レイ・ミステリオ・ジュニア

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レイ・ミステリオ
Rey Mysterio 134596.jpg
プロフィール
リングネーム レイ・ミステリオ
レイ・ミステリオJr.
コリブリ
本名 オスカー・グティエレス・ルビオ
ニックネーム Mr.619
小さな巨人
巨人キラー
スペル・ニーニョ
身長 168cm
体重 78kg
誕生日 1974年12月11日(39歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンディエゴ
所属 WWE
デビュー 1989年
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レイ・ミステリオRey Mysterio)のリングネームで知られるオスカー・グティエレス・ルビオÓscar Gutiérrez Rubio1974年12月11日 -)は、メキシコアメリカ人のプロレスラーカリフォルニア州サンディエゴ出身。WWERAW所属。

人物[編集]

スペイン語ではイホ・デル・レイ・ミステリオHijo del Rey Mysterio)で、日本語に直訳すると「神秘の王の息子」となる。ただし、レイ・ミステリオ・シニアは彼の父親ではなく叔父である。WWEではオーナーのビンス・マクマホンの方針によりレイ・ミステリオと名乗る。

160cm前後の身長で、本来は軽量級のレスラーであるが、2メートルを超える巨漢も珍しくないアメリカンプロレスの世界で大人と子供ほどの体格差がありながら、その天才的なセンスと技術を駆使してヘビー級選手に混じって試合を行うことも少なくない。

メキシコ系であることを誇りにしており、腹部にタトゥーMEXICANと彫られている。また、親友だったエディ・ゲレロの死去以降しばらくは腕のバンドに、エディ・ゲレロのイニシャルEG」の二文字を記していた。

来歴[編集]

1989年4月30日、15歳でメキシコティフアナでトンデバーと組み、シャム、ペリグロ・モルタル組相手にデビューした。デビュー当時のリングネームはコリブリColibri、スペイン語でハチドリの意)。その後、WWA(ワールド・レスリング・アソシエーション)などで活躍した叔父のレイ・ミステリオのマスクを受け継ぎレイ・ミステリオ Jr.を襲名。

1992年コナンに誘われAAAに入団。1995年にはシコシスからWWA世界ウェルター級王座を奪取。同年WARのスーパーJカップ参戦で初来日。その後もフベントゥエル・イホ・デル・サント等と王座を争い、1995年ECWにシコシスと共に参戦、アメリカのファンの前で本場のルチャリブレを披露した。

WCW[編集]

1996年WCWに移籍。デビュー戦でディーン・マレンコからWCW世界クルーザー級王座を奪取した。同王座を通算5回獲得するなど、クルーザー級戦線で活躍。特にハロウィン・ヘイボック'97で行われたエディ・ゲレロ戦は名勝負として名高く、後に双方とも生涯のベストマッチとして上げている。またケビン・ナッシュらスーパーヘビー級の選手を次々に破ったことから「巨人キラー」の異名を取った。1998年から1999年にはエディに敗れたためにLWoの一員としても活動。LWoの解散後はコナンビリー・キッドマン、エディらとフィルシー・アニマルズを結成した。同年2月21日に行われたケビン・ナッシュ&スコット・ホールとの一戦にミステリオのマスクが賭けられ、敗れたためにマスクを剥がされ素顔を晒すことになった。以降はWWEまで素顔のままファイトしている。2001年3月26日、キッドマンとのコンビで初代WCWクルーザー級タッグ王座を獲得、当日がWCW最後の大会となったため史上唯一の王者となった。7月には再びWARに来日。

WWE[編集]

2002年夏、WWEと契約。異例の事態ではあるがミステリオ、ビンス・マクマホン双方の希望により再び覆面レスラーとなり、7月25日にSmackDown!で行われたチャボ・ゲレロ戦でデビュー。当初はレイ・ミステリオ Jr.とコールされていたが、しばらくしてレイ・ミステリオに登録名が変更された。サマースラムではカート・アングルと対戦したが敗れる。秋からはエッジとのタッグで初代WWEタッグ王者決定トーナメントに挑戦。決勝で敗れるも、翌週には優勝したクリス・ベノワ&カート・アングル組、ロス・ゲレロス(エディ&チャボ)との3WAYを制し第2代王者となった。2003年からはクルーザー級戦線に参戦し、マット・ハーディーを破ってクルーザー級王座を獲得。以降はタジリジェイミー・ノーブル、チャボ・ゲレロ、スパイク・ダッドリーらと王座を争い、クルーザー級戦線の絶対的な主役として活躍した。

