ダニー・ホッジ

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獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
男子 レスリング・フリースタイル
オリンピック
1956 メルボルン 79kg級
ダニー・ホッジ
プロフィール
リングネーム ダニー・ホッジ
"ダイナマイト" ダニー・ホッジ
本名 ダニエル・アレン・ホッジ
ニックネーム 鳥人
身長 183cm
体重 103kg(全盛時)
誕生日 1932年5月13日(81歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オクラホマ州ペリー
スポーツ歴 レスリング
ボクシング
デビュー 1959年
引退 1976年
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ダニー・ホッジDanny Hodge)のリングネームで知られるダニエル・アレン・ホッジDaniel Allen Hodge1932年5月13日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーオクラホマ州ペリー出身。日本では「鳥人」、海外では「Dynamiteダイナマイト)」の異名をとった。

ビル・ロビンソンをして、ルー・テーズカール・ゴッチと並ぶアメリカの3大シューターと言わしめた。アメリカでは「世界中の偉大なスポーツマン・ベスト100」や過去75年間のプロレスラートップ12にも選ばれている。

来歴[編集]

少年時代からレスリングを学び(本人曰く「アマ、プロの区別はなく "レスリング" を学んだ」という)、アマチュアの世界でオクラホマ州チャンピオンの他、AAUを4度、全米大学選手権を3度も制し、19歳でヘルシンキオリンピックに出場し5位入賞、メルボルンオリンピックでは銀メダル獲得と輝かしい成績を残している。

またレスリングだけではなくアマチュア・ボクシングでも実績を残しており、大学でレスリング部に所属していた時にボクシング部の部員に誘われボクシングを始め、オクラホマ州チャンピオン、MSGチャンピオンと続けて1958年には全米ゴールデングローブ・ヘビー級チャンピオンにまでなっている。また短期間(約10か月)ではあるがプロボクサーとしても活動しており、戦績は8勝2敗。後にプロレスラーとなってからもその片鱗を見せ、日本プロレスに来日した際には、アントニオ猪木パンチでノックアウトしたこともある。

1959年NWAのプロモーターで元NWA世界ジュニアヘビー級王者のレロイ・マクガークにスカウトされ27歳でデビュー。プロレスラーとしてはエド・ルイスに師事。プロレスの世界でも天才ぶりを見せつけ、デビューからわずか1年後の1960年7月にNWA世界ジュニアヘビー級王者に就いた。以後通算12年5か月もの間、同王者に君臨し続ける。

1967年国際プロレスの旗揚げシリーズに初来日。ヒロ・マツダの挑戦を受け、60分時間切れドローの大熱戦を演じた。1968年1月にも国際に参戦し、ルー・テーズと対戦してTWWA世界ヘビー級王座を奪取。ジュニアヘビー級とヘビー級の壁を、大王者テーズ相手に超えてみせた。

1968年1月には日本プロレスにも参戦。ウイルバー・スナイダーとタッグを組み、ジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲からインターナショナル・タッグ王座を奪取した。1974年7月には全日本プロレスに参戦。ジャンボ鶴田と対戦し、30分時間切れで引き分けている。

1976年3月、ルイジアナ州でヒロ・マツダを破りNWA世界ジュニアヘビー級王座を再び獲得した。しかし、直後に自動車事故を起こし首を骨折する重傷を負い、そのまま引退。

引退後はレスリングのコーチを務めた。現在ではオクラホマ州の複数のMMA団体からコミッショナーへの就任を要請され実際にその職に就いている。 1991年、レスリングの練習のためにアメリカにいた太田章石澤常光が、ホッジの経営するオクラホマのドライブインを訪問。そのとき、ホッジは太田の腕を両足で挟み「抜いてみろ」と促したが、何をしても絶対に抜けなかったと太田は回想している。

2005年にはWWERAWにゲスト出演した。同年10月に久々に来日し、ビル・ロビンソンがコーチを務める高円寺のレスリング・ジム「U.W.F.スネークピットジャパン」にてトークショーを行った。その際、ビル・ロビンソンと3分間のスパーリングを行っている。2008年10月には "プロレス・エキスポ" 立会人として来日、往年の "リンゴ潰し" の健在ぶりを見せた。

スタイル[編集]

レスラーとしては試合展開に応じたテクニックを駆使するスタイルで、ヘッドロックコブラツイストなどの基礎的な技をキャリア全般を通して大切に使い続けた。しかしホッジの類稀な身体能力、特に並外れた怪力はそれらシンプルな技全てに桁外れの威力を与えたと伝えられている。一応はジュニアヘビー級の選手だが、上記にもある通りヘビー級選手とも互角以上の戦績を残したオールラウンダーだった。

稀代のシューターとして名を轟かせたホッジだが、活躍していた時代の関係もあり異種格闘技戦を行った記録は無い。しかし、「もしも現在の総合格闘技に全盛期のホッジが出場したなら」という質問にルー・テーズは「1分以内に対戦相手は目をえぐられ、鼻をもがれ、さらに両耳を引きちぎられるだろうね」と答えている。これにはビル・ロビンソンも同様の意見を述べており、全盛期のホッジの強さを伝えるには十分すぎる強烈なエピソードといえる。なお後述の「キレやすい性格」を加味した評価でもあり、現役時代のホッジを知る人物は異口同音に「なぜなら彼はキレてしまうからだ」と付け加えている。

