ボブ・オートン・ジュニア

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カウボーイ・ボブ・オートン
プロフィール
リングネーム カウボーイ・ボブ・オートン
ボブ・オートン・ジュニア
ビリー・ガスパー
ジ・インベーダー
本名 ロバート・キース・オートン・ジュニア
ニックネーム エース
身長 195cm
体重 117kg - 120kg
誕生日 1950年11月10日(63歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カンザス州カンザスシティ
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ボブ・オートン
ヒロ・マツダ
ジャック・ブリスコ
デビュー 1972年
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ボブ・オートン・ジュニアBob Orton Jr. 、本名:Robert Keith Orton Jr.1950年11月10日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーカウボーイ・ボブ・オートン"Cowboy" Bob Orton)のリングネームで知られる。カンザス州カンザスシティ出身。愛称は「エース」。父親のボブ・オートン、実弟のバリー・オートン、息子のランディ・オートンもプロレスラーである。

キャリア全盛期はカウボーイギミックヒールとして活動し、NWAWWF(現・WWE)の次期世界チャンピオンの有力候補とされたが、持ち前の反骨精神や素行の悪さも災いし[1]、ビッグ・タイトルには縁がなかった[2]。しかし、高度なレスリング技術と荒っぽい喧嘩ファイトが混在した独創的なスタイルは飛び抜けており、レスラー仲間や関係者、玄人筋のファンからの評価は非常に高い[3]。また、ストリートファイトの強さでも一目置かれていた。

来歴[編集]

ヒロ・マツダジャック・ブリスコのトレーニングを受け、1972年エディ・グラハムが主宰するNWAフロリダ地区でデビュー[2]1973年よりジョージアGCWジム・バーネット主宰)に転戦、当初はミスター・レスリング2号のパートナーに起用されるなどベビーフェイスのポジションにいたが、やがて鼻っ柱の強さを活かしたヒールに転向。1975年6月にはディック・スレーターとの喧嘩屋コンビでボブ・アームストロング&ロバート・フラーからNWAジョージア・タッグ王座を奪取した[4]

1976年5月には古巣のフロリダ地区でジャック・ブリスコを破りNWAフロリダ・ヘビー級王座を獲得[5]。7月にダスティ・ローデスに敗れタイトルを失うも[5]、同年にテリー・ファンクNWA世界ヘビー級王座に挑戦して「幻の載冠」を果たすなど、次期NWA世界王者の有力候補に浮上した[1]

同時期、彼同様にシューターとして名を馳せたボブ・ループタッグチームを結成、1977年から1979年にかけて、フロリダやアラバマなど南部のタッグ戦線を席巻した[6]。アラバマでは覆面レスラージ・インベーダーに変身し、1979年1月にジェリー・ブラックウェルと組んでタッグ王座を奪取したこともある[7]。この間、1978年にはAWAに参戦、カウボーイギミックの先達であるブラックジャック・ランザのパートナーを務め[8]、ランザやニック・ボックウィンクルと組んでグレッグ・ガニア&ジム・ブランゼルのハイ・フライヤーズが保持していたAWA世界タッグ王座にも挑戦している[9]

1979年下期、 アンジェロ・ポッフォランディ・サベージの父親)が立ち上げたケンタッキー州レキシントンの新興インディー団体ICW(インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング)にボブ・ループや弟のバリー・オートンと共に参画。最終的にはポッフォと袂を分かつが、NWA非加盟の独立団体に協力したために、すぐにはNWAの主要テリトリーに戻ることができず[1]1981年からはループと共にビル・ワットMSWAに転出。テッド・デビアスマイク・ジョージジャンクヤード・ドッグらと抗争し、8月にはミシシッピ・ヘビー級王座も獲得した[10]

1982年より、グラン・ウィザードマネージャーニューヨークWWFを約1年間サーキット。8月2日のマディソン・スクエア・ガーデンにおける定期戦でボブ・バックランドWWFヘビー級王座に挑戦し、10月4日の定期戦ではアンドレ・ザ・ジャイアントとのシングルマッチも組まれた[11]。また、当時ペドロ・モラレスが保持していたインターコンチネンタル王座にも再三挑戦している[12]

