新日本プロレス

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新日本プロレスリング株式会社
New Japan Pro-Wrestling Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 新日本
新日
NJPW
本社所在地 日本の旗 日本
164-0011
東京都中野区中央1-38-1
住友中野坂上ビル6階
設立 1972年1月13日
業種 サービス業
事業内容 プロレス興行
関連企画の運営
代表者 代表取締役会長 菅林直樹
資本金 9,250万円
従業員数 45人
決算期 1月
主要株主 ブシロードグループパブリッシング 66.7%
木谷高明 23.3%
テレビ朝日 10.0%
主要子会社 新日本プロモーション株式会社
新日本プロレスリング新日企画
関係する人物 アントニオ猪木(創業者)
魁勝司
山本小鉄
柴田勝久
木戸修
藤波辰巳
豊登
カール・ゴッチ
ユセフ・トルコ
新間寿
坂口征二
小沢正志
木村たかし
大城大五郎
田中米太郎
星野勘太郎
外部リンク 新日本プロレス公式サイト
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新日本プロレス(しんにほんプロレス)は、日本プロレス団体。正式名称は新日本プロレスリング株式会社(しんにほんプロレスリングかぶしきがいしゃ)。子会社に興行部門として自主興行をプロモートする新日本プロモーション株式会社(しんにほんプロモーションかぶしきがいしゃ)と関西興行をプロモートする新日本プロレスリング新日企画(しんにほんプロレスリングしんにちきかく)がある。

目次

概要[編集]

  • 1971年12月、アントニオ猪木日本プロレス選手会を除名され、日本プロレスを永久追放された(詳しくは「密告事件」を参照)。
  • 1972年1月13日、新日本プロレスリング株式会社を設立。
  • 1972年3月6日、大田区体育館で新日本プロレスの旗揚げ戦が行われた。
  • 「KING OF SPORTS」を標榜し、「ストロングスタイル」と呼ばれるファイトスタイルを掲げている。
  • リングドクター制を取り入れ、健康管理の面においては他団体と大きく差別化がはかられている。
  • かつては元佐川急便代表取締役会長の佐川清が筆頭株主として名を連ねたこともあった。
  • 2005年まで日本プロスポーツ協会に加盟していた。
  • 2005年11月14日、アントニオ猪木が保有していた新日本プロレスの株式51.5%をユークスが取得(後に100%取得)。ユークスの子会社となった。
  • 2012年1月31日、ユークスが保有していた新日本プロレスの全株式をブシロードグループパブリッシングに5億円で譲渡。ブシロードグループパブリッシングの子会社となった。

歴史[編集]

1970年代[編集]

1972年
  • 1月13日、新日本プロレスリング株式会社を設立。日本人の参加プロレスラーはアントニオ猪木魁勝司山本小鉄柴田勝久木戸修藤波辰巳、「テレビが付くまで」との条件付きで豊登が参戦。外国人の参加プロレスラーは選手及びブッカーとしてカール・ゴッチ、レフェリーのユセフ・トルコが参戦。
  • 3月6日、大田区体育館で新日本プロレス旗揚げ戦が行われ、メインイベントはアントニオ猪木対カール・ゴッチの時間無制限1本勝負でカール・ゴッチが勝利。
1973年
1974年
1975年
  • 8月3日、ルイジアナ州ニューオーリンズで開かれたNWA年次総会でNWAに加盟したが全日本プロレスの圧力で団体としてではなく坂口征二と新間寿の個人加盟とされたのに加え「NWA世界ヘビー級王者は新日本プロレスに参戦しない」という条件下で加盟が承認された。
  • 12月11日、日本武道館で百田家主催による「力道山十三回忌追善特別大試合」が行われていたが新日本プロレス側は参戦を固辞して蔵前国技館で興行を開催。
1976年
1977年
  • 8月2日、日本武道館でアントニオ猪木対全米プロ空手世界ヘビー級王者のザ・モンスターマンによる格闘技世界一決定戦が行われ、アントニオ猪木が勝利。
  • 10月25日、日本武道館でアントニオ猪木対プロボクサーのチャック・ウェプナーによる格闘技世界一決定戦が行われ、アントニオ猪木の勝利。
1978年
  • 4月4日、アメリカのフィラデルフィア・アリーナでアントニオ猪木対全米プロ空手のザ・ランバージャックによる格闘技世界一決定戦が行われ、アントニオ猪木の勝利。
  • 5月、第1回「MSGシリーズ」を開催。優勝はアントニオ猪木。
  • 11月9日、フランクフルトのフェストホールでアントニオ猪木対プロボクサーのカール・ミルデンバーガーによる格闘技世界一決定戦が行われ、アントニオ猪木の勝利。
  • 11月と12月、第1回「プレ日本選手権」を開催。優勝はアントニオ猪木。
  • 12月18日、アントニオ猪木がビンス・マクマホン・シニアから世界の強豪を相手に行われた数々の異種格闘技での功績を称え、WWF格闘技世界ヘビー級王座が贈呈され、アントニオ猪木が初代WWF格闘技世界ヘビー級王者に認定された。
1979年
1980年

1980年代[編集]

1981年
1982年
  • 10月8日、長州力がメキシコ遠征から帰国。後楽園ホールで行われた6人タッグマッチで藤波辰巳と仲間割れし宣戦布告。ブレイクの発端となった「藤波、俺はお前のかませ犬じゃない」という発言が出た。だが実際に発した言葉は「なんでオレ(長州力)がオマエ(藤波辰巳)の前を歩かなきゃいけないんだ、オレ(長州力)がオマエ(藤波辰巳)の前にコールされなきゃいけないんだ」であった。
1983年
  • 5月、第1回「IWGPリーグ戦」を開催。優勝者はハルク・ホーガン
  • 8月10日、タイガーマスクが新日本プロレスに契約の解除を一方的に告げ、突如、引退を宣言。
  • 8月25日、アントニオ猪木が代表取締役社長、坂口征二が取締役副社長を退任。専務取締役兼営業本部長の新間寿は謹慎処分。山本小鉄ら3名による取締役体制を発足。
  • 11月1日、アントニオ猪木が代表取締役社長、坂口征二が取締役副社長へ復帰。山本小鉄ら3名の取締役体制は短命に終わった。
1984年
  • 6月14日、第2回「IWGPリーグ戦」でアントニオ猪木がハルク・ホーガンに雪辱を果たし優勝。しかし長州力の乱入を経て、リングアウト勝ちという不透明な決着に不満を爆発させた観客が次々と物を投げたり、放火騒ぎや蔵前国技館の二階席のイスを破壊する者もいたなど、試合終了後に暴動寸前状態に発展した。
1985年
1986年
1987年
  • 3月26日、大阪城ホールで行われたアントニオ猪木対マサ斎藤戦で海賊男(正体はブラック・キャット)が乱入してきてマサ斉藤に手錠をかけて連れ去り、ファンが暴動を起こした。
  • 6月12日、IWGPヘビー級王座を設立。初代王者はアントニオ猪木。
  • 10月4日、巌流島で新日本プロレス初のノーピープルマッチがアントニオ猪木対マサ斎藤戦で行われ、2時間5分14秒にも及ぶ決闘の末アントニオ猪木の勝利(詳しくは「巌流島の戦い」を参照)。
  • 11月19日、後楽園ホールで行われた6人タッグマッチで前田日明が長州力の顔面を蹴り欠場に追い込む(前田顔面蹴撃事件)。これを受けて新日本プロレスは前田日明を無期限出場停止処分とした。
  • 12月27日、両国国技館にたけしプロレス軍団が登場。当初開催予定だったメインイベントのアントニオ猪木対長州力戦を中止しアントニオ猪木対ビッグバン・ベイダー戦に急遽変更。対戦カード変更に加えて、アントニオ猪木がビッグバン・ベイダーに3分弱で敗れるという試合結果(当初は藤波辰巳&木村健悟対マサ斎藤&ビッグバン・ベイダー、アントニオ猪木対長州力。1回目の対戦カード変更で藤波辰巳&木村健悟対マサ斉藤&長州力、アントニオ猪木対ビッグバン・ベイダー。これで藤波辰巳&木村健悟対マサ斉藤&長州力が行われる。2回目の対戦カード変更でアントニオ猪木対ビッグバン・ベイダーの前に、アントニオ猪木対長州力。従って、アントニオ猪木と長州力は1日に2試合を戦った)に観客席からリングにゴミが投げ込まれ、椅子が破壊されるなどプロレス史上最悪の暴動に発展。新日本プロレスは両国国技館の使用禁止された(その後、翌々年に両国国技館の使用禁止を解除)。
1988年
1989年
  • 4月24日、初の東京ドーム大会を開催。アニメ「獣神ライガー」とのタイアップ企画で獣神ライガー小林邦昭戦でデビュー。獣神ライガーが勝利。
  • 7月24日、アントニオ猪木が参議院議員選挙にスポーツ平和党から出馬して当選。これに伴い坂口征二が代表取締役社長に就任。

