ジム・ガービン
| ジム・ガービン | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | ジミー "ジャム" ガービン "ゴージャス" ジミー・ガービン ジム・ガービン ボウ・ジェームズ |
| 本名 | ジェームズ・ウィリアムス |
| ニックネーム | 野獣男爵 |
| 身長 | 180cm - 185cm |
| 体重 | 107kg - 110kg |
| 誕生日 | 1952年9月25日(60歳) |
| 出身地 | フロリダ州タンパ |
| デビュー | 1968年 |
| 引退 | 1994年 |
ジム・ガービン(Jim Garvin、1952年9月25日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はジェームズ・ウィリアムス(James Williams )。フロリダ州タンパ出身。
1980年代を全盛期に、主にヒールのポジションでNWAの南部テリトリーを中心に活動した。
目次 |
来歴 [編集]
9歳の頃にレスリングを始め、1968年に17歳でデビュー[1]。当初はボウ・ジェームズ(Beau James)なるリングネームを用いたが、マネージャーを務めていたテリー・ガービンおよび義父のロニー・ガービンの「弟」としてジム・ガービン(Jim Garvin)と改名[2]。以降、モントリオール、テネシー、地元のフロリダなど各地を転戦してキャリアを積む。
エディ・グラハムの主宰するフロリダのCWFでは1970年代後半よりベビーフェイスの新鋭として頭角を現し、ジャック・ブリスコやスティーブ・カーンのパートナーを務め、ディック・スレーター、ボブ・ループ、スコット・アーウィン、バグジー・マグローなどのヒール勢とタイトルを争った[3]。
1980年10月、フロリダとの提携ルートを持っていた新日本プロレスの『闘魂シリーズ』に初来日したが、同シリーズには当時「まだ見ぬ強豪」として話題を集めていたポール・オーンドーフも初来日しており、ハルク・ホーガンの2度目の来日とも重なって、ガービンが注目されることはなかった。帰国後はオーンドーフが主戦場としていたビル・ワットのMSWAに参戦し、1981年3月にアーニー・ラッドを破りルイジアナ・ヘビー級王座を獲得[4]。1982年からは古巣のフロリダでヒールに転向し、バリー・ウインダムやミスター・レスリング2号と抗争した。
ヒールターン後の1983年、"ゴージャス" ジミー・ガービン("Gorgeous" Jimmy Garvin)と名乗ってテキサス州ダラスのWCCWに登場。従妹のサンシャイン(Sunshine)ことバレリー・フレンチ[5]を女性マネージャーとして帯同し、7月にデビッド・フォン・エリックからNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取した[6]。抗争相手のクリス・アダムスにサンシャインを奪われると、今度は妻のパティ・ウィリアムスをプレシャス(Precious)と名乗らせて新しいマネージャーに起用[1]、アダムス&サンシャイン対ガービン&プレシャスのミックスド・タッグマッチも行われた[5]。
1984年8月には、プレシャスを同伴して全日本プロレスの『スーパー・パワー・シリーズ』に来日。当時まだ日本では女性マネージャーの存在が珍しかったこともあって[7]、新日本での初来日時とは比較にならないほどの注目を浴び、天龍源一郎のUNヘビー級王座にも挑戦した。
1985年からはバーン・ガニアのAWAに進出、ミスター・エレクトリシティことスティーブ・リーガル(ロード・スティーブン・リーガルとは別人)とタッグチームを組み、9月29日にミネソタ州セントポールにてロード・ウォリアーズからAWA世界タッグ王座を奪取[8]。翌1986年1月にスコット・ホール&カート・ヘニングに敗れるまで保持した[8]。
王座陥落後はジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区(JCP)に参戦、ワフー・マクダニエルとの抗争を経て、1987年よりベビーフェイスに転向。プレシャスを巡るリック・フレアーとのアングルも組まれ、4月から7月にかけてフレアーのNWA世界ヘビー級王座に再三挑戦した[9]。ロニー・ガービンとのガービン・ブラザーズ(The Garvin Brothers)も復活させ、1988年はバーシティ・クラブと抗争を展開するが、9月に足を負傷してしばらく欠場することになる。
1989年、ジミー "ジャム" ガービン(Jimmy "Jam" Garvin)と名乗り、WCCW時代の旧友マイケル・ヘイズが再編したファビュラス・フリーバーズの新メンバーとして、JCPを買収したテッド・ターナーのWCWにて復帰。6月14日にはトーナメントの決勝でボビー・イートンとスタン・レーンのミッドナイト・エクスプレスを下してNWA世界タッグ王座を獲得した[10]。以降もロックンロール・エクスプレスやリック&スコットのスタイナー・ブラザーズなどと抗争、1991年2月24日には黒人タッグチームのドゥーム(ロン・シモンズ&ブッチ・リード)を破り、WCW世界タッグ王座にも戴冠している[11]。
1993年にWCWを離れ、古巣WCCWの後継団体でもあるダラスのGWFに参戦。テリー・ゴディとフリーバーズを再結成し、1994年6月にブラック・バート&ジョニー・ホークからGWFタッグ王座を奪取した[12]。引退後はUSエアウェイズのパイロットとなって活躍している[1]。
獲得タイトル [編集]
- AWA南部タッグ王座:1回(w / ボブ・エリス)
- NWAフロリダ・ヘビー級王座:2回
- NWAフロリダ・タッグ王座:2回(w / スティーブ・カーン、ジャック・ブリスコ)
- NWA USタッグ王座(フロリダ版):2回(w / キラー・カール・コックス)
- NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):2回
- NWAフロリダ・グローバル・タッグ王座:1回(ビッグ・ジョン・スタッド)
- NWA USタッグ王座(トライステート版):1回(w / ハーブ・カルバート)
- ミッドサウス・ルイジアナ・ヘビー級王座:1回
- NWAアメリカン・ヘビー級王座:4回
- NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
- WCCWテレビジョン王座:1回
- AWA世界タッグ王座:1回(w / スティーブ・リーガル)
- NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / マイケル・ヘイズ)
- WCW USタッグ王座:2回(w / マイケル・ヘイズ)
- WCW世界タッグ王座:1回(w / マイケル・ヘイズ)
- WCW世界6人タッグ王座:1回(w / マイケル・ヘイズ&バッドストリート)
- GWF
- GWFタッグ王座:1回(w / テリー・ゴディ)
脚注 [編集]
- ^ a b c “Jimmy Garvin on his 23 years in wrestling 'Jimmy Jam' has settled down”. SLAM! Wrestling: January. 13, 2000. 2010年11月1日閲覧。
- ^ “Wrestler Profiles: "Gorgeous" Jimmy Garvin”. Online World of Wrestling. 2010年11月1日閲覧。
- ^ “Wrestler: Jim Garvin”. The Archives of Championship Wrestling from Florida. 2010年11月1日閲覧。
- ^ “Mid-South Louisiana Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月1日閲覧。
- ^ a b “Valet Profiles: Sunshine”. Online World of Wrestling. 2010年11月1日閲覧。
- ^ “NWA American Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月1日閲覧。
- ^ ガービン以前には、1981年の国際プロレスの最終シリーズにて、ジ・エンフォーサーが夫人のバニー・キャロルをマネージャーとして帯同したことがある。
- ^ a b “AWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月1日閲覧。
- ^ “Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1987”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月1日閲覧。
- ^ “NWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月1日閲覧。
- ^ “WCW World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月1日閲覧。
- ^ “GWF Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月23日閲覧。