2004年 - 2005年[編集]

2004年秋からはクルーザー級戦線を離れロブ・ヴァン・ダムとのタッグを結成。12月9日にはケンゾー・スズキ&レネ・デュプリー組からWWEタッグ王座を奪取。2005年1月13日に開催されたSmackDown!でのタッグ王座を賭けたフェイタル4ウェイ戦でロブ・ヴァン・ダムが負傷、その後長期離脱しバシャム・ブラザーズに王座を奪われるが、長年の親友であるエディ・ゲレロとタッグを組みノー・ウェイ・アウトでタッグ王座を再奪取。以降、パートナーであるエディと腕試し的なシングル戦でWrestleMania 21で対戦し勝利。その後2005年からデビューしたMNMに王座を奪われてから両者の間に不協和音が流れ始め、そのことが原因でエディはヒールターン。ミステリオの息子のドミニクは実はエディの息子であり、その親権を巡っての抗争というストーリーが組まれた。両者はジャッジメント・デイグレート・アメリカン・バッシュサマースラムで連続して対戦。サマースラムではドミニクの親権を賭けてのラダー・マッチで勝利した。

エディとの抗争終了後、10月21日のSmackDown!でのJBLとの試合中にエッジクリス・マスターズから襲撃を受ける。エッジのスピアー、クリス・マスターズのマスター・ロックと立て続けに攻撃を受け、フナキハードコア・ホーリーらに救出される。これをきっかけとしてRAWスーパースターとの抗争を開始。11月に行われたタブー・チューズデイにSmackDown!のメンバーとして登場し、RAWのスーパースターであるマスターズ、ジーン・スニツキーと対戦し勝利。その流れでバティスタとタッグを組み、短期間タッグ王座を手にしていた。11月14日のエディ・ゲレロ追悼大会ではショーン・マイケルズとの初対決が実現、勝利を収めた。

2006年 - 2007年[編集]

ロイヤルランブルでは、2番手として登場。1番手のトリプルH共々60分以上闘い続けた。試合終盤にトリプルHを排除し、さらに残っていたランディ・オートンも排除しランブル戦で優勝し、WrestleMania 22での王座挑戦権を獲得した。その後オートンの挑発で組まれたノー・ウェイ・アウトでの試合で一度は挑戦権を失うものの、SmackDown!GMのセオドア・ロングの計らいで再び王座挑戦が決定。WrestleMania 22では、大会前日に行われたWWE殿堂において、エディ・ゲレロの殿堂入りプレゼンターをクリス・ベノワチャボ・ゲレロと共に務め、大会当日のカート、オートンとのトリプルスレットを制して世界ヘビー級王座を獲得した。なお、クルーザー級のスーパースターで世界ヘビー級王座を獲得したのはこれが史上初。さらに覆面レスラーがWWEの世界ヘビー級王座を獲得したことも史上初である。

7月23日のグレート・アメリカン・バッシュにて、挑戦者であるキング・ブッカー(ブッカー・T)に王座を奪われる。チャボ・ゲレロとの抗争を経て"アイ・クイット" マッチに敗れ、膝の手術に伴う長期欠場した。

2007年2月、杖をつきながらも久しぶりにSmackDown!に登場するがウマガにサモアン・ドロップやヒップ・アタックを受けて担架で運ばれていった。同年のサマースラムで復帰し、対戦相手のチャボ・ゲレロに勝利。その後のSmackDown!で再びチャボ・ゲレロと"アイ・クイット" マッチを行い前回やられたことをやり返す形で、ひざを椅子で攻撃し勝利を収めた。その後はフィンレーと抗争。

2008年 - 2009年[編集]

