チャンピオン・カーニバル (プロレス)

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チャンピオン・カーニバルは、全日本プロレスが主催するヘビー級選手を中心としたシングルマッチによる総当たりリーグ戦、またはトーナメント戦である。「春の祭典」として毎年春に開催される[1]。略称はCC、俗称チャンカー[2]。近年は、毎週中継を行うGAORAの協賛を得て『GAORAスペシャル・チャンピオン・カーニバル』と称されている。(2007年2008年は一部撮って出し[3]の中継日がある)

概要[編集]

1973年4月から、全日本プロレス創設者:ジャイアント馬場の「世界のチャンピオンを集めて雌雄を決したい」という構想の下に始まった。事実上の大前身である日本プロレスが過去同時期(4-5月)に開催した『ワールド大リーグ戦』に匹敵する大一番の大会であるとともに、年末の『世界最強タッグ決定リーグ戦』に並ぶ全日本プロレス最大のイベントとなった。数多くの名レスラーが優勝を目指して好勝負を展開し、数多くの夢の対決がファンに提供された。

優勝者を決定する方式として、リーグ戦方式とトーナメント方式があり、リーグ戦は総当たり式と2ブロック式と2種類あり、総当たり式は上位2名、2ブロック式は各ブロックの上位1名が優勝決定戦に進出している。ただし例外として、1975年はベスト4までトーナメントで4者総当たりの決勝リーグ戦、1997年は巴戦でそれぞれ優勝者を決定した。

1991年以降、優勝者が三冠ヘビー級王者でない場合、自動的に挑戦権が与えられている。

優勝決定戦の会場は、初期は地方で、1991年以降はほとんどが日本武道館。2001年以降は再び地方でも行われ、2007年、2008年、2011年は後楽園ホールで5連戦が行われた。

プロレス四天王時代はハードなシングルマッチの連戦で多数の負傷者が出た。その反省か、後に三沢光晴らが全日本を脱退して旗揚げしたプロレスリング・ノアでは、シングルトーナメント(リーグ戦)はほとんど行われていない(三沢逝去後の2010年にグローバル・リーグ戦が開催された)。だが、チャンピオン・カーニバルによって選手の地力が大いに高められたのも事実である。

『ワールド大リーグ戦』からの歴史的経緯で、日本のプロレスリングシーンにおいて、最も権威のあるイベントとして知られる。当初は全日本プロレスリング所属選手と海外からの参加選手を交えた大会だったが、近年は他団体からの参戦も増え、再び事実上「シングルレスラー実力日本一決定戦」としての地位を確保しつつある。

なお、1983年から1990年の間は、多数のタイトルマッチを行うシリーズ(『グランド・チャンピオン・カーニバル』など)として開催された。

日本テレビで放送されていた『全日本プロレス中継』の放送時間の変更は、本シリーズ中に行われることが多かった(リーグ戦・トーナメント戦では1979年、1994年)[4]

主な記録(2014年現在)[編集]

1973年大会[編集]

参加15人
内容
トーナメントの結果、馬場が第1回大会優勝。
当時、未だ見ぬ強豪といわれていた“アナコンダ”マーク・ルーインが初来日、馬場と決勝で覇を競う。
リーグ戦対象外でザ・シークがシリーズ特別参加。

1974年大会[編集]

参加15人
内容
馬場が2連覇。決勝で敗れたレスリングはその場で潔く覆面を脱ぎ“ティム・ウッズ”であることを明かした。
1回戦のデストロイヤーとブッチャーの試合は試合が成立しないほど荒れ、4回連続ノーコンテストのため両者失格となった。
当初参加予定だったマリオ・ミラノが来日中止となり、急遽国際プロレスのシリーズに参戦中だったセーラー・ホワイトが出場した。

1975年大会[編集]

参加14人()内は決勝リーグ戦の成績
内容
馬場が無敗で3連覇を果たした。この大会ではベスト4までトーナメントで4者総当たりの決勝リーグという方式が採用された。
リーグ戦対象外でディック・ザ・ブルーザーブルーノ・サンマルチノがシリーズ特別参加。

