クラッシャー・リソワスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
クラッシャー・リソワスキー
プロフィール
リングネーム クラッシャー・リソワスキー
ザ・クラッシャー
レジー・リソワスキー
クラッシャー・マシーン
本名 レジナルド・リソワスキー
ニックネーム 粉砕者
ぶっ壊し屋
身長 183cm
体重 118kg(全盛時)
誕生日 1926年7月11日
死亡日 2005年10月22日(満79歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ウィスコンシン州の旗 ウィスコンシン州
サウス・ミルウォーキー
デビュー 1949年
引退 1989年
テンプレートを表示

クラッシャー・リソワスキーCrusher Lisowski)のリングネームで活躍したレジナルド・リソワスキーReginald "Reggie" Lisowski1926年7月11日 - 2005年10月22日)は、アメリカ合衆国プロレスラーウィスコンシン州サウス・ミルウォーキー出身のポーランド系アメリカ人[1]

殴る・蹴るの喧嘩戦法を主体とした粗暴なラフファイターとして、ヒールのポジションで狂乱ファイトを繰り広げた後、キャリア途中よりベビーフェイスに転じ、主戦場のAWAを中心に人気を博した[1]ディック・ザ・ブルーザーとの元祖・極道コンビでの活躍も知られ、日本では「粉砕者」「ぶっ壊し屋」などの異名を持つ[2]

来歴[編集]

ハイスクール時代はアメリカンフットボールフルバックで鳴らし、第二次世界大戦ドイツに駐留中は陸軍レスリングを学んだ[1]。終戦後、レンガ積み工やハイウェイ・パトロールなどの職を経て[3]1949年にプロレス入り[1]レジー・リソワスキーReggie Lisowski )の名義で地元のミルウォーキーシカゴなどの中西部を主戦場に、1953年11月3日にはコロラド州デンバーにてタイトル初戴冠となるロッキー・マウンテン・ヘビー級王座を獲得、翌1954年2月16日にパット・オコーナーに敗れるまで保持した[4]

その後、アート・ネルソンとの金髪コンビでの活動を経て、1955年11月19日にはミルウォーキーにてルー・テーズNWA世界ヘビー級王座に初挑戦している[5]1956年からは、後にアート・ネルソンの相棒にもなるスタン・ホレック(スタン・ネルソン)がスタン・リソワスキーと改名して新パートナーとなり、ギミック上の兄弟チームである「リソワスキー・ブラザーズ」を結成[6]。以降、1950年代後半はリソワスキー兄弟として中西部から深南部北東部カナダまでNWAの主要テリトリーを転戦。各地区認定のNWA世界タッグ王座を再三獲得し、カナダのトロントではホイッパー・ビリー・ワトソン&ユーコン・エリックなどのチームとカナディアン・オープン・タッグ王座を争った[7]

1960年代に入るとスタン・リソワスキーとのコンビを解消し、クラッシャー・リソワスキーCrusher Lisowski )またはザ・クラッシャーThe Crusher)と名乗ってシングルプレイヤーに転向。WWWFの前身団体キャピトル・レスリング・コーポレーションでは1960年から1961年にかけて、ブルーノ・サンマルチノアントニオ・ロッカアーノルド・スコーランベアキャット・ライトヘイスタック・カルホーンレッド・バスチェンマーク・ルーインプリモ・カルネラジョニー・バレンタインらと対戦し、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにも出場した[8][9]

1963年2月15日、ネブラスカ州オマハバーン・ガニアを破り、オマハ版の世界ヘビー級王座を獲得[10]。同年7月9日にもミネソタ州ミネアポリスにてガニアからAWA世界ヘビー級王座を奪取するが、同月20日にガニアに敗れて二冠を失う[11]。その後、ガニアはオマハ版の王座をAWA王座に統合、クラッシャーもAWAを主戦場とし、同年11月29日にガニア、1965年8月21日にマッドドッグ・バションを破り、AWA世界ヘビー級王座には通算3回戴冠している[11]

また、従兄弟ともされていた同タイプのディック・ザ・ブルーザータッグチームを結成し、1963年8月20日にAWA世界タッグ王座を獲得[12]。1960年代中盤からはブルーザーと共にベビーフェイスのポジションに回り、ラリー・ヘニング&ハーリー・レイスと抗争を繰り広げた[12]。ブルーザーが主宰していたインディアナ州インディアナポリスWWAでは、1967年1月21日にクリス・マルコフ&アンジェロ・ポッフォのデビルズ・デュオからWWA世界タッグ王座を奪取[13]1968年12月28日にはシカゴにて、当時AWAとWWAの両世界タッグ王者チームだったミツ・アラカワ&ドクター・モトを破り、二冠を手中にしている[12][13]

