プロレスリング・ノア

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株式会社プロレスリング・ノア
Pro-Wrestling Noah
種類 株式会社
市場情報 上場
略称 NOAH
本社所在地 135-0063
東京都江東区有明一丁目3番25号 ディファ有明2階
電話番号 03-3527-5311
設立 2000年7月
業種 プロレスの興行及び関連企画の運営
代表者 不在
資本金 1,000万円
従業員数 30名+ホノルル支部1名
関係する人物 三沢光晴
外部リンク http://www.noah.co.jp
  

プロレスリング・ノア2000年6月に全日本プロレスを離脱した三沢光晴を中心に結成されたプロレス団体。法人登記名は、株式会社プロレスリング・ノア。英語表記:Pro-Wrestling NOAH、略称:ノアNOAH

目次

[編集] 概要

[編集] 旗揚げの経緯

2000年6月、ジャイアント馬場死後の全日本プロレスの体制に強い不満を抱いていた選手達が団結し、三沢光晴が中心となって離脱・旗揚げした。離脱者は川田利明渕正信マウナケア・モスマン馳浩の4名を除く全選手、和田京平ら一部従業員を除く20数人という殆どの社員となり、日本のプロレス史では最大規模となる総勢約50名強の旗揚げとなった(詳細は三沢光晴の項を参照)。

旗揚げ戦は同年8月5日に事務所、道場、合宿所がある東京都ディファ有明で開催。旗揚げ戦を含む3会場、6,000枚のチケットが1時間足らずで完売し、注目度の高さを示した。その後、地方興行や有明コロシアムでのビッグマッチなどを重ね、2001年7月に日本武道館で初興行を開催。以後、2006年2007年には年7回(1月、3月、4月、7月、9月、10月、12月)に渡って、武道館で興行を開催している。 2004年7月10日2005年7月18日に特別興行としてプロレスリング・ノア 東京ドーム大会を開催した。

将来的な統一機構の設立を目指した団体連合組織「グローバル・レスリング連盟」にも参加し、今までにない交流関係を築き上げるのかと期待されたものの、現在は頓挫しているのか、動きが一切見られていない。

2001年4月~2009年3月まで、プロレスリング・ノア中継として、日本テレビでの全国ネット地上波放送番組枠を確保していた。

[編集] 団体名の由来

団体名の由来は、旧約聖書創世記に登場する人物。詳細はノア (聖書)を参照。団体のロゴには創世記の中で、オリーブの葉をくわえて戻り、嵐が終わったことを知らせたが使われている。

離脱の一件を、箱船を作り神が与えた大洪水により滅亡する地上からたくさんの生命を救った「ノア」の伝説になぞらえ、プロレス界を救うという意志をこめて「プロレスリング・ノア」と名付けられた。[要出典]聖書に由来する単語を用いてはいるが、宗教的な意図は無い。単発興行のタイトルは「Deperture(出航)」、「GREAT VOYAGE(偉大な航海)」、シリーズ名には「Navigation(航海)」(2008年より「Navig.」と略して表記)というタイトルが用いられて、団体の運営は航海に擬えられている。

ファンクラブ名は「ノアの方舟」を意味する「NOAH'S ARK」。

[編集] 団体の特徴

現在日本武道館大会を定期的に実施している団体はノアだけであり、かつては東京ドーム大会を開催して成功を収めることができたことから興行の動員に苦戦を強いられていた新日本プロレスに代わって「業界の盟主」と推す声が出た事もあった。また、プロレス人気低迷以降に創設された団体であるため、プロレスファン以外の層における知名度の獲得に関しては新日本や全日本といった老舗団体と比べて苦戦している感があるのは否めない。初期にはZERO-ONE、新日本などとの交流戦が盛んに行われ、一時それらとの交流が途絶えたが、現在は新日本、全日本などとの交流が再び活発化しつつある。

[編集] 運営方針

三沢光晴が全日本プロレス社長時代では実施できなかった、大型のセット、ライトアップ、花道など華やかな演出を充実させた。しかし、リング上の試合内容は全日本時代から大きな変化はなく、三沢が「スポーツライク」と表現する、伝統的な駆け引きや受けの美学を中核とした試合を行っている。アングルは1シリーズ内で終わる程度の短期間である。また、各選手の素の属性に関連したものが多く、リング外での活動はあくまでも添え物程度である。

競技性以外の要素としては、セガのゲーム甲虫王者ムシキングとタイアップした覆面レスラームシキング・テリーを登場させ、同ゲームの主要対象の少年層に訴求したり、笑いの要素の強いコミカルな試合も興行の中に組み入れている。また、グッズ売り場では、1回500円で三沢の名刺が入ったケースなどの小物、選手のコスチュームなどの愛用品、直筆サイン色紙、ポスターや過去の大会のパンフレットなどがもらえる「のあのあクジ」を行っている。