1976年大会[編集]

参加14人
内容
この年から総当たりリーグ戦になる。リーグ戦は2点差以内に7人がひしめき合う大混戦となり、混戦を抜けだした馬場とブッチャーが優勝決定戦に進出。優勝決定戦は馬場が反則暴走しブッチャーが初優勝。
リーグ戦対象外でハーリー・レイスがシリーズ特別参加。
ザ・バラクーダの正体はマリオ・ミラノ

1977年大会[編集]

参加15人
内容
鶴田がリーグ戦を1位通過、馬場とブッチャーが2位で並んだ。日本武道館で行われた最終戦はまず馬場がブッチャーから反則勝ちを収め優勝決定戦に進出。師弟対決となった優勝決定戦は馬場が鶴田に貫禄勝ちで2年ぶり4度目の優勝。
スーパー・デストロイヤーの正体は本家ドン・ジャーディン

1978年大会[編集]

参加15人
内容
優勝決定戦はリーグ戦2位の馬場がリーグ戦1位のブッチャーにリングアウト勝ちを収め2連覇。
ブラック・テラーの正体はタンク・パットン

1979年大会[編集]

参加16人
内容
鶴田とブッチャーにより行われた優勝決定戦は両者リングアウトとなったため急遽再試合となり、鶴田を地獄突きで撃墜したブッチャーがエルボードロップで仕留め2度目の優勝。大会期間中の3月31日に「全日本プロレス中継」が土曜8時から撤退し、優勝決定戦は土曜夕方に移動後最初の週に放送された。

1980年大会[編集]

参加13人
内容
テリーとブッチャーが数年来の遺恨を持ち込んだ形となり、軍団抗争の様相で優勝戦線は混沌となった。スレーターはリーグ戦で馬場と鶴田から白星を挙げ、鶴田とともにトップで優勝決定戦に進出。優勝決定戦は鶴田が必殺のジャーマン・スープレックスでスレーターを下し、念願の初優勝を果たした。
リーグ戦対象外でザ・シークがシリーズ特別参加。シリーズ最終戦の後楽園ホール大会でブッチャーと一騎打ちを行ったが、実況中の倉持隆夫アナウンサーが乱闘に巻き込まれ負傷するというアクシデントがあった。
覆面レスラーのミステリアス・アサシンはシリーズ中に何度もマスクを剥がされ、終盤は素顔のボビー・ジャガーズとして出場した。

1981年大会[編集]

参加14人
内容
馬場と鶴田がトップで並び、ブッチャーとブロディが1点差で追う展開で大阪府立体育会館での最終戦を迎える。最終戦はまず鶴田とブッチャーが両者リングアウトに終わり脱落。続いて登場した馬場は逆転優勝を狙うブロディをフライング・ボディシザース・ドロップで下し6度目の優勝。
次のシリーズで復活インターナショナル・ヘビー級王座の争奪トーナメントが行われ、チャンピオン・カーニバルの成績上位者と特別参加のドリー・ファンク・ジュニアテリー・ファンクが出場した。
ジ・アベンジャーの正体はムース・モロウスキー
ウェイン・ファリスは後にWWFで活躍したホンキー・トンク・マン。

1982年大会[編集]

参加18人
内容
連覇を狙う馬場はストンパー戦、ロビンソン戦と立て続けに無得点試合に終わり出遅れるが、ロビンソンは膝を痛め脱落、ブロディと鶴田が星を潰し合い最終戦へ。最終戦はまず鶴田が初出場の天龍と引き分けに終わり脱落、馬場はブロディの反則暴走で勝ちを拾い逆転で連覇を達成、通算7度目の優勝。このリーグ戦には特別レフェリーとしてルー・テーズが参加、また出場予定だった阿修羅・原は身内に不幸があったためシリーズ序盤を欠場、リーグ戦消化が困難となり棄権。この年を最後に優勝争いの形式はいったん終了した。
カーニバル本戦終了と同時にグランド・チャンピオン・シリーズが開幕、ブロディ・デビアス・ストンパー・ロブレイが残留参加。ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク、ハーリー・レイス、スタン・ハンセン、ジミー・スヌーカが合流。