1990年代[編集]

1990年
  • 2月10日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月13日、東京ドームで新日本プロレス、全日本プロレス、WWFによる合同興行「日米レスリングサミット」を開催。全日本プロレスとWWFが対抗戦を行う中、新日本プロレスは所属選手、レギュラー参戦選手同士による対戦が行われた。
  • 9月1日と2日、新日本プロレスが初の中国興行「日中友好プロレス大会」を開催。日中友好記念特別トーナメントを開催。優勝は蝶野正洋。
  • 12月2日と3日、新日本プロレスが初のイラク興行「スポーツと平和の祭典」を開催。
  • 12月20日、新日本プロレスとWCWが業務提携を結んだことを発表。
1991年
1992年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。この年から1月4日の東京ドーム大会が定着。
1993年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月5日、初の福岡ドーム大会を開催。
  • 8月、「G1 CLIMAX」で史上初の両国国技館大会7連戦が行われた。
1994年
1995年
1996年
1997年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月12日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月3日、初の大阪ドーム大会を開催。
  • 8月10日、初のナゴヤドーム大会を開催。
  • 11月2日、福岡ドーム大会を開催。
1998年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月4日、東京ドーム大会を開催。ドーム大会史上最高観客動員数7万人を記録。
  • 8月8日、大阪ドーム大会を開催。IWGPジュニアタッグ王座を設立。初代王者は大谷晋二郎&高岩竜一組。
1999年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月10日、東京ドーム大会を開催。新日本プロレス初のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチが蝶野正洋対大仁田厚戦で行われ(ただし新日本プロレスは公式試合として認めず第0試合とした)、両者KOによる引き分け。
  • 6月24日、藤波辰爾が代表取締役社長に就任。前代表取締役社長の坂口征二は代表取締役会長に就任。
  • 8月28日、初の神宮球場大会を開催。
  • 10月11日、東京ドーム大会を開催。
  • 10月、第1回「G1 TAG LEAGUE」を開催。優勝は武藤敬司&スコット・ノートン組。

2000年代[編集]

2000年
  • 新日本プロレスがWCWの経営悪化に伴い業務提携を解消。
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月7日、東京ドーム大会を開催。橋本真也が引退を賭けて小川直也と対決するも敗れ、公約通り引退。
  • 4月14日、気仙沼市総合体育館で行われた福田雅一柴田勝頼戦の試合中に福田雅一が意識不明となり、4月19日に死去。試合中の事故による死亡は日本の男子プロレスでは史上初。
  • 5月5日、福岡ドーム大会を開催。
  • 8月23日、テレビ朝日の番組、スポコン!折り鶴兄弟に押される形で橋本真也が復帰を表明。
  • 10月9日、東京ドーム大会を開催。橋本真也の復帰戦が藤波辰爾戦で行われ、橋本真也が勝利。
  • 橋本真也が「新日本プロレスリングZERO」を設立して他団体交流などを目的とした団体内の別組織として独立を宣言するが反対した現場監督の長州力と対立。
  • 11月13日、橋本真也を解雇。
2001年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月9日、大阪ドーム大会を開催。
  • 5月5日、福岡ドーム大会を開催。
  • 7月20日、初の札幌ドーム大会を開催。
  • 10月18日、東京ドーム大会を開催。
2002年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月、ロサンゼルスに新日本プロレスLA道場を設立。
  • 5月2日、東京ドーム大会を開催。
  • 8月、藤田和之が「本物の戦いをしたいという僕等の想い」という考えから「IWGPと対立するもの」と自ら位置づけ、NWFヘビー級王座が復活し、藤田和之、高山善廣高阪剛安田忠夫の4人によるNWFヘビー級王座決定トーナメントを開催することを発表。
  • 8月29日、日本武道館で藤田和之プロデュース興行「CROSS ROAD」を開催。
  • 9月6日、女子プロレスラー「ジョーニー・ローラー」が参戦。新日本プロレス初となる男女混合試合が行われた。
  • 10月14日、東京ドーム大会を開催。
2003年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。高山善廣対高阪剛によるNWFヘビー級王座決定トーナメント決勝戦が行われ、高山善廣がNWFヘビー級王座を獲得。
  • 4月23日、IWGP U-30無差別級王座を設立。初代王者は棚橋弘至
  • 5月2日、東京ドーム大会を開催。新日本プロレス独自ルールのアルティメット・クラッシュ形式による総合格闘技戦が行われた。
  • 10月13日、東京ドーム大会を開催。
2004年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。IWGPヘビー級王者中邑真輔対NWFヘビー級王者高山善廣による王座統一戦行われ、中邑真輔がIWGPヘビー級王座防衛に成功すると共にIWGPヘビー級王座とNWFヘビー級王座を統一。その後NWFヘビー級王座は再び封印。
  • 5月3日、東京ドーム大会を開催。
  • 6月23日、経営コンサルタントの草間政一が代表取締役社長に就任。前代表取締役社長の藤波辰爾は取締役副会長に就任。
  • 11月3日、大阪ドーム大会を開催。
2005年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月、第1回「NEW JAPAN CUP」を開催。優勝は棚橋弘至。
  • 5月14日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月26日、草間政一が代表取締役社長を解任され、後任としてアントニオ猪木の娘婿であるサイモン・ケリー猪木が代表取締役社長に就任。
  • 6月2日から4日、新日本プロレス初のイタリア興行を開催。
  • 10月8日、東京ドーム大会を開催。
  • 10月、新日本プロレスの総合格闘技部門を設立。
  • 11月14日、アントニオ猪木が保有していた新日本プロレスの株式(発行済株式総数の51.5%)をユークスが買収(後に発行済み株式を全取得し完全子会社化)。ユークスが新日本プロレスの親会社になった(2006年4月、ユークスから2名の役員が就任)。
2006年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月13日、新宿FACEで新日本プロレスとは別ブランドとなる興行「WRESTLE LAND」を開催。
  • 5月21日、新木場1stRINGで新日本プロレスとは別ブランドとなる興行「LOCK UP」を開催。
  • 7月、ブロック・レスナーが「契約上のトラブル」を理由に訪日を拒否。これを受けて新日本プロレスはブロック・レスナーが保持するIWGPヘビー級王座(3代目)を剥奪したが、ブロック・レスナーがIWGPヘビー級王座(3代目)のチャンピオンベルトを返還しなかった為、新日本プロレスは2代目IWGPヘビー級王座のチャンピオンベルトを使用。
2007年
  • 1月4日、全日本プロレスの全面協力のもと新日本プロレス&全日本プロレス創立35周年記念大会「レッスルキングダム in 東京ドーム」を開催。
  • 3月6日、後楽園ホールで第1回「NJPWグレーテストレスラーズ」受賞式がおこなわれ、アントニオ猪木、坂口征二、星野勘太郎、山本小鉄が表彰。
  • 3月9日、サイモン・ケリー猪木が代表取締役社長を辞任。
  • 4月25日、取締役副社長の菅林直樹が代表取締役社長に就任。
  • 5月25日、新日本プロレスの総合格闘技部門がリニューアルし、「NEW JAPAN FACTORY」を設立。
  • 6月29日、両国国技館で行われたIGFの旗揚げ戦でブロック・レスナーがカート・アングルと非公式のIWGPヘビー級選手権試合を行い、カート・アングルが勝利し、3代目IWGPヘビー級王座を獲得。
2008年
  • 1月4日、「レッスルキングダムII in 東京ドーム」を開催。
  • 2月17日、両国国技館で2代目IWGPヘビー級王座を保持するIWGPヘビー級王者中邑真輔対3代目IWGPヘビー級王座を保持するカート・アングルによるチャンピオンベルト統一戦が行われ、中邑真輔がIWGPヘビー級王座防衛に成功すると共に2つのIWGPヘビー級王座を統一。
  • 3月9日、愛知県体育館で新調された4代目IWGPヘビー級王座がIWGPヘビー級王者中邑真輔に贈呈された。
  • 5月5日、後楽園ホールで蝶野正洋がゼネラルマネージャーを務めるプロレス興行「PREMIUM」を開催。
2009年

2010年代[編集]

2010年
2011年
2012年
2013年
  • 1月2日と3日、アキバ・スクエアで「ブシモ Presents 新春!大プロレス祭り」を開催。
  • 1月4日、「レッスルキングダム7 ~EVOLUTION~ IN 東京ドーム」を開催。
  • 5月、新日本プロレスの選手寮のリフォームが終わり、新しい新日本プロレスの選手寮が完成[2][3]
  • 9月24日、代表取締役社長の菅林直樹が代表取締役会長に就任し、執行役員で経営企画兼商品部の手塚要が代表権のない取締役社長に就任[4]。取締役会長の木谷高明は退任。
  • 10月7日、DDTプロレスリング飯伏幸太が新日本プロレスとの2団体所属選手になることを発表[5]
2014年
  • 1月3日、ディファ有明で「大プロレス祭り2014」を開催。
  • 1月4日、「レッスルキングダム8 IN 東京ドーム」を開催。
  • 4月13日と14日、台湾大学にて「WRESTLING WORLD 2014 in 台湾」を開催。

