マイケル・ヘイズ

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マイケル・ヘイズ
Michael Hayes.jpg
WWE殿堂式典(2009年)
プロフィール
リングネーム マイケル "P.S." ヘイズ
フリーバード・マイケル・ヘイズ
ロード・マイケル・ヘイズ
ドク・ヘンドリクス
本名 マイケル・セイズ
ニックネーム ピュアリー・セクシー
スクリーミング・イーグル
身長 190cm
体重 116kg(全盛時)
誕生日 1959年3月29日(55歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州ペンサコーラ
所属 WWE
トレーナー アファ・アノアイ
デビュー 1977年
引退 1995年
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マイケル "P.S." ヘイズMichael "P.S." ("Purely Sexy") Hayes、本名:Michael Seitz1959年3月29日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。フロリダ州ペンサコーラ出身。現在はWWEのヘッド・クリエイティブ・ライターを担当している。

1980年代テリー "バンバン" ゴディらとのタッグチームユニットファビュラス・フリーバーズThe Fabulous Freebirds)のリーダーとして一世を風靡した。WWEではドク・ヘンドリクスDok Hendrix)の変名でも知られる。

来歴[編集]

初期 / WCCW[編集]

1977年テネシー州メンフィスNWAミッドアメリカ地区(後のCWA / USWA)でデビュー。1979年、同地区でテリー・ゴディファビュラス・フリーバーズを結成、若手のヒールタッグチームとして頭角を現し、同年にミッドアメリカ・タッグ王座を奪取する[1]。その後、ビル・ワットのMSWAを経て1980年下期よりジョージア地区のGCWに定着。1981年に一度ゴディと仲間割れを起こすも、1982年まで同地区認定のタッグ王座を再三獲得した[2]

1982年下期からテキサス州ダラスのWCCW(WCWA)に参戦。MSWAで共闘したベテランのバディ・ロバーツもメンバーに加わり、トリオのタッグ・ユニットとしてフォン・エリック兄弟ケビンデビッドケリー)との熾烈な抗争劇を繰り広げた。

1984年1月、ゴディとのコンビで全日本プロレスに来日。1月20日に後楽園ホールジャイアント馬場&ジャンボ鶴田インターナショナル・タッグ王座に挑戦した。帰国後の1月28日には、ジョージア州アセンズテッド・デビアスを破りUNヘビー級王座を獲得している(同王座は2月3日にダラスでデビッド・フォン・エリックに奪われるが、1週間後の2月10日にデビッドは日本で客死)[3]

同年はゴディ&ロバーツと共にWWFと契約し、8月25日のマディソン・スクエア・ガーデン定期戦にも出場したが[4]、メンバーを個別に売り出そうとするWWF側のプランに反発し短期間で離脱[5]。10月の全日本再来日(ゴディと組んで鶴龍コンビのインタータッグ王座に挑み、元王者として天龍源一郎のUN王座にも挑戦)の後、再びWCCWに戻る。1985年からはAWAにも参戦し、ロード・ウォリアーズと抗争。1986年にはビル・ワットのUWFにも登場した。

1987年は単独でベビーフェイスに転向し、フォン・エリック兄弟と共闘してゴディ&ロバーツと遺恨試合を展開。1988年、ゴディの日本マット定着とロバーツの引退に伴い第1期フリーバーズは解散する。ヘイズもWCCWを離れ、テッド・ターナーのNWA(ジム・クロケット・プロモーションズ)買収で発足したばかりのWCWに移籍した。

NWA / WCW[編集]

同団体ではヒールとベビーフェイスの両方のポジションで活動し、当初はシングルプレイヤーとして、1989年5月7日にレックス・ルガーからNWA・USヘビー級王座(後のWCW・US王座、現在のWWE・US王座)を奪取する[6]。その後、WCCWを共にサーキットしていたジミー・ガービンをパートナーにフリーバーズを再編。同年6月14日にはトーナメントに優勝して旧ミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を獲得[7]。NWAの形骸化によるタイトル改称後は、1991年2月24日にドゥーム(ブッチ・リード&ロン・シモンズ)からWCW世界タッグ王座を奪取した[8]

