関本大介

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関本 大介
関本 大介の画像
プロフィール
リングネーム 関本 大介
本名 同じ
ニックネーム マッスルモンスター
肉体凶器
怪力無双
身長 175cm
体重 120kg
誕生日 1981年2月9日(31歳)
出身地 大阪府大阪市鶴見区
所属 大日本プロレス
デビュー 1999年8月10日
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関本 大介(せきもと だいすけ、男性、1981年2月9日 - )は、日本プロレスラー大阪府大阪市鶴見区出身。血液型O型。大日本プロレス所属。

鍛え上げられた肉体が特徴で、その肉体自体が「凶器」と自称する。大日本プロレスの代名詞であるデスマッチはあまり行わないが、メジャー団体の選手とも頻繁に試合を行なっている。

目次

[編集] 来歴

明徳義塾高等学校卒業。幼い頃からプロレスラー志望であったが、父親の希望もあり、在校中は野球部に所属。ただし本人曰く「四軍まである中で文句無しの四軍」だったのこと。しかし、控えゆえ監督・コーチの目が届きにくいことを逆手に3年間、野球の練習ではなく筋トレに終始し、プロレスラーとしての素養を磨く。

大日本プロレス入団後の1999年8月10日、地元大阪での対伊東竜二戦でプロレスデビュー。

[編集] 2004年 - 2006年

2004年10月22日後楽園ホールにおいてマッドマン・ポンドを相手に蛍光灯100本デスマッチを敢行(事実上のデスマッチデビュー戦)。蛍光灯ホッチキスノコギリ攻撃などで額及び背中から大流血の洗礼を浴びたが、蛍光灯への原爆固めを決めて逆転勝ちを収める(19分32秒)。これ以降、2005年までデスマッチ路線を中心に流血の抗争を繰り広げた。

2005年アブドーラ小林とのタッグチーム『マッスル&ファットです。』で、2006年には友人でもある佐々木義人とのタッグでBJW認定タッグ王座にも就いている。

2006年1月、大日本道場を利用したジム運営を行うと発表し、5月11日にスポーツジム『横浜マッスルファクトリー』を正式にオープンする一方、自ら目標とする田中将斗マンモス佐々木との、力と力の勝負を繰り広げる。

5月5日の大会にて、DDT柿本大地とのタッグで、佐々木健介中嶋勝彦と対戦。

[編集] 2007年

1月31日の大会では、小島聡金村キンタローとタッグを組み、川田利明と初対決した。そして3月8日の大会で崔領二の持つNWA認定UNヘビー級王座に挑戦し、大熱戦の末、18分00秒ジャーマン・スープレックス・ホールドでベルトを奪取。第7代王者となった。

4月29日の大日本プロレスの大会で、新日本プロレス中西学との対戦熱望を表明。関本・井上勝正vs中西・平澤光秀戦が予定されていたが、試合3日前から頭痛を訴え、大会当日に診察した結果、脳浮腫と診断され、大日本統括部長・登坂栄児から、対中西戦の中止は勿論、改善が見られるまで全ての大会を欠場させると発表。

5月の大会から復帰すると、5月27日、ZERO1-MAXシングルマッチ 火祭り出場者決定戦 時間無制限1本勝負 NWA UNヘビー級選手権で対神風戦に勝利。

7月には念願の関本vs中西のシングルマッチが行われたが、敗戦。それから間もなくの大日本後楽園大会では、LOCK UP狭山大会のメンバーに、裕次郎(中西側)・マンモス佐々木(関本側)を加えた6人タッグマッチが行われ、平澤をジャーマン・スープレックスでフォールし勝利。中西に対し8月20日・大日本後楽園大会でのシングルでの再戦を要求、受理された。

8月20日、大日本・後楽園大会で中西との二度目のシングルが行われたが敗戦。その後、LOCK UPで中西とタッグを組み、中西のプロレス理論を学ぶ。

11月、ZERO1-MAXのNWA認定UNヘビー級選手権試合で、パートナーでもある佐々木義人に敗れ、ベルトを失う。

12月11日プロレス大賞技能賞を受賞。

[編集] 2008年

10月のプロレス・エキスポではライバル田中将斗とタッグを結成し、大陸別タッグトーナメントで優勝を果たした(準優勝はモーターシティ・マシンガンズ)。

[編集] 2009年 - 2010年

2009年4月のZERO1の大会で崔領二の持つ世界ヘビー級王座に初挑戦したが敗戦した。やがて7月の大会にて岡林裕二とともに木高イサミ&竹田誠志の持つBJW認定タッグ王座に挑戦し勝利。第27代王者となった。

2010年1月のZERO1の大会にて、川田利明の持つ世界ヘビー級王座に挑戦したが敗戦。2月のユニオンプロレスの大会で石川修司の持つKO-D無差別級王座に挑戦し勝利。第31代王者に。7月25日、DDT両国大会にてHARASHIMAの挑戦を受け敗退しKO-D無差別級のタイトルを失う。9月9日にはバンビキラーの持つZERO1世界ヘビー級王座に再挑戦し勝利、第9代王者となった。

[編集] 2011年

3月21日全日本プロレス両国国技館大会にて、征矢学真田聖也の持つアジアタッグ王座岡林裕二と共に挑戦し勝利、第85代王者となる。そのまま夜の大日本後楽園大会に凱旋。

4月28日・大日本後楽園大会、征矢学浜亮太を相手に初防衛。

5月5日・大日本横浜文体佐々木義人石川晋也を相手に二度目の防衛に成功。

6月19日・全日本・両国大会、征矢学・真田聖也に敗れ、アジアタッグ王座を失う。

7月24日・DDT両国大会、マサ高梨とともにKO-Dタッグ第38代王者となる。

10月23日・全日本・両国大会、征矢学・真田聖也に再挑戦し勝利。第87代アジアタッグ王者となる。

12月18日・大日本横浜文体諏訪魔征矢匠を相手に初防衛。

[編集] 2012年

1月3日・全日本・後楽園大会、浜亮太(SMOP)を相手に2度目の防衛に成功。

[編集] 得意技

原爆固め
強靭な背筋力と安定したブリッジから繰り出される多様なぶっこ抜きジャーマンは破壊力、芸術性共に天下一品である。「ジャーマン・スープレックスをかけたまま死にたい」と言うほど、ジャーマンにこだわりを持っている。
ラリアット
デッドリー・ドライブ
フロッグ・スプラッシュ
スピアー
パワースラム
アルゼンチン式背骨折り
ブレーンバスター
オーバーヘッドキック
バックを取られた際によく使用する。

[編集] タイトル歴

[編集] テーマ曲

  • CROWN OF WINNER(大日本プロレステーマ曲コレクションに収録)

[編集] エピソード

[編集] 出典

  1. ^ 月刊少年チャンピオン2009年9月号インタビュー

[編集] 外部リンク

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