1983年からはジム・クロケット・ジュニアが主宰するノースカロライナNWAミッドアトランティック地区に参戦し、旧友スレーターと共に当時のNWA世界王者ハーリー・レイスボディーガードとなってリック・フレアーリッキー・スティムボートと抗争[13]。翌年1月にはドン・カヌードルをパートナーに、トーナメントの決勝でドリー・ファンク・ジュニア&ジミー・バリアントを下してミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を獲得した[14]

1984年ビンス・マクマホン・ジュニアの政権下で新体制となったWWFと再契約を果たす。ロディ・パイパーポール・オーンドーフとヒールのユニットを結成し、ハルク・ホーガンと敵対する悪役3人組の1人として活躍した。1985年には『サタデー・ナイト・メイン・イベント』の第1回放送(5月10日収録、翌11日放送)においてホーガンのWWF世界ヘビー級王座に挑戦している[15]。またこの頃から左前腕にギプスを装着し、凶器として用いることもあった。レッスルマニア第1回大会のメインイベントでは彼の凶器ギプス攻撃の誤爆が決まり手となっている。その後オーンドーフがグループを離脱してからもパイパーとはコンビを組み続け、パイパーのベビーフェイス転向後はドン・ムラコと新コンビを結成していたが、1987年にWWFを退団した。

ジミー・スヌーカ(左)と対戦するボブ・オートン・ジュニア(2009年ペンシルベニアのインディー団体にて)

以降はジム・コルネットが主宰するノックスビルのSMWやシカゴのAWF、カリフォルニア州マリナ・デル・レイのUWFなど各地のインディー団体で活動後、1999年頃に引退した。

2005年に入り、WWEで息子ランディ・オートンジ・アンダーテイカー抗争アングルが開始されると、ランディのマネージャー役としてスマックダウンに登場。4月3日のレッスルマニア21ではランディ対テイカー戦に乱入、往年の凶器ギプス攻撃を見せた(レッスルマニア前日にはWWE殿堂入りを果たしている)。その後も息子のマネージャーとなって活動、試合にも時折出場した。

2005年12月18日のアルマゲドンにおいて、ジ・アンダーテイカーとの試合中にストーリー上の吐血。オートンはかつて血液から感染する肝炎を患っていたことがあり、その事実を知りながらストーリーを変更しなかったWWEのライター陣に対してアンダーテイカーが激怒。その結果ボブ・オートン・ジュニアが絡むストーリーラインは終了することとなり、2006年2月13日にWWEを解雇された。

その後は2010年11月15日のRAW(オールド・スクール・エディション)、2012年4月20日のスマックダウンに登場。スマックダウンではランディの抗争相手ケインの襲撃を受けるなどストーリーにも絡んだ。

日本での活躍[編集]

日本には1975年4月に全日本プロレスに初来日。『チャンピオン・カーニバル』の第3回大会に参加し、トーナメント1回戦でジャンボ鶴田に敗退している。キャリア不足を露呈して戦績は芳しくなかったものの、同じく同大会に初来日したマイク・ジョージスティーブ・カーンと共に「若手三羽烏」などと呼ばれ将来を期待された[16]

2度目の来日となる1982年10月からは、WWFとの提携ルートで新日本プロレスに参戦。1983年3月の来日時に実現したアドリアン・アドニスとのタッグチームは「(初代)マンハッタン・コンビ」と呼ばれ、繰り出した「ハイジャック攻撃」の数々は維新軍団などにコピーされ、タッグマッチにおける一大ムーブメントとなる(スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディの「超獣コンビ」の対抗馬とも目されたが[17]、諸事情でオートンの継続参戦が困難になり、以降アドニスはディック・マードックと新チームを組んだ)。また、維新軍団の離脱などで新日本の選手層が薄くなった時期には、1984年11月1日の東京体育館における藤波辰巳とのシングルマッチで花道を馬に乗って入場するなど、興行の盛り上げに一役買った。