その後もブルーザーとのコンビでは、1960年代末から1970年代前半にかけて、マッドドッグ・バション&ブッチャー・バションのバション・ブラザーズ、ダスティ・ローデス&ディック・マードックテキサス・アウトローズブラックジャック・マリガン&ブラックジャック・ランザザ・ブラックジャックスなどの強豪チームと抗争を展開。1975年8月16日にはニック・ボックウィンクル&レイ・スティーブンスを破り、ブルーザーと組んでの通算5回目のAWA世界タッグ王座戴冠を果たす[12]。同年9月20日にはインディアナポリスにてジャック・グレイ&ザリノフ・ルブーフのザ・リージョネアーズからWWA世界タッグ王座も奪取、再び二冠王となり、WWA王座は翌1976年3月13日にオックス・ベーカー&チャック・オコーナー、AWA王座は同年7月23日にブラックジャック・ランザ&ボビー・ダンカンに敗れるまで保持した[12][13]

王座陥落後はブルーザーとのコンビを一時解消してAWAに定着し、1977年2月13日にはアンドレ・ザ・ジャイアントと組んで新王者チームのランザ&ダンカンに挑戦[14]。以降もマッドドッグ・バション、バロン・フォン・ラシクスーパー・デストロイヤーアンジェロ・モスカロード・アルフレッド・ヘイズスーパー・デストロイヤー・マークIIらと抗争し、ニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座にも再三挑戦した[15][16]1979年ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにも参戦、9月21日にアトランタオムニ・コロシアムにてトミー・リッチと組み、イワン・コロフ&オレイ・アンダーソンからNWAジョージア・タッグ王座を奪取している[17]

1980年代初頭は、フェイスターンした旧敵のマッドドッグ・バションやバロン・フォン・ラシクとベテラン・コンビを組み、当時のAWA世界タッグ王者チームだったジェシー・ベンチュラ&アドリアン・アドニスのイースト・ウエスト・コネクションに再三挑戦。同じく「クラッシャー」を名乗るジェリー・ブラックウェルとも抗争を展開した[18]1982年より一時リングを離れるも、1984年に復帰し、5月6日にグリーンベイにてバロン・フォン・ラシクと組んでジェリー・ブラックウェル&ケン・パテラを破り、8年ぶりにAWA世界タッグ王座に返り咲く[12]。8月25日にラスベガスロード・ウォリアーズに奪取されるが、58歳での最後のタイトル戴冠を果たした[1]

その後もAWAのビッグイベントに単発的に出場し、ブルーザーとのコンビでロード・ウォリアーズやファビュラス・フリーバーズなど、当時を代表する新世代のタッグチームとも対戦[1][19][20]1985年9月28日にシカゴのコミスキー・パークで開催された "AWA SuperClash"[21] における、ブルーザー&バロン・フォン・ラシクと組んでのイワン・コロフ、ニキタ・コロフクラッシャー・クルスチェフザ・ラシアンズとの6人タッグマッチを最後にAWAを離れた[22]

1986年10月5日、AWAの主要都市セントポールで行われたWWFハウス・ショーに、覆面レスラークラッシャー・マシーンCrusher Machine)に扮してサプライズ登場。スーパー・マシーン&ビッグ・マシーンのWWF版マシーン軍団の一員として、AWA時代からの因縁を持つマネージャーボビー・ヒーナン率いるファミリーとの6人タッグマッチに出場した[23]。試合後は覆面を脱いで素顔に戻り、同月23日にはハルク・ホーガンと組んでヒーナン・ファミリーのビッグ・ジョン・スタッド&キングコング・バンディと対戦[24]。以降も主戦場としていた中西部地区におけるWWFの興行にスポット参戦し、1987年1月23日には負傷したダイナマイト・キッドに代わってデイビーボーイ・スミスのパートナーとなり、ブレット・ハート&ジム・ナイドハートハート・ファウンデーションが保持していたWWF世界タッグ王座に挑戦[25]。同年3月16日には再びホーガンと組んでカマラ&ホンキー・トンク・マンの異色コンビと対戦し[26]、11月16日にはルー・テーズやエドワード・カーペンティアボボ・ブラジルジン・キニスキーキラー・コワルスキーなどのオールドタイマーによるバトルロイヤルに出場した[27]

