ケリー・フォン・エリック

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ケリー・フォン・エリック
ケリー・フォン・エリックの画像
1987年
プロフィール
リングネーム ケリー・フォン・エリック
本名 ケリー・ジーン・アドキッソン
ニックネーム テキサス・トルネード
The Modern Day Warrior
虎の爪
身長 191cm
体重 120kg
誕生日 1960年2月3日
死亡日 (1993-02-18) 1993年2月18日(33歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州の旗 ニューヨーク州
エリー郡バッファロー
トレーナー フリッツ・フォン・エリック
デビュー 1979年6月17日
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ケリー・フォン・エリックKerry Von Erich、本名:Kerry Gene Adkisson1960年2月3日 - 1993年2月18日)は、アメリカ合衆国プロレスラーニューヨーク州バッファロー出身。鉄の爪フリッツ・フォン・エリックの息子(四男。レスラーのフォン・エリック兄弟としては三男)。

WWF(現:WWE)ではテキサス・トルネードThe Texas Tornado)のニックネームでも活躍した。日本では「虎の爪」の異名を持つ。

娘のレイシー・フォン・エリック英語版も女子プロレスラーとして、2007年から2010年にかけてFCWTNAなどで活動していた[1]

来歴[編集]

血筋を背負い1979年にプロレスラーとしてデビュー。父が主宰する地元ダラスのWCCW(World Class Championship Wrestling)を主戦場に、ベテランのアーニー・ラッドマーク・ルーインザ・グレート・カブキらに揉まれてキャリアを積み、同世代のジノ・ヘルナンデスキングコング・バンディファビュラス・フリーバーズらとの抗争を通し次代のスター候補として期待を寄せられる。

1983年1月23日、ミズーリ州セントルイスハーリー・レイスを破り、NWA世界王者への登竜門とされたミズーリ・ヘビー級王座を獲得[2]。同年3月には全日本プロレスに初来日している[3]

1984年5月6日、テキサス・スタジアムでの兄デビッド・フォン・エリックの追悼興行においてリック・フレアーを破り、第67代NWA世界ヘビー級王者となる[4]。同月、王者として全日本プロレスに来日[5]。5月22日に田園コロシアムジャンボ鶴田の挑戦を退けるが、5月24日に横須賀市総合体育会館で前王者フレアーに敗れ、王座から陥落した(NWA世界王者時代の挑戦者は、テリー・ゴディ、フレアー、マイク・ロトンドスーパースター・ビリー・グラハムロン・バスブラック・バート、鶴田の7名)[6]

1985年10月からはブルーザー・ブロディの仲介で新日本プロレスに来日するようになり(ブロディも同年4月より全日本から新日本へ移籍)、兄のケビン・フォン・エリックと組んで藤波辰巳&木村健吾WWFインターナショナル・タッグ王座に挑戦している[7]。翌年には前田日明とのシングルマッチも行われた[8]

1986年6月、オートバイ事故を起こし右足を切断する重傷を負う。一時は再起不能とされたが、義足を付けて1987年に奇跡的にカムバックを果たした(しかし、この事故により傷の痛みや幻肢痛に悩まされ、それを紛らわすために薬物を使用し、ペインキラー依存症となる)。

カムバック後の1988年には本拠地のWCCWにおいて、NWAアメリカン・ヘビー級王座の後継タイトルであるWCWA世界ヘビー級王座を獲得[9]。以降、当時のAWA世界ヘビー級王者ジェリー・ローラーと、王座統一を賭けた「テキサステネシー」の抗争を繰り広げた。タイトルは勝者ローラーによって統一され、1989年よりUSWA統一世界ヘビー級王座と改称[10]。WCCWもローラーとジェリー・ジャレットが主宰していたテネシーCWAとの合併でUSWAとして再出発するが、1990年9月に興行収益を巡るトラブルでテネシー派と袂を分かつ。

ケリーもUSWAを離れ、1990年夏よりWWFに参戦。8月27日のサマースラムではミスター・パーフェクトからインターコンチネンタル・ヘビー級王座を奪取した[11]。WCCWでの盟友でもあったアルティメット・ウォリアーともタッグを組み、同年11月のサバイバー・シリーズではウォリアー&リージョン・オブ・ドゥームと "The Warriors" を結成して出場。WWFには1992年まで所属し、退団後はテキサスのインディー団体を転戦した。

1993年コカインの使用により起訴される。他のドラッグ使用による執行猶予中だったこともあり、2月18日に実刑を伴う有罪が確定。同日、自宅において(当所では有罪が確定した人物には1日の執行猶予が与えられる)ピストルにより自らの命を絶った[12][13]

2009年4月、フォン・エリック・ファミリーの一員としてWWE殿堂に迎えられた。

得意技[編集]

  • ディスカス・パンチ(学生時代に円盤投の選手だったことを応用した回転パンチ。WWFでは「トルネード・パンチ」と呼ばれた)
  • タイガー・クロー(アイアンクロー

獲得タイトル[編集]

ナショナル・レスリング・アライアンス
セントルイス・レスリング・クラブ
  • NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回
ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・フェデレーション / エンターテインメント
ユナイテッド・ステーツ・レスリング・フェデレーション
  • USWFテキサス・ヘビー級王座:1回
テキサス・レスリング・フェデレーション
  • TWFテキサス・ヘビー級王座:1回

フォン・エリック・ファミリー[編集]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
フリッツ・フォン・エリック
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジャック・アドキッソン・ジュニア
(幼少期に死去)
 
ケビン・フォン・エリック
 
デビッド・フォン・エリック
 
ケリー・フォン・エリック
 
マイク・フォン・エリック
 
クリス・フォン・エリック
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ロス・フォン・エリック
 
マーシャル・フォン・エリック
 
 
 
レイシー・フォン・エリック英語版

脚注[編集]

  1. ^ Lacey Von Erich”. Online World of Wrestling. 2012年8月18日閲覧。
  2. ^ NWA Missouri Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
  3. ^ AJPW 1983 Grand Champion Carnival I”. Puroresu.com. 2024年3月12日閲覧。
  4. ^ NWA World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
  5. ^ AJPW 1984 Grand Champion Carnival II”. Puroresu.com. 2024年3月12日閲覧。
  6. ^ Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1984”. Wrestling-Titles.com. 2020年2月5日閲覧。
  7. ^ NJPW 1985 Burning Spirit in Autumn”. Puroresu.com. 2020年2月5日閲覧。
  8. ^ NJPW 1986 IWGP Champion Series”. Puroresu.com. 2020年2月5日閲覧。
  9. ^ WCWA World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
  10. ^ USWA Unified World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月12日閲覧。
  11. ^ History of the Intercontinental Championship”. WWE.com. 2012年8月18日閲覧。
  12. ^ Who's who in the Von Erich Family?”. About.com. 2012年8月18日閲覧。
  13. ^ Kerry Von Erich”. Online World of Wrestling. 2012年8月18日閲覧。

外部リンク[編集]