健康管理のため、定期健康診断の受診(人間ドックなどを年1回)を、全ての所属選手および職員に義務付けている。身体を酷使するプロレスという職種を考えれば意外な様ではあるが、この様な全社規模での定期的な健康管理は日本のプロレス業界では先進的な取り組みと言えるものであり、小橋建太の腎腫瘍(のちに癌と判明する)が早期発見できたのはこれがあってのものといえる。

[編集] マッチメイク

2007年に入るまでは、好カードと呼ばれる組み合わせを乱発せず、ビッグマッチ用に温存することが特徴。大会場のメインイベント級のカードを大量消費してしまうリーグ戦は原則として行わなかった。カード温存の理由としては、選手への負担が高く負傷の原因となる点が挙げられている。これは過去の激しい消耗戦を体験している三沢社長の意思と言われているが、内部からも反対意見が出ることがある。また関東圏での(特に武道館における)ビッグマッチに力を注ぎ、地方ではビッグイベントが無いとの不満も(特に地方都市在住のファンから)指摘されている。2007年以降にジュニアタッグリーグ、GHC王者挑戦権獲得リーグ、若手のみのモーリシャス杯、グローバル・タッグリーグなど、多数のリーグ戦が行われた事から、この規制は解除されている。

他団体と比較し、軍団やユニットなどの数は少なくチーム対抗戦などは行われていない。各ユニットは敵対関係にはなく、マッチメイクの目安程度として位置付けられている。ユニット間を超越したタッグ編成もしばしば見受けられる。基本的に選手に自由にさせているといえ、特に地方の興行ではコミカル路線が多く見られる。最近では、ユニットを組むケースも増えている(例:ヘルスクラブ、パンチ軍団、アフロ軍団といったギミック)。

[編集] ジュニアヘビー級

王座には階級の区別があることを除き、試合はヘビーとジュニアヘビー(以下、ジュニア)を等しく扱っている。そのため、ヘビーとジュニアの混合試合は日常的に行われている。

混合が当たり前のように行われているノアにおいては、ヘビー級のベルトにジュニアの選手が挑戦することも珍しくなくなっている。実際に2002年には小川良成、2006年には丸藤正道がジュニアヘビーの選手ながらヘビーのベルトを手に入れている。また、日本のプロレス史上初めてヘビー級のタイトル戦を丸藤(王者)対KENTA(挑戦者)というジュニア同士で行った。

ジュニアヘビーという階級が出来た後もプロレスの花形はヘビーの対戦と考えられ、ジュニアの選手がメインを飾るということは考えられなかったが、ノアでは金丸義信丸藤正道KENTA等のジュニア戦士が、全日本時代の「四天王プロレス」を髣髴とさせるような好試合をするようになる。また、彼らのうち丸藤正道とKENTAが俗に言うイケメンであり、試合のスタイルも華やかな動きと緩急で魅せる丸藤、キックスタイルのKENTAと素人にも非常に分かり易いこともあってか彼らを目当てにした若い女性客が一時的に増えた。しかしこれらの選手が結婚した事もあり、ノアの生命線とも言える女性ファンが減少してきている、と仲田龍は語っている。

[編集] フリーランスへの待遇

団体発足当時は団体の意向もあり、他団体の選手やフリーの選手がリングに上がる事は少なかったが、ゼロワンとの対抗戦で大谷晋二郎田中将斗の炎武連夢(エンブレム)や高岩竜一らが継続参戦をしたあたりから他団体選手もよく上がるようになり、最近では国内外問わず頻繁に団体外の選手が上がっている。現在の対抗戦の基盤を作ったともいえる獣神サンダー・ライガーのGHCジュニア王者時代には、他団体ヒールという自分の立場を最大限に利用してハジけまくり、大ブーイングを生み出し観客を大いに沸かせた。常連のフリー選手ともなると「給与形態以外は全て所属選手と同じ」ということも多く、テーピングなどの会社の備品を使ったため、本来は選手会興行に出場しないはずの選手が強制参加させられたことがあった。