1991年大会[編集]

参加14人
Aブロック
Bブロック
内容
リーグ戦形式のチャンピオン・カーニバルが復活。2リーグ形式となり、Bブロック1位のジャンボ鶴田がAブロック1位のスタン・ハンセンに勝利し優勝。10年ぶりのリーグ戦復活とあって鶴田以外は全員初出場であった。なお、この年のリーグ戦はAB両ブロックとも、1位は全勝、2位は1位に敗れた以外3位以下に全勝、3位は1位2位に敗れた以外全勝……最下位は全敗、という珍しい星取りとなった。

1992年大会[編集]

参加20人
Aブロック
Bブロック
  • スタン・ハンセン 18点 ※優勝
  • スティーブ・ウィリアムス 15点
  • 川田利明 12点
  • ダニー・スパイビー 12点
  • 小橋健太 11点
  • 田上明 8点
  • ダニー・クロファット 8点
  • 小川良成 4点
  • デビット・アイズリー 2点
  • ビリー・ブラック 0点
内容
ジュニアヘビー級の選手や中堅外国人選手が大量にエントリーされたが、実力差の大きい主力選手との試合では秒殺決着が相次いだ。三つ巴の激戦となったAブロックでは、昨年の覇者・ジャンボ鶴田が無敗にもかかわらず、2回の時間切れ引き分けによる失点2でリーグ戦で敗退する一幕も。決勝ではスタン・ハンセンが徹底的に左腕を攻撃する三沢を逆転のラリアットて3カウント。リーグ戦含めて文句なしの全勝優勝を果たした。

1993年大会[編集]

参加13人
  • スタン・ハンセン 20点 ※優勝
  • 三沢光晴 20点 ※準優勝
  • テリー・ゴディ 19点
  • スティーブ・ウィリアムス 19点
  • 川田利明 18点
  • 田上明 17点
  • 小橋健太 12点
  • デイビーボーイ・スミス 8点
  • ジョニー・エース 8点
  • パトリオット 7点
  • ダニー・クロファット 4点
  • ダグ・ファーナス 4点
  • 秋山準 0点
内容
再び1リーグ形式に戻った。上位の選手がお互いに星を潰しあい大混戦となり、その中でスタン・ハンセンと三沢光晴が優勝戦進出を決めた。2年連続のこの2人での優勝戦となり、またしてもハンセンが勝利、2連覇を達成した。

1994年大会[編集]

参加12人
  • 川田利明 19点 ※優勝
  • スティーブ・ウィリアムス 19点 ※準優勝
  • スタン・ハンセン 18点
  • 田上明 17点
  • 小橋健太 17点
  • ジョニー・エース 11点
  • 秋山準 9点
  • ビッグ・ジョン・ノード 6点
  • ダグ・ファーナス 4点
  • ジョニー・スミス 4点
  • ジ・イーグル 4点
  • 三沢光晴 4点
内容
2年連続準優勝の三沢が2戦戦った後欠場するというアクシデントが発生。リーグ戦は三沢を除くプロレス四天王とハンセン、ウィリアムスの優勝争いとなったが、ハンセンは小橋と田上に連敗し脱落、川田とウィリアムスがハンセン以外に全勝し優勝決定戦に進出。17年ぶりに日本武道館で行われた優勝戦は川田がパワーボム3連発で勝利し、超世代で初の優勝者となった。大会期間中に全日本プロレス中継が30分枠に縮小。

1995年大会[編集]

