クラッシャー・リソワスキー

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クラッシャー・リソワスキー
プロフィール
リングネーム クラッシャー・リソワスキー
ザ・クラッシャー
レジー・リソワスキー
クラッシャー・マシーン
本名 レジナルド・リソワスキー
ニックネーム 粉砕者
ぶっ壊し屋
身長 183cm
体重 118kg(全盛時)
誕生日 1926年7月11日
死亡日 2005年10月22日(満79歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ウィスコンシン州サウス・ミルウォーキー
デビュー 1949年
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クラッシャー・リソワスキーCrusher Lisowski1926年7月11日 - 2005年10月22日)は、アメリカ合衆国プロレスラーウィスコンシン州サウスミルウォーキー出身のポーランド系アメリカ人。本名はレジナルド・リソワスキーReginald Lisowski)。生年月日、出自、デビュー年に関しては不明な点が多く、出身地はペンシルベニア州ピッツバーグという説もある。

来歴[編集]

若い頃は不良少年で、煉瓦積みの職人、ハイウェイ・パトロールの警察官などの職業を経た。1949年1950年とも)、24歳でプロレス入り。レジー・リソワスキー(Reggie Lisowski)の名でリングに上がりスタンレー・リソワスキーとタッグで活躍した。

1963年2月15日、ネブラスカ州オマハバーン・ガニアを破ってAWA世界ヘビー級王座(オハマ版)を奪取。

同年7月9日、ミネソタ州ミネアポリスでバーン・ガニアを破ってAWA世界ヘビー級王座(ミネアポリス版)を奪取。

1963年8月20日、同地でディック・ザ・ブルーザーと組んでAWA世界タッグ王座を奪取(以降、ブルーザーとのコンビで計4回、コンビを変え計4回の奪取に成功)。

1963年11月29日、ミネソタ州セントポールでバーン・ガニア再度AWA世界ヘビー級王座(オハマ版)を奪取。

1965年8月21日、同地でマッドドッグ・バションを破り統一されたAWA世界ヘビー級王座を奪取。

1967年12月、日本プロレスに初来日しジャイアント馬場インターナショナル・ヘビー級王座に挑戦。

1969年8月11日、日本プロレス、札幌中島スポーツセンターでジャイアント馬場&アントニオ猪木BI砲)を破りインターナショナル・タッグ王座を奪取。

1972年11月、国際プロレスに来日。11月27日にブルーザーと組んでストロング小林&グレート草津と日本初の金網デスマッチによるタッグ戦を行う。

1976年1月、全日本プロレスに最後の来日。

1984年5月6日、バロン・フォン・ラシクと組んでクラッシャー・ブラックウェル&ケン・パテラを破りAWA世界タッグ王座を奪取。これが最後の載冠となる。

1986年WWFにスポット参戦。ジャイアント・マシーンスーパー・マシーンビッグ・マシーンらのWWF版マシーン軍団の一員として、覆面レスラークラッシャー・マシーン(Crusher Machine)を名乗る。素顔でもハルク・ホーガンとタッグを組み、ビッグ・ジョン・スタッド&キングコング・バンディと対戦した。

1989年頃、WWFで引退。

2005年10月22日、ミルウォーキーの病院で脳腫瘍のため死去。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]