ドン・ジャーディン

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ドン・ジャーディン
プロフィール
リングネーム ザ・スポイラー
スーパー・デストロイヤー
ザ・ブッチャー
"ベビーフェイス" ドン・ジャーディン
サニー・クーパー
本名 ドナルド・D・ジャーディン
ニックネーム 略奪仮面
超破壊仮面
身長 193cm
体重 128kg - 133kg
誕生日 1940年3月24日
死亡日 2006年12月16日(満66歳没)
出身地 カナダの旗 カナダ
ニューブランズウィック州モンクトン
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ホイッパー・ビリー・ワトソン
デビュー 1955年1956年説もあり)
引退 1994年
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ドン・ジャーディンDon Jardine1940年3月24日 - 2006年12月16日)は、カナダニューブランズウィック州出身のプロレスラー。生年は1935年ともいわれる[1]

現役選手時代は主に覆面レスラーとして、ザ・スポイラーThe Spoiler)またはスーパー・デストロイヤーThe Super Destroyer)のリングネームで活躍した。

巨体ながらトップロープの上を歩くバランス感覚の持ち主であり、WWEジ・アンダーテイカーが見せる「オールド・スクール」のオリジネーターとしても知られる[2]

来歴[編集]

サーカスなどに出場するカーニバル・レスラーとして1950年代中盤にデビュー[1]1960年代は素顔で活動し、ルー・テーズジン・キニスキーNWA世界ヘビー級王座にも挑戦した。日本には1963年7月に本名のドン・ジャーディン名義で力道山時代の日本プロレスに初来日。サニー・マイヤースと組んで力道山&豊登アジアタッグ王座に2度挑戦した。1965年9月にはザ・ブッチャーのリングネームで再来日し、ジャイアント馬場と引き分けている(1969年の来日では馬場のインターナショナル・ヘビー級王座にも挑戦)。

1967年フリッツ・フォン・エリックのアドバイスでテキサス州ダラス地区にて覆面レスラーザ・スポイラーに変身[3]。以降、1980年代後半までダラスのWCCW(ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング)を本拠地とした(1984年にWCCWでデビューしたジ・アンダーテイカーことマーク・キャラウェイはジャーディンのコーチを受けており[4]、ロープ歩き「オールド・スクール」を直々に伝授された[2][5]。なお、キャラウェイも若手時代は覆面レスラーのザ・パニッシャーとしてWCCWのリングに上がっていた[4])。

1972年7月29日にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンペドロ・モラレスWWWF世界ヘビー級王座にも挑戦しているが、当時のMSGは覆面レスラーの出場が禁止されており、素顔で試合を行った。なお、同年12月18日にミル・マスカラスが覆面レスラーとして史上初のMSG登場を果たした際、ジャーディンはその対戦相手を務めている(ジャーディン本人はこの時も素顔だった)[6]

1973年よりスーパー・デストロイヤーのリングネームでノースカロライナNWAミッドアトランティック地区に参戦。以降もスーパー・デストロイヤーとザ・スポイラーのリングネームを使い分け、トップクラスのヒールとして南部NWA傘下団体を中心に全米のメジャーテリトリーを転戦。ダスティ・ローデスワフー・マクダニエルアンドレ・ザ・ジャイアントベビーフェイスのトップスターと各地で対戦し、ジャック・ブリスコハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦した。ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングでは、ミスター・レスリング2号と覆面レスラー同士の抗争を繰り広げている[7]

1976年8月、スーパー・デストロイヤー名義で全日本プロレスに来日。ザ・デストロイヤーの「覆面十番勝負」最終戦の相手を務めた。この試合は日本で初めて行われた覆面剥ぎマッチでもあり、敗れたジャーディンは覆面を剥がされ素顔を晒したが、翌年の第5回チャンピオン・カーニバル1977年大会)には再び覆面を被って参加している。1977年AWAでもスーパー・デストロイヤー名義で活動し、クラッシャー・リソワスキービル・ロビンソンと抗争。アンジェロ・モスカと組んでグレッグ・ガニア&ジム・ブランゼルのハイ・フライヤーズが保持していたAWA世界タッグ王座にも再三挑戦した[8]

同時期、ジャーディンと同サイズの大型マスクマンとしてマスクド・スーパースターが台頭していた。スーパースターは後年のインタビューで自分が覆面レスラーになった経緯を、1976年にジャーディン(スーパー・デストロイヤー)がNWAミッドアトランティック地区を離れた際、彼に代わるマスクマンのヒールが必要となったため、同地区のブッカーのジョージ・スコットに要請されたことがきっかけだったとコメントしている[9]。また、AWAではジャーディンの後任として、1978年よりボビー・スローターがスーパー・デストロイヤー・マークIIを名乗って活動している[10]

AWA離脱後の1978年はエディ・グラハムが運営していたNWAフロリダ地区にて、ボビー・ダンカンをスポイラー2号に変身させて覆面タッグチームのザ・スポイラーズを結成、キラー・カール・コックスイワン・コロフとも共闘し、ダスティ・ローデスやジャック・ブリスコと抗争を展開した[11]1980年2月にはスーパー・デストロイヤーとして、当時フロリダ地区と提携していた新日本プロレスに初参戦。アイアン・シークとのコンビで坂口征二&長州力北米タッグ王座に挑戦し、アントニオ猪木ともシングルマッチで対戦している。これが最後の来日となった。