1988年2月15日、ネブラスカ州オマハにおけるケン・パテラと組んでのデモリッションアックス&スマッシュ)とのタッグマッチが記録としての現役最後の試合となり[22][28]、以降は1989年までWWFに時折登場していた[1]。その後は1998年5月31日、ミルウォーキーで開催されたPPVオーバー・ジ・エッジ』にマッドドッグ・バションと共に登場、レジェンドとして迎えられ、当時ヒールのポジションにいたジェリー・ローラーとも絡んだ[1]

2005年10月22日、故郷のサウス・ミルウォーキーにて脳腫瘍のため死去[29]。79歳没[1]。晩年は股関節および膝関節の置換手術や心臓のバイパス手術など、複数の手術を受けていた[1]

日本での活躍[編集]

1967年12月、シリーズ後半戦への特別参加で日本プロレスに初来日[30]。12月6日に東京都体育館にてジャイアント馬場インターナショナル・ヘビー級王座に挑戦したが反則裁定となり、翌1968年1月3日に蔵前国技館にて再戦が行われた。同日はTBS体制下の国際プロレスルー・テーズグレート草津TWWA世界ヘビー級王座戦をメインイベントに近隣の日大講堂で興行を開催しており[31]、「隅田川の対決」などと呼ばれる興行戦争としても注目を集めた[3]。この来日時は、最終戦の2月3日に大田区体育館にてビル・ミラーと組み、ジャイアント馬場&アントニオ猪木BI砲が保持していたインターナショナル・タッグ王座にも挑戦した[32]1969年ディック・ザ・ブルーザーとのコンビでの来日が実現、8月11日に札幌中島スポーツセンターにてBI砲を破り、インターナショナル・タッグ王座を奪取している[33]

1972年11月にはAWAとの提携ルートでブルーザーと共に国際プロレスに来日し、11月24日に岡山武道館にてストロング小林&グレート草津IWA世界タッグ王座に挑戦[34]。11月27日には愛知県体育館にて、小林&草津を相手に日本初となる金網タッグデスマッチを行ったが、試合方式を「金網から先に脱出した方が勝ち」というアメリカ式のエスケープ・ルールと誤認、ダウンした小林と草津を残して場外に脱出し、そのまま控室に戻り無効試合になったため、怒った観客が暴動を起こし機動隊が出動するという騒ぎとなった[35]。シングルでは翌28日に、静岡にて小林のIWA世界ヘビー級王座に金網デスマッチで挑戦している[34]。この来日時、ブルーザーとクラッシャーは「WWA世界タッグ王者チーム」の触れ込みで参戦しており、27日の金網タッグデスマッチは小林と草津の挑戦を受けたWWA世界タッグ王座の防衛戦として行われ、11月30日には茨城県スポーツセンターにて、決着戦としてIWAとWWAの両タッグ王座のダブルタイトルマッチが組まれたが、この時点での実際のWWA世界タッグ王者チームはザ・ブラックジャックスであり、ブルーザーとクラッシャーはタイトルを保持していなかった[13](11月29日には東京都体育館にて、小林&マイティ井上との防衛戦も行われている)[34]

最後の来日はAWAとWWAの両世界タッグ王座戴冠中の1976年1月、ブルーザーとのコンビで全日本プロレスに参戦。1月26日に愛知県体育館、29日に東京都体育館にて、馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座に連続挑戦している[36]。日本マットには日本プロレスに3回、全日本プロレスと国際プロレスに各1回、通算5回登場。日本プロレスへの3度目の参戦からは、いずれもブルーザーと組んでの来日だった[3]

逸話[編集]

  • ビールの生産地で知られるミルウォーキー出身のポーランド系アメリカ人として、ビア樽をかついでミシガン湖沿いをランニングしたなどと豪語していた[1]1967年12月の初来日時も、記者会見の席上で杯状のトロフィーにビールを注いで飲み干し、報道陣の前で1ダース分のビールを空にした[3]。プロレス入りする前はハイウェイ・パトロールの警察官をしていたというが、飲酒運転を取り締まるべき本人がパトカーの中でビールを飲んでいたために、短期間で解雇されたという[30]。試合中も、ポルカのステップを踏むように対戦相手を踏みにじりながら『ビア樽ポルカ』を口ずさんでいた[30]
  • 後年のザ・ロックのように、猥褻なスラング造語を盛り込んで対戦相手をこきおろすトラッシュ・トークの名手でもあり、リック・フレアーは少年時代、クラッシャーのインタビューが大のお気に入りだったと自著で記述している[37]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

