ワンマン・ギャング
| ワンマン・ギャング | |
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One Man Gang in 2009
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| プロフィール | |
| リングネーム | ワンマン・ギャング アキーム クラッシャー・ブルームフィールド パナマ・ギャング U.E.I.ギャング |
| 本名 | ジョージ・グレイ |
| ニックネーム | シカゴの暴獣 アフリカン・ドリーム |
| 身長 | 200cm - 205cm |
| 体重 | 190kg - 225kg |
| 誕生日 | 1960年2月12日(53歳) |
| 出身地 | サウスカロライナ州スパータンバーグ |
| デビュー | 1977年 |
ワンマン・ギャング(One Man Gang、1960年2月12日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。サウスカロライナ州スパータンバーグ出身。本名はジョージ・グレイ(George Gray)。
WWF(現・WWE)における "アフリカン・ドリーム" アキーム("African Dream" Akeem)としての活躍も知られる。
目次 |
来歴 [編集]
1977年に17歳でプロレスラーとしてデビュー。1979年よりケンタッキー州でアンジェロ・ポッフォ(ランディ・サベージの父親)が旗揚げしたICWに参加し、クラッシャー・ブルームフィールド(Crusher Broomfield)のリングネームで売り出される。
1982年頃、ビル・ワット主宰のMSWAでワンマン・ギャングと改名。超巨漢の若手ヒールとして台頭し、アンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦した。以降、フロリダのCWFやノースカロライナのJCPなどNWAの南部テリトリーを転戦し、1983年9月に全日本プロレスに初来日。スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、ハーリー・レイス、テッド・デビアスといった豪華メンバーの中でさほど注目はされていなかったが予想以上の健闘を見せ、テレビ中継にてジャンボ鶴田とのシングルマッチも組まれた。1984年11月には鶴見五郎と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場している(当初はバズ・ソイヤーがパートナーとなる予定だった)。
その後、それまでの長髪をモヒカン刈りに変え、イリノイ州シカゴ出身を自称するストリートギャング系のヒールに変身。1985年からはテキサス州ダラスのWCCWに定着し、ブルーザー・ブロディ、ケリー・フォン・エリック、テリー・ゴディらと抗争を繰り広げる。1986年にはルイジアナのUWF(旧MSWA)でスティーブ・ウィリアムスやビッグ・ババ・ロジャースとUWF世界ヘビー級王座を争った[1]。
1987年5月よりWWFに登場。王者ハルク・ホーガンに挑戦する一方、バンバン・ビガロとも巨漢同士の抗争を展開する。1988年3月27日のレッスルマニアIVでは、空位となったWWF世界ヘビー級王座決定トーナメントに出場した。同年9月、 "アフリカン・ドリーム" アキームに変身。白人でありながらイスラム名のアフリカ人を名乗り、マネージャーのスリックが歌う入場曲 "Jive Soul Bro." に合わせてラップを踊るというコミカルなヒールへのキャラクター・チェンジを行う。ビッグ・ボスマンとのタッグチーム、ツイン・タワーズ(Twin Towers)としても活躍した。
1990年下期にWWFを離脱し、WCWに移籍。リングネームをワンマン・ギャングに戻し、ケビン・サリバン率いるヒール軍団 "ダンジョン・オブ・ドゥーム" に加入する。その後はインディー団体を転戦し、1995年にWCWと再契約。同年12月27日、新日本プロレスの佐々木健介が剥奪されたWCW・USヘビー級王座の新王者に認定された[2]。WCW離脱後は1997年7月にSPWFへ来日、矢口壹琅とタッグを組み、久々に日本に登場。1998年11月にはFMWに参戦した。同年には短期間ながらECWにもフル・ブラッデッド・イタリアンズのメンバーとして登場している[3]。
2000年に心臓発作を起こしてからはセミリタイア状態となり、以降はインディー団体に単発的に出場。2001年にはプエルトリコのWWCに遠征し、カルロス・コロンやアブドーラ・ザ・ブッチャーとハードコア王座を争っている[4]。WWEにも同年4月1日のレッスルマニアX-Sevenにおけるギミック・バトルロイヤルにワンマン・ギャングとして出場した(当初はアキームとして参加予定だったが、ウェイトがダウンしたためコスチュームが合わなくなってしまったという)。
近年は、2008年2月29日にフィラデルフィアのインディー団体チカラで行われた6人タッグマッチのトーナメントに、デモリッション(アックス&スマッシュ)とチームWWFなるトリオを結成して出場している。2009年3月28日には、同じくペンシルベニア州のIWC(International Wrestling Cartel)に登場、MSWAからWWFを通しての宿敵ジム・ドゥガンとメインイベントで対戦し敗れた[5]。
得意技 [編集]
- 747スプラッシュ
- ジャンピングまたはランニング式のボディ・プレス。その巨体をボーイング747に見立てたネーミング。アキーム時代は "Air Africa" と呼ばれた。
- マスター・ブラスター
- セカンドロープからのフェイスクラッシャー。
- エルボー・ドロップ
獲得タイトル [編集]
- NWAブラスナックル王座(フロリダ版):1回
- NWA USタッグ王座(フロリダ版):1回(w / ロン・バス)
- NWAミッドアトランティック・タッグ王座:1回(w / ケリー・キニスキー)
- NWA世界6人タッグ王座(WCCW版):1回(w / マーク・ルーイン&キラー・ブルックス)
- UWF世界ヘビー級王座(ミッドサウス版):1回
- WCW USヘビー級王座:1回
- WWCハードコア王座:2回
脚注 [編集]
- ^ “UWF World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月9日閲覧。
- ^ “WCW United States Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月9日閲覧。
- ^ “Wrestling Gallery: The Full Blooded Italians”. Online World of Wrestling. 2010年2月3日閲覧。
- ^ “WWC Hardcore Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月9日閲覧。
- ^ “Night of Legends 2009 Results”. IWC Official Website. 2010年2月3日閲覧。