他団体との交流[編集]

全日本プロレス[編集]

1979年8月26日、日本武道館で東京スポーツ主催の新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスによる合同興行「東京スポーツ新聞社創立20周年記念 プロレス夢のオールスター戦」を開催。「プロレス夢のオールスター戦」でアントニオ猪木ジャイアント馬場のタッグチーム「BI砲」が一夜限りの復活。1980年代前半、新日本プロレスと全日本プロレスで外国人選手の引き抜き合戦を行い、スタン・ハンセンブルーザー・ブロディタイガー・ジェット・シンアブドーラ・ザ・ブッチャーらが新日本プロレスと全日本プロレスを行き来するなど反目関係にあった。1984年8月、越中詩郎が全日本プロレスを退団。同年10月9日、新日本プロレスを退団した長州力アニマル浜口マサ斎藤キラー・カーン小林邦昭寺西勇谷津嘉章永源遙栗栖正伸保永昇男仲野信市新倉史祐笹崎伸司ジャパンプロレスを設立し、全日本プロレスと業務提携を結ぶと同時に専属選手契約を締結。1985年8月、越中詩郎が新日本プロレスに移籍。同年8月スーパー・ストロング・マシンヒロ斎藤高野拳磁のユニット「カルガリーハリケーンズ」が新日本プロレスを退団し、ジャパンプロレスに移籍。同年12月、新日本プロレスと全日本プロレスで選手の「引き抜き防止協定」が結ばれた。 1987年3月23日、ジャパンプロレスが全日本プロレスとの契約を解消。同年3月30日、ジャパンプロレスが崩壊。長州力、マサ斎藤、小林邦昭、保永昇男、スーパー・ストロング・マシン、ヒロ斎藤が新日本プロレスに再入団。ジャパンプロレスでデビューした佐々木健介馳浩が新日本プロレスに移籍。寺西勇、谷津嘉章、永源遙、栗栖正伸、仲野信市、高野拳磁が全日本プロレスに残留。新倉史祐がSWSに移籍。キラー・カーンがWWF(現:WWE)に移籍。笹崎伸司が引退。1990年2月10日、坂口征二体制の下で行われた新日本プロレス東京ドーム大会で当初メインイベンターを飾る予定であったNWA世界ヘビー級王者リック・フレアーが訪日をキャンセルしたため坂口征二はジャイアント馬場に選手の貸し出しを頼み、ジャンボ鶴田天龍源一郎谷津嘉章、2代目タイガーマスク三沢光晴)、スタン・ハンセンが参戦。1996年1月、馳浩が新日本プロレスを退団し、同年11月、全日本プロレスに移籍。 2000年8月11日、新日本プロレス両国国技館大会に全日本プロレスの渕正信が来場。長らく対立関係にあった新日本プロレスと全日本プロレスの交流が始まる。同年9月2日、全日本プロレス日本武道館大会に蝶野正洋が参戦。同年9月16日、新日本プロレス愛知県体育館大会に川田利明が来場、太陽ケア、渕正信が参戦。同年10月9日、新日本プロレス東京ドーム大会に川田利明、渕正信、スティーブ・ウイリアムスが参戦。同年10月21日、全日本プロレス愛知県体育館大会に蝶野正洋、天山広吉小島聡ヒロ斎藤後藤達俊小原道由が参戦。同年12月14日、新日本プロレス大阪府立体育会館に川田利明、渕正信が参戦。2001年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に川田利明が参戦。同年1月28日、全日本プロレス東京ドーム大会に佐々木健介武藤敬司獣神サンダー・ライガーが参戦。同年2月3日、新日本プロレス北海道立総合体育センターに川田利明、荒谷望誉、渕正信が参戦。同年2月18日、太陽ケアと同年3月17日、馳浩がユニット「BATT」のメンバーに加わり、新日本プロレスに参戦。同年4月14日、全日本プロレス日本武道館大会に武藤敬司、天山広吉、小島聡が参戦。同年4月9日、新日本プロレス大阪ドーム大会に川田利明、太陽ケア、渕正信が参戦。同年5月5日、新日本プロレス福岡ドーム大会に太陽ケア、馳浩が参戦。同年6月6日、新日本プロレス日本武道館大会に川田利明、馳浩、長井満也、渕正信、垣原賢人マイク・バートンが参戦。 同年6月8日、全日本プロレス日本武道館大会に天山広吉、小島聡、ヒロ斎藤が参戦。同年6月8日、全日本プロレス日本武道館大会に永田裕志中西学吉江豊真壁刀義が参戦、武藤敬司が天龍源一郎の三冠ヘビー級王座を獲得。同年7月14日、全日本プロレス日本武道館大会に武藤敬司が参戦。同年7月20日、新日本プロレス札幌ドーム大会に太陽ケアが参戦。同年9月8日、全日本プロレス日本武道館大会に武藤敬司、蝶野正洋、木戸修棚橋弘至が参戦。同年9月8日、スティーブ・ウイリアムス、マイク・ロトンドジム・スティールマイク・バートンがヒールユニット「TEAM 2000」のメンバーに加わった。同年9月16日、新日本プロレス名古屋レインボーホール大会に川田利明、長井満也が参戦。同年10月22日、全日本プロレス新潟市体育館大会で武藤敬司と全日本プロレスの太陽ケアが天龍源一郎&安生洋二組の世界タッグ王座を獲得。同年10月27日、全日本プロレス日本武道館大会に武藤敬司、蝶野正洋が参戦。同年10月28日、新日本プロレス福岡国際センターでIWGPタッグ王者、藤波辰爾&西村修組対世界タッグ王者、武藤敬司と全日本プロレスの太陽ケアによるダブルタイトルマッチ戦が行われ、武藤敬司と全日本プロレスの太陽ケアが世界タッグ王座防衛と共にIWGPタッグ王座を獲得。同年12月、ジム・スティール&マイク・バートン組がG1 TAG LEAGUEに出場して準優勝に終わった。同年12月、武藤敬司と全日本プロレスの太陽ケアが世界最強タッグ決定リーグ戦に出場して優勝した。2002年1月、武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシン、5人のフロントスタッフが新日本プロレスを退団、退社し、同年2月26日、全日本プロレスに移籍したため、交流が一時期凍結された。2003年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に小島聡が参戦。2004年6月12日、全日本プロレス愛知県体育館で永田裕志と全日本プロレスのケンドー・カシンが小島聡&カズ・ハヤシ組の世界タッグ王座を獲得。同年11月3日、全日本プロレス両国国技館大会で長井満也&成瀬昌由組が天龍源一郎&渕正信組のアジアタッグ王座を獲得。2005年に2月20日、新日本プロレス両国国技館大会でIWGPヘビー級王者、天山広吉対三冠ヘビー級王者、小島聡によるダブルタイトルマッチ戦が行われ、小島聡が三冠ヘビー級王座防衛と共にIWGPヘビー級王座を獲得。同年3月26日、新日本プロレス両国国技館大会に小島聡が参戦。同年5月14日、新日本プロレス東京ドーム大会に小島聡が参戦。2006年12月、天山広吉と全日本プロレスの小島聡のタッグチーム「テンコジ」が世界最強タッグ決定リーグ戦に出場して優勝した。2007年、新日本プロレス東京ドーム大会で全日本プロレスが全面協力のもと新日本プロレス&全日本プロレス創立35周年記念大会「レッスルキングダム in 東京ドーム」を開催。2008年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に武藤敬司の化身「グレート・ムタ」が参戦。同年3月1日、全日本プロレス両国国技館大会に棚橋弘至が参戦。同年4月27日、新日本プロレス大阪府立体育会館大会に武藤敬司が参戦。同年7月21日、新日本プロレス月寒アルファコートドーム大会に武藤敬司が参戦。同年8月31日、新日本プロレス両国国技館大会に武藤敬司が参戦。同年9月21日、新日本プロレス神戸ワールド記念ホール大会に武藤敬司が参戦。同年10月13日、新日本プロレス両国国技館大会に武藤敬司が参戦。同年11月と12月、天山広吉と全日本プロレスの小島聡のタッグチーム「テンコジ」がG1 TAG LEAGUEと世界最強タッグ決定リーグ戦に出場して優勝した。2009年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に武藤敬司が参戦。同年10月12日、新日本プロレス両国国技館大会に武藤敬司が参戦。2010年2月28日、後楽園ホールで新日本プロレス、全日本プロレス全面協力のもと江崎グリコのスポーツフーズ営業部長兼プロダクトマネージャーの桑原弘樹プロデュース興行「グリコ・パワープロダクション・ドリームマッチ」を開催。同年4月、永田裕志がチャンピオン・カーニバルに出場して優勝。同年4月、金本浩二と全日本プロレスの田中稔のタッグチーム「ジュニア・スターズ」がジュニア・タッグリーグ戦に出場して準優勝に終わった。同年5月31日、小島聡が全日本プロレスを退団し、同年8月にフリーとして新日本プロレスに参戦。同年6月19日、全日本プロレス両国国技館大会に永田裕志が参戦。同年8月27日、日本武道館で新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアによる合同興行「ALL TOGETHER 東日本大震災復興支援チャリティープロレス」を開催。2011年9月19日、フリーとして新日本プロレスに参戦していた小島聡が新日本プロレスに再入団。同年12月14日、新日本プロレス後楽園ホール大会にカズ・ハヤシが参戦。2012年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会に武藤敬司、船木誠勝河野真幸が参戦。同年4月、永田裕志が2年連続優勝かけてチャンピオン・カーニバルに出場して準決勝敗退に終わった。同年4月、金本浩二と全日本プロレスの田中稔のタッグチーム「ジュニア・スターズ」がジュニア・タッグリーグ戦に出場して予選敗退に終わった。同年2月19日、仙台サンプラザホールで新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアによる合同興行「ALL TOGETHER 〜もう一回、ひとつになろうぜ〜」を開催。同年4月16日、全日本プロレスのBUSHIが新日本プロレスに1年間のレンタル移籍した。同年7月1日、両国国技館で新日本プロレス、全日本プロレスによる合同興行「カードファイト!! ヴァンガード PRESENTS 新日本プロレスリング&全日本プロ・レスリング創立40周年記念大会サマーナイトフィーバー in 両国 WE ARE PRO-WRESTLING LOVE!」を開催。同年10月21日、全日本プロレス名古屋国際会議場で金本浩二と全日本プロレスの田中稔のタッグチーム「ジュニア・スターズ」がアジアタッグ王座決定トーナメントに出場してアジアタッグ王座を獲得。同年10月27日と28日、台湾で新日本プロレス、全日本プロレスによる合同興行「カードファイト!! ヴァンガード PRESENTS 新日本プロレスリング&全日本プロ・レスリング創立40周年記念大会 We are Prowrestling LOVE! in TAIWAN」を開催。2013年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に武藤敬司が参戦。同年1月18日、BUSHIが新日本プロレスに完全移籍した。その後、全日本プロレスのオーナーとなった白石伸生がfacebook上で他団体に対する問題発言を繰り返し、新日本プロレスも槍玉に上げたため新日との関係が一気に悪化し、さらに他団体との交流を凍結する「鎖国宣言」を行うなどしたため、現在は交流が途絶えている。

