山本尚史

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山本 尚史
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プロフィール
リングネーム ヨシタツ
ヤマモト
ヨシ・タツ
ヨシタツ・ヤマモト
ミスター・ヤマモト
山本 尚史
本名 山本 尚史
ニックネーム カーディアック・キッド
ガッツの塊
ECWのシンデレラ・ボーイ
身長 185cm
体重 96kg
誕生日 1977年8月1日(37歳)
出身地 岐阜県岐阜市
スポーツ歴 レスリング
ボクシング
トレーナー 永田裕志
後藤達俊
スティーブ・カーン
トム・プリチャード
ビリー・キッドマン
ノーマン・スマイリー
リッキー・スティムボート
アーン・アンダーソン
ジェイミー・ノーブル
デビュー 2002年10月12日
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山本 尚史(やまもと なおふみ、1977年8月1日 - )は、日本プロレスラー岐阜県岐阜市出身。WWE所属時にはギミック上、東京都出身という設定になっていた。

来歴[編集]

新日本プロレス[編集]

国士舘大学時代、レスリング部に1年間所属し、ボクシングフリースタイル柔術など経験。2002年3月に新日本プロレスへ入門。同期に中邑真輔田口隆祐長尾浩志後藤洋央紀がいる。

アメリカに渡り、新日本プロレス・ロサンゼルス道場で修行後、同年10月12日に後楽園ホール井上亘戦でデビュー。2004年2005年には第9回、第10回ヤングライオン杯に連続参加。優勝は逃すが、積極的な試合内容で注目される。当時の必殺技は後藤達俊直伝のバックドロップ。2005年にはボクシングプロテストを受けることが発表されたが、結果の発表はされなかった。

2006年、所属レスラーの大量離脱に伴い、師匠となった永田裕志とタッグを組んでIWGPタッグ王座への挑戦。ZERO1-MAXに所属する崔リョウジとの抗争など第一線の試合での起用が増えるようになる。

2007年11月、無期限の海外遠征に出発。WWEの傘下団体であるFCWに入団し、ミスター・ヤマモトMr. Yamamoto)のリングネームで活動を開始。12月4日のFCWデビュー戦では謎の日本人マスクマンであるイチバンに連れられて登場し、デリック・リンカーンと2対1でのハンディキャップマッチを行い勝利した。2008年1月から2月にはFCW南部ヘビー級王座挑戦権争奪バトルロイヤルやロイヤルランブルマッチに出場する待遇を得るも挑戦権を得る事ができなかった。

WWE[編集]

2008年[編集]

2008年2月、新日本プロレスとの契約を更新せず退団。フリーとなり、4月にWWEトライアウトに挑んで合格し、9月にはビザを取得した事を機にディベロップメント契約を交わして入団したことを発表した。引き続き傘下団体であるFCWにてトレーニングに励み、タイトルマッチには無縁ではあったもののレギュラーとして出場機会が多く、11月にはリングネームをヤマモトYamamoto)へとマイナーチェンジ。

2009年[編集]

2009年1月、リングネームを父親の名前である芳龍(よしたつ)から肖ってヨシタツYoshitatsu)へと変更。6月30日、WWEに昇格してリングネームをヨシ・タツYoshi Tatsu)へとマイナーチェンジし、ECWにてデビューを果たす。ヨシ・タツを相手にせず挑発ばかりしていたシェルトン・ベンジャミンに対してハイキックを一撃で決めて勝利を収めた。7月9日のECWではベンジャミンと再戦するもリベンジされてしまった。以降、FCWとECWを行き来しながらもポール・バーチルウィリアム・リーガルなどを相手に勝利を収めている。

9月15日、ECWにて6月13日に逝去した三沢光晴への敬意を表してエメラルドグリーンのタイツを着用。対戦相手のザック・ライダーに三沢の得意技であったローリング・エルボーを見舞い、実況であるマット・ストライカーは名前は出さなかったもののヨシ・タツが憧れたヒーローのオマージュを披露したと解説した。