[編集] 団体内の雰囲気

ノアでは、入門が早い、先輩という立場の選手であっても、レスリングなどで実績がある年上の後輩には「さん付け」で呼んで敬語を使うケースがよく見られる。例を挙げると、力皇猛は入門前に大相撲前頭四枚目まで登り詰めた実績があるものの、相撲を経験してから入門した為随分年下の森嶋猛丸藤正道らよりプロレス界では後輩になる。力皇は彼らを「さん付け」で呼ぶが、森嶋や丸藤らも力皇に「リキさん」と「さん付け」し、敬語を使っている。また、杉浦貴自衛隊でレスリングの実績を積んでいた関係上、入門が遅れているが、金丸義信らは「杉浦さん」と呼び、敬語を使う。その他、レスリング界で随一の実績を持つ本田多聞も入門が遅れているが、小橋建太はプライベートでは「本田」とは呼ばず、「本田選手」「多聞ちゃん」などと呼んでいるほか、秋山準も「本田さん」「多聞さん」などと呼ぶ。意外なのは齋藤彰俊であり、秋山に対しては「秋山選手」と呼んで敬語を使うのだが、秋山より先輩である井上雅央に対しては「マサオ!」と怒鳴ったような口調で呼んでいる。しかし、近年入団の若手は都合が変わっていることから、何らかの基準があるものと思われる。

基本的にリング上で直訴された場合には断らない。ただし三沢自身はマイクアピールによるアドリブを嫌うため、何かしらの事前交渉があるものと考えられる。

[編集] 他団体との交流

[編集] 新日本プロレス

かつては秋山と永田裕志の会合を皮切りに新日本プロレスとは三沢-蝶野正洋ラインを中心に行われ、GHCジュニアヘビー級王者になっていた獣神サンダー・ライガーが参戦した2004年7月のノア東京ドーム大会まで本格的な交流が続いた。その後、交流は途切れるが、2005年5月の新日本東京ドーム大会に三沢光晴が参戦し約10か月ぶりの交流が実現。そのバーターとして棚橋弘至が同年7月のノア東京ドーム大会に参加した。しかし2006年になって、2005年サイモン・ケリー猪木の新日本プロレス社長就任会見での「ノアとの交流は白紙にする」との発言[要出典]を受け、ノアの仲田龍が日本テレビとテレビ朝日の間で交わされた交流戦に関する覚書を一方的に白紙にされたとコメント。そのうえに最大のスポンサーである日本テレビに立つ瀬が無いとして、2006年5月13日付けの東京スポーツ紙上において正式に新日本プロレスとの交流断絶を表明した。しかしながら東京スポーツの報道は誤報で、その後に発行された週刊ゴング誌のインタビューでは仲田龍自ら覚え書きや契約の存在を否定し「こっちの選手が向こうに上がったら向こうの選手がこっちに上がってもらうという約束が守られなかった(注:上述のように実際には守られている)」と発言した。

また、テレビゲームへの選手登場を要請した新日本プロレスの親会社ユークスに対しても「巨人(読売ジャイアンツ)の選手が中日新聞(発行している中日新聞社中日ドラゴンズの親会社)に協力するようなことは無いでしょう。よって辞退しました」としている。現時点では、2006年7月に発売されたレッスルキングダムPS2版がユークスのゲームにノアの名前と所属選手が登場する最後のゲームとなっている。

また、事の発端となったサイモンが新日本プロレスの社長辞任後の2007年4月26日にノア事務所を表敬訪問し、仲田と和解したと東京スポーツで報道された。記事によると今後はサイモン主宰のLA(旧新日LA)道場にも機会があれば協力する(同じくサイモンが関わると言われているイノキ・ゲノム・フェデレーションに関しては協力する意志はないという話ではあったが、ノアの常連外人でROH所属のロッキー・ロメロ(注:元々はLA猪木道場の道場生でもある)がIGFの旗揚げ戦に参加している)したため何らかの関係を持つものと思われたが、その後全く話に進展はなく交流もない。

その後、2008年8月26日に行われた、レッドシューズ海野レフェリー20周年記念興行(新日本プロレス主催)において、仲田、三沢両名がお祝いVTRで登場し、興行後の海野氏の会見で(ノア側のスケジュールの都合で断念したが)ノア勢の参戦も予定されていた(常連の青柳政司は出場している)事が明かされており、再び両団体の関係が復活する可能性もわずかながら出てきてはいる。2008年9月6日日本武道館大会の会場を裕次郎内藤哲也のNO LIMITが視察。GHCジュニアタッグへの挑戦を表明し、2008年9月14日のノアのディファ有明大会のダーク・マッチに出場し勝利を収め、9月27日にタイトルに挑戦し敗北。中邑真輔らによる2009年1月4日新日本東京ドーム大会への対戦要請に呼応して、三沢、杉浦、秋山、佐野が出場した。その後のノア興行に中邑、ミラノコレクションA.T.天山広吉金本浩二、ライガーが参加。さらに2009年に開催されたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに、ノアの所属選手として菊地毅、青木篤志の二名が初参加している。

