ブラックジャック・マリガン

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ブラックジャック・マリガン
プロフィール
リングネーム ブラックジャック・マリガン
ビッグ・ボブ・ウインダム
ビッグ・マシーン
本名 ロバート・デロイ・ウインダム
ニックネーム 黒い猛牛
黒い死神
身長 200cm
体重 140kg - 150kg[1]
誕生日 1942年11月26日(71歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州スウィートウォーター
スポーツ歴 アメリカンフットボール
トレーナー ジョー・ブランチャード
バーン・ガニア
ポール・バション[1]
デビュー 1967年
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ブラックジャック・マリガンBlackjack Mulligan)のリングネームで知られるロバート・ウインダムRobert Deroy Windham1942年11月26日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテキサス州スウィートウォーター出身。現役選手時代はカウボーイギミックの大型ラフファイターとして活躍し、NWAAWAWWEの各団体で実績を築いた。

バリー・ウインダムは長男、ケンドール・ウインダムは次男、マイク・ロトンドは娘婿。マイク・ロトンドの息子である孫のウィンダム・ロタンダ(ブレイ・ワイアット)テイラー・ロタンダ(ボー・ロトンド)もプロレスラーとしてデビューしている。

来歴[編集]

ニューヨーク・ジェッツAFLプレイヤーとして活躍した後、1967年ワフー・マクダニエルの勧めでプロレス入り[2]テキサス州サンアントニオジョー・ブランチャードのコーチを受けた後、ミネソタ州ミネアポリスバーン・ガニアのもとで再トレーニングを積み、AWA地区でデビュー[2]ビッグ・ボブ・ウインダムリングネームベビーフェイスとして売り出され、1970年には同団体と提携関係にあった国際プロレスに初来日。11月19日、ラリー・ヘニングとのタッグでサンダー杉山&グレート草津を破り、第4代IWA世界タッグ王者チームとなった[3]

帰国後、黒ずくめのカウボーイ・スタイルのブラックジャック・マリガンに改名してヒールに転向し、1971年1月よりニューヨークWWWF(現・WWE)を約半年間サーキット。グラン・ウィザードマネージャーに付け、マディソン・スクエア・ガーデンブルーノ・サンマルチノペドロ・モラレスと対戦した。同年3月15日には、前月にイワン・コロフからWWWF世界ヘビー級王座を奪取した新王者モラレスの、MSGにおける初防衛戦の相手も務めている[4]

AWAに復帰後は、このスタイルの先達であるブラックジャック・ランザタッグチームザ・ブラックジャックス」を結成。各地を転戦し、1971年11月6日にインディアナポリスでWWA世界タッグ王座[5]1975年8月26日にはニューヨークでWWWF世界タッグ王座[6]を獲得した。この間、1973年9月に国際プロレスのIWAワールドシリーズに出場し、1974年10月には全日本プロレスに来日。国際ではラッシャー木村とワールドシリーズの決勝を争い、全日本ではジャイアント馬場PWFヘビー級王座にも挑戦した。

1976年にランザとのタッグを解消し、以後1980年代初頭にかけてジム・クロケット・ジュニアの主宰するNWAミッドアトランティック地区に定着。初期はヒールとしてワフー・マクダニエル、ミスター・レスリングポール・ジョーンズリッキー・スティムボート、後にベビーフェイスとなってリック・フレアーマスクド・スーパースタービッグ・ジョン・スタッドボビー・ダンカンらと抗争。同地区認定のUSヘビー級王座(後のWCW・US王座、現在のWWE・US王座)を4回に渡って獲得している[7]

この間、カナダトロント地区(NWA主流派のミッドアトランティック地区と提携しつつ、WWWFとも交流するなど独自の活動を行っていたフランク・タニー主宰のメープル・リーフ・レスリング)に出場した縁から、1977年8月に新日本プロレスに初参戦。スタン・ハンセンと大型カウボーイコンビを結成し、アントニオ猪木とのシングルマッチも2回組まれたが、猪木のNWFヘビー級王座に挑戦することはなかった。また、坂口征二ストロング小林が保持していた北米タッグ王座にもザ・ハングマンと組んで挑戦する予定であったが、ハンセンに挑戦権を譲っている。

ミッドアトランティックを離れてからはジム・バーネットジョージア・チャンピオンシップ・レスリングを経て、1982年にはフレッド・ブラッシーをマネージャーに久々にニューヨークを襲撃。当時のWWFヘビー級王者ボブ・バックランドに挑戦する一方、アンドレ・ザ・ジャイアントとスーパーヘビー級の抗争を繰り広げた。日本では報じられることがなかったものの、1982年9月18日のフィラデルフィアにおける6人タッグマッチ(アンドレ&チーフ・ジェイ・ストロンボー&ジュールズ・ストロンボーVSマリガン&ミスター・サイトー&ミスター・フジ)では、アンドレをボディスラムで投げている[8]