ECW内でのスキットではタッグを組む事が多かったゴールダストから英語や西洋文化を学んだり、逆にゴールダストに日本語などを教え合った。実況からはECW版おかしな二人などと呼ばれた。

10月20日、ECWにてクリスチャンが保持するECW王座への挑戦権を懸けてザック・ライダーと対戦して勝利し、正式にECW王座挑戦権を獲得した。10月27日、ECW王者のクリスチャンに初挑戦するも王座を奪取するに至らなかった。この試合はWWEが実施したWWEユニバースが選ぶ2009年度のベストマッチ25にて22位にランクイン。ECWでは第2位であった。

12月14日、RAWにてデビューする。ジョン・モリソン & マーク・ヘンリーと組み、ザ・ミズ & ドリュー・マッキンタイア & ザック・ライダーと6人制タッグマッチで対戦。ザック・ライダーから右ハイキックでピンフォールを奪い、RAWデビュー戦を自らの勝利で飾った。

2010年[編集]

2010年1月12日、ECWにてECW王座挑戦権を賭けたECWホームカミング・フィナーレ・バトルロイヤルに出場するも勝利を逃した。

1月19日、ECW放送終了後に公式サイトにおいて、1月31日のPPVであるRoyal Rumble 2010への種津工が正式に発表され、デビュー後初のPPV出場が決定した。ロイヤルランブルマッチへの日本人レスラーの出場は史上7人目であり、21番目に登場するが30秒足らずでジョン・シナに脱落された。

2月16日、ECWの番組最終回において、ザ・ミズ & ビッグ・ショーが保持する統一タッグチーム王座に挑戦するも、王座を奪取するに至らなかった。ECWの番組終了に伴い、2月22日よりRAWに移籍した。

3月28日、年間最大のPPVであるWrestleMania 26にて、放送中継の間に行われたダーク・マッチによる26人バトルロイヤルに出場して優勝を果たした。WWEのバトルロイヤルで日本人が優勝したのは、1984年7月にマディソン・スクエア・ガーデン大会において行われた試合に出場したアントニオ猪木以来、約25年9か月ぶりの快挙であった。また、日本人レスラーのWrestleManiaでの勝利は以来5年ぶり史上6人目であった。

8月20日、21日に両国国技館で行われたRAW Summer Slamツアー日本公演に出場するため凱旋帰国を果たした。20日にクリス・ジェリコとのシングルマッチを行い敗戦するが、21日にはジョン・シナと組んでのクリス・ジェリコ & シェイマスとのタッグマッチでパートナーであるジョン・シナをアシストして勝利し、ジェリコから雪辱を果たした。

2011年[編集]

2011年、追加ドラフトによりSmackDown!に移籍。また、新人発掘番組であるNXTシーズン5にてルーキーであるバイロン・サクストンを担当するプロとしてに登場した。NXTではマリースを巡ってルーキーのラッキー・キャノンと抗争。その際にバイロン・サクストンを相手にしなかった事が原因となって怒ったサクストンとも抗争する羽目になってしまい、師弟関係は崩壊。サクストンも早々と脱落してしまった。

サクストン脱落後、ラッキー・キャノンを担当するプロであるタイソン・キッドにバックステージのロッカーにて勝利を祈る自身のフィギュア、ミニ・ヨシを破壊された挙句、パーツを盗まれる挑発を受けたことから抗争を開始。抗争中、ミニ・ヨシの脚部パーツをかけてNXTでは初となるポールマッチで対戦して勝利したものの、試合終了後にキッドから襲撃を受けて足を負傷したというアングルが組まれ欠場。

以降、タイソン・キッドが試合に出場している最中、もしくは試合終了後に「誇り」という文字がタイタントロンに唐突に映し出されるようになる。そして9月6日に「日本に生まれたことを誇りたい」と書かれた黒のロングタイツなど忍者風の黒を基調とした衣装を着用し、顔の左半分に歌舞伎の隈取風の白塗りのうえ、頬に『誇』という一文字を入れた独特のフェイスペイントを施して復帰を果たし、タイソン・キッドと対戦して勝利した。