[編集] 全日本プロレス

一時期は交流はあり得ないと考えられた全日本プロレスとは、三沢らの全日本離脱の一因となった馬場元子が全日本の経営から離れて、武藤が社長であることなどの理由で、2004年に交流することになり、同年7月に三沢と武藤のタッグ対決、その後、三沢が4年ぶりに古巣に参戦して小島聡と対戦。10月には、武藤のデビュー20周年記念興行で三沢が武藤とタッグを結成した。

最近では、所属選手の相互派遣がないことから、再び距離を置いていると考えられるが、その一方でVOODOO-MURDERS佐々木健介中嶋勝彦NOSAWA論外MAZADAといった全日系フリーのユニットや選手がノアマットに次々と上陸している。中には全日認定の王座を保持したままノアの大会へ出場するケースもある(鈴木みのる三冠王者=2006年12月10日・日本武道館、近藤修司世界Jr.王者=2006年11月1日・後楽園ホール)。

また、後述のディファカップといった、単発興行での接触もあった。

2008年9月28日横浜文化体育館で行われた全日本プロレスの興行で、丸藤正道土方隆司の持つ世界ジュニアヘビー級王座に挑戦し、タイトルを奪取したが翌年カズ・ハヤシに敗れ王座陥落した。

[編集] 健介office

2005年の東京ドーム大会に佐々木健介中嶋勝彦が初参戦。以降もスポット参戦していたが、2008年からはプロレスリング・セムの共同開催を始め、グローバルタッグリーグへのシリーズ参戦など本格的な交流を開始している。

2008年9月6日には佐々木がGHCヘビー級王者に君臨したり、頻繁に門下生を派遣するなど、自主興行数が少ない健介office所属選手の主戦場の一つとなっている。

[編集] ZERO1-MAX

ヘビー級はZERO-ONE時代に、橋本真也大谷晋二郎田中将斗らが参加。ジュニアヘビー級に関しては、ZERO1-MAXの親会社であるファースト・オン・ステージとノアの共催で行われたディファカップでの繋がりから、日高郁人藤田ミノルが参戦するようになった。また、KENTAや杉浦貴、菊地毅らがZERO1-MAXに度々参戦している。

FOSの中村祥之代表とノア首脳とのパイプはFOSがグローバル・レスリング連盟設立案をノアに持ち込んだ辺りまではその関係が強かった。プロレスリング・セムの興行(正確には通常のノア興行の前に行われた「SEM ex」)に日高を送り込んだり、GPWA興行で若手の混成タッグを結成したり、大谷が小橋欠場で空位になったGHCタッグの新選手権決定トーナメントなどに村上和成ビッグマウス・ラウド)とのコンビで出場したりと、前述の大森以外の面々に関してはノア興行、もしくは他興行でノア勢と絡む機会は着実に増えていくものと思われたが、2007年に齋藤彰俊が火祭りに参戦して以降、FOS内部の組織編成の変更などもあってか交流が途絶えている。現在は主に新日本との交流を中心としている。

[編集] IWAジャパン

IWAの浅野オーナーは元全日本のプロモーターであり、その縁もありノア旗揚げ直後は頻繁に選手を派遣していたが、現在は途絶えている。

[編集] みちのくプロレス

丸藤正道ザ・グレート・サスケと対戦し、今後の交流にも含みを持たせた事があったが、その後両団体の交流はない。みちのくプロレスのあるスタッフが、全日本所属時に起こしたトラブルの顛末(過去の持ち逃げの噂など)が今さらながらに取り上げられたり、当時みちのくプロレス所属の4代目タイガーマスクが、ノアの選手に対して暴言に近い発言をしていることなどを見る限り、何らかのトラブルが発生したと思われるが、2007年7月には単発ながら同団体所属の気仙沼二郎がノアの気仙沼大会に出場するなど、実際の関係に関しては不明瞭な部分が多い。

[編集] キングスロード

三沢たちがかつて所属した、全日本プロレスが掲げていた「王道」をその名に冠する団体であることなどから交流の可能性は皆無と見られていた。しかし、2006年4月の同団体の興行に三沢を含め4選手が参加することとなった。同団体の設立メンバーである高橋英樹が、ノアのホームグラウンドとも呼べる「ディファ有明」の元職員であることや、フロント個人の繋がりが参加の理由であると考えられる。