  • 当時全日所属であった小島聡が、G1 CLIMAXへ、2006年と2008年に出場している。

プロレスリング・ノア[編集]

2001年10月18日、新日本プロレス東京ドーム大会に秋山準が参戦。2002年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に秋山準が参戦。同年5月2日、新日本プロレス東京ドーム大会に三沢光晴が参戦。同年8月29日、新日本プロレス日本武道館大会にKENTA橋誠が参戦。同年8月29日、新日本プロレス日本武道館大会で金丸義信&菊池毅組が獣神サンダー・ライガー&田中稔組のIWGPジュニアタッグ王座を獲得。同年9月23日、プロレスリング・ノア日本武道館大会にエル・サムライ成瀬昌由が参戦。2003年1月26日、プロレスリング・ノア神戸ワールド記念ホール大会に獣神サンダー・ライガー、金本浩二が参戦。同年5月2日、新日本プロレス東京ドーム大会に小橋建太が参戦。同年6月10日、新日本プロレス大阪府立体育会館に丸藤正道鈴木鼓太郎が参戦。同年9月12日、プロレスリング・ノア日本武道館大会に永田裕志が参戦。同年11月30日、プロレスリング・ノア北海道立総合体育センターで永田裕志&棚橋弘至組が小橋建太&本田多聞組のGHCタッグ王座を獲得。同年12月6日、プロレスリング・ノア横浜文化体育館大会に永田裕志、棚橋弘至が参戦。2004年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会で獣神サンダー・ライガーが杉浦貴GHCジュニアヘビー級王座を獲得。同年1月10日、プロレスリング・ノア日本武道館大会に永田裕志、棚橋弘至が参戦。同年2月15日、プロレスリング・ノア両国国技館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年3月6日、プロレスリング・ノア日本武道館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年4月28日、広島県立総合体育館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年5月21日、宮城県スポーツセンター大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年7月10日、プロレスリング・ノア東京ドーム大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2005年5月14日、新日本プロレス東京ドーム大会に三沢光晴が参戦。同年7月18日、プロレスリング・ノア東京ドーム大会に棚橋弘至が参戦。2006年、当時の新日本プロレス社長のサイモン・ケリー猪木テレビ朝日日本テレビとの間で取り決められていたバーター契約を一方的に白紙化(後に当時の渉外部長の仲田龍がこの契約の存在を否定)とし、プロレスリング・ノアより絶縁宣言を受ける。また当時の新日本プロレスの親会社ユークスはプロレスリング・ノアに関する版権を借りられなくなり、プロレスをモチーフにしたテレビゲームの「レッスルキングダム」に登場していたプロレスリング・ノアの選手は次回作の「レッスルキングダム2 プロレスリング世界大戦」に登場しなかった。2008年9月27日、プロレスリング・ノア大阪府立体育会館大会に高橋裕二郎内藤哲也が参戦。2009年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に三沢光晴、秋山準、杉浦貴、佐野巧真が参戦。同年5月5日、新日本プロレス後楽園ホール大会に森嶋猛、杉浦貴、青木篤志が参戦。同年5月6日、プロレスリング・ノア日本武道館大会に天山広吉、獣神サンダー・ライガー、金本浩二、岡田かずちか(現:オカダ・カズチカ)が参戦。同年6月13日、三沢光晴が試合中に急死した際、新日本プロレスの選手が葬儀に参列した。同年6月20日、新日本プロレス大阪府立体育会館に杉浦貴、潮崎豪が参戦。同年10月12日、新日本プロレス両国国技館大会に小橋建太と秋山準が参戦。同年10月、ジュニア・ヘビー級リーグ戦に 獣神サンダー・ライガーが出場して準優勝に終わった。同年12月22日と12月23日、後楽園ホールで行われた新日本プロレス主催の大会SUPER J-CUPに丸藤正道、青木篤志が出場し、青木篤志は1回戦敗退、丸藤正道は優勝した。2010年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に杉浦貴、潮崎豪、モハメド・ヨネが参戦、丸藤正道がタイガーマスク(4代目)のIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。同年1月、真壁刀義&本間朋晃組がグローバル・タッグ・リーグ戦に出場して予選敗退に終わった。同年1月30日、新日本プロレス後楽園ホール大会に丸藤正道が参戦。同年3月5日、新日本プロレス後楽園ホール大会に丸藤正道が参戦。同年4月4日、新日本プロレス後楽園ホール大会に丸藤正道が参戦。同年5月3日、新日本プロレス福岡国際センター大会に丸藤正道が参戦。同年5月8日、新日本プロレスJCBホール大会に丸藤正道が参戦。同年6月19日、新日本プロレス大阪府立体育会館大会に丸藤正道が参戦。同年8月22日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会で金本浩二&タイガーマスク(4代目)組が石森太二&リッキー・マルビン組のGHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得。同年8月28日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に金本浩二、タイガーマスク(4代目)が参戦。同年11月23日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に金本浩二、タイガーマスク(4代目)が参戦。同年12月24日、プロレスリング・ノア、ディファ有明大会に金本浩二、タイガーマスク(4代目)が参戦。2011年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に杉浦貴、潮崎豪が参戦。同年8月27日、日本武道館で新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアによる合同興行「ALL TOGETHER 東日本大震災復興支援チャリティープロレス」を開催。同年8月30日、新日本プロレス後楽園ホール大会に秋山準が参戦。2012年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に丸藤正道、杉浦貴、潮崎豪が参戦。同年2月19日、仙台サンプラザホールで新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアによる合同興行「ALL TOGETHE 〜もう一回、ひとつになろうぜ〜」を開催。同年9月9日、新日本プロレス東金アリーナ大会に秋山準が参戦。同年9月17日、プロレスリング・ノア大阪府立体育会館大会に永田裕志が参戦。同年11月、永田裕志がグローバル・リーグ戦に出場して予選敗退に終わった。2013年1月19日、プロレスリング・ノア松山市総合コミュニティセンター大会に永田裕志、小島聡渡辺高章が参戦。同年1月20日、プロレスリング・ノア博多スターレーン大会に永田裕志、小島聡、渡辺高章が参戦。同年1月22日、プロレスリング・ノア伊佐市体育センター大会に永田裕志、小島聡、渡辺高章が参戦。同年1月23日、プロレスリング・ノア、サンアリーナせんだい大会に永田裕志、小島聡、渡辺高章が参戦。同年1月25日、プロレスリング・ノア宮崎市北部記念体育館大会に永田裕志、小島聡、渡辺高章が参戦。同年1月27日、プロレスリング・ノア大阪府立体育会館大会に永田裕志、小島聡、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)、渡辺高章が参戦。同年2月9日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に矢野通飯塚高史キャプテン・ニュージャパンが参戦。同年2月23日、プロレスリング・ノア、ディファ有明大会に矢野通、飯塚高史が参戦。同年2月24日、プロレスリング・ノア、グリーンドーム前橋・サブイベントエリア大会に矢野通、飯塚高史が参戦。同年3月10日、プロレスリング・ノア横浜文化体育館大会で矢野通&飯塚高史組が丸藤正道&杉浦貴組のGHCタッグ王座を獲得。同年4月14日、プロレスリング・ノア新潟市体育館大会に小島聡が参戦。同年4月、矢野通&飯塚高史組と高橋裕二郎がプロレスリング・ノアのマイバッハ谷口とグローバル・タッグ・リーグ戦に出場して予選敗退に終わった。同年5月12日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に矢野通、飯塚高史が参戦。同年6月1日、プロレスリング・ノア広島産業会館 西展示館大会に矢野通、飯塚高史、高橋裕二郎が参戦。同年6月2日、プロレスリング・ノア博多スターレーン大会に飯塚高史、高橋裕二郎が参戦。同年6月2日、プロレスリング・ノア博多スターレーン大会に矢野通が参戦。同年6月3日、プロレスリング・ノア大分イベントホール大会に矢野通、飯塚高史、高橋裕二郎が参戦。同年6月8日、プロレスリング・ノア、ナスキーホール・梅田大会に矢野通、飯塚高史が参戦。同年6月23日、プロレスリング・ノア三条市厚生福祉会館大会に永田裕志が参戦。同年6月30日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に矢野通、飯塚高史、高橋裕二郎が参戦。同年7月7日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会に矢野通、飯塚高史が参戦。同年7月26日、プロレスリング・ノア新発田市カルチャーセンター大会に小島聡が参戦。同年7月、獣神サンダー・ライガー&タイガーマスク(4代目)組が日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦に出場して優勝と同時にGHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得。同年8月24日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に中邑真輔、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)が参戦。同年9月15日、プロレスリング・ノア佐世保市体育文化館大会に獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)が参戦。同年9月16日、プロレスリング・ノア博多スターレーン大会に獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)が参戦。同年9月22日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に永田裕志、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)、渡辺高章が参戦。同年10月5日、プロレスリング・ノア横浜文化体育館大会に中邑真輔、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)、YOSHI-HASHIが参戦。同年11月8日、プロレスリング・ノア新潟市体育館大会に獣神サンダーライガー、タイガーマスク(4代目)が参戦。同年10月と11月、永田裕志がグローバル・リーグ戦に出場して優勝。同年11月27日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に永田裕志、獣神サンダーライガーが参戦。同年12月7日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会に永田裕志、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)が参戦。2014年1月3日、新日本プロレス、ディファ有明大会に原田大輔熊野準が参戦。同年1月19日、プロレスリング・ノア博多スターレーン大会に永田裕志、獣神サンダー・ライガーが参戦。同年1月20日、プロレスリング・ノア薩摩川内市・サンアリーナせんだい大会に永田裕志が参戦。同年1月22日、プロレスリング・ノア熊本市食品流通交流会館大会に永田裕志が参戦。プロレスリング・ノア大阪府立体育会館・第2競技場大会に永田裕志、獣神サンダー・ライガーが参戦。同年2月8日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会で永田裕志が森嶋猛のGHCヘビー級王座を獲得。同年2月22日、プロレスリング・ノア、ディファ有明大会に永田裕志が参戦。同年3月8日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会に永田裕志、内藤哲也、矢野通、飯塚高史、YOSHI-HASHI、獣神サンダー・ライガーが参戦。同年3月21日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に永田裕志、小島聡、獣神サンダー・ライガー、田中翔が参戦。以降中堅・ベテラン選手を中心に頻繁にノアのリングに上がり、ノアの選手も新日の興行に出場しているため、現在は比較的関係は良好であるといえる。