タイソン・キッドとの抗争後、トレント・バレッタとタッグを組んでタイラー・レックス & カート・ホーキンスとNXTで抗争。前座番組であるSuperstarsではジンダー・マハルと短期抗争を展開。

2012年 - 2014年[編集]

2012年、SmackDownに出場する機会があったもののジョバーという形が多かった。8月9日、10日の両日には両国国技館にて行われたSmackDownハウスショーに出場するため凱旋帰国を果たし、9日はレイ・ミステリオ & ザック・ライダーと組んでプリモ & エピコ & ジャック・スワガーと対戦して勝利。10日にはレイ・ミステリオ & ランディ・オートンと組んでプリモ & エピコ & ジョン・ロウリネイティスと対戦して勝利した。アメリカに戻ってから依然としてジョバーとしての立ち位置に甘んじた。

2013年1月23日、初代NXTタッグ王者決定トーナメントにパーシー・ワトソンとのタッグでエントリーするが、1回戦でワイアット・ファミリールーク・ハーパー & エリック・ローワン)と対戦するが敗戦した。4月4日、WrestleMania Axxessにてエゼキエル・ジャクソンとタッグを組み、フニコ & カマーチョを相手に勝利した。

7月4日、5日に両国国技館で行われたWWE Liveにて凱旋帰国し、4日にグレート・カリと組んでプリモ & エピコと対戦して勝利し、5日にはウェイド・バレットと対戦して勝利した。

2014年NXTでの出場が中心となるも若手レスラー達の踏み台として敗戦が続いた。4月6日、WrestleMania 30にてアンドレ・ザ・ジャイアント・メモリアルトロフィー・バトルロイヤルに出場するが一番目に脱落。

5月8日、NXTにてNXT王座挑戦権争奪バトルロイヤルに出場。「ヨシ・タツ!」チャントが鳴り響き、終盤近くまで残ったがボー・ダラスにより敗退させられた[1]

6月12日、WWEから解雇となった[2]

インディー団体[編集]

WWE解雇後、2014年7月よりフロリダを拠点とするインディー団体、アイ・ビリーブ・イン・レスリング(I Believe in Wrestling)の主宰者であるラリー・ズビスコスコット・ホールが共同運営しているチーム・ビジョン・ドージョーにてトレーニングを開始[3]。同月29日、アイ・ビリーブ・イン・レスリングのイベントであるBELIEVE 77にて、FCW時代に使用していたリングネームであるヤマモトYamamoto)名義でチェイスン・ランス、女子レスラーのブリタニーと組んでジャスティン・マイケルズ & レオ・ブライエン & マイク・パトリックと6人制タッグマッチを行い勝利した。

8月3日、BELIEVE 78ではジョシュ・ヘスとシングルマッチを行い勝利している。8月16日、BELIEVE 79にてSCWフロリダヘビー級王座を保持するアーロン・エピックに挑戦して勝利し、ベルトを奪取。プロレスラーとなってからキャリア初のタイトルを戴冠した。翌17日のBELIEVE 80ではチコ・アダムスと防衛戦を行い勝利した。同月29日、SCW南部ヘビー級王座を獲得。翌30日、BELIEVE 82にてTNAFIPEVOLVEに参戦した経験のあるリンス・ドラドを相手にSCWフロリダヘビー級王座防衛戦を行い勝利している。

9月9日、ペンシルベニア州フィラデルフィアを拠点とする団体であるCHIKARAに参戦する事が発表された。9月20日に行われたKing of Trios 2014にてアシュリー・レミントンと対戦するが反則により敗戦となった[4][5]

9月26日、フロリダを拠点とするPWR(Pro Wrestling RIOT)に参戦。PWR王座を保持するリット・ギディンスに挑戦して勝利し、王座を奪取した。

10月4日、BELIEVE 86にてチェイスン・ランスと自身が保持するSCWフロリダヘビー級王座とランスが保持するSCWフロリダヘリテイジ王座を賭けたダブルタイトルマッチに挑んで勝利し、SCWフロリダヘリテイジ王座を奪取した。

新日本プロレス[編集]