その後キングスロード自体がZERO1-MAXに吸収されるような形で終焉を迎えた。最終的に倒産に至ったという点から結果的に助けたことにはならなかった。これに関しては、最低限の興行を行うための頭数を揃えてあげただけで良しとする意見とともに準備も定かでない泡沫団体をも助けた点に批判もある。

[編集] ビッグマウス・ラウド

柴田勝頼は2005年11月のGHCタッグ選手権試合にKENTAのパートナーとして、12月のBML第二回興行ではノアに所属する直前の齋藤彰俊が出場している。2006年6月のBML第六回興行では丸藤と森嶋が出場した。

2006年8月に柴田が退団。ノアにてKENTAとのタッグ再開を予定していたが、その後柴田は総合格闘技に活動の中心をシフトさせたため、事実上柴KENタッグは空中分解したと見る向きは多い(ただしKENTAの弁によると両者の交流は完全に途切れたわけではないらしい)。また、同年10月には村上和成、臼田勝美原学がノアマットに上陸、村上は三沢とシングルで対戦したが、これは村上と上井文彦との間のトラブルによりBMLが事実上活動停止状態に陥っており、GPWA所属の同団体への救済措置ではないかとまことしやかに囁かれている。その事を裏付けるかのように、村上らは同じGPWAの主幹団体であるZERO1-MAXにもほぼ同じ時期からレギュラー参戦しており、村上は同年11月のGHCタッグ選手権王座決定トーナメントにもZERO1の大谷晋二郎とのコンビでノアに再上陸、更に同じくZERO1の高岩も含めたトリオで12月の横浜大会にも引き続き参戦した。村上は翌2007年にも丸藤の呼びかけに対して乱入という形で参戦を果たし、6月の横浜大会では暴走の果てに丸藤に勝利したが、その後、怪我をきっかけに出場が途絶えた。

また、もう一方の上井が興した興行、UWAI STATIONの旗揚げ戦にはノアの常連フリー系選手の高山善廣鈴木みのるSUWAがタッグを組んで出場、さらには直前に行われたノアのシリーズに参戦した外国人選手のブライアン・ダニエルソンも同じく出場しており、こちらの方にも何らかの目配せがあったとも思われる。

[編集] DRAGON GATE

ディファカップなどで単発的な接触はあったが、共に業務提携しているROHの日本ツアーにおいてノアが東京大会、DGが大阪大会をサポートした。

2007年にはGHCジュニアタッグ王者の鼓太郎&マルビン組に土井&吉野組、新井&岩佐組、堀口&土井組が連続して挑戦し、その後再挑戦した土井&吉野組がタイトルを奪取した。

このGHCを巡る争い後には関係が一旦途絶えている。

[編集] DDT

同様にディファカップ等での単発的な接触はあったが、それ以外ではプロレスリング・セムの興行に飯伏幸太が、ノアでの選手会興行で男色ディーノが(ディーノの場合は試合ではなく、秋山準のセコンドとして)出場したという程度に留まっている。これは両団体の実力や方向性の違いから、共に積極的な交流を避けているからと考えられるが、その反面、前述のディファカップやセムでの飯伏のように、成長著しい若手同士の交流については今後ますます盛んになると考えられる。それを証明するように、2007年4月1日のDDT後楽園ホール大会に丸藤正道が男色ディーノと組んで、KUDOマッスル坂井組と戦い、所属選手初のDDTマット参戦を果たした。5月6日にディファ有明で開催された「ディファフェスタ」のDDT主催興行(Cruiser's Game)にもKENTAが出場し、KUDOとシングルマッチを行った。逆に同年6月-7月のシリーズでは飯伏がノアマットに(会場限定ながら)シリーズ参戦を果たし、丸藤とのタッグでノア初となるジュニアのタッグリーグ戦に参加している。その後も選手派遣等の交流が続き、12月9日のDDT新潟フェイズさよなら興行には三沢がシークレット扱いで、鈴木鼓太郎と共に初参戦を果たした。

[編集] 無我ワールド・プロレスリング

西村修吉江豊が新日本所属時代にスポット参戦した事はあったが、無我旗揚げ以降は全く接触が無く、またGPWA加盟についても見送りの姿勢を取っている現状から、交流の可能性は薄いものと思われていた。しかし2007年9月9日日本武道館大会において、三沢&潮崎組と藤波辰爾&西村組の特別試合が行われた。

三沢と藤波は2005年5月14日、新日本プロレス・東京ドーム大会においてタッグを結成(対戦相手は蝶野正洋獣神サンダー・ライガー組)。正真正銘の初タッグながらスムーズな連係を見せ、最後はライガーを三沢のダイビング・ボディ・プレス→藤波のグラウンドコブラツイスト、という流れで仕留めている。この後、再びタッグマッチという形で2年4か月振りの再会が実現した。現在はノアとは関係を絶っており、新日本等の他団体と交流している。