ZERO1[編集]

プロレスリングZERO-ONE→ZERO1-MAX→ZERO1

2001年3月2日、両国国技館で行われたプロレスリングZERO-ONEの旗揚げ戦に永田裕志が参戦。2002年5月2日、新日本プロレス東京ドーム大会に橋本真也UFO小川直也のタッグチーム「OH砲」が参戦。2006年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に大谷晋二郎高岩竜一田中将斗佐藤耕平崔領二佐々木義人神風(現:KAMIKAZE)が参戦。同年5月31日、中西学とZERO1-MAXの大森隆男がタッグチーム「ワイルドチャイルド」を結成。同年6月24日、ZERO1-MAXディファ有明大会で中西学とZERO1-MAXの大森隆男のタッグチーム「ワイルドチャイルド」が佐藤耕平&崔領二組のNWAインターコンチネンタルタッグ王座を獲得。同年7月17日、新日本プロレス札幌月寒大会で中西学とZERO1-MAXの大森隆男のタッグチーム「ワイルドチャイルド」が真壁刀義&越中詩郎組のIWGPタッグ暫定王座を獲得。同年9月20日、蝶野正洋天山広吉のタッグチーム「蝶天タッグ」のIWGPタッグ王座が剥奪され、中西学とZERO1-MAXの大森隆男のタッグチーム「ワイルドチャイルド」が正式にIWGPタッグ王者となった。2007年9月9日、新日本プロレス東金アリーナ大会に大谷晋二郎が参戦。2008年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に高岩竜一、田中将斗が参戦。同年3月2日、ZERO1-MAX後楽園ホール大会に中西学、金本浩二田口隆祐高橋裕二郎内藤哲也平澤光秀が参戦。同年3月2日、ZERO1-MAX後楽園ホール大会に参戦した中邑真輔が試合後、マイクを手に解説席にいた橋本真也の長男の橋本大地に「もうひとつ、このリングに来たもうひとつの理由。このベルトは、橋本真也に返そうと思う。大地くん、受け取ってくれ」とコメントしたあと2代目IWGPヘビー級王座の立会人の1人、橋本大地へ手渡す。しかしリングに上がった橋本大地は「返してもらったのに何ですけど、これは自分が大きくなって、力で奪い返したいと思います」と返答した。同年3月25日、ZERO1-MAX旭川地場産業振興センター大会に中西学、平澤光秀が参戦。同年3月26日、函館市民体育館大会に中西学、平澤光秀が参戦。同年3月29日、ZERO1-MAX札幌テイセンホール大会に中西学、平澤光秀が参戦。同年4月29日、ZERO1-MAX後楽園ホール大会に蝶野正洋が参戦。同年5月10日、ZERO1-MAX大阪府立体育会館第2競技場大会に中西学、金本浩二、田口隆祐、高橋裕二郎が参戦。同年5月21日、ZERO1-MAX、Zepp Fukuoka大会に中西学、金本浩二が参戦。同年5月25日、ZERO1-MAX名古屋テレピアホール大会に中西学、金本浩二が参戦。同年5月29日、ZERO1-MAX後楽園ホール大会に永田裕志、中西学、田中稔、高橋裕二郎、内藤哲也が参戦。同年7月、中西学、真壁刀義火祭りに出場し、中西学は予選敗退、真壁刀義は準優勝に終わった。同年8月、田中将斗がヒールユニット「CHAOS」のメンバーに加わり、新日本プロレスに参戦。同年10月12日、ZERO1-MAX栃木県総合文化センター大会に永田裕志、平澤光秀が参戦。同年10月13日、ZERO1-MAX両国国技館大会で永田裕志が田中将斗の世界ヘビー級王座を獲得。同年12月17日、ZERO1-MAX新宿FACE大会に永田裕志が参戦。2009年1月1日、ZERO1後楽園ホール大会で金本浩二とZERO1の大谷晋二郎と高岩竜一のユニット「トンガリコーンズ」が一夜限りの復活。同年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に田中将斗が参戦。同年2月27日、ZERO1後楽園ホール大会に永田裕志が参戦。同年9月27日、神戸ワールド記念ホール大会で邪道外道がZERO1の田中将斗とユニット「コンプリート・プレイヤーズ」を再結成。同年10月12日、新日本プロレス両国国技館大会に大谷晋二郎と田中将斗と佐藤耕平が参戦。同年11月、プリンス・デヴィット天下一Jr.に出場して準優勝に終わった。2010年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に田中将斗が参戦。2011年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に田中将斗が参戦。同年5月26日、新日本プロレス後楽園ホール大会でZERO1の田中将斗と邪道と外道のユニット「コンプリート・プレイヤーズ」に高橋裕二郎がメンバーーに加わった。同年10月2日、ZERO1靖国神社大会に天山広吉が参戦。同年10月3日、新日本プロレス後楽園ホール大会に大谷晋二郎が参戦。2012年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に田中将斗が参戦。2013年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に橋本大地が来場、大谷晋二郎、田中将斗が参戦。同年2月3日、新日本プロレス後楽園ホール大会に田中将斗が参戦。同年5月3日、新日本プロレス福岡国際センター大会に田中将斗が参戦。同年7月20日、新日本プロレス秋田市立体育館大会に田中将斗が参戦。同年9月29日、新日本プロレス神戸ワールド記念ホール大会に田中将斗が参戦。同年11月9日、新日本プロレス大阪府立体育会館大会に田中将斗が参戦。

