ファビュラス・フリーバーズ
ザ・ファビュラス・フリーバーズ(The Fabulous Freebirds)は、1980年代を中心にアメリカ合衆国で活躍したプロレスラーのタッグチーム・ユニット。チーム名はサザン・ロック・バンド、レーナード・スキナードの "Free Bird" から付けられており、初期は入場テーマにも同曲を使用していた(1984年より、リーダーのマイケル・ヘイズ本人が歌うオリジナル曲 "Badstreet USA" に変更)[1][2]。
ジョージアやテキサスなど南部エリアを主戦場に、主にヒールのユニットとして活動。ロックンロール・エクスプレス、ミッドナイト・エクスプレス、ロード・ウォリアーズらと共に、1980年代のアメリカ・マット界のタッグ戦線を席巻した。
目次 |
メンバー [編集]
( )内は在籍期間。
- マイケル "P.S." ヘイズ(Michael "P.S." Hayes)(1979年 - 1992年)
- テリー "バンバン" ゴディ(Terry "Bam Bam" Gordy)(1979年 - 1988年)
- バディ "ジャック" ロバーツ(Buddy "Jack" Roberts)(1980年 - 1988年)
- ジミー "ジャム" ガービン(Jimmy "Jam" Garvin)(1989年 - 1992年)
来歴 [編集]
第1期 [編集]
1979年、マイケル・ヘイズとテリー・ゴディによりテネシー州メンフィスのNWAミッドアメリカ地区(後のCWA)で結成される。1980年にはビル・ワット主宰のMSWA、同年下期からはジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングへと転戦。ジョージアでは1981年に一時的に仲間割れを起こし、ヘイズはテッド・デビアス、ゴディはジミー・スヌーカをパートナーに対決したこともあるが、ミスター・レスリング1号&2号、ビッグ・ジョン・スタッド&スーパー・デストロイヤー、ワイルド・サモアンズなどのチームを相手にタッグタイトルを争い[3][4]、新進気鋭の若手ヒール・コンビとして日本でも注目を集めた。
1982年より、フリッツ・フォン・エリックの牛耳るテキサス州ダラスのWCCWに参戦。MSWAでヘイズの負傷欠場中にゴディのパートナーを務めたバディ・ロバーツも正式メンバーとなり、トリオのユニットとして活動する。ロバーツは1970年代にジェリー・ブラウンとのタッグチーム "ハリウッド・ブロンズ(The Hollywood Blonds)" で活躍したベテラン。ヘイズとゴディは金髪のヒール・ユニットというフリーバーズのキャラクター・コンセプトにおいて、彼らやブロンド・ボンバーズ(レイ・スティーブンス&パット・パターソン)、バリアント・ブラザーズ(ジミー・バリアント&ジョニー・バリアント)などを手本としていた。
天才的なマイク・パフォーマーのヘイズ、ラフ&パワーファイターの巨漢ゴディ、そして百戦錬磨の試合巧者ロバーツと、3者がそれぞれの持ち味を相互補完的に活かすことでタッグマッチの醍醐味を最大化させたフリーバーズは、ビジュアル面でも恵まれていたこともあり、絶大なヒール人気を獲得。WCCWでのフォン・エリック兄弟(ケビン、デビッド、ケリー)との抗争は同団体のドル箱カードとなり、1980年代を代表するタッグ・ユニットとしてアメリカン・プロレス史にその名を残すことになる。
また、王座載冠時のチャンピオン・シップは3者共有のものとし、タイトルマッチには3人のうち、どの組み合わせで出場しても認められるという通称フリーバード・ルール(Freebird Rule)も確立[5][6]。後にNWAのラシアンズ(イワン・コロフ、ニキタ・コロフ、クラッシャー・クルスチェフ)、WWFのデモリッション(アックス、スマッシュ、クラッシュ)、WCWのウルフパック(ケビン・ナッシュ、スコット・ホール、シックス)、TNAの3ライブ・クルー(ロン・キリングス、B・G・ジェイムズ、コナン)など数々のユニットが、このルールを継承した[1]。
1984年には、1月にヘイズ&ゴディ、10月にロバーツを交えたトリオで全日本プロレスに来日している。また、この間にはビンス・マクマホンの新体制下で全米侵攻を始めたWWFとも契約。シンディ・ローパーとデビッド・ウォルフ(ローパーのマネージャー)をエスコート役にベビーフェイスとして売り出され、8月25日にはマディソン・スクエア・ガーデンにも登場した[7]。しかし、3者をシングルプレイヤーとして切り離そうとしたWWF側と衝突し、短期間で電撃的に離脱[2]。
その後はWCCWに戻り、1985年はバーン・ガニアやジム・クロケット・ジュニアらが共同で立ち上げたWWFの対抗勢力 "Pro Wrestling USA" の主力ヒールとして各団体にスポット参戦。古巣のCWAでは8月5日にメンフィスのミッドサウス・コロシアムにてジェリー・ローラー&オースチン・アイドルの頂上コンビと対戦し[8]、9月28日にはシカゴのコミスキー・パークで行われたAWAのビッグイベント "SuperClash" に出場してロード・ウォリアーズとドリーム・タッグ対決を行った[9]。
1987年、ヘイズがWCCWでベビーフェイスに転向。ゴディとロバーツは黒人レスラーのアイスマン・キング・パーソンズを引き入れブラックバーズ(The Blackbirds)を結成。フォン・エリック兄弟と共闘するヘイズと因縁の抗争を展開した後、1988年をもってオリジナル・フリーバーズは解散。ゴディは日本マットを主戦場とし、ロバーツは現役を引退。ヘイズはジム・クロケット・プロモーションズから移行して間もない黎明期のWCWに移籍した。
第2期 [編集]
