP 2008:棚橋弘至
- BEST OF THE SUPER Jr 2007:ミラノコレクションA.T.
- G1 TAG LEAGUE 2007:ジャイアント・バーナード&トラヴィス・トムコ
[編集] 全所属選手+主要参戦選手
- 正規軍
- レジェンド
- 蝶野正洋
- 長州力(リキプロ)
- 獣神サンダー・ライガー
- 越中詩郎(フリー)
- スーパー・ストロング・マシン(平田淳嗣)
- AKIRA(フリー)
- RISE
[編集] NEW JAPAN FACTORY(総合格闘技部門)
[編集] レフェリー
- インターナショナル・コーディネーター
- タイガー服部 (現在は新日本所属ではない)
[編集] リングアナウンサー
[編集] 歴代社長
- 猪木寛至(1972年 - 1989年)
- 坂口征二 (1989年 - 1999年)
- 藤波辰巳 (1999年 - 2004年6月)
- 草間政一 (2004年6月 - 2005年5月)
- サイモン・ケリー猪木 (2005年5月 - 2007年3月)
- 菅林直樹 (2007年3月 -)
[編集] 引退・退団選手
括弧内は在籍期間と現在の所属団体および活動状況。
- アントニオ猪木 (1972年-1998年、引退 IGF)
- AKIRA(野上彰、1984年-2003年、フリー)※
- 安沢明也 (2003年-2006年、引退)
- 安生洋二 (1985年-1987年、ハッスル)
- 伊藤正治 (引退)
- 大城大五郎 (引退)
- 大谷晋二郎 (1992年-2001年、ZERO1-MAX)
- 大矢剛功 (大矢健一、1986年-1989年、フリー)
- 小原道由 (1990年-2002年、フリー)
- 魁勝司 (1972年-1981年、引退、ドラディション・レフェリー)
- 垣原賢人 (2001年-2005年、引退)
- 片山明 (引退)
- 木戸修 (1972年-2001年、ビッグマウス・ラウド)
- 木原真一 (引退)
- 木村健悟 (1973年-2002年、引退)
- グラン浜田 (リトル浜田、1972年-1984年、フリー)
- ケンドー・カシン (1992年-2002年、フリー)
- 小島聡 (1991年-2002年、全日本プロレス)
- 越中詩郎 (1985年-2003年、フリー)※
- 小杉俊二 (引退)
- 後藤達俊 (1981年-2006年、フリー)
- 小林邦昭 (1972年-2000年、引退)
- 坂口征二 (1973年-1989年、引退、新日本相談役)
- 佐々木健介(1987年-2002年、健介オフィス)
- 佐藤一生 (引退)
- 佐野巧真 (佐野直喜、1983年-1990年、プロレスリング・ノア)
- 佐山聡 (初代タイガーマスク 1976年-1983年、リアルジャパンプロレス)
- 柴田勝久 (1972年-1977年、引退)
- 柴田勝頼 (1999年-2005年、ARMS)
- ジョージ高野 (ザ・コブラ、1976年-1990年、フリー)
- ジョシュ・バーネット (2003年-2006年、フリー)
- 鈴木みのる (1987年-1989年、パンクラスmission)
- ストロング小林 (1975年-1984年、引退)
- 高岩竜一 (1992年-2001年、ZERO1-MAX)
- 高田延彦 (1982年-1984年、1985年-1988年、引退)
- 高野俊二 (1981年-1990年、引退)
- 竹村豪氏 (2001年-2006年、東京愚連隊)
- ドナルド・タケシ(引退)
- 長井満也 (魔界5号、2003年?-2006年、ドラディション)
- 長尾浩志 (2002年-2006年、ハッスル)
- 中野龍雄 (1985年-1987年、フリー)
- 成瀬昌由 (2002年-2006年、フリー)
- 西村修 (1991年-2006年、全日本プロレス)
- 橋本小助 (引退)
- 馳浩 (1987年-1996年、引退、衆議院議員)
- 畑浩和 (引退)
- 原薗善由紀 (引退)
- ヒロ斎藤 (1978年-2006年、ドラディション)
- 藤波辰爾 (1972年-2006年、ドラディション)
- 藤原喜明 (1972年-1984年、1985年-1988年、藤原組)
- 船木勝一 (元練習生、WWE)
- 船木誠勝 (1984年-1988年、ARMS)
- ブルー・ウルフ (2001年-2006年、フリー)
- 星野勘太郎 (1974年-1995年、引退、新日本プロモーター)
- ポイズン澤田JULIE (元練習生、DDT)
- 保永昇男 (1980年-1998年、引退、リキプロレフェリー)
- 前田日明 (1977年-1984年、1985年-1987年、引退、HERO'Sスーパーバイザー)
- マサ斎藤 (1974年-1999年、引退、健介オフィスアドバイザー)
- 三沢威 (1989年-1990年、引退、新日本トレーナー)
- ミスター・ポーゴ (1972年、フリー)
- 武藤敬司 (1984年-2002年、全日本プロレス)
- 安田忠夫 (1993年-2004年、フリー)
- 谷津嘉章 (1980年-1984年、フリー)
- 山崎一夫 (1981年-1984年、1985年-1988年、1998年-1999年、引退、新日本コーチ、ワールドプロレスリング解説者)
- 山本小鉄 (1972年-1980年、引退)
- 吉江豊 (1994年-2006年、ドラディション)
- エル・サムライ (1986年-2008年, フリー)
一部を除き50音順
※退団後もフリーランスとして継続参戦
[編集] 故人
- 豊登道春 (1972年-1973年、1998年逝去)
- 橋本真也 (1984年-2000年、2005年逝去)
- 福田雅一 (1999年-2000年、同年逝去)
- ブラック・キャット (1981年-2006年、同年逝去)
[編集] テーマ曲
試合開始直前と試合終了後に会場に流される。後述のテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」のオープニング曲でもある。
- The Score
[編集] 試合中継
テレビ朝日系列を始め、複数の局で放送している。また、インターネットでの試合配信も行っている。
- ワールドプロレスリング(テレビ朝日)
- 闘魂スーパーバトル(BS朝日)
- ワールドプロレスリング 不滅の闘魂伝説(Sky・A)
- 新日本プロレスS.X.W(J Sports)
- 新日本プロレス中継(Fighting TV サムライ)
[編集] 1990年代以降の主なマット広告スポンサー
同社は日本のプロレス団体として、格闘技団体としても先駆けてスポンサーを多数付け、その収入で賄う方法をとっていた。
- BVD
- サークルKサンクス
- グリオ
- チケットぴあ
- Xbox360
- ユーコーラッキーグループ
- アリストトリスト
- ユークス(レッスルキングダム)
- 株式会社平和(アントニオ猪木という名のパチスロ機)
- トーシン
- 懸賞TV
- グッドウィル・グループ(mobaito.com)
- フィールズ
- その他
- 佐川急便(前会長が元筆頭株主)
- プロミス(2005年までG1筆頭スポンサー兼新日本有力スポンサー。現在は撤退)
- avex group
- インデックス
[編集] 関連項目
- ワールドプロレスリング(テレビ中継番組)
- レッスルキングダム (プロレス興行)
- WRESTLE LAND
- LOCK UP
- 谷口行規
[編集] 外部リンク
- 新日本プロレス公式サイト
- New Japan Dojo(アメリカ公式サイト)