参加11人
  • 三沢光晴 17点 ※優勝
  • 田上明 17点 ※準優勝
  • 川田利明 16点
  • スタン・ハンセン 16点
  • 小橋健太 13点
  • ジョニー・エース 11点
  • 秋山準 6点
  • ダグ・ファーナス 6点
  • ダニー・スパイビー 4点
  • ダニー・クロファット 4点
  • 大森隆男 0点
内容
前年準優勝のウィリアムスが開幕直前に「家庭の事情」のため来日をキャンセル。三沢は全勝で勝ち進んでいったものの、川田戦で左眼窩骨折という事態になる。去年に引き続きリタイアかと心配されたが、その後も出場し、7勝3分で優勝戦に進出。田上も順調に勝ち点を重ねていき、優勝戦はプロレス四天王同士の対決となった。三沢がタイガー・スープレックスで田上を下し、怪我を乗り越えての初優勝を果たした。

1996年大会[編集]

参加12人
  • 田上明 17点 ※優勝
  • スティーブ・ウィリアムス 17点 ※準優勝
  • 三沢光晴 16点
  • スタン・ハンセン 16点
  • 小橋健太 16点
  • 川田利明 15点
  • ゲーリー・オブライト 12点
  • ジョニー・エース 9点
  • パトリオット 6点
  • 秋山準 5点
  • 大森隆男 2点
  • 本田多聞 1点
内容
田上はハンセンに勝利するなど確実にポイントを稼いだ。2大会ぶり参戦のウィリアムスも三沢や川田を倒し優勝戦に進出。優勝戦で田上はノド輪落としで勝利し、前回準優勝の雪辱を果たし初優勝。

1997年大会[編集]

参加13人
  • 川田利明 19点 ※優勝
  • 小橋健太 19点
  • 三沢光晴 19点
  • スタン・ハンセン 18点
  • スティーブ・ウィリアムス 18点
  • 田上明 18点
  • ゲーリー・オブライト 12点
  • ジョニー・エース 10点
  • 秋山準 9点
  • ジャイアント・キマラ 6点
  • 本田多聞 4点
  • 大森隆男 4点
  • 泉田純 0点
内容
川田、小橋、三沢の3人が19点で並び、史上初の巴戦での優勝決定戦となった。第1試合は三沢と小橋が引き分け。第2試合は疲労が残る三沢を川田が下し、川田は小橋との第3試合も勝利。川田は初のシングルでの三沢越えを果たすとともに、2度目の優勝を達成した。

1998年大会[編集]

参加13人
  • 三沢光晴 19点 ※優勝
  • 秋山準 19点 ※準優勝
  • 川田利明 18点
  • 小橋健太 18点
  • スタン・ハンセン 17点
  • スティーブ・ウィリアムス 17点
  • ジョニー・エース 14点
  • ゲーリー・オブライト 12点
  • 田上明 8点
  • 大森隆男 6点
  • ジャイアント・キマラ 4点
  • ウルフ・ホークフィールド 4点
  • 泉田純 0点
内容
秋山がハンセンを破るなどの活躍で優勝戦に進出。三沢も三冠王者の貫禄を見せ、優勝戦に駒を進める。優勝戦では三沢が得意のエルボーで秋山に勝利し、2度目の優勝を果たした。

1999年大会[編集]

参加10人
  • 小橋健太 16点 ※準優勝
  • ベイダー 15点 ※優勝
  • 三沢光晴 14点
  • 秋山準 11点
  • 田上明 11点
  • ジョニー・エース 9点
  • ゲーリー・オブライト 8点
  • 高山善廣 3点
  • 新崎人生 2点
  • 大森隆男 1点
内容
小橋は三沢にフォール勝ちを収めるなど1位でリーグ戦を終える。初参加のベイダーは三沢に敗れたもののそれ以外は無敗で2位となり優勝戦に進出。優勝戦はベイダーアタックでベイダーが勝利し、初出場で初優勝を達成した。

2000年大会[編集]