1983年1月にはWWFルートで新日本プロレスに再来日。元旦後楽園ホールでアントニオ猪木とシングルマッチを行い、最終戦の蔵前国技館ではハルク・ホーガンとも対戦した。しかし、いずれもテレビ中継はされておらず、待遇面の問題やコンディションの不調もあり、アメリカでの実績に反し新日本では目立った活躍を残せなかった。

その後はNWAフロリダ地区のCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)に参戦し、ベビーフェイスのポジションでアブドーラ・ザ・ブッチャーキングコング・モスカと抗争、当時NWAの期待の星として台頭していた息子のバリー・ウインダムダスティ・ローデスとのタッグでも活動した[9]1984年は古巣のAWAに登場し、同じくフェイスターンしていたブラックジャック・ランザとブラックジャックスを再結成。日本でAWA世界ヘビー級王座を奪取しアメリカに乗り込んできたジャンボ鶴田にも挑戦するなど健在ぶりをアピールした。1985年より改めてCWFに定着し、当時フロリダで武者修行中だった武藤敬司(ホワイト・ニンジャ)と抗争していた次男のケンドール・ウインダム育成に注力したが、やがてCWFはジム・クロケット・プロモーションズに吸収された[10]

1986年にはWWFのエージェント兼ブッカーとして手腕を振るっていたランザの招きで、ジャイアント・マシーン(アンドレ・ザ・ジャイアント)&スーパー・マシーン(マスクド・スーパースター)のWWF版マシーン軍団に加入。ビッグ・マシーンのリングネームで覆面レスラーに変身し、AWA時代のマネージャーだったボビー・ヒーナン率いるヒーナン・ファミリー(ビッグ・ジョン・スタッド&キングコング・バンディ)と抗争した。マシーン軍団の解散後は元のカウボーイ・スタイルに戻り、選手としてリングに上がる一方、ベビーフェイス・サイドのインタビュアー / カラー・コメンテーターとしても活躍。"Blackjack's Barbeque Pit" なるインタビューコーナーも持ち、ゲストのヒール達と舌戦を展開した。

WWF離脱後はフロリダに戻り、ユニバーサル・スタジオ内に拠点を置くIWF(インターナショナル・レスリング・フェデレーション)設立に参画。ブッカー兼務の団体エースとなる。ブレット・コルトキップ・ウィンチェスターのロング・ライダーズ(後のスモーキン・ガンズ)もIWFでマリガンに育てられた。しかし1990年、同一行動を取っていた次男とドル紙幣偽造の嫌疑で逮捕され[11]、2年間の懲役刑を受け[12]、しばらく表舞台より消えることとなった。

2006年4月1日、ランザとのブラックジャックスでWWE Hall of Fameに迎えられ、殿堂入りの式典で公の場へ久々に登場した。2012年には長男のバリー・ウインダムもフォー・ホースメンのメンバーとして殿堂入りし、親子2代での顕彰を受けている。

エピソード[編集]