WCW移籍後の1989年、ヘイズはダラスWCCW時代の盟友ジミー・ガービンを「第4のフリーバード」として新パートナーに起用しフリーバーズを再編。6月14日にはトーナメントの決勝でボビー・イートンとスタン・レーンのミッドナイト・エクスプレスを破り、旧ミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を獲得した[10]。テリー・ゴディも日本遠征の合間を縫って新生フリーバーズに一時再加入し、7月23日の『グレート・アメリカン・バッシュ』にて行われた時間差金網デスマッチ「ウォー・ゲーム」に出場している[11]。
以降もヘイズとガービンのコンビで活動を続け、ロックンロール・エクスプレス(リッキー・モートン&ロバート・ギブソン)やスタイナー・ブラザーズ(リック・スタイナー&スコット・スタイナー)とも抗争。1991年2月24日にはドゥーム(ロン・シモンズ&ブッチ・リード)を破り、第2代WCW世界タッグ王者チームにもなっている[12]。また、架空のロックバンドという設定のもと、ローディーを自称するマネージャーのビッグ・ダディ・ディンクや、サポート・メンバーである覆面レスラーのバッドストリートなどの準構成員や取り巻きを従えていた[13]。
1992年はグレッグ・バレンタイン&テリー・テイラー、ディック・スレーター&ザ・バーバリアンなどのチームとUSタッグ王座を争ったが[14]、ガービンのWCW離脱で同年に第2期フリーバーズも解散。ヘイズも負傷のために現役を引退し、WWFでカラー・コメンテーター兼任のクリエイティブ・ライターに転身した。
その後1994年、WCCWの後継プロモーションであるダラスのインディー団体GWFにおいて、ゴディとガービンのコンビでフリーバーズが復活。同年6月3日、ブラック・バート&ジョニー・ホークを破りGWFタッグ王座を獲得した[15]。
また、2001年8月11日に行われたゴディのトリビュート・イベントでは、ヘイズがゴディの息子レイ・ゴディとタッグを組み、一夜限りの新生フリーバーズを実現させている[16]。
獲得タイトル [編集]
- ミッドサウス・タッグ王座:2回(ヘイズ&ゴディ、ゴディ&ロバーツ)
- NWAジョージア・タッグ王座:1回(ヘイズ&ゴディ)
- NWAナショナル・タッグ王座:3回(ヘイズ&ゴディ)
- NWAアメリカン・タッグ王座:1回(ヘイズ&ゴディ)
- NWA世界6人タッグ王座(テキサス版):5回(ヘイズ&ゴディ&ロバーツ)
- NWA世界タッグ王座(旧ミッドアトランティック版):1回(ヘイズ&ガービン)
- WCW世界タッグ王座:1回(ヘイズ&ガービン)
- WCW世界6人タッグ王座:1回(ヘイズ&ガービン&バッドストリート)
- WCW USタッグ王座:2回(ヘイズ&ガービン)
- GWF
- GWFタッグ王座:1回(ゴディ&ガービン)
脚注 [編集]
- ^ a b “Superstars: Fabulous Freebirds”. WWE.com. 2012年12月2日閲覧。
- ^ a b “Tag Team Profile: Fabulous Freebirds”. Online World of Wrestling. 2009年8月30日閲覧。
- ^ “NWA Georgia Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年12月29日閲覧。
- ^ “NWA National Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月14日閲覧。
- ^ “"Crush" Brian Adams dead at 44”. SLAM! Wrestling: August 13, 2007. 2009年8月30日閲覧。
- ^ アラバマのSECWやメンフィスのCWAで活動していた初代ミッドナイト・エクスプレス(デニス・コンドリー、ランディ・ローズ、ノーベル・オースチン)も、このルールを同時期(1980年代初頭)に使用していた。
- ^ “WWE Yearly Results 1984”. The History of WWE. 2009年8月30日閲覧。
- ^ “The History of Wrestling at the Mid-South Coliseum”. ProWrestling History.com. 2010年12月29日閲覧。
- ^ “SuperClash 1985”. ProWrestling History.com. 2010年12月29日閲覧。
- ^ “NWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月3日閲覧。
- ^ “The Great American Bash 1989 Results”. ProWrestling History.com. 2010年11月3日閲覧。
- ^ “WCW World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月3日閲覧。
- ^ “Garvin, Badstreet, Big Daddy Dink & Hayes”. Online World of Wrestling. 2010年11月3日閲覧。
- ^ “WCW United States Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月3日閲覧。
- ^ “GWF Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月14日閲覧。
- ^ “Terry Gordy Memorial Show Results”. Lords of Pain: August 12, 2001. 2009年8月30日閲覧。
関連人物 [編集]
- ケビン・フォン・エリック(WCCW時代のライバル)
- デビッド・フォン・エリック(同)
- ケリー・フォン・エリック(同)
- ブルーザー・ブロディ(同)
- キラー・カーン(WCCW時代の用心棒)
- ダイヤモンド・ダラス・ペイジ(WCW時代のマネージャー)