2014年10月13日、新日本プロレスのPPV、KING OF PRO-WRESTLINGにて7年ぶりに凱旋を果たす。棚橋弘至 vs AJスタイルズによるIWGPヘビー級王座戦にて試合途中に窮地に追い込まれたスタイルズを救出せんと介入したジェフ・ジャレットに対してリング内へと乱入し撃退。棚橋のベルト奪取となるサポートをした。今後についてリングネームをFCW時代に使用したヨシタツを使う意向を示した[6]。TwitterにてBH (Bullet club Hunter)と記してあるパーカーを身にまとった姿を公開し、「自分自身でバレットクラブを壊滅させる」と公言した。

得意技[編集]

ハイキック
WWEでのフィニッシャー。相手の不意をついて使ったり、カウンターで使うなど、さまざまな形で使用する。自身のブログで新名称を公募中であったものの、結局オフィスから使用の許可を得られなかった[7][8]
フライングニールキック
WWEでのフィニッシャー。スプリングボード式スワンダイブ式で決めることもある。ハイキックと同様に自身のブログで新名称を公募中であったものの、結局オフィスから使用の許可を得られなかった[7][8]。2012年8月のスーパースターズにて、「リバース・キック」と呼ばれている
パラレル・スナップメア
自らも相手と並行して前方回転しながら投げるフライング・メイヤー。回転した勢いで素早く立ち上がり、胸板へのキックへと連絡する。
各種キック
大学時代に正道会館で修行していた経験を持ち、ロー、ミドル、ハイ、ソバットを使い分ける。
ローリング・エルボー
2009年9月15日収録のECWでのザック・ライダー戦で初めて披露し、以降技のレパートリーのひとつになりつつある。
ドラゴン・スクリュー
スナップ・メアからキックに繋ぐ技としてよく使用する。
逆水平チョップ
ショーン・マイケルズが退団した頃から使い始めた。
シャイニング・ウィザード
グレゴリー・ヘルムズが解雇された頃から、使用し始めている。
介錯
渡米後のFCWでのフィニッシュ・ホールドで飛びつき(ヘッドシザース)式卍固め吉野正人のフロムジャングルに似た技。ECW昇格後はTVでは使用していなかったが、2010年4月5日の「スーパースターズ」収録枠にて、エヴァン・ボーンと組み、チャボ・ゲレロ、ザック・ライダー組とタッグマッチで対戦した際、ザック・ライダー相手に昇格後初めて使用した。
天下獲りバックドロップ
後藤達俊直々に指導を受け習得した必殺技。劣勢の状態をこの技一発でひっくり返すことがあった。WWEに入団してからは、一度も使っていなかったが、2010年の日本公演でクリス・ジェリコに対して使った(WWEでは脳天から落とすバックドロップは禁止技のため使っていなかったとのこと)。
クロスフィックス
羽根折り式腕ひしぎ逆十字固め。一時期のフィニッシュ・ホールドでもあった。
脇固め
逆エビ固め
テキサスクローバーホールド
新日本時代フィニッシュ・ホールドとして出すこともあった。
ハンドスプリングエルボー
ロープを逆立ちするようにバウンドし、その反動を利用して相手にバックエルボーを叩き込む。最近使い始めた。

戦績[編集]

総合格闘技 戦績
2 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0 0
2 0 2 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 太田裕之 1R 3:44 腕ひしぎ逆十字固め 第3回タイタンファイト 2001年4月30日
× 市川直人 1R 9:04 フロントネックロック CLUB FIGHT Round 1 2000年12月12日

獲得タイトル[編集]

SCW(Southern Championship Wrestling)
  • SCWフロリダヘビー級王座 : 1回
  • SCW南部ヘビー級王座 : 1回
  • SCWフロリダヘリテイジ王座 : 1回
PWR(Pro Wrestling RIOT)
  • PWR王座 : 1回

入場曲[編集]

新日本時代

  • SANCTUARY

FCW

  • Tuff Stuff

WWE

  • Jpop Drop

備考[編集]