WRESTLE-1[編集]

WRESTLE-1は開国主義を採っているため他団体からの参戦を積極的に受け入れている。同年9月22日、WRESTLE-1石川産業展示館3号館大会に中西学が参戦。同年10月6日、WRESTLE-1後楽園ホール大会に中西学が参戦。同年11月16日、WRESTLE-1後楽園ホール大会に小島聡が参戦。2014年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に武藤敬司の化身「グレート・ムタ」が参戦。同年1月31日、WRESTLE-1後楽園ホール大会に獣神サンダーライガーが参戦。同年3月2日、WRESTLE-1両国国技館大会に小島聡が参戦。

みちのくプロレス[編集]

1993年3月16日、みちのくプロレス旗揚げ直後から獣神サンダー・ライガーザ・グレート・サスケが良好な関係を築いている。テリー・ボーイ(現:MEN'Sテイオー)が学生プロレス出身であったために、学生プロレスを嫌う風潮にあった新日本プロレスの選手から疎外され袋叩きにされる事態があったが、後にプロレスに対する姿勢を目の当たりにした大谷晋二郎が報道陣の前で土下座して詫びしたことでわだかまりは解けている。1994年4月16日、両国国技館で行われた新日本プロレス主催の大会SUPER J-CUPにザ・グレート・サスケ、スペル・デルフィンTAKAみちのくが出場し、TAKAみちのくは1回戦敗退、スペル・デルフィンは2回戦敗退、ザ・グレート・サスケは準優勝に終わった。同年9月29日、みちのくプロレス青森県民体育館大会にエル・サムライと当初、獣神サンダー・ライガーが参戦予定だったが骨折したため代打で大谷晋二郎が参戦。1996年4月29日、新日本プロレス東京ドーム大会で「アメリカンドリームマッチ」として武藤敬司の化身「グレート・ムタ」対新崎人生の化身「白使」が実現し、グレート・ムタが勝利。1999年1月8日、みちのくプロレス札幌中島体育センター大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年4月10日、新日本プロレス東京ドーム大会で獣神サンダー・ライガーとみちのくプロレスのザ・グレート・サスケがケンドー・カシン&ドクトル・ワグナー・ジュニア組のIWGPジュニアタッグ王座を獲得。同年7月13日、新日本プロレス岩手県営体育館大会にザ・グレート・サスケが参戦。2000年4月1日と4月9日、仙台市体育館と両国国技館で行われた、みちのくプロレス主催の大会SUPER J-CUPに獣神サンダー・ライガー、真壁伸也(現:真壁刀義)が出場し、真壁伸也は1回戦敗退、獣神サンダー・ライガーは優勝した。2001年2月18日、武藤敬司が結成したユニット「BATT」に新崎人生がメンバーに加わり、新日本プロレスに参戦。同年4月9日、新日本プロレス大阪ドーム大会に新崎人生が参戦。同年7月20日、新日本プロレス札幌ドーム大会に新崎人生が参戦。同年8月19日、みちのくプロレス、ニューワールド仙台大会に武藤敬司、ヒロ斎藤後藤達俊が参戦し、武藤敬司が化身「黒使無双」になって新崎人生の化身「白使」と初タッグを結成。2002年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会にザ・グレート・サスケ、タイガーマスク(4代目)が参戦。2002年にタイガーマスク(4代目)がみちのくプロレス所属ながら1年間新日本プロレスのシリーズに帯同。同年12月16日、タイガーマスク(4代目)が新日本プロレスに円満移籍。2003年9月23日、みちのくプロレス安比高原スキー場大会に獣神サンダー・ライガー、金本浩二、タイガーマスク(4代目)が参戦。2004年2月22日、みちのくプロレス後楽園ホール大会に井上亘が参戦。同年4月、ヤングライオン杯争奪リーグ戦湯浅和也(現:シーサー王)が出場して準優勝に終わった。2005年8月28日、みちのくプロレス、ニューワールド仙台大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2006年9月30日、みちのくプロレス新宿FACE大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。2007年1月13日、みちのくプロレス矢巾町民総合体育館にタイガーマスク(4代目)が参戦。同年6月14日、みちのくプロレス阿南市スポーツ総合センター・サブアリーナ大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。同年8月と9月、ふく面ワールドリーグ戦〜決勝トーナメント〜に獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)、エル・サムライが出場し、獣神サンダー・ライガー、エル・サムライは2回戦敗退、タイガーマスク(4代目)は優勝。2008年6月20日、みちのくプロレス後楽園ホール大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。2009年12月12日、みちのくプロレス後楽園ホール大会「宇宙大戦争」に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年12月22日と12月23日、後楽園ホールで行われた新日本プロレス主催の大会SUPER J-CUPにフジタ"Jr"ハヤトが出場して1回戦敗退に終わった。2010年5月8日、フジタ"Jr"ハヤト&野橋太郎組がSUPER J TAG TOURNAMENTに出場して準決勝敗退に終わった。同年11月、フジタ"Jr"ハヤト&野橋太郎組がJ SPORTS CROWN〜SUPER J TAG LEAGUE〜に出場して予選敗退に終わった。2011年12月14日、新日本プロレス後楽園ホール大会にザ・グレート・サスケが参戦。2012年6月24日、みちのくプロレス滝沢村大釜幼稚園体育館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年8月と9月、ふく面ワールドリーグ戦〜決勝トーナメント〜に獣神サンダー・ライガーが出場して準優勝に終わった。2013年11月4日、みちのくプロレス岩手県営体育館大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。

大阪プロレス[編集]

2000年10月9日、新日本プロレス東京ドーム大会にスペル・デルフィンが参戦。2000年12月14日、新日本プロレス大阪府立体育館大会にスペル・デルフィン、村浜武洋ツバサが参戦。2001年1月7日、大阪プロレス大阪臨海スポーツセンター大会に獣神サンダー・ライガーエル・サムライが参戦。同年2月11日、新日本プロレス舞洲アリーナ大会にスペル・デルフィン、村浜武洋、ツバサが参戦。同年4月20日、新日本プロレス後楽園ホール大会に村浜武洋が参戦。同年5月29日、大阪プロレス後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガー、エル・サムライが参戦。2002年8月29日、新日本プロレス日本武道館大会に村浜武洋が参戦。同年10月と11月、エル・サムライが天王山〜誰が一番強いねん!トーナメント〜に出場して準決勝敗退に終わった。同年11月12日、大阪プロレス後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2003年2月1日、大阪プロレス大阪城ホール大会で獣神サンダー・ライガーと大阪プロレスの村浜武洋がブラックバファロー&ツバサ組の大阪プロレスタッグ王座を獲得。同年3月21日、新日本プロレス国立代々木競技場・第2体育館大会にビリーケン・キッドGammaが参戦。同年4月28日、新日本プロレス博多スターレーン大会に村浜武洋、タイガースマスクえべっさん(初代)が参戦。同年6月2日、大阪プロレス後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年6月10日、新日本プロレス大阪府立体育館大会にえべっさん(初代)が参戦。同年6月13日、新日本プロレス日本武道館大会に村浜武洋が参戦。同年8月13日、大阪プロレス松下IMPホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年11月24日、大阪プロレス後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年11月25日、大阪プロレス、キラメッセぬまづ大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年12月6日、大阪プロレス、デルフィン・アリーナ大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2004年2月21日、大阪プロレス大阪城ホール大会に獣神サンダー・ライガー、ヒート井上亘が参戦し、井上亘が大阪プロレス主催の大会SUPER J-CUPに出場して準決勝敗退に終わった。同年4月2日、大阪プロレス国立代々木競技場・第2体育大会に獣神サンダーライガー、金本浩二、ヒート、井上亘が参戦。同年4月17日、大阪プロレス松下IMPホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2006年9月16日、大阪プロレス松下IMPホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2008年9月19日、新日本プロレス鳥取産業体育館大会にブラックバファローが参戦。2009年11月27日、新日本プロレス鳥取産業体育館大会にブラックバファローが参戦。同年12月22日と12月23日、後楽園ホールで行われた新日本プロレス主催の大会SUPER J-CUPにタイガースマスクが出場して2回戦敗退に終わった。2010年11月26日、新日本プロレス鳥取産業体育館大会にブラックバファローが参戦。2011年11月23日、新日本プロレス鳥取産業体育館大会にブラックバファローが参戦。2012年9月30日、大阪プロレス松下IMPホール大会に永田裕志が参戦。

