ニキタ・コロフ

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ニキタ・コロフ
プロフィール
リングネーム ニキタ・コロフ
本名 ネルソン・スコット・シンプソン
ニックネーム ロシアの悪夢
ロシアの鬼人
身長 193cm
体重 135kg(全盛時)
誕生日 1959年3月9日(55歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミネソタ州ミネアポリス
スポーツ歴 アメリカンフットボール
ウエイトリフティング
トレーナー イワン・コロフ
ドン・カヌードル
エディ・シャーキー
デビュー 1984年
引退 1993年
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ニキタ・コロフ"The Russian Nightmare" Nikita Koloff)のリングネームで知られるネルソン・スコット・シンプソンNelson Scott Simpson1959年3月9日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーミネソタ州ミネアポリス出身(ギミック上の出身地はロシア共和国モスクワ)。

1980年代後半を全盛期に、ロシア人ギミックの大型ラフ&パワーファイターとしてNWAミッドアトランティック地区(ジム・クロケット・プロモーションズ)を主戦場に活動。当初はヒール、後にベビーフェイスとなって活躍した。

来歴[編集]

学生時代はアメリカンフットボールで活躍しUSFLのトライアウトを受けるが、同郷の友人ロード・ウォリアー・アニマルに誘われてプロレス入り[1]NWAジョージア地区を経て、1984年イワン・コロフの「」のニキタ・コロフNikita Koloff)としてNWAミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロモーションズに登場、イワンとのコンビでロード・ウォリアーズと抗争を開始した。

1985年からはクラッシャー・クルスチェフもメンバーに加わり、ザ・ラシアンズThe Russians)を結成してウォリアーズやロックンロール・エクスプレスNWA世界タッグ王座を争う[2]。同年7月6日のグレート・アメリカン・バッシュ第1回大会)では、リック・フレアーNWA世界ヘビー級王座に挑戦した。

1986年1月にはクルスチェフと共に全日本プロレスに初来日(10月にも再来日)。同年はシングル・プレイヤーとしての活動に比重を置き、マグナムT.A.NWA USヘビー級王座を巡る遺恨試合を繰り広げた[3]。9月28日には、ジョージア地区のタイトルだったNWAナショナル・ヘビー級王座をワフー・マクダニエルから奪取している[4]

ファン投票で1986年度の "Most Hated Wrestler" に選ばれた[5]ほどの大ヒールだった彼だが、やがて悪党人気がファンの支持に変わり、交通事故で引退したマグナムT.A.に代わるダスティ・ローデスの新パートナーに起用され、1986年10月24日よりベビーフェイスに転向。1987年4月11日にはローデスと組んでタッグチーム・トーナメント "Crockett Cup" に出場、決勝でフォー・ホースメンタリー・ブランチャード&レックス・ルガーを破り、優勝を飾った[6]

ローデスとのコンビはスーパーパワーズThe Superpowers)と呼ばれ、旧敵ウォリアーズとも共闘してフレアー率いるフォー・ホースメンと軍団抗争を展開、フレアーのNWA世界ヘビー級王座にも再三挑戦した。1987年8月17日にはブランチャードからNWA世界TV王座を奪取[7]、11月26日のスターケードで提携団体UWF(ビル・ワット主宰。当時すでにクロケット・プロに吸収合併されていた)のTV王者テリー・テイラーを下し、両団体のTVタイトルを統一した[8]

1988年マイク・ロトンドバリー・ウインダムと抗争するが、妻がホジキンリンパ腫を患ったために同年下期に戦線を離脱。同時期、ジム・クロケット・プロモーションズはテッド・ターナーに買収されWCWが発足したが、妻の死後はWCWに参加せず、1989年から1990年までは地元ミネアポリスのAWAに出場した。

1991年2月、ヒールとしてWCWに復帰し、スティングとの連戦を開始。7月14日のグレート・アメリカン・バッシュでは十八番のロシアン・チェーン・マッチでスティングから勝利を収めている[9]1992年からはベビーフェイスに戻り、リッキー・スティムボートとのタッグチームなどで活動。リック・ルードベイダーとも抗争した。

ベイダーとの抗争で首を負傷したこともあり、1993年より新生キリスト教徒となって現役を引退、以降は宣教師としての活動を続けている[10]。選手時代はハルク・ホーガンのライバル候補としてWWFとの契約が何度となく噂されたものの、WWF参戦は一度も実現しなかった。

引退後は長らくプロレス業界から離れていたが、2003年1月15日に覆面レスラーミスター・レスリング4号Mr. Wrestling IV)を名乗ってTNAに登場。かつての盟友ダスティ・ローデスを急襲し、覆面を脱いでその正体を明かした。その後はフェイスターンしてローデスを援護、スーパーパワーズ再結成をほのめかすも、選手としてリングに復帰することはなかった[11]

2008年にはインディー団体のMACW(Mid-Atlantic Championship Wrestling)に出場し、3月15日の興行ではバフ・バグウェルの試合に介入、5月16日にはリック・スタイナーセコンドを務めた[11]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Nikita Koloff Biography Page 1”. Nikita Koloff.com. 2009年12月2日閲覧。
  2. ^ NWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
  3. ^ NWA United States Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
  4. ^ NWA National Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
  5. ^ Nikita Koloff Biography Page 2”. Nikita Koloff.com. 2009年12月2日閲覧。
  6. ^ 2nd Annual Jim Crockett, Sr. Memorial Tag Team Tournament Cup”. ProWrestling History. 2012年2月12日閲覧。
  7. ^ NWA World Television Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
  8. ^ UWF World Television Title History”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
  9. ^ WCW The Great American Bash 1991”. pWw - Everything Wrestling. 2010年4月19日閲覧。
  10. ^ Nikita Koloff Biography Page 3”. Nikita Koloff.com. 2009年12月2日閲覧。
  11. ^ a b Wrestler Profiles: Nikita Koloff”. Online World of Wrestling. 2009年12月2日閲覧。

外部リンク[編集]