ティト・サンタナ
| ティト・サンタナ | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | ティト・サンタナ |
| 本名 | メルセッド・ソリス |
| ニックネーム | エル・マタドール |
| 身長 | 187cm |
| 体重 | 106kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1953年5月10日(60歳) |
| 出身地 | テキサス州ミッション |
| スポーツ歴 | アメリカンフットボール |
| トレーナー | ザ・ファンクス |
| デビュー | 1977年 |
ティト・サンタナ(Tito Santana、1953年5月10日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州出身のメキシコ系アメリカ人。本名はメルセッド・ソリス(Merced Solis)。
元WWFタッグ王者、元WWFインターコンチネンタル王者(それぞれ2回に渡って獲得)[1][2]。1980年代から1990年代前半にかけてのWWF(現・WWE)では、スピーディーでクリーンなレスリングを身上とした甘いマスクのベビーフェイスとして女性の観客からの声援を集めた。
目次 |
来歴[編集]
ザ・ファンクス、ダスティ・ローデス、ボビー・ダンカン、ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセンらを輩出したウエスト・テキサス州立大学の出身[3]。大学時代はアメリカンフットボールで活躍、同期のチームメイトにはテッド・デビアスやタリー・ブランチャードがいた[4]。卒業後はNFLのカンザスシティ・チーフスのトレーニング・キャンプに参加し、その後CFLのBCライオンズに入団するが[3]、1977年、大学の先輩であるザ・ファンクスのトレーニングを受けてプロレスラーとしてデビュー[5]。テキサスのアマリロ地区でキャリアを積み、1978年10月には全日本プロレスに初来日している(経緯は不明だが、リッキー・スティムボートの本名「ディック・ブラッド」の名義で来日した[6])。
1979年、ティト・サンタナのリングネームでニューヨークのWWFに登場。同年10月22日、イワン・プトスキーとのコンビでバリアント・ブラザーズ(ジョニー・バリアント&ジェリー・バリアント)を破りWWFタッグ王座を獲得した[1]。同王座は翌1980年4月12日にワイルド・サモアンズに奪取されるが、1980年代期待の新星として注目を浴びることとなった。
王座陥落直後、4月25日より開幕した新日本プロレスの第3回MSGシリーズに来日。予選トーナメントで敗退し決勝リーグ進出は果たせなかったものの、そのフレッシュなファイトスタイルで高評価を獲得した(戦績は、トーナメント1回戦でスタン・ハンセンに敗退。敗者復活戦では1回戦でジョニー・パワーズから勝利を収めるも、2回戦でストロング小林に敗れた)。
1981年から1982年にかけてはAWAをサーキットし、ニック・ボックウィンクルのAWA世界王座に挑戦。同時期にWWFからAWA入りし、当時売り出し中だったハルク・ホーガンともタッグを組んで活躍した。
1983年、WWFと再契約。1984年2月11日にはドン・ムラコからWWFインターコンチネンタル王座を奪取する[2]。同年9月24日にグレッグ・バレンタインに敗れて一旦王座を失うが、1985年7月6日に奪還。以降、1986年2月8日にランディ・サベージに王座を明け渡すまでIC王者として活躍した[2]。
その後もWWFに定着し、1987年にはリック・マーテルとの二枚目タッグチーム、ストライク・フォース(Strike Force)を結成。同年10月27日、ハート・ファウンデーション(ブレット・ハート&ジム・ナイドハート)を撃破しWWFタッグ王座への2度目の載冠を果たす[1]。1988年3月27日のレッスルマニアIVでデモリッション(アックス&スマッシュ)に王座を奪われてからもコンビを継続させるが、翌1989年4月2日のレッスルマニアVでのブレーン・バスターズ(アーン・アンダーソン&タリー・ブランチャード)戦の同士討ちでマーテルがヒールターン。チームは自然消滅し、以降マーテルとの熾烈な抗争を展開する。同年10月14日のキング・オブ・ザ・リングでは決勝戦をマーテルと争い、優勝を飾った[7]。
1990年4月13日には東京ドームで行われた日米レスリングサミットに出場し、10年振りの来日を果たしている(ジミー・スヌーカと組んで渕正信&小橋健太に勝利)。1991年からはメキシコの闘牛士をイメージしたギミック、エル・マタドール(El Matador)に変身。並行してWWFのスペイン語放送のカラー・コメンテーターも兼任した。WWFと提携していたSWSにも参戦した。
1993年、10年間に渡って在籍したWWFを離れ、初期のECWに参戦。同年8月8日、WWF時代の宿敵ドン・ムラコからECW世界ヘビー級王座を奪取した[8]。その後もインディー団体を転戦し、1994年にはイリノイ州シカゴのAWFでボブ・オートン・ジュニアを破りAWFヘビー級王座の初代チャンピオンとなった。2000年1月10日にはWCWのマンデー・ナイトロに登場し、ジェフ・ジャレットと対戦している。
2004年、WWE Hall of Fameを受賞(プレゼンターはショーン・マイケルズ)。近年は、アイゼンハウアー・ミドル・スクールにてスペイン語の教員をフルタイムで務めるかたわら、時折インディー団体の試合に出場している[9]。
2010年11月15日、"Old School edition" と銘打って行われたスペシャル版の『Raw』に出演、久々にWWEに登場した[10]。
得意技[編集]
獲得タイトル[編集]
- NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:1回(w / テッド・デビアス)
- WWFタッグ王座:2回(w / イワン・プトスキー、リック・マーテル)
- WWFインターコンチネンタル王座:2回
- ECW世界ヘビー級王座:1回
- AWFヘビー級王座:2回
- WWE Hall of Fame:2004年度
etc.
脚注[編集]
- ^ a b c “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月8日閲覧。
- ^ a b c “History of the WWE Intercontinental Championship”. WWE.com. 2010年4月8日閲覧。
- ^ a b “Former Hall of Fame Pro Wrestler”. Cross & Crescent(November 2008). 2010年4月8日閲覧。
- ^ “Tully Blanchard: The Most Dangerous of the Four Horsemen”. Associated Content(December 15, 2006). 2010年2月5日閲覧。
- ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P216(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P59(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ “King of the Ring 1989”. Pro Wrestling History.com. 2010年4月21日閲覧。
- ^ “ECW World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
- ^ “GENERATION B The Ram vs. Tito Santana”. New York Times(February 21, 2009). 2009年12月4日閲覧。
- ^ “Raw: WWE Legend roll-call on an "old school" edition of Raw”. WWE.com. 2010年11月16日閲覧。
外部リンク[編集]
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