アメリカン・レスリング・アソシエーション
メープル・リーフ・レスリング
  • NWAカナディアン・オープン・タッグ王座:2回(w / スタン・リソワスキー)[7]
NWAシカゴ
NWAミネアポリス
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・アソシエーション(インディアナポリス)
日本プロレス
その他
  • ロッキー・マウンテン・ヘビー級王座:1回[4]
  • ネブラスカ・ヘビー級王座:1回[41]
  • 世界ヘビー級王座(オマハ版):1回[10]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k The Crusher dead at 79”. SLAM! Sports (October 23, 2005). 2015年2月7日閲覧。
  2. ^ 『世界名レスラー100人伝説!!』P132-133(2003年、日本スポーツ出版社、監修:竹内宏介
  3. ^ a b c d 『THE WRESTLER BEST 1000』P16(1996年、日本スポーツ出版社)
  4. ^ a b Rocky Mountain Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月7日閲覧。
  5. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1955”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月7日閲覧。
  6. ^ Tag Team "The Lisowski Brothers"”. Wrestlingdata.com. 2015年2月7日閲覧。
  7. ^ a b NWA Canadian Open Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月7日閲覧。
  8. ^ The CWC matches fought by The Crusher in 1960”. Wrestlingdata.com. 2015年2月7日閲覧。
  9. ^ The CWC matches fought by The Crusher in 1961”. Wrestlingdata.com. 2015年2月7日閲覧。
  10. ^ a b World Heavyweight Title [Omaha]”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月7日閲覧。
  11. ^ a b c AWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月7日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g AWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月7日閲覧。
  13. ^ a b c d e WWA World Tag Team Title [Indianapolis]”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月7日閲覧。
  14. ^ AWA at Green Bay 1977/02/13”. Wrestlingdata.com. 2015年2月11日閲覧。
  15. ^ The AWA matches fought by The Crusher in 1977”. Wrestlingdata.com. 2015年2月16日閲覧。
  16. ^ The AWA matches fought by The Crusher in 1978”. Wrestlingdata.com. 2015年2月16日閲覧。
  17. ^ a b NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月8日閲覧。
  18. ^ The AWA matches fought by The Crusher in 1980”. Wrestlingdata.com. 2015年2月8日閲覧。
  19. ^ AWA at Rosemont 1984/09/15”. Cagematch.net. 2015年2月11日閲覧。
  20. ^ The AWA matches fought by Dick the Bruiser in 1985”. Wrestlingdata.com. 2015年2月11日閲覧。
  21. ^ AWA SuperClash”. Cagematch.net. 2015年2月11日閲覧。
  22. ^ a b The Crusher: Matches 1980-1988”. Cagematch.net. 2015年2月11日閲覧。
  23. ^ WWF House Show 1986/10/05”. Cagematch.net. 2015年2月11日閲覧。
  24. ^ WWF House Show 1986/10/23”. Cagematch.net. 2015年2月11日閲覧。
  25. ^ WWF House Show 1987/01/23”. Cagematch.net. 2015年2月11日閲覧。
  26. ^ WWF House Show 1987/03/16”. Cagematch.net. 2015年2月11日閲覧。
  27. ^ WWF House Show 1987/11/16”. Cagematch.net. 2015年2月11日閲覧。
  28. ^ The WWE matches fought by The Crusher in 1988”. Wrestlingdata.com. 2015年2月11日閲覧。
  29. ^ Reggie "The Crusher" Lisowski”. Find a Grave.com. 2015年2月11日閲覧。
  30. ^ a b c d 『THE WRESTLER BEST 100』P38(1981年、日本スポーツ出版社)
  31. ^ 『Gスピリッツ Vol.19』P87(2011年、辰巳出版ISBN 4777808920
  32. ^ The JWA matches fought by The Crusher in 1968”. Wrestlingdata.com. 2015年2月8日閲覧。
  33. ^ a b NWA International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月7日閲覧。
  34. ^ a b c The IWE matches fought by The Crusher in 1972”. Wrestlingdata.com. 2015年2月8日閲覧。
  35. ^ 『Gスピリッツ Vol.15』P73(2010年、辰巳出版、ISBN 477780772X
  36. ^ The AJPW matches fought by The Crusher in 1976”. Wrestlingdata.com. 2015年2月8日閲覧。
  37. ^ 『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P14-15(2004年、エンターブレインISBN 4757721536
  38. ^ NWA World Tag Team Title [Illinois & Wisconsin]”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月8日閲覧。
  39. ^ NWA World Tag Team Title [Minneapolis]”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月8日閲覧。
  40. ^ NWA World Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月8日閲覧。
  41. ^ Nebraska Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月8日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]