[編集] その他海外の団体
アメリカ
WLWROHPWIと業務提携を結んでいる。WWEとは今のところ直接的な関係はないが、副社長を務めるジョニー・エースがノア関係者とは旧知の仲とあってWWEダーク・マッチ参戦のオファーを受けている。また、2007年の記者会見にて、TNAとも関わりを持つことを示唆しており、同年10月のサモア・ジョー参戦(GHCヘビーシングルに挑戦)した。しかしこれはノア側の一方的な見解であり、その後のTNAとの交流はない。
メキシコ
AAAと業務提携を結んでいる。
イギリス
FWAと業務提携を結んでいる。
ドイツ
wXwと友好関係にある。
大韓民国
KWF(韓国レスリング同盟)と友好関係にある。

[編集] 課題

課題の主な例、原因、取組は以下の通り。

ヘビー級レスラー間の格差
三沢、小橋らトップレスラーと中堅・若手のレスラー、特にヘビー級での人気・実力差が依然として残っている。理由は、所属選手の出入りが極端に少ない事による世代交代の遅延、中堅・若手のシングルマッチに対する絶対的な経験不足と、それによる観客の思い入れの欠如であると考えられる。旗揚げ直後から、ノアは特に地方興行において、試合カードの編成をタッグマッチ中心で行ってきた。所属選手、およびフリー選手の参加が増加していることなどがタッグ編成が多い原因と思われる。このような課題を改善するための方策として、2005年後期にはシングルマッチが増加し、2006年からはローテーションを組んだ若手のヨーロッパ遠征を取り入れている。また2006年のプロレスリング・セムの設立も、対応策の一つである。こういった変化により、力皇のGHCヘビー戴冠、森嶋・ヨネのGHCタッグ獲得、森嶋の急成長と一定の成果は上がってきていると考えられる。しかし、秋山がGHC王座獲得後の最初の会見でヘビーの中堅・若手に対して苦言を呈していたように、未だトップレスラーと中堅・若手との格差は存在する。
2007年12月2日の武道館興行にて、小橋が復帰する事が伝えられたが、発売日即完売となった。これは小橋が復帰するというニュースだけで、今まで完売出来なかった武道館のチケットが完売する事が出来た事を示している。この興行後、コメントを出した全ての選手が「小橋さんの力に負けた」「小橋さん頼りなのはどうにかしないといけない」という旨のコメントを出している。
首都圏と地方間の人気格差
東京都を中心とする関東と、その他の地方間の人気格差も課題のひとつである。タイトルマッチをはじめ、主要カードの大半が日本武道館を始めとする首都圏の会場で行われている。テレビ中継の時間差や地方プロモーターとの関係などが主な原因として考えられる。首都圏にファンが集中するため、首都圏での興行が優先され、結果として、地方とマッチメイクや試合のクオリティに差が生じ集客に伸び悩むという負の循環が見られる。
武道館を使用しているプロレス団体も日本ではノアのみ、観客動員10000人以上の規模の会場で興行を継続的に行っている団体は新日本と全日本とノア以外に存在しない。しかし、神戸ワールド記念ホール愛知県体育館などでは同会場における他団体の興行と比較して観客動員は芳しくない。特に神戸は売り興行ではあったものの、DRAGON GATEが約8000人の観客動員を記録したのに対して、ノアは2005年の興行で2800人という観客動員(いずれも主催者発表)となっており、ファンの間では「鬼門」と呼ばれている。さらに近年では日本武道館大会も満員を記録することが困難になってきている。
ノアではその地方で観客動員数が低かった場合、次は規模の小さい会場を使用することが多い。上記の兵庫や愛知の他に、北海道や福岡での興行も規模縮小を行って続行している。そのため、近年はますます首都圏にビッグマッチが集中するようになっている。
地上波放送打ち切り
2008年9月末で大阪・読売テレビでの放送が打ち切られた。さらに同年12月17日、一部スポーツ紙上で日本テレビが2009年3月末でノア中継を打ち切る方向であることが報じられ、2009年2月23日の日本テレビ社長定例会見で打ち切りが正式に発表された。なお日テレG+での放送は継続される。