  • 中日ファンで、棚橋弘至と一緒に、2004年中日優勝の瞬間に試合観戦をしていた。
  • FCW加入からしばらくの間、本人が新日本入門前にファンだったという平成維震軍のコスチュームを着用していた。着用に当たっては当時のメンバーだった先輩の小林邦昭後藤達俊らから許可をもらい、さらに実際の当時コスチュームをオーダーした業者を紹介してもらったという。
  • WWEでのリングネーム「YOSHI TATSU」を命名したのはFCWでエージェント兼実況コメンテーターを務めているダスティ・ローデスである。
  • これまでにも何人もの日本人選手が契約選手としてWWE(1軍)のリングに上がっているが、ディベロップメント(育成選手)契約からの昇格は初のケースとなった。
  • 本人いわく特異な出世をしており。WWEの選手の多くはWWEに来るまでにシングル王座を獲得しているか、OVW又はDSW若しくはFCWで王座に絡んでいる(王座に就いている)がいずれも満たしていない。(WWE加入後初めて王座に挑戦した王座がECW王座である)
  • 本人いわく現在WWEのトップに在籍しているレスラーの中で、ほぼ唯一コネクションを持っていない。にも関わらずトライアウトを受けて合格し、ディべロップメント契約にサインし、さらにRAWやSmackDownのTVテーピングやPPVでほとんど試合をしていないうえ、WWEでの扱いも低いにも関わらず、4年近くもトップに在籍し続けており、その点でも特異な存在である。
  • 在籍当時、WWEにおいて唯一の逆水平チョップの使い手であったが、WWEではチョップは禁じ手である為レスラーやファンから疑問を呈される事が時々ある。(リック・フレアーやリッキー・スティンボード、ショーン・マイケルズと言ったレスラーや関係者の多くからリスペクトされているレスラーの得意技なのが禁じ手の理由)
  • NXTシーズン5でのタイソン・キッドとのスキットは、実際にミニ・ヨシを壊された事件が下敷きになっている。この際ヨシ・タツがtwitterでこの事を書き立てたためにバックステージで問題となり、そのレスラーは解雇されてしまった。もっともそのレスラーの解雇はヨシ・タツ自身望んではいなかった事であり、本人もその事にはショックを受けていた。
  • 総合格闘家の所英男とは同郷ということもあり、学生時代からの友人。
  • ランシドラーズ・フレデリクセンとは、新日本プロレス時代からお互いのバックステージを訪問し観戦・観賞し合うなど交流がある(フレデリクセン自身、日本のプロレスを見るためだけに来日するほど大変なプロレスファンで、日米問わず関係者との交友関係は深い)。
  • WWE在籍時の晩年には出場機会が激減し、ジョバーとしての役割が多かったものの2014年にはフィギュアが発売され、ムック本であるWWE encycropediaに表紙入りしている。また、NXTにおいてヨシ・タツが出場しない試合に「ヨシ・タツ!」チャントが起こるなど、ファンからは待望された存在であった。

出典[編集]

  1. ^ シングウヤスアキ (2014年6月2日). “<NXT #220>NXT王座挑戦者決定バトルロイヤルでまさかのヨシ・タツチャント爆発?!”. J SPORTS. 2014年6月14日閲覧。
  2. ^ WWEがヨシ・タツらの解雇発表”. 日刊スポーツ (2014年6月14日). 2014年6月14日閲覧。
  3. ^ 近況報告 Yoshi Tatsu公式ブログ~Sanctuary~、2014年7月27日閲覧。
  4. ^ Yoshi Tatsu a Tigre Uno v CHIKARA Art of Wrestling、2014年9月9日閲覧。
  5. ^ King of Trios 2014 – Night 2 CHIKARA、2014年9月14日閲覧。
  6. ^ 新日本プロレス「KING OF PRO-WRESTLING」第10試合”. スポーツナビ (2014年10月13日). 2014年10月14日閲覧。
  7. ^ a b http://www.plus-blog.sportsnavi.com/wwe_yoshitatsu/article/433
  8. ^ a b http://www.plus-blog.sportsnavi.com/wwe_yoshitatsu/article/814

注釈[編集]

外部リンク[編集]