イワン・コロフ

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イワン・コロフ
イワン・コロフの画像
プロフィール
リングネーム イワン・コロフ
レッド・マクナルティ
ザ・ラシアン・ベアー
ジム・パーリス
本名 Oreal Perras
ニックネーム ロシアの怪豪
ロシアの雷帝
身長 178cm - 183cm
体重 113kg - 124kg
誕生日 1942年8月25日(72歳)
出身地 カナダの旗 カナダオンタリオ州
スポーツ歴 ウエイトリフティング
デビュー 1965年
引退 1994年
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イワン・コロフ"The Russian Bear" Ivan Koloff、本名:Oreal Donald Perras1942年8月25日 - )は、カナダオンタリオ州出身[1]の元プロレスラー第3代WWWF世界ヘビー級王者

北米での発音は「アイバン(アイヴァン)・コロフ」。生年は1936年ともいわれる[2]。現役選手時代はロシアギミック悪役レスラーとして活躍し、日本では「ロシアの怪豪」「ロシアの雷帝」などの異名で呼ばれた。

来歴[編集]

1965年1962年説もあり[2])、アイルランド人レッド・マクナルティRed McNulty)を名乗って地元のオンタリオにてデビュー[1][3]1967年9月にはこのリングネーム日本プロレスに初来日している(表記は「レッド・マクナッティ」)。1968年、髪を剃り上げてコサック帽とブーツを身につけたロシア人イワン・コロフに変身[3]ハンス・シュミットエドワード・カーペンティアなどの大物と対戦して実績を積み、モントリオール地区のインターナショナル・ヘビー級王座を獲得した[4]

1969年の下期よりWWWFに登場[5][6]キャプテン・ルー・アルバーノマネージャーに、ゴリラ・モンスーンビクター・リベラチーフ・ジェイ・ストロンボードミニク・デヌーチらを下してヒールとしてのステイタスを高め、1971年1月18日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてブルーノ・サンマルチノを破り、第3代のWWWF世界ヘビー級チャンピオンとなる[7][8]。翌月の2月8日にペドロ・モラレスに敗れ短命王者に終わったものの、約8年間に渡ってニューヨークの帝王に君臨していたサンマルチノから王座を奪ったことで一躍トップスターの仲間入りを果たした[1][3]

その後は元WWWF王者の肩書のもと各地で活躍。同年6月にはエース級の扱いで日本プロレスに再来日し、6月29日に東京体育館にてジャイアント馬場インターナショナル・ヘビー級王座に挑戦。7月1日にはダッチ・サベージと組んでBI砲インターナショナル・タッグ王座にも挑んだ。翌1972年AWAに参戦してビル・ロビンソンクラッシャー・リソワスキーと抗争、バーン・ガニアAWA世界ヘビー級王座にも挑戦した[9]1973年4月にはAWAとの提携ルートで国際プロレスに来日。4月18日に土浦にて、マッドドッグ・バションとのコンビでストロング小林&グレート草津からIWA世界タッグ王座を奪取[10]。4月30日に足立区体育館にて草津&ラッシャー木村を退け初防衛に成功するが、5月14日に船橋で草津&木村に奪回された[10]。シリーズ最終戦の5月15日には、大宮スケートセンターにてストロング小林のIWA世界ヘビー級王座にも挑戦している[11]

1975年にWWWFを再度襲撃し、チャンピオンに返り咲いていたサンマルチノに連続挑戦[12]。同年10月、新日本プロレスの『闘魂シリーズ第2弾』に後半戦特別参加で来日。グレッグ・バレンタインをパートナーに、アントニオ猪木坂口征二北米タッグ王座に挑戦した。以降も新日本の常連外国人となり、1976年9月3日には愛知県体育館にて、WWWFでの盟友スーパースター・ビリー・グラハムとの怪力コンビで坂口&ストロング小林の北米タッグ王座に再挑戦。同年末の来日では、12月2日に大阪府立体育会館にて猪木のNWFヘビー級王座に挑んでいる。

1977年6月18日、インディアナ州インディアナポリスディック・ザ・ブルーザーからWWA世界ヘビー級王座を奪取[13]。この時期よりウエイトダウンを試み、重厚なパワーファイターから機敏性のあるラフファイターへの肉体改造を行う。以降、エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ、ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングジム・クロケット・ジュニア主宰のミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングなど南部NWA圏を転戦しつつ、1978年にはMSGで新王者ボブ・バックランドWWFヘビー級王座にも挑戦するなど[14]、NWAとWWFを股にかけて活躍した[15]

モスクワオリンピックボイコット問題米ソの対立構造が激化した1980年から1981年にかけては、ジョージアアレックス・スミルノフフロリダニコライ・ボルコフとロシア人タッグを結成し、それぞれタッグ王座を獲得[16][17]。フロリダではダスティ・ローデスバグジー・マグローを相手に、得意のロシアン・チェーン・マッチをはじめとする各種のデスマッチで抗争を展開[18]、大ヒールとなって観客をヒートアップさせた[19]。その後、ミッドアトランティック地区でのワフー・マクダニエルジミー・バリアントとの抗争を経て1983年よりWWFに復帰したが、翌1984年にスタートしたビンス・マクマホン・ジュニアの全米侵攻サーキットには参加せず、ビンス・マクマホン・シニアの引退とほぼ同時期にWWFを離脱[20]。以降、WWEのリングには上がっていない[15]