参加16人
  • 小橋健太 ※優勝
  • 大森隆男 ※準優勝
  • 三沢光晴
  • スティーブ・ウィリアムス
  • ジョニー・スミス
  • ベイダー
  • マイク・バートン
  • 泉田純
  • 本田多聞
  • ジョニー・エース
  • 高山善廣
  • 川田利明
  • 井上雅央
  • 秋山準
  • ウルフ・ホークフィールド
  • 田上明
内容
1975年大会以来のトーナメントで行われた。1回戦で秋山を7秒でフォールした大森が勢いに乗って決勝に進出したが小橋の牙城は崩せず、小橋は前年準優勝の悔しさを晴らし悲願の初優勝。

2001年大会[編集]

参加10人
内容
三沢、小橋、田上ら同年旗揚げしたプロレスリング・ノア勢が大量離脱して初の大会。天龍の電撃復帰や藤原喜明ら新顔の登場で、顔触れは一変した。再びリーグ戦形式で行われたが、川田は最終戦でウィリアムスに敗れ、天龍とケアに逆転を許してしまう。1か月前の三冠戦の再戦となった優勝戦は天龍が再びケアに勝利し、初優勝を飾った。

2002年大会[編集]

参加14人
Aブロック
  • 小島聡 11点
  • マイク・バートン 10点 ※準優勝
  • 長井満也 6点
  • ジム・スティール 6点
  • 安生洋二 5点
  • 2点
  • 川田利明 2点
Bブロック
内容
前のシリーズで武藤を破り三冠王座に返り咲いた川田だったが、1試合を戦ったところで負傷によりリタイヤ、三冠王座も返上した。Aブロックからは小島とバートンが無敗で優勝決定トーナメントに進出。Bブロックは天龍が全勝と抜け出し、武藤は膝を痛め、2敗を喫する苦しい展開になるも何とか抜け出した。優勝決定トーナメントでは武藤が小島とバートンに勝利し、全日入団後の最初のシリーズを初優勝で飾った。

2003年大会[編集]

ヘビー級[編集]

参加10人
内容
この年はトーナメントで行われた。連覇を狙った武藤は準決勝で嵐に敗れる波乱。決勝では小島が嵐をラリアットで下し、初優勝。

ジュニアヘビー級[編集]

参加6人
内容
初の試みとして開催された。バトラーツの常連外国人だったカール・グレコ(マレンコ)ことカール・コンティニーと、元WCWのジミー・ヤンが勝ち点8で並び、優勝戦でカールが勝利。世界ジュニアヘビー級王者への挑戦権を獲得。

2004年大会[編集]

参加10人
Aブロック
Bブロック
  • 大森隆男 7点
  • 小島聡 5点
  • 太陽ケア 4点
  • 川田利明 2点
  • 荒谷望誉 2点
内容
川田がまたしても開幕早々に負傷リタイヤ。優勝決定戦は小島に勝った健介と大森に勝った武藤との勝負になり、武藤がシャイニング・ウィザードからムーンサルトプレスで勝利、2度目の優勝を達成した。

2005年大会[編集]

参加12人
Aブロック
Bブロック
内容
ジャマールがその巨漢を生かした戦いで小島に勝利。健介は川田を北斗ボムで下し、この2名が決勝戦に進んだ。決勝では健介が痛めた右腕を攻められる苦しい展開になるも、ラリアットから北斗ボムでジャマールにフォール勝ち。昨年準優勝の無念を晴らした。

2006年大会[編集]

参加12人
Aブロック
  • 諏訪魔 7点 ※準優勝
  • 太陽ケア 6点 ※優勝
  • 武藤敬司 5点
  • 佐々木健介 5点
  • 吉江豊 5点
  • ブキャナン 2点
Bブロック
内容
鈴木と小島はともに無敗でリーグ戦を突破したが、鈴木はケアにうまく丸め込まれフォール負け、小島はVOODOO-MURDERSの乱入によりリングアウト負けを喫した。決勝ではケアが得意技の波乗りスープレックス、TKOで流れを手繰り寄せ、最後はH5Oで勝利した。また、セコンドについたRO&DがVMの乱入を阻止し、勝利に貢献した。ケアはベイダー以来7年ぶりの外国人のチャンピオン・カーニバル優勝を達成した。