DRAGON GATE[編集]

闘龍門→闘龍門JAPAN→DRAGON GATE

2000年4月1日と4月9日、仙台市体育館と両国国技館で行われた、みちのくプロレス主催の大会SUPER J-CUPに出場予定だったマグナムTOKYOが負傷欠場しため、代役でCIMAが出場し、決勝戦で獣神サンダー・ライガーと対戦して敗れるが、その後CIMAがドン・フジイと共に新日本プロレスに参戦。2006年11月8日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが来場。同年11月23日、DRAGON GATE大阪府立体育館・第1競技場大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2007年1月7日、新日本プロレス後楽園ホール大会でIWGPジュニアタッグ王者、邪道&外道組対インターナショナルジュニアタッグ王者、望月成晃&ドン・フジイ組によるダブルタイトルマッチ戦が行われ、邪道&外道組がIWGPジュニアタッグ王座防衛に成功すると共にインターナショナルジュニアタッグ王座を獲得。同年1月8日、新日本プロレス後楽園ホール大会にB×Bハルクが参戦。同年2月23日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガー、邪道、外道が参戦。同年3月4日、DRAGON GATE名古屋国際会議場大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年3月25日、DRAGON GATE津市体育館大会で獣神サンダー・ライガーがドン・フジイのオープン・ザ・ドリームゲート王座を獲得。同年4月17日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年6月5日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年7月1日、DRAGON GATE神戸ワールド記念ホール大会に永田裕志が参戦。2008年7月12日、DRAGON GATE新潟市体育館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年8月26日、新日本プロレス後楽園ホール大会に望月成晃、ドン・フジイが参戦。同年12月28日、DRAGON GATE福岡国際センター大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2009年1月23日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に金本浩二が参戦。同年2月12日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に金本浩二が参戦。同年3月5日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に金本浩二が参戦。同年3月22日、DRAGON GATE両国国技館大会に金本浩二が参戦。同年5月3日、新日本プロレス福岡国際センター大会にDRAGON GATEのCIMAが参戦。同年12月22日と12月23日、YAMATOが後楽園ホールで行われた新日本プロレス主催の大会SUPER J-CUPにが出場して準決勝敗退に終わった。2010年11月、望月成晃&スペル・シーサー組がJ SPORTS CROWN 〜SUPER J TAG LEAGUE〜に出場して予選敗退に終わった。2011年11月、石井智宏とDRAGON GATEのドン・フジイがG1 TAG LEAGUEに出場して予選敗退に終わった。2012年9月9日、新日本プロレス東金アリーナ大会に望月成晃が参戦。同年11月、永田裕志とDRAGON GATEの望月成晃がWORLD TAG LEAGUEに出場して予選敗退に終わった。同年12月2日、DRAGON GATE名古屋国際会議場大会に永田裕志が参戦。2013年8月25日、DRAGON GATEなら100年会館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。現在はDRAGON GATEが独自路線を敷いている関係上、積極的な交流は行われていない。

KAIENTAI-DOJO[編集]

2002年8月、筑前りょう太が覆面レスラー「魔界2号」としてユニット「魔界倶楽部」のメンバーに加わり、新日本プロレスに参戦。同年8月29日、新日本プロレス日本武道館大会にHi69が参戦。2007年5月2日、新日本プロレス後楽園ホール大会でTAKAみちのくとフリーのディック東郷邪道&外道組のIWGPジュニアタッグ王座を獲得。2008年5月3日、KAIENTAI-DOJO千葉BlueField大会に田口隆祐が参戦。2011年1月4日、フリーの小島聡タイチ、KAIENTAI-DOJOのTAKAみちのく、東京愚連隊NOSAWA論外とユニット「小島軍(仮)」を結成。2011年5月3日、タイチとKAIENTAI-DOJOのTAKAみちのくがパンクラスMISSION鈴木みのると結託、小島軍(仮)のリーダーだった小島聡に半旗を振り返し、鈴木軍としてユニットを乗っ取る形で小島聡を追放した。同年4月17日、KAIENTAI-DOJO後楽園ホール大会に田口隆祐プリンス・デヴィットが参戦。2012年9月7日、真霜拳號がユニット「鈴木軍」のメンバーに加わり、新日本プロレスに参戦。同年9月20日から23日、幕張メッセで開催した東京ゲームショウブシロードブース内で新日本プロレス、CMLL、KAIENTAI-DOJOの提供試合が行われた。同年11月15日、SHIBUYA-AXで新日本プロレス主催の若手選手による興行NEVERのリニューアル大会でKAIENTAI-DOJOが興行面で協力して行われた。同年11月、真霜拳號とパンクラスMISSIONの鈴木みのるがWORLD TAG LEAGUEに出場して予選敗退に終わった。2013年8月24日、KAIENTAI-DOJO熊本市流通情報会館大会に高橋裕二郎が参戦。同年11月1日からタイチとKAIENTAI-DOJOのTAKAみちのくが自主興行「TAKA&タイチ興行」を開催している。

DDTプロレスリング[編集]

2002年6月7日、新日本プロレス日本武道館大会で行われたDDTプロレスリング提供試合にポイズン澤田JULIE(現:ポイズン澤田)、佐々木貴MIKAMI蛇影が参戦。2008年5月6日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。同年6月17日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガー、内藤哲也が参戦。2009年5月5日、新日本プロレス後楽園ホール大会に飯伏幸太が参戦。同年12月22日と23日、飯伏幸太、男色ディーノが新日本プロレス主催の大会SUPER J-CUPに出場し、飯伏幸太は1回戦敗退、男色ディーノは2回戦敗退に終わった。2010年3月14日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に真壁刀義が参戦。同年5月8日、飯伏幸太とオースティン・クリードSUPER J TAG TOURNAMENTに出場して1回戦敗退に終わった。同年10月11日、新日本プロレス両国国技館大会で飯伏幸太&ケニー・オメガのタッグチーム「ゴールデン☆ラヴァーズ」が田口隆祐&プリンス・デヴィットのタッグチーム「Apollo 55」のIWGPジュニアタッグ王座を獲得。同年10月12日、新日本プロレス両国国技館大会に飯伏幸太が参戦。同年11月14日、DDTプロレスリング大阪府立体育会館・第二競技場大会に田口隆祐、プリンス・デヴィットが参戦。同年12月26日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に邪道外道が参戦。2011年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に飯伏幸太が参戦。同年1月23日、新日本プロレス後楽園ホール大会に飯伏幸太、男色ディーノが参戦。同年6月18日、新日本プロレス大阪府立体育会館大会で飯伏幸太がプリンス・デヴィットのIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。同年7月24日、DDTプロレスリング両国国技館大会にプリンス・デヴィットが参戦。同年8月1日、新日本プロレス福岡国際センター大会に飯伏幸太が参戦。同年8月14日、新日本プロレス両国国技館大会に飯伏幸太が参戦。2012年1月21日、新日本プロレス後楽園ホール大会に男色ディーノが参戦。同年7月29日、新日本プロレス後楽園ホール大会に飯伏幸太が参戦。同年8月18日、DDTプロレスリング日本武道館大会「武道館ピーターパン」に真壁刀義が参戦。同年9月7日、新日本プロレス後楽園ホール大会に飯伏幸太が参戦。同年9月23日、新日本プロレス神戸ワールド記念ホール大会に飯伏幸太が参戦。同年10月8日、新日本プロレス両国国技館大会に飯伏幸太が参戦。同年12月23日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に天山広吉小島聡が参戦。 2013年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に飯伏幸太が参戦。同年2月17日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガー、高橋広夢が参戦。同年8月18日、DDTプロレスリング両国国技館大会にオカダ・カズチカが参戦。同年10月7日、DDTプロレスリングの飯伏幸太が新日本プロレスとの2団体所属選手になることを発表。

WNC[編集]

SMASH→WNC

2010年5月29日、SMASH新宿FACE大会にプリンス・デヴィットが参戦。同年6月、棚橋弘至とSMASHのTAJIRIKUSHIDAJ SPORTS CROWN〜無差別級6人タッグトーナメント〜に出場して準優勝に終わった。同年7月24日、SMASH新宿FACE大会の昼の部に三上恭佑と夜の部に内藤哲也が参戦。同年11月、棚橋弘至とSMASHのTAJIRIがG1 TAG LEAGUEに出場して予選敗退に終わった。同年11月22日、SMASH、JCBホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2011年4月1日、KUSHIDAが新日本プロレスに移籍。同年6月9日、SMASH後楽園ホール大会に飯塚高史が参戦。2012年3月14日、SMASHの活動終了。同年4月5日、元SMASH所属選手たちは新団体WNCを設立。同年4月26日、新宿FACEでWNCのプレ旗揚げ戦が行われた。同年5月24日、後楽園ホールで行われたWNCの旗揚げ戦に矢野通邪道外道が参戦。2013年5月18日、WNC八王子市民体育館大会に高橋広夢が参戦。