WWF離脱後の来日となる1988年には、覆面を被り "海賊男" ビリー・ガスパーを演じたこともある。同年11月に素顔に戻り、ディック・マードック&スコット・ホールとのトリオで『'88ジャパンカップ・シリーズ』のイリミネーション・タッグリーグ戦に出場。1990年10月には、SWSの旗揚げシリーズに外国人エースとして参戦した。以降は新日本に参戦していないが、1992年7月11日にオーストリアグラーツオットー・ワンツ主宰のCWA)にて、ブル・パワーの離脱で空位となっていたCWAインターコンチネンタル王座を藤波と争っている[18]

2008年2月16日、IGF有明コロシアム大会『GENOME3』にゲストとして久々に来日、ビリー・ガスパーのコスチュームで登場後に覆面を脱ぎ、65歳の誕生日を控えていたアントニオ猪木を祝福した。

得意技[編集]

スーパープレックス
雪崩式ブレーンバスター。相手がコーナーポスト最上段に登った際の逆襲技としてではなく、本家のスコット・アーウィンと同様に、ブレーンバスターの要領で相手をコーナーポストまで抱え上げ、最上段に座らせた状態にしてから放った。
スパイク・パイルドライバー
新日本プロレスではアドリアン・アドニス、NWAではディック・スレーターとのコンビで使用していた。
オクラホマ・スタンピード
フォーム的にはパワースラムに近かった。
長滞空式ブレーンバスター
ニー・ドロップ
エルボー・ドロップ
エルボー・スタンプ
ナックル・パンチ
ギプス攻撃

日本では公開されなかったが、ジャーマン・スープレックスも彼の得意技だった。月刊プロレス(現週刊プロレス)でのインタビューでは、フロリダでカール・ゴッチにコーチを受けた際、マスターしたとのこと。また、新日本プロレス初参戦時のデビュー戦では、木村健吾を相手にアトミック・ドロップからそのまま抱え式バックドロップのコンビネーション技で快勝、TV中継の解説を担当していた山本小鉄が「上手い」と唸った。

獲得タイトル[編集]

ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング
  • ICWサウスイースタン・ヘビー級王座 : 1回
  • ICWサウスイースタン・タッグ王座 : 2回(w / ボブ・ループ、バリー・オートン
  • ICW TV王座 : 1回
ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
  • ミッドサウス・ミシシッピ・ヘビー級王座 : 1回
ワールド・レスリング・エンターテインメント
その他
  • AWFヘビー級王座 : 1回
  • PCWヘビー級王座 : 1回
  • UWFサザン・ステーツ・ヘビー級王座 : 2回
  • WWS TV王座 : 1回
  • MPWヘビー級王座 : 1回

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 『THE WRESTLER BEST 1000』P176(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b Orton on bumps, Japan and his son”. SLAM! Sports: October. 14, 1999. 2010年2月6日閲覧。
  3. ^ DVD『WWE グレイテスト・レスリング・スターズ '80s』DISC-3(2006年、ジェネオン・エンタテインメント
  4. ^ NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月10日閲覧。
  5. ^ a b NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月10日閲覧。
  6. ^ Bob Roop”. Australian Sports Entertainment. 2010年5月10日閲覧。
  7. ^ NWA Southeastern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月10日閲覧。
  8. ^ 『別冊ゴング 1978年11月号』グラビア「黒い荒馬ランザがAWAの激戦地でルール無視の暴走」(1978年、日本スポーツ出版社)
  9. ^ The AWA matches fought by Bob Orton Jr. in 1978”. Wrestlingdata.com. 2014年8月12日閲覧。
  10. ^ Mid-South Mississippi Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月10日閲覧。
  11. ^ WWE Specific Arena Results: MSG 1980-1989”. The History of WWE. 2010年5月10日閲覧。
  12. ^ WWE Yearly Results 1982”. The History of WWE. 2010年5月13日閲覧。
  13. ^ Dick Slater Interview Part Four”. Mid-Atlantic Gateway. 2010年5月10日閲覧。
  14. ^ NWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月10日閲覧。
  15. ^ WWE Yearly Results 1985”. The History of WWE. 2010年5月13日閲覧。
  16. ^ 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P55(2002年、日本スポーツ出版社)
  17. ^ 『スーパー・タッグ Now!(プロレスアルバム55)』P17(1985年、ベースボール・マガジン社
  18. ^ CWA Intercontinental Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月13日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]