2007年大会[編集]

参加10人
Aブロック
  • 武藤敬司 6点 ※優勝
  • 諏訪魔 5点
  • 佐々木健介 5点
  • 太陽ケア 4点
  • 大鷲透 0点
Bブロック
  • 川田利明 5点 ※準優勝
  • 小島聡 4点
  • TAJIRI 4点
  • 鈴木みのる 3点
  • RO'Z 2点
内容
平日の後楽園ホール5連戦(各組5人ずつの総当たり戦。その後最終日に各組1位選手同士で決勝戦を行う)として開催された。三冠王者(当時)の鈴木がTAJIRIにまさかの黒星をつけられるなどの波乱もある中、決勝に勝ち上がったのは武藤と川田。互いに歳を感じさせない激しいファイトで、最後は武藤が2発目のムーンサルトを決め、3年ぶり3度目の優勝を果たした。なお、日替わりでお笑い芸人(原口あきまさ三又又三イジリー岡田ダチョウ倶楽部神奈月)がゲスト解説を務めた。

2008年大会[編集]

参加者10人
内容
前年同様、後楽園ホール5連戦で行われた。新日本から棚橋が初参戦し、武藤らを抑えて決勝にコマを進めたが、決勝ではVMから離脱した諏訪魔が同世代対決を制し、鶴田の7年1か月を上回る史上最速のデビュー3年5か月でチャンピオン・カーニバル初制覇を果たした。なお、日替わりでグラビアアイドル相澤仁美田代さやか愛川ゆず季原幹恵小阪由佳)がゲスト解説を務めた。

2009年大会[編集]

参加者12人
  • Aブロック
    • 武藤敬司 8点
    • カズ・ハヤシ 7点 ※準優勝
    • 高山善廣 6点
    • 西村修 5点
    • ジョー・ドーリング 4点
    • 真田聖也 0点
内容
2年続いた後楽園ホール5連戦に代わり、3年ぶりに地方興行で公式戦が行われた。前年末の最強タッグに続き新人の浜が抜擢され、ゾディアックとケアから2勝を挙げる健闘。最終日にJCBホールで行われた決勝トーナメントでは、ジュニアヘビー級から出場したカズが小島に勝利してジュニアで初めて決勝に進出したが、鈴木が準決勝の武藤に続きカズもゴッチ式パイルドライバーで沈め、参加4年目で初優勝。

2010年大会[編集]

参加者10人
  • Aブロック
    • 鈴木みのる 6点 ※優勝
    • 河野真幸 5点
    • 小島聡 4点
    • 浜亮太 4点
    • 真田聖也 1点
内容
武藤は大会期間中の4月5日に右ヒザの手術を行ったため不参加。3月の両国国技館大会で三冠王者となった浜だったが、2勝止まりで決勝トーナメントに進めず。決勝は前回覇者の鈴木対初出場の船木と、3月の両国大会の再戦となったが、鈴木がスリーパーで初めて船木を下し、1993年のハンセン以来3人目となる連覇を達成。ゲスト解説としてレスリングオリンピック2大会銀メダリストの太田章を迎えた。

2011年大会[編集]

参加者12人
  • Aブロック
    • 永田裕志(新日本プロレス) 8点 ※優勝
    • 諏訪魔 6点
    • 船木誠勝 6点
    • KONO 6点
    • 大森隆男(SMASH) 4点
    • 浜亮太 0点
  • Bブロック
内容
3年ぶりに後楽園ホール5連戦で行われた。ノアの秋山が11年ぶりに出場し注目を集めたが、最後の公式戦で鈴木に敗れ脱落。馬場以来の3連覇に王手をかけたかと思われた鈴木だったが、最終日に過去2年でゼロ勝の真田に不覚を喫し、急成長の真田が優勝戦に進出。優勝戦は初出場の永田が貫禄の差を見せ岩石落とし固めで快勝し初優勝、直前に行われたNEW JAPAN CUPに続き、新日本・全日本両団体の「春の祭典」を制した。