[編集] 新企画

2005年末に4人の新人がデビューし、若手選手の出場機会の減少が危惧される。その対抗策として、丸藤やKENTAなど若手を中心にした興行「プロレスリング・セム」が発表された。初回興行は2006年3月21日。常設であるディファ有明を半分ほどに仕切り、300〜500人規模で行う。リングマットの色は、ノアで用いられる緑ではなくピンクと紫が使用される。サプライズとして他団体の選手やベテラン選手も参戦する場合がある。また初の試みとして、これまでセムはディファ有明のみで行われてきたが、2007年8月には春日部市に於いて、入場無料で興行が行われた。
現在ではグローバルレスリング同盟加入の多団体交流戦の形で、ノア以外の団体が主催で開くこともある。
2007年、summer navigation 07よりノア内初のリーグ戦、「日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦」を開催。7月1日ディファ有明から7月15日日本武道館まで開催。
このリーグ戦はその後若手のシングルで争われる「モーリシャス杯」、トップのヘビー選手がタッグで競う「グローバル・タッグリーグ戦」など、少しずつ拡大していっている。
2008年には若手選手育成で、旧全日本プロレスでジャンボ鶴田2代目タイガーマスク(後の三沢光晴)秋山準小橋健太らがこなした「7番勝負」(鶴田は10番勝負)の復活版として「谷口周平の驀進10番勝負」、「青木篤志の閃光10番勝負」を開催する。この両名は2007年末に行われた「モーリシャスカップ」で上位2位(谷口優勝、青木2位)に入った特典として与えられたもので、1年間をかけてベテランレスラーを相手にそれぞれに10試合ずつの試合をこなす。しかしながら、2009年3月時点で、谷口は3試合、青木は7試合と進行が遅れている。

[編集] 海外進出

小橋や丸藤などがアメリカのWLWやROHに出場したり、ヨーロッパ各地を転戦するなどレスラー単位での海外進出は行われていた。2006年度より、本格的に海外進出を行うことが発表された。その第一段階としてアメリカに現地法人を設立し、物品の販売を行う。

2006年春に英語版の公式ウェブページを開設。ヨーロッパ、ハワイ、台湾などでも、試合中継が放送されている。

これまで他団体に選手を派遣する形のみであったノアは、ダグ・ウィリアムスらの協力を得て、2008年6月21日(現地時間)に、イギリス・コベントリーで初の海外興行を行った。会場には2400人のファンが集まり、日本と同じく「コーバーシッ!!」「ミッサーワ!!」のコールも起こり、紙テープも乱れ飛んだ。試合後、ファンから「プリーズ・カム・バック!!」コールが起こった。

[編集] 海外武者修行

1990年代以降、当時の全日本プロレスは鎖国体制を取っており、田上・小橋以降の世代はノアに移籍するまで海外遠征の経験がない者がほとんどであったため、ノアでは提携団体を中心に積極的に海外への選手派遣を行っている。ただし2002年大森隆男が無期限遠征中に無断でWWEトライアウトを受けた[要出典]事件も起こっており、長期遠征に対しては慎重な態度を取っている。2006年より、ノア名義でイギリスにアパートを借りている。これはノアにも参戦しているダグ・ウィリアムスのコネクションでイギリスで行われる大会に若手選手を派遣するためだが、小橋や丸藤らがアメリカに遠征して試合を行ったり、三沢らがヨーロッパの大会に参戦する形とは違い、「イギリスに行く」以外は何も決まっていないまま、若手選手を派遣する。通常、海外遠征には渉外部長である仲田や通訳が同行するが、このプランについては選手のみが派遣され、言葉も通じない、電車の切符も買えない状況となる。仲田曰く「かつてロッキー羽田さんたちが行っていた海外留学を再現させた」。選手達に一回り大きくなってもらおうという配慮であるが、非常に過酷である。現在は就労ビザの関係で欧州を中心にローテーションを組んで若手を派遣する形となっている(アメリカでは就労ビザが比較的高価な為、修行という形で若手選手を派遣するのは割に合わないそうである)。なおメキシコなどにも参戦している。

これまでは長期遠征に関しては、大森の例もあり慎重な態度を崩していなかったが、業務提携しているROH側からのオファーがあったことから、若手の潮崎豪2008年年明けから、武者修行という形で一時ROHに派遣した。

[編集] 団体認定王座

ノアが団体として認定する王座は「Global Honored Crown」(通称:GHC、地球規模の崇高なる王位という意味)。ヘビー/ジュニアヘビー級の各階級にシングルタッグの王座が存在する。ベルトの革の色は、ヘビーは黒、ジュニアは青(紺)である。また、秋山準の提唱で創設されたグローバル・ハードコア・クラウン(通称:白GHC)も、ノアの代表である三沢公認の王座として存在する(団体としては非公認である)。

