エド・ウィスコスキー
| エド・ウィスコスキー | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | "イージー" エド・ウィスコスキー カーネル・デビアーズ メイジャー・デビアーズ ポーリッシュ・プリンス メガ・マハリシ デレク・ドレイパー ウルフ・ウィスコスキー |
| 本名 | エドワード・ウィスコスキー |
| ニックネーム | ザ・マングース |
| 身長 | 190cm - 193cm |
| 体重 | 118kg - 124kg |
| 誕生日 | 1945年1月10日(68歳) |
| 出身地 | ミズーリ州セントジョセフ |
| スポーツ歴 | アメリカンフットボール |
| トレーナー | ロード・リトルブルック ハーリー・レイス[1] |
| デビュー | 1972年[1] |
"イージー" エド・ウィスコスキー("Easy" Ed Wiskoski、1945年1月10日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミズーリ州セントジョセフ出身のポーランド系アメリカ人。
キャリア後期はアパルトヘイトの将校ギミック、カーネル・デビアーズ(Col. DeBeers)のキャラクターで活躍した。近年のハードコア・レスリングに通じるラフファイトを繰り広げたヒールのレジェンドとして、"The Grandfather of Hardcore" の異名を持つ[1]。
目次 |
来歴 [編集]
ノースウェスト・ミズーリ州立大学ではアメリカンフットボールで活動し、NFLのシンシナティ・ベンガルズに短期間所属後、1972年にプロレスラーとしてデビュー[1]。ベビーフェイスのポジションでNWAのミッドアトランティック地区などを転戦後、1975年よりヒールに転向。地元ミズーリのカンザスシティを本拠地とするセントラル・ステーツ地区では、ディック・ザ・ブルーザーやアンドレ・ザ・ジャイアントなどの大物ベビーフェイスとも対戦した[1]。
1977年、7月の全日本プロレス初来日を経て、オレゴンおよびワシントン州をサーキット・エリアとする太平洋岸北西部のPNW(パシフィック・ノースウエスト・レスリング)に参戦。11月12日にダッチ・サベージを破ってNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を獲得し[2]、12月7日にはバディ・ローズと組んでムーンドッグ・メイン&ロン・バスから同タッグ王座を奪取した[3]。
1978年はローズとのコンビでサンフランシスコにも進出し、10月25日に同地区認定のNWA世界タッグ王座をディーン・ホー&ロン・スターから奪取。ローズの負傷後はロディ・パイパーを新パートナーに起用し、最終的には同王座の最後のチャンピオン・チームとなった[4]。1980年6月7日には、同地区のフラッグシップ・タイトルだったUSヘビー級王座にも戴冠している[5]。
サンフランシスコ地区の閉鎖後はNWAの南部テリトリーを転戦し、1981年はオクラホマにてマイク・ジョージと組み、7月11日にエディ・ギルバート&リッキー・モートンからトライステート・タッグ王座を奪取[6]。1982年はデレク・ドレイパー(Derek "The Mongoose" Draper)の変名でフロリダに登場[7]、7月16日にデビッド・フォン・エリックを下して南部ヘビー級王座を獲得した[8]。
1983年1月、ポーリッシュ・プリンス(The Polish Prince)と名乗ってニューヨークのWWFに登場[9]。フレッド・ブラッシーをマネージャーに迎え、当時のWWFヘビー級王者ボブ・バックランドへの新しい刺客としてデビューしたが、数試合のTVテーピングを行ったのみで継続参戦することはなかった。その後は欧州のCWA遠征などを経てPNWに復帰し、メガ・マハリシ(Mega Maharishi)なる教祖ギミックの異色キャラクターに変身。1985年4月13日にはケンドー・ナガサキをパートナーにパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座に返り咲いている[3]。
1986年、南アフリカのヨハネスブルク出身を自称し、アパルトヘイトを推進する反米主義者の将校、カーネル・デビアーズ(Colonel DeBeers)に変身してAWAに登場。4月20日にミネアポリスのメトロドームで開催されたビッグイベント "WrestleRock 86" ではワフー・マクダニエルに勝利[10]。以降は愛国軍人ギミックのサージェント・スローターをはじめ、スコット・ホールやジミー・スヌーカと抗争を展開した。
AWAには団体最末期の1990年まで出場し、ダイヤモンド・ダラス・ペイジやポール・E・デンジャラスリーがマネージャーを担当していたこともある。なお、AWA時代の1987年11月にはブルーザー・ブロディのパートナーとして全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦への参加が発表されていたが、ブロディはジミー・スヌーカと組んで出場することになったため、再来日は実現しなかった。
AWA崩壊後はカリフォルニアの新興団体UWF(ハーブ・エイブラハム派)を経て、1992年より古巣のPNWに戻り、ジェシー・バーのファミリーが立ち上げた後継団体のチャンピオンシップ・レスリング・USAにも参戦。ビリー・ジャック・ヘインズ、ブリックハウス・ブラウン、レイ・ミステリオ・ジュニアらと対戦し、1994年6月には日本から遠征してきた剛竜馬ともタッグを組んでいる[11]。同団体認定のTV王座も再三獲得し、1997年3月18日にマット・ボーンを破って現役最後となる5回目の戴冠を果たした[12]。
引退後は2001年から2006年まで、オレゴン州ポートランドにてレスリング・スクールをバディ・ローズと共同で運営[13]。メイジャー・デビアーズ(Major DeBeers)の名義で北カリフォルニアのインディー団体にも時折出場していた[11]。
得意技 [編集]
- カーフ・ブランディング
- ニー・ドロップ
- テキサス・クローバーリーフ
- パイルドライバー
獲得タイトル [編集]
- パシフィック・ノースウエスト・レスリング / チャンピオンシップ・レスリング・USA
- NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:2回[2]
- NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:5回(w / バディ・ローズ×3、ケンドー・ナガサキ、ジョン・ランボー)[3]
- NWAパシフィック・ノースウエスト・TV王座:1回
- CWUSA TV王座:5回[12]
- NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:1回
- NWAトライステート
- NWAサンフランシスコ
- NWA USヘビー級王座(サンフランシスコ版):1回[5]
- NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):3回(w / バディ・ローズ×2、ロディ・パイパー)[4]
- NWAオーストラリア
- NWAオーストラ=アジアン・タッグ王座:1回(w / ラリー・オーディ)
脚注 [編集]
- ^ a b c d e “Wrestlers Database: Col. DeBeers”. Cagematch.net. 2012年4月20日閲覧。
- ^ a b “NWA Pacific Northwest Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月20日閲覧。
- ^ a b c “NWA Pacific Northwest Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月20日閲覧。
- ^ a b “NWA World Tag Team Title History: San Francisco version”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月20日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Heavyweight Title History: San Francisco version”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月20日閲覧。
- ^ a b “NWA Tri-State Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月20日閲覧。
- ^ “Wrestler: Derek Draper”. The Archives of Championship Wrestling from Florida. 2012年4月20日閲覧。
- ^ a b “NWA Southern Heavyweight Title History: Florida version”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月20日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1983”. The History of WWE. 2012年4月20日閲覧。
- ^ “Events Database: AWA WrestleRock”. Cagematch.net. 2012年4月20日閲覧。
- ^ a b “Matches: Col. DeBeers”. Cagematch.net. 2012年4月20日閲覧。
- ^ a b “Championship Wrestling USA Television Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月20日閲覧。
- ^ “Wrestler Profiles: "Playboy" Buddy Rose”. Online World of Wrestling. 2012年4月20日閲覧。