1984年からはNWAのミッドアトランティック地区に定着し、ニキタ・コロフクラッシャー・クルスチェフとのロシア人ユニット「ザ・ラシアンズ」を結成[21]。若い彼らを指揮する「アンクル・アイバンUncle Ivan)」として、ロード・ウォリアーズロックンロール・エクスプレスと抗争を繰り広げた。その後もウラジミール・ペトロフ(アル・ブレイク)やパワーズ・オブ・ペイン(ザ・バーバリアン&ザ・ウォーロード)を配下に同地区のプレイング・マネージャー的な存在となって活躍した。1988年下期からはベビーフェイスに転向[22]、同年12月26日のスターケードではジャンクヤード・ドッグとタッグを組み、ポール・ジョーンズ率いるラシアン・アサシンズ(デビッド・シェルダン&ジャック・ビクトリー)と対戦した[23][24]

WCWへの移行期でもある1989年にNWAを離れ、1990年1月には全日本プロレスに来日[25]、昭和の日本プロレス4団体制覇を果たした。1992年3月には「甥」のウラジミール・コロフ(カール・ブラントリー)を帯同し、W★INGに来日している[26]。その後もアメリカやカナダのインディー団体への出場を続け、若手時代のキッド・キャッシュのマネージャーも務めたが1994年に引退[1]

引退後は新生キリスト教徒となり、長年の主戦場だったノースカロライナに居住[27]2007年には編集者との共著による自叙伝が出版された[28]

エピソード[編集]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション
ワールド・レスリング・アソシエーション
インターナショナル・レスリング・エンタープライズ
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:1回
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
その他
  • IWAインターナショナル・ヘビー級王座(モントリオール版):1回
  • ACWタッグ王座:1回(w / ウラジミール・コロフ)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Ivan Koloff”. SLAM! Sports (January 12, 2008). 2010年2月3日閲覧。
  2. ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P41(1996年、日本スポーツ出版社
  3. ^ a b c The Russian Bear got his start in Ottawa Valley”. SLAM! Sports (February 11, 2007). 2010年2月3日閲覧。
  4. ^ IWA International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
  5. ^ The WWE matches fought by Ivan Koloff in 1969”. Wrestlingdata.com. 2014年11月7日閲覧。
  6. ^ WWE Yearly Results 1969”. The History of WWE. 2010年5月18日閲覧。
  7. ^ a b History of the WWE Championship”. WWE.com. 2010年4月19日閲覧。
  8. ^ WWE Specific Arena Results: MSG 1970-1979”. The History of WWE. 2009年4月8日閲覧。
  9. ^ The AWA matches fought by Ivan Koloff in 1972”. Wrestlingdata.com. 2014年11月7日閲覧。
  10. ^ a b c IWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
  11. ^ The IWE matches fought by Ivan Koloff in 1973”. Wrestlingdata.com. 2014年11月7日閲覧。
  12. ^ The WWE matches fought by Ivan Koloff in 1975”. Wrestlingdata.com. 2014年11月7日閲覧。
  13. ^ a b WWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
  14. ^ The WWE matches fought by Ivan Koloff in 1978”. Wrestlingdata.com. 2014年11月7日閲覧。
  15. ^ a b Ivan Koloff: Places”. Wrestlingdata.com. 2014年11月7日閲覧。
  16. ^ a b NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
  17. ^ a b NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
  18. ^ The CWF matches fought by Ivan Koloff in 1980”. Wrestlingdata.com. 2014年11月29日閲覧。
  19. ^ Wrestler: Ivan Koloff”. The Archives of Championship Wrestling from Florida. 2009年4月8日閲覧。
  20. ^ The WWE matches fought by Ivan Koloff in 1983”. Wrestlingdata.com. 2014年11月7日閲覧。
  21. ^ Tag Team Profiles: The Russians”. Online World of Wrestling. 2010年4月19日閲覧。
  22. ^ The WCW matches fought by Ivan Koloff in 1988”. Wrestlingdata.com. 2014年11月7日閲覧。
  23. ^ Going Old School: Starrcade '88”. 411mania.com. 2014年5月30日閲覧。
  24. ^ WCW Starrcade 1988: True Gritt”. Wrestlingdata.com. 2014年11月7日閲覧。
  25. ^ The AJPW matches fought by Ivan Koloff in 1990”. Wrestlingdata.com. 2014年11月7日閲覧。
  26. ^ The W*ING matches fought by Ivan Koloff in 1992”. Wrestlingdata.com. 2014年11月7日閲覧。
  27. ^ Wrestler Profiles: Ivan Koloff”. Online World of Wrestling. 2014年5月30日閲覧。
  28. ^ Ivan Koloff "bears" all in new autobiography”. SLAM! Sports (January 5, 2007). 2014年5月30日閲覧。

外部リンク[編集]