アメリカン・レスリング・アソシエーション

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アメリカン・レスリング・アソシエーションAmerican Wrestling Association、アメリカレスリング協会)は、1991年までアメリカ合衆国に存在したプロレス団体。略称AWA

1996年からはAWAスーパースターズ・オブ・レスリングとなって活動を再開しているが、それについてはレスリング・スーパースターズ・ライブを参照。

概要[編集]

1960年バーン・ガニアミネソタ地区のプロモーター達と共にNWAを離脱し創立。本拠をミネアポリスに置いて北米地域を活動領域とし、形式上はNWA同様にアメリカ各地のプロモーターの連合体であったが、実権はプロモーター兼プロレスラーのガニアが掌握していた。会長はスタンリー・ブラックバーンらガニア以外の人物が務めていた。

AWAは、NWAからAWA創立による離脱する前後期のNWA王者であったパット・オコーナーを初代AWA世界ヘビー級王者と認定、オコーナーをAWA・NWA統一世界王者とし、ガニアとの指名試合を勧告する。しかし、オコーナー側は対戦を拒否、これによりガニアにAWA王座は移動、世界王座が切り離され独立をする。

かつてはNWAやWWWF(後のWWF、現在のWWE)とならぶ全米3大メジャー団体であり、アンドレ・ザ・ジャイアントハルク・ホーガンロード・ウォリアーズなどが最初のブレイクを果たしたのもAWAのリングだった。WWFがNWA傘下に入っていた時期は、フラッグシップ・タイトルのAWA世界ヘビー級王座NWA世界ヘビー級王座と並ぶ2大世界王座とされたこともあった。

しかし、1984年に始まったWWFの全米マット制圧に際し最初のターゲットにされ、ハルク・ホーガンをはじめとする主力選手やスタッフを次々と引き抜かれたため、一気に弱体化。団体としての活動は1991年に終了し、権利関係は後年になってWWF(現WWE)に買い取られた。そのため、近年ではWWE 24/7にてAWAの試合も放送されている。

日本のプロレス団体とは、NWAが日本プロレスと提携していたため、その対抗策として1970年より国際プロレスと提携。日本プロレス崩壊後の1970年代中盤からは、国際と並行して全日本プロレスとも関係を持っていたが、国際は1975年にAWAとの提携を解消し、カナダカルガリー大剛鉄之助を支部長とする北米支部を設置し、招聘窓口とした(後の関係者の回想によると、ガニアから「自分達(AWA)を取るか、大剛を取るか」を迫られ、AWAの高額な提携料に難色を示していた吉原功社長が大剛を選んだとされている)。

国際との提携解消後は、全日本に絞って友好関係を保っていた(この時期にジャンボ鶴田がヘビー級王座に就いている)。その後、WWFの全米侵攻により団体の力が弱まった1980年代末からは、新日本プロレスとも関係を持つようになった(この時期に、マサ斎藤がヘビー級王座に就いている)。女子ではジャパン女子プロレスと関係を持っていた時期があった。

バーン・ガニア時代において、ガニア自身がアマチュアレスリング出身だったこともあり、基礎的なレスリング技術に秀でた選手が多く輩出された。アンドレが突出した巨体だったのにもかかわらずグラウンドテクニックもしっかり習得できていたのは、この団体にいたころの経験があったからだといわれる。しかし、ガニアのレスリングへのこだわりはホーガンやウォリアーズを「レスリングの出来ないただの筋肉マン」と評価することにつながり、彼らのAWA離脱を招いたという面も否定できない。

タイトル[編集]

バーン・ガニア時代の主な参戦選手[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]