以降USタッグ王座を2回に渡って獲得した後、1992年末にガービンがWCWを離脱し第2期フリーバーズは解散。その後はポール・E・デンジャラスリー率いるデンジャラス・アライアンスへの加入やポール・オーンドーフとの抗争などを経て、1995年に怪我のため現役を引退。ヒールのカラー・コメンテーターとしてWWFへ移籍した。

WWF / WWE[編集]

移籍後はドク・ヘンドリクスの変名でコメンテーターやインタビュアー、情報コーナーのホストなどを担当する一方、ロード・エージェントのクリエイティブ・スタッフとしても活躍(かの有名な『オースチン伝3章16節』が飛び出したストーン・コールド・スティーブ・オースチンのインタビューを行ったのもヘイズである)。以来、ブレット・ハート時代のニュー・ジェネレーション期からスティーブ・オースチンやザ・ロックらのアティテュード路線、そして近年に至るまで、WWEのストーリー構成を手掛けている。1999年には当時彼がプッシュしていたハーディー・ボーイズマネージャー役を務めたこともあった。

2001年4月1日にはマイケル・ヘイズ名義でレッスルマニアX-Sevenギミックバトルロイヤルに出場。同年8月11日には、前月16日に急逝したテリー・ゴディのトリビュート・イベントに参加、ゴディの息子レイ・ゴディと新生フリーバーズを結成してメインイベントを飾った[9]

2005年12月5日のRAWではエッジのトーク・コーナー「カッティング・エッジ」に登場し、かつての盟友テリー・ゴディを侮辱したエッジに攻撃を仕掛けるも返り射ちに遭っている。2007年12月7日のスマックダウンではMVPの「VIPラウンジ」に出演してWCCWのDVDを紹介。口論の末に乱闘となり、劣勢になったところをレイ・ミステリオに救出された。

2008年4月、マーク・ヘンリーに宴席上で人種差別的な発言をしたとして60日間の謹慎処分を受けたが[10][11]、ヘイズ自身には悪意はなくヘンリーもジョークとして受け止めたために大きな問題にはならなかった[12]2009年4月4日には、フォン・エリック・ファミリーWWE殿堂入りのインダクターを務めている。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

NWAミッドアメリカ
ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
  • ミッドサウス・タッグ王座:1回(w / テリー・ゴディ)
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / テリー・ゴディ)
  • NWAナショナル・タッグ王座:4回(w / テリー・ゴディ×3、Otis Sistrunk×1)
ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
全日本プロレス
パワー・プロレスリング
  • PPWヘビー級王座:1回

脚注[編集]

  1. ^ NWA Mid-America Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月14日閲覧。
  2. ^ NWA National Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月14日閲覧。
  3. ^ NWA United National Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月14日閲覧。
  4. ^ WWE Yearly Results 1984”. The History of WWE. 2009年8月30日閲覧。
  5. ^ Tag Team Profile: Fabulous Freebirds”. Online World of Wrestling. 2009年8月30日閲覧。
  6. ^ NWA United States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月14日閲覧。
  7. ^ NWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月14日閲覧。
  8. ^ WCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月14日閲覧。
  9. ^ Terry Gordy Memorial Show Results”. Lords of Pain: August 12, 2001. 2009年8月30日閲覧。
  10. ^ WWE Writer Allegedly Dishes Racist Smackdown”. TMZ.com: April 23, 2008. 2009年8月30日閲覧。
  11. ^ WWE Suspends Executive Producer After Alleged Racist Comment”. SPIKE.com: April 25, 2008. 2009年8月30日閲覧。
  12. ^ WWE News: More on the Michael Hayes Suspension”. 411mania: April 28, 2008. 2009年8月30日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]