  • 新日本プロレスへの初参加となる1977年8月の『闘魂シリーズ』にはスタン・ハンセンも同時参加していた。大型カウボーイコンビを結成したものの、テキサン同士のライバル意識からの仲間割れアングルも用意され、互いの試合に乱入しての殴り合いも見られた。しかし、アングル外では両者の仲はとても良好だったようで、ハンセンは自著でマリガンのことを「格上意識などまったくない気さくな人柄の持ち主で、外人サイドのエースだった私を立ててくれた」などと記述している[13]。サーキット中はプロモーターとの付き合い方などを、先輩として親身になってハンセンにアドバイスしていたという。なお、両者は翌1978年4月23日、ノースカロライナ州グリーンズボロ・コロシアムで行われたミッドアトランティック版NWA世界タッグ王座決定トーナメントにタッグを組んで参加している(準決勝でケン・パテラ&マスクド・スーパースターに反則負け)[14]
  • 新日への最終来日は1983年1月の『新春黄金シリーズ』だが、アントニオ猪木ははぐれ国際軍団に加え、前年からの長州力の反逆にキラー・カーンの造反が加わった革命軍(後の維新軍)との抗争、並びにIWGPリーグ戦を控えていて、マリガンとの大きな絡みはなかった。来日時はプロレス専門誌のインタビューに「次回は息子と一緒に来る」と答え、当時すでにNWA世界チャンピオン候補の一人に挙げられるほど成長していた未知の強豪バリー・ウインダムの来日実現か?と、新日ファンの注目を集めた。しかし、ウインダムは同年11月に全日本プロレスに初来日。その後1985年に新日と提携関係にあったWWF入りした際も来ることはなく、ウインダムの新日登場が実現したのはマリガンのリップサービスから8年後、WCWとの提携ルートで来日した1991年のことだった。
  • ファンや関係者の間では、マリガンはストリートファイトにおいてはプロレス界でも最強クラスだったと評されており[15]、同じく喧嘩が強いことで知られたハーリー・レイスブルーザー・ブロディからも一目置かれていたという[16]。ブロディとは1980年代前半、ジョージアGCWダラスWCCWなどNWAの主要テリトリーで単発的に抗争を展開していた(マリガンのポジションは、ジョージアではベビーフェイス、ダラスではヒール)。
  • 佐山サトルが「サミー・リー」のリングネームで英国遠征中に、ブラック・ジャック・マリガンという選手と対戦している(複数のプロレスグッズのショップが発売していたお宝映像集に入っている)。しかし、コスチュームが同じだけで顔や体格はまったく別人であり、リングネームのスペルも少し違っている。
  • WWFでのマシーン軍団は「日本人」という設定だったため、マリガン扮するビッグ・マシーンもインタビューで珍妙な日本語を織り交ぜた英語を喋ったり、リング上でお辞儀をしたりなど日本人らしさを演出していた。
  • ディック・マードックとは親友であり、親戚関係にもある。1978年から1980年にかけて、マードックの従兄弟のキラー・ブルックスを含めた3者でテキサス州アマリロ地区(NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ)の興行権をザ・ファンクスから買い取り、同地区のプロモート業を共同で手掛けていたこともある[17]
  • 女子プロレスラーのジュディ・マーチンは、もっとも女性に優しいレスラーとしてマリガンの名前を挙げていた[16]
  • 後年、WWE殿堂入りしたランザとのブラックジャックスだが、チームでは一度も来日を果たすことがなかった。
  • 長男のバリー・ウインダムと次男のケンドール・ウインダムは、マリガンがAWAでタッグを組んでいたラリー・ヘニングの息子カート・ヘニング、NWAで抗争を展開したボビー・ダンカンの息子ボビー・ダンカン・ジュニアと共に、1999年にWCWでカウボーイ・ユニットのウエスト・テキサス・レッドネックスを結成。バリーとケンドールは兄弟でWCW世界タッグ王座を獲得した[18]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

国際プロレス
NWAビッグタイム・レスリング
  • NWAアメリカン・ヘビー級王座:1回
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
  • NWAアメリカン・タッグ王座:2回(w / ブラックジャック・ランザ
  • NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / ブラックジャック・ランザ)
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
ジム・クロケット・プロモーションズ
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
WWAインディアナポリス
  • WWA世界ヘビー級王座:1回
  • WWA世界タッグ王座:1回(w / ブラックジャック・ランザ)
WWWF / WWE
IWF
  • IWFヘビー級王座:1回

脚注[編集]

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  1. ^ a b Wrestler Profiles: Blackjack Mulligan”. Online World of Wrestling. 2011年2月6日閲覧。
  2. ^ a b Blackjack Mulligan Interview Part One”. Mid-Atlantic Gateway. 2010年5月10日閲覧。
  3. ^ IWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月10日閲覧。
  4. ^ WWE Yearly Results 1971”. The History of WWE. 2009年4月7日閲覧。
  5. ^ WWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
  6. ^ History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月2日閲覧。
  7. ^ NWA United States Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
  8. ^ WWE Yearly Results 1982”. The History of WWE. 2008年1月22日閲覧。
  9. ^ Wrestler: Blackjack Mulligan”. The Archives of Championship Wrestling from Florida. 2011年2月6日閲覧。
  10. ^ NWA Championship Wrestling from Florida”. Wrestling-Titles.com. 2011年2月6日閲覧。
  11. ^ Blackjack Mulligan Interview Part Eight”. Mid-Atlantic Gateway. 2012年5月17日閲覧。
  12. ^ Blackjack, The Nature Boy And More Memories”. The Post and Courier. 2012年5月17日閲覧。
  13. ^ スタン・ハンセン著『魂のラリアット』P165(2000年、双葉社ISBN 4575291080
  14. ^ Blackjack Mulligan Match Results”. Mid-Atlantic Gateway. 2009年10月7日閲覧。
  15. ^ リック・フレアー、キース・エリオット・グリーンバーグ共著『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P174(2004年、エンターブレインISBN 4757721536
  16. ^ a b 『デラックス・プロレス 昭和58年3月号』P110(1983年、ベースボール・マガジン社
  17. ^ NWA Western States Sports”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
  18. ^ WCW World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年5月17日閲覧。

外部リンク[編集]