女子プロレス団体[編集]

JWP女子プロレス山本小鉄をコーチとして招いていた関係上、新日本プロレスで提供試合をしたことがある。一方、新日本プロレスで活動していたユニット「魔界倶楽部」がユニット「魔界魔女軍団」として全日本女子プロレスに勢力を拡大していた時期に全日本女子プロレスの試合で新日本プロレスの選手を交えたミックスファイトが行われた。1990年9月1日と2日、新日本プロレス北朝鮮興行「平和のための平壌国際体育・文化祝典」で行われた全女提供試合に豊田真奈美吉田万里子北斗晶ブル中野が参戦。ちなみに北朝鮮興行では佐々木健介と北斗晶が知り合った事でも有名。2002年5月2日、新日本プロレス創立30周年記念「闘魂記念日」東京ドーム大会で行われた全女提供試合に豊田真奈美、堀田祐美子伊藤薫中西百重が参戦。2002年6月7日、新日本プロレス日本武道館大会で行われたアルシオン提供試合に吉田万里子、大向美智子玉田凛映藤田愛ライオネス飛鳥GAMInoki-A(現:AKINO)、Baby-A(現:Baby-M)、バイオニックJ(現:ジェシカ・ソト)、ファビー・アパッチェが参戦。新日本プロレスとCMLLのコラボレーション興行「NJPW PRESENTS CMLL FANTASTICA MANIA」にCMLL(ルード)のセコンドとして下田美馬CMLL世界女子王座を獲得した栗原あゆみCMLL-REINAインターナショナル王座を獲得した朱里が来場。

主な興行[編集]

新日本プロレスでは月1回のビッグマッチ(PPV大会)と前哨戦となる「Road to」がタイトルについた試合のシリーズがセットとなっている。例として「レスリングどんたく」の場合、前哨戦は「Road to レスリングどんたく」。ただしトーナメント戦、リーグ戦の場合は決勝戦以外が「Road to」シリーズの代わりとなる。

大会名 会場 備考
1月 WRESTLE KINGDOM 東京ドーム
2月 THE NEW BEGINNING 広島サンプラザホール、ボディメーカーコロシアム
3月 NEW JAPAN CUP 後楽園ホール、尼崎ベイコム総合体育館 シングルマッチのトーナメント戦
4月 INVASION ATTACK 両国国技館
5月 レスリングどんたく 福岡国際センター
6月 DOMINION ボディメーカーコロシアム
7月 KIZUNA ROAD 秋田市立体育館 前哨戦に「Road to」がつかない
8月 G1 CLIMAX 両国国技館、西武ドーム シングルマッチのリーグ戦
9月 DESTRUCTION 神戸ワールド記念ホール
10月 KING OF PRO-WRESTLING 両国国技館
11月 POWER STRUGGLE ボディメーカーコロシアム
12月 WORLD TAG LEAGUE 愛知県体育館 タッグマッチのリーグ戦

歴代社長[編集]

歴代 氏名 在職期間 備考
初代 猪木寛至 1972年1月 - 1989年7月 1983年8月から10月は社長から降格
2代目 坂口征二 1989年7月 - 1999年6月
3代目 藤波辰巳 1999年6月 - 2004年6月
4代目 草間政一 2004年6月 - 2005年5月
5代目 サイモン・ケリー猪木 2005年5月 - 2007年3月
6代目 菅林直樹 2007年4月 - 2013年9月 2013年9月から会長に就任
7代目 手塚要 2013年9月 - 現在

タイトルホルダー[編集]

新日本プロレスが管理する王座
タイトル 保持者 歴代 防衛回数 次期挑戦者(組) 挑戦権利書保持者
IWGPヘビー級王座 AJスタイルズ 第60代 2 カール・アンダーソン オカダ・カズチカ
IWGPタッグ王座 カール・アンダーソン
ドク・ギャローズ
第64代 5
IWGPジュニアヘビー級王座 KUSHIDA 第68代 田口隆祐
IWGPジュニアタッグ王座 KUSHIDA
アレックス・シェリー
第38代 1 タイチ
エル・デスペラード
IWGPインターコンチネンタル王座 バッドラック・ファレ 第9代 中邑真輔
NEVER無差別級王座 高橋裕二郎 第4代
新日本プロレスが開催するトーナメント戦、リーグ戦
タイトル 覇者 年代
NEW JAPAN CUP 中邑真輔 2014年
BEST OF THE SUPER Jr. リコシェ 2014年
G1 CLIMAX オカダ・カズチカ 2014年
SUPER Jr. TAG TOURNAMENT マット・ジャクソン
ニック・ジャクソン
2013年
WORLD TAG LEAGUE カール・アンダーソン
ドク・ギャローズ
2013年

所属選手、主要参戦選手[編集]

正規軍ヘビー級[編集]

テンコジ
青義軍
G・B・H

正規軍ジュニアヘビー級[編集]

TIME SPLITTERS

CHAOS[編集]

フォーエバー・フーリガンズ

鈴木軍[編集]

K.E.S.

BULLET CLUB[編集]

ヤング・バックス

フリーランス[編集]

スタッフ[編集]

レフェリー[編集]

リングアナウンサー[編集]

リングドクター[編集]

メディカルトレーナー[編集]

インターナショナルコーディネーター[編集]

IWGP実行委員会[編集]

野毛道場管理人兼料理人[編集]

役員[編集]

代表取締役会長[編集]

取締役社長[編集]

取締役[編集]

監査役[編集]

ブシロードクラブ[編集]

新日本プロレスのアマチュアレスリング部門。

所属選手[編集]

監督[編集]

過去の所属選手[編集]

プロレスラー[編集]

格闘家[編集]

練習生[編集]

過去のスタッフ、役員[編集]

故人[編集]

プロレスラー[編集]

スタッフ、役員[編集]

  • 太武経(1986年 - 2001年死去)(野毛道場管理人兼料理人)
  • ミスター・ヒト(安達勝治)(日本プロレス→フリー→1981年 - 1984年→フリー→2010年死去)(カルガリーでブッカー、トレーナー)
  • ユセフ・トルコ(日本プロレス→1968年引退→1972年レフェリー転向 - 1974年→フリー→2013年死去)(レフェリー)
  • 吉原功(日本プロレス→国際プロレス→1984年 - 1985年死去)(顧問)

フリー、他団体参戦選手[編集]

プロレスラー[編集]

女子プロレスラー[編集]

来日外国人選手[編集]

プロレスラー[編集]

女子プロレスラー[編集]

格闘家[編集]

来日外国人関係者[編集]

レフェリー[編集]

リングアナウンサー[編集]

マネージャー[編集]

プロモーター[編集]

歴代ユニット[編集]

歴代タッグチーム[編集]

NJPWグレーテストレスラーズ[編集]

新日本プロレス創立35周年を記念して2007年3月6日に創設された功労者(現役引退選手のみ)を表彰する制度。

2007年
2009年
2010年
2011年

マスコットキャラクター[編集]

新日本プロレスのロゴマークであるライオンマークがモチーフのキャラクター。なお、新日本プロレスのロゴマークデザインを考案したのは山本小鉄である[6]

オフィシャルショップ[編集]

新日本プロレスのグッズ、大会チケットなどを販売している専門店。インターネットで通信販売もしている。

オフィシャル動画サイト[編集]

新日本プロレスの過去の試合を配信している。

テーマ曲[編集]

試合開始直前と試合終了後に会場に流される。テレビ朝日の番組「ワールドプロレスリング」のオープニング曲でもある。

試合中継[編集]

放送中のテレビ番組
終了したテレビ番組

主なマット広告スポンサー[編集]

新日本プロレスは日本のプロレス団体として格闘技団体としても先駆けてスポンサーを多数付け、その収入で賄う方法をとっている。

注釈[編集]

  1. ^ “新日本プロレス×ブシロード 新体制の2012年戦略を発表 真の「プロレスリングカンパニー」へと生まれ変わる!”. スポーツナビ. (2012年2月29日). http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/text/201202290007-spnavi.html 2012年2月29日閲覧。 
  2. ^ a b 新日本プロレス、選手寮のリフォームを『ビフォーアフター』に依頼. ORICON STYLE(2013年5月15日)
  3. ^ a b 6月2日(日)18:56~ 新日本プロレス選手寮を「ビフォーアフター」が劇的大改造!! 2時間スペシャルで放送!!. 新日本プロレス(2013年5月15日) 最終閲覧日2013年5月18日
  4. ^ 新役員人事決定のお知らせ”. 新日本プロレス (2013年9月25日). 2013年9月25日閲覧。
  5. ^ 契約会見 動画
  6. ^ 山本小鉄・前田日明『日本魂』講談社

関連項目[編集]

興行
リーグ戦、トーナメント戦
王座

外部リンク[編集]