2012年大会[編集]

参加者14人
  • Aブロック
    • 永田裕志(新日本プロレス) 9点
    • 諏訪魔 7点 ※準優勝
    • 大森隆男 6点
    • 河野真幸 6点
    • 関本大介大日本プロレス) 6点
    • KENSO 4点
    • 浜亮太 4点
内容
前年の最強タッグに続き、アジアタッグ王者組の関本と岡林が参戦、全日本マットで永田(新日本)対関本(大日本)の公式戦も実現した(永田の勝ち)。優勝戦は、決勝トーナメント準決勝で初出場の曙を下した諏訪魔と、永田の連覇を阻止したケアの顔合わせ(2006年決勝戦と同一カード、全日生え抜き同士の決勝もこの時以来)となり、20分を超える熱戦の末、タイガードライバー'91まで繰り出したケアがTKOでフォールし2度目の優勝、三冠王者・秋山への挑戦権を手にした。

2013年大会[編集]

参加者12人
  • Aブロック
    • 潮崎豪 8点
    • 真田聖也 7点
    • 諏訪魔 5点
    • 大森隆男 4点
    • 河野真幸 4点
    • 浜亮太 2点
  • Bブロック
    • 秋山準 8点 ※優勝
    • KAI 6点 ※準優勝
    • 船木誠勝 4点
    • 曙 4点
    • KENSO 4点
    • ジョー・ドーリング 4点
内容
前年末にノアを退団し、新たに全日本を主戦場にした5人によるユニット「バーニング」から秋山と潮崎が参戦、2人は前評判通り各ブロックをトップで通過し決勝トーナメントに進出。優勝戦は、準決勝で潮崎に全日参戦後初黒星を付けた初出場のKAIと、真田を一蹴した秋山の顔合わせとなり、KAIの首を集中攻撃するなど非情に徹した秋山が、最後は十八番のリストクラッチ式エクスプロイダーで快勝し、10回目の出場で悲願の初優勝を遂げた。

2014年大会[編集]

参加者12人
  • Bブロック
    • 秋山準 8点 ※準優勝
    • ジョー・ドーリング 8点
    • 潮崎豪 7点
    • ゼウス 3点
    • KENSO 2点
    • 吉江豊 2点
内容
シリーズ開幕前まで肺炎で入院していた三冠王者・曙は初優勝を目指し強行出場したものの、3試合を消化した所で再び体調を崩し入院[5]。またBブロック首位と好調だった潮崎も、ゼウスとの公式戦で右母指中手骨を骨折し無念のリタイヤ[6]ボディーメーカーコロシアムで行われた最終戦で、大森が諏訪魔を、秋山がドーリングをそれぞれ下し決勝進出。決勝は連覇を目指す秋山が対戦成績で圧倒する大森を一方的に攻め立てるが、猛攻をしのいだ大森がアックスボンバー3発で秋山をフォールし初優勝[7]

脚注[編集]

  1. ^ これに対して、世界最強タッグ決定リーグ戦は「暮れの祭典」と称される。
  2. ^ 誤りではあるが語呂のよさから俗にチャンカンと略されることもある。
  3. ^ 放送ではニアーライブと呼称
  4. ^ 多数のタイトルマッチを行うシリーズでは1988年、1990年が該当。
  5. ^ 曙、体調不良でまた入院…復帰時期未定”. デイリースポーツ (2014年4月23日). 2014年4月28日閲覧。
  6. ^ 潮崎骨折で全日CC欠場”. 東京スポーツ (2014年4月26日). 2014年4月28日閲覧。
  7. ^ 全日本プロレス「2014 チャンピオン・カーニバル」優勝決定戦”. 2014年4月28日閲覧。

関連項目[編集]