2008年は世界ヘビー級王座戦線で活躍する。ノー・ウェイ・アウト前のチリ公演で右上腕筋を断裂する怪我を負うがPPVに出場。しかし王座奪還とはならなかった。その後は長期離脱を強いられる。 6月19日のWWEドラフトでRAWに移籍した。7月7日のRAWで復帰し、対戦相手のサンティーノ・マレラを破り、復帰戦を勝利で飾った。その後はケインと抗争を開始する。

2009年4月のWrestleMania XXVJBLをわずか21秒で下し、IC王座を獲得した。4月13日のドラフトでSmackDown!に移籍が決まる。移籍後はクリス・ジェリコと抗争を繰り広げ、6月7日のエクストリーム・ルールズで試合終盤に619を狙った際にジェリコにマスクを奪われて動揺した隙にフォールを奪われ、IC王座を失う。6月15日のRAW3時間特番で再戦権を行使するが王座奪取とはならなかった。同じ週のスマックダウンでジェリコにザ・バッシュでのIC王座戦を要求する。しかしジェリコは再戦権を行使したことに触れ挑戦したいのならマスクを賭けろと言い、ミステリオはそれを了承する。そして6月28日のザ・バッシュでの試合終盤に再びマスクを取られるがもう一枚マスクをつけていたため素顔が出ることはなかった。それに動揺したジェリコの隙をつき619から一連の流れで勝利し、IC王座を奪取する。7月にはドルフ・ジグラーに襲撃され、それにより抗争を開始する。9月4日のSmackDown!でジョン・モリソンと王座戦を行うが試合に敗れ、IC王座を失う(これは、ミステリオがWWEの薬物規定違反で30日間の謹慎処分となったために組まれた試合である)。10月に行われたブラッギング・ライツでのフェイタル4ウェイ形式の世界ヘビー級王座戦に参戦するが王座獲得とはならなかった。さらにその試合中の行動が原因となり、同じく試合に参加していたバティスタから暴行を受ける。その後はジ・アンダーテイカーの持つ世界ヘビー級王座への挑戦権も絡めつつバティスタと抗争を繰り広げる。

2010年[編集]

年が明けてもバティスタとの抗争は続いていたが、3月ごろからはCMパンクと抗争を開始する。そしてWrestle Mania XXVIでは負ければストレート・エッジ・ソサエティ入りとなる一戦でCMパンクに勝利する。続くエクストリーム・ルールズでもCMパンクと勝負するが試合終盤にリング下から現れた何者かに襲撃され、それによりパンクに敗れる。

その後もCMパンクと抗争を続け、オーバー・ザ・リミットで負ければストレート・エッジ・ソサエティ入りとなる一戦で勝利し、CMパンクを丸坊主にした。翌週にはジャック・スワガーの保有している世界ヘビー級王座のフェイタル4ウェイ予選に出場し、ジ・アンダーテイカーと対戦するが敗れてしまう。しかしその翌週にテイカーが休場したため、急遽行われたバトル・ロイヤルで勝利し、フェイタル・4ウェイに出場することとなった。そして4ウェイ戦に勝利し、2度目の世界ヘビー級王座を獲得した。その後はスワガーと抗争し、マネー・イン・ザ・バンクで王座をかけて再戦する。試合には勝利したが、その直後に同日に行われたマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに勝利したケインにマネーの権利を行使され、王座から陥落する。

8月にはアルベルト・デル・リオのデビュー戦の相手を務めるが敗北。その翌週にデル・リオに負傷させられるアングルで欠場に入ったが、10月1日の放送局移籍記念のSmackDown!にて復帰しデル・リオとの抗争を始める。

2011年[編集]

ナルシストキャラのコーディ・ローデスがひざ当てを奪おうとしたことが原因で、ひざ当ての金具がむき出しになってしまう。それによって、ローデスの顔面を金具で直撃するという事故(アングル上)を起こしてしまい、ローデスを暴走させて抗争に入る。レッスルマニア27では敗れたが、続くエクストリーム・ルールズでは勝利。 4月のドラフトにてRAWに移籍、再びデル・リオと抗争した。 7月終わりにはCMパンクが一時的にWWE王座を持ったまま退団したために組まれた暫定的なWWE王座戦トーナメントに優勝。直後にジョン・シナに王座を奪われてしまい、サマースラム明けのRAWではマネーの権利でWWE王者になったデル・リオに敗れ、負傷欠場。12月にスラミー賞のプレゼンターとしてのみ登場した。