以降はスコット・アーウィンが南部地区でスーパー・デストロイヤーを名乗るようになったこともあり、リングネームをザ・スポイラーに定着させた(両者は1980年下期にフロリダにて、ジャーディンがスポイラー、アーウィンがスーパー・デストロイヤーとしてタッグを組んだこともある[12])。アメリカでは一貫してヒールのポジションだったが、1982年頃に本拠地WCCWで一時的にベビーフェイスに転向し、ザ・グレート・カブキバグジー・マグローワイルド・ビル・アーウィンキングコング・バンディなどと抗争[13]ケビン・フォン・エリックケリー・フォン・エリックともタッグを組み、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦した[13]

1984年上期はジョージア・チャンピオンシップ・レスリングを主戦場に、ポール・エラリング率いる悪の軍団「リージョン・オブ・ドゥーム」に加入、大ブレイク前のロード・ウォリアーズジェイク・ロバーツテッド・デビアスらと共闘した[14]。同年下期からはビンス・マクマホン・ジュニア政権下で新体制となったWWFに登場[15]。1972年のWWWF参戦時は素顔だったが、この時は覆面レスラーのザ・スポイラーとしてMSG出場を果たしている。1985年10月21日にはMSGにてポール・オーンドーフとの5万ドルの賞金マッチが組まれた[16]

1980年代後半は古巣のWCCWやフロリダに単発出場し、1990年代前半にはフロリダでプロモート業も行っていたが1994年にプロレス界から引退。引退後はカナダのアルバータ州で洗車場を経営する一方[3]ボランティア活動にも携わり、幼児に読み書きを教えていたという[17]。また、粘土彫刻家としても活動していた[17]2006年12月16日白血病のため死去[17]。66歳没。

得意技[編集]

右掌に付けた黒い革手袋によるクロー攻撃の他、トップロープからのエルボーやニー攻撃を得意としていた。ロープワークの巧みな選手として知られ、"元祖"オールド・スクールはジャーディンだからこそのムーブともいえる[1][18]。また、覆面レスラーとしてのキャラクターを活かすため、感情を表に現さない徹底してクールな試合ぶりも特徴的であり、こうしたスタイルも弟子のマーク・キャラウェイに受け継がれている。

獲得タイトル[編集]

セントラル・ステーツ・レスリングカンザスミズーリ
  • NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:1回
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダフロリダ
  • NWA南部ヘビー級王座:1回
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:3回
  • NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ザ・スポイラー2号
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリングジョージア
  • NWAジョージア・ヘビー級王座:3回
  • NWAナショナル・ヘビー級王座:2回
NWAビッグタイム・レスリング / WCCWダラス
  • NWAアメリカン・ヘビー級王座:4回
  • NWAアメリカン・タッグ王座:6回(w / ゲーリー・ハート×3、スマッシャー・スローン×1、マーク・ルーイン×2)
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:2回
  • NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / マーク・ルーイン)
  • NWAブラスナックル王座:1回
  • WCCW TV王座:1回
NWAトライステート (オクラホマ
NWAオールスター・レスリング(バンクーバー
ワールド・チャンピオンシップ・レスリングオーストラリア

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P41(2002年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b Wrestler Profiles: The Spoiler”. Online World of Wrestling. 2011年4月4日閲覧。
  3. ^ a b Canadian Wrestling Hall of Fame: The Spoiler”. SLAM! Sports. 2010年6月28日閲覧。
  4. ^ a b Wrestler Profiles: The Undertaker”. Online World of Wrestling. 2011年4月4日閲覧。
  5. ^ Brady, Hicks. “2006: The year in wrestling”. PWI Presents: 2007 Wrestling Almanak and book of facts (Kappa Publications): p. 29. 2007 Edition 
  6. ^ WWE Yearly Results 1972”. The History of WWE. 2009年4月17日閲覧。
  7. ^ Mr. Wrestling #2 vs. The Spoiler”. Wrestlingdata.com. 2014年8月30日閲覧。
  8. ^ The AWA matches fought by The Spoiler in 1977”. Wrestlingdata.com. 2014年8月30日閲覧。
  9. ^ Bill Eadie Interview Part Two”. Mid-Atlantic Wrestling Gateway. 2009年3月14日閲覧。
  10. ^ The AWA matches fought by Sgt. Slaughter in 1978”. Wrestlingdata.com. 2014年8月30日閲覧。
  11. ^ The CWF matches fought by The Spoiler in 1978”. Wrestlingdata.com. 2014年8月30日閲覧。
  12. ^ The CWF matches fought by The Spoiler in 1980”. Wrestlingdata.com. 2014年8月30日閲覧。
  13. ^ a b The WCCW matches fought by The Spoiler in 1982”. Wrestlingdata.com. 2014年9月13日閲覧。
  14. ^ The GCW matches fought by The Spoiler in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年8月30日閲覧。
  15. ^ WWE Yearly Results 1984”. The History of WWE. 2010年6月28日閲覧。
  16. ^ WWE Yearly Results 1985”. The History of WWE. 2014年8月30日閲覧。
  17. ^ a b c WWF Champs: Don Jardine”. WWF Champs. 2010年6月28日閲覧。
  18. ^ 『THE HEEL(プロレスアルバム16)』P61(1981年、ベースボール・マガジン社

外部リンク[編集]