逸話[編集]

  • 些細なことですぐキレてしまう性格で(テーズ曰く、「キレると目がトローンとなる」そうである)、キレると何をするかわからないため、他のレスラーから非常に恐れられた。テーズが対戦中、張り手を食らわせた瞬間ホッジがキレたことを察し、すぐさま場外にエスケープしたという逸話もある(恐れて逃げたのではなく、時間をとって冷静になるのを待った)。この試合後ホッジはテーズの控室を訪れ謝罪。その際に「ミスター・テーズ。私はあなたをとても尊敬していますが、顔を平手で張るのだけはやめてください。何をするのか私でもわからなくなりますから」と言ったという。なお、ホッジはそれ以前にSTFをかけられた瞬間にもキレてテーズに謝罪しており、テーズはホッジ相手に何をしたらいいのか分からなくなったという。育った場所が消防署だったため、昼夜かまわずサイレンの音に襲われて育ったことがキレやすい性格になった原因であるといわれている。前述の「総合格闘技最強伝説」はこのような性格も加味した評価であるが、「魅せる」要素も不可欠であるプロレスの世界では、キレやすい性格はレスラーとの信頼関係を損なうものであり、決して長所とはいえない。現在のホッジの総合的評価がテーズの後塵を拝しているのも、それが理由であろう。
  • ホッジが引退後に新日本プロレスの会場を訪れた際、控え室にあるシャワーを借りた。しかし後からシャワールームを訪れたレスラーたちが「シャワーのコックが壊れている」と訴えてきたため調べてみると、事前に使用したホッジがあまりにもコックを固く閉め過ぎたことが原因だった。本人にとっては普通に閉めたつもりが、現役のレスラーたちですら誰一人コックを捻ることができない状態だったという。
  • ホッジのトレードマークとなっているリンゴを片手で握りつぶすパフォーマンスは、70歳を過ぎた現在でも健在である。なお利き手は関係無く可能で、両手にリンゴを持った状態から同時に握りつぶすこともできる。
  • テーズの車に乗せてもらって移動中、後部座席で「Sorry(ちょっとすみません)」と伝えてマスターベーションを始めたことがある。「ジュニアの体重を保つため」とのこと。彼は試合前にも同様の行為をしていたとのことで、本人曰く「これぐらいで丁度いい」との話。
  • 上記の自動車事故は、深夜の移動中に誤って湖に転落したというものだが、ホッジは首骨折の重傷を負いつつも、片手で自分の頭部を支え、自力で泳いで湖を脱出した。ここでも規格外ぶりを見せ付けている。
  • ホッジの最大・最強のライバルと言えばヒロ・マツダである。ジュニアヘビー不毛と言われた時代、この二人は勝ったり負けたりしながら数多くの死闘、熱闘を展開し、ヘビー級選手を押しのけてメインイベントを張ることもあった。特にマツダが日本人で初めてNWAジュニアヘビー級王座をホッジから奪取した試合は今でも語り草になっている。

得意技[編集]

オクラホマ・ヘイライド
相手をカニバサミの要領で後方に倒し、その体勢から両腕と両脚を引き絞ることで股関節を極める技。完成までのプロセスはテリー・ファンクなどが得意としたローリング・クレイドルに似るが、オクラホマ・ヘイライドは回転を加える動作が無くあくまで関節を痛めつけることに主眼が置かれている。ホッジが第一線を退いた後、天龍源一郎豊田真奈美など数えるほどしか使い手が存在していない珍しい技(意外な所ではドン・フライが使ったことがある)。元々はレスリングにおいて「股裂き」と呼ばれる一般的かつ伝統的なテクニックである。
コブラツイスト(アブドミナル・ストレッチ)
新人時代から晩年までを通し好んで使用していた。
ヘッドロック
プロレスにおける基本の一つであり、新人レスラーがまず初めに教えられる技として有名。しかし、ホッジの並外れた怪力をもって絞め上げられるそれは単なる痛め技の領域を超越していたと伝えられている。その規格外の威力から「ホッジ・ヘッドロック」、または「ホッジ・ロック」と呼ばれ恐れられた。
ドロップキック
「怪鳥」の異名の通り、類稀な身体能力をもって放たれる高角度ドロップキック。優れた跳躍力にものをいわせ、相手の顔面に直撃させることもあった。
パンチ
アマチュアボクシング全米王者の経歴は伊達ではなく、プロレス転向後も強烈なパンチ攻撃で対戦相手から非常に恐れられた。プロレス界における拳を使った攻撃といえばいわゆるナックルパートが主流を占めるが、ホッジが放つものは脇を締め腰の回転を効かせたまさにボクシングそのものの本格的なパンチであった。

外部リンク[編集]