2012年[編集]

7月のRAW999回目にて、ザック・ライダーを執拗に攻め立てるデル・リオを攻撃し、復帰を表明した。 8月ごろから、IC王座戦の挑戦や、同じマスクマンであるシン・カラと組んで戦うことが多くなった。日本公演にも参加。 12月、シン・カラ対ダミアン・サンドウにてシン・カラのセコンドに着くはずが会場に現れず、乱入してきたザ・シールドによってマスクだけが届けられ、後にシールドに襲われ首を負傷したことが明らかにされた。

2013~2014年[編集]

ロイヤルランブルで復帰、元世界王者だけか出られるエリミネーション・チェンバー世界王座第一挑戦者決定戦の予選にて、シン・カラとのタッグでヘル・ノーを破り参加決定したが、続くブライアン戦で敗れた後、突然復帰したマーク・ヘンリーに襲われ叩きのめされ、欠場。11月のサバイバー・シリーズ直前に復帰し、イリミネーション戦を戦うも惜敗した。 2014年1月、ロイヤルランブルで30番目の選手として登場するも敗れる。

家族[編集]

得意技[編集]

619
619
セカンドロープに相手の上半身をもたれさせた状態で、助走をつけてロープに駆け寄りトップロープとセカンドを掴んでジャンプし両足をロープの間をくぐり抜ける様に回転させて相手の顔面を両足で蹴りつける技。なお、619はサンディエゴの市外局番であり、この数字が描かれたコスチュームを着用することもある。元祖はMIKAMIDDT)のミッキーブーメラン180であるが、この技を本人はTAJIRIの技だと勘違いしていたらしく、TAJIRIに技を盗んだことを謝っている[1]。WWEの日本ツアーにおいて、神戸で試合を行った際、コスチューム(太股部分)に神戸の市外局番「078」がプリントされたものを着用したこともある。
低空ドロップキックカニ挟み
相手をセカンドロープにもたれさせて619に繋げる技。
ダイム (Dropping the Dime)
スプリングボード(スワンダイブ)式のレッグドロップ。619の後相手がダウンしているとき、仰向けうつ伏せ問わず使用する。
近年では下記のダイビング・ボディ・プレスをダイムと実況されることが多い。
ダイビング・ボディ・プレス
スキージャンパーのように両手を体側につけるのが特徴。エディ・ゲレロの死後しばらくはフロッグ・スプラッシュを使用していた。619の後、相手のダウン位置によってコーナーから行うかスプリングボード式にするか使い分けている。
ダイビング・セントーン
コーナー最上段もしくはスプリングボード式に飛び相手に上から飛びついて押し潰しダウンさせる技。セントーンと実況されてはいるが、実際にはセントーンというよりもヒッププレスである。
ウェストコーストポップ (West Coast Pop)
スプリングボード式のウラカン・ラナ・インベルティダ。619の後相手がふらふらと立ち上がったところを狙うことが主であるが、近年は使用頻度が低い。
ミステリオ・ラナ
ムーンサルトプレス

タイトル歴[編集]

WWE IC王者時代
WWE
WCW
WWC
  • WWCジュニアヘビー級王座 : 1回
WWA
  • WWAライトヘビー級王座 : 3回
  • WWAウェルター級王座 : 3回
  • WWAタッグ王座 : 1回(w / レイ・ミステリオ・シニア)
その他
  • メキシコナショナルウェルター級王座 : 1回
  • メキシコナショナル6人タッグ王座 : 1回(w / オクタゴン、スペル・ムネコ)
  • IWCミドル級王座 : 1回
  • IWASタッグ王座 : 1回(w / コナン)

入場曲[編集]

  • March Of Death
  • (619)
  • Booyaka 619 (P.O.D.) - 現在使用中

この曲はいろいろとアレンジされており、3つのバージョンがある。

その他[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ 『TAJIRIのさすらい放浪記』ベースボール・マガジン社

外部リンク[編集]