また同じ略称となる、齋藤彰俊が2004年に創設したクリスマス限定のGHC(Great Happy Christmas)、杉浦が個人的に保有するGHC(Global cHabakura Crown、あるいはGlobal Honored Cabakura)なる王座も存在する。これら2つは企画的な意味合いが強い王座であり、防衛戦は行われていない。

王者一覧(2009年6月14日現在)

リーグ戦優勝者、名誉王座等

  • 日テレ杯ジュニアヘビー級タッグリーグ戦(2008年度)…KENTA&石森太二組(2連覇)
  • グローバル・タッグリーグ戦(2009年度)…三沢光晴&潮崎豪
  • モーリシャス杯争奪リーグ戦(2008年度)…伊藤旭彦
    • 全日本プロレスにおいて若手育成に貢献したハル薗田の没後20年であることから、亡くなった地・モーリシャスにちなんだ若手リーグ戦として2007年11月に行われた。
  • 力道山杯(ファン投票により決定される年間MVP、2008年度)…丸藤正道

[編集] レスラー

[編集] 所属選手(ユニット別、五十音順)

ユニットに属さない選手
バーニング
ダーク・エージェント
パンチパーマ・ブラザーズ(通称パンパーズ)
Disobey(ディスオベイ)
その他

[編集] フリーランスとして継続出場

半所属
継続出場

[編集] 主な外国人選手

[編集] 過去の所属選手

  • 浅子覚(2000年-2002年、引退→専属トレーナー)
  • 大森隆男(2000年-2002年、フリー)
  • 垣原賢人(2000年、フリー→新日本で引退→IWGP実行委員)
  • 高山善廣(2000年-2001年、フリー)※
  • 池田大輔(2000年-2004年、フリー)※
  • ラッシャー木村(2000年-2004年、引退を発表→終身名誉選手会長に就任)
  • 永源遥(2000年-2006年、引退→取締役に専念)
  • 三沢光晴(2000年-2009年、試合中事故死)

※フリーランスとして継続出場

[編集] 主な出場経験レスラー

※団体は初参戦時の所属(括弧内は2009年2月現在)
新日本プロレス
全日本プロレス
FMW
ZERO-ONE
ZERO1-MAX
大阪プロレス
格闘探偵団バトラーツ
KAIENTAI-DOJO
パンクラスMISSION
健介office
ビッグマウス・ラウド
チーム・ヨコヅナ
NEO女子プロレス

※提供試合として参戦。

プロレスリング・エルドラド
DRAGON GATE
DDTプロレスリング
みちのくプロレス
無我ワールド・プロレスリング
プロレスリング華☆激
アパッチプロレス軍
フリー選手
外国人選手(ROHを主戦場とする選手)

※ROHのレスラーは定期的にノアへ継続参戦している。

外国人選手(AAAを主戦場とする選手)
外国人選手(wXwを主戦場とする選手)
外国人選手(WLWを主戦場とする選手)
外国人選手(TNAを主戦場とする選手)
外国人選手(その他)

[編集] セコンド、またはゲストとして出場

[編集] フロント

[編集] 役員

(2009年6月24日現在)

役職 氏名 備考
代表取締役社長 不在
取締役副社長 百田光雄 現役プロレスラー
元全日本プロレス取締役副社長
専務取締役 大八木賢一 元日本テレビ運動部
元全日本プロレス専務取締役
常務取締役 永源遙 元プロレスラー(2006年引退)
元全日本プロレス営業責任者
現役時代は取締役営業部長
取締役統括本部長 仲田龍 元リング・アナウンサー(2008年契約満了)
ジャイアント馬場専属秘書
2007年まで渉外部長(後任は西永秀一
取締役 田上明 現役プロレスラー
元全日本プロレス取締役
取締役 小橋健太 現役プロレスラー
元全日本プロレス取締役
取締役 小川良成 現役プロレスラー
2001年末に就任
監査役
GHC管理委員長
樋口寛治 元全日本プロレス・チーフレフェリー
GHC管理委員 ハーリー・レイス プロレスラー養成所WLW代表
NWA世界ヘビー級王者
故人
  • 百田義浩(2000年、取締役)
  • 三沢光晴(2000年-2009年、代表取締役社長)

[編集] 選手会

選手会の大きな仕事として、2002年の第2代会長・秋山準の発案により、秋山会長時代より、毎年6月に後楽園ホールにて「選手会興行」を主催・実施することが挙げられる。フロントが介入しない、あくまで選手会が運営する興行であり、取締役として名を連ねる選手(小橋・田上・小川・百田)は参戦しない。また、プレイガイドへのチケット販売、プログラム・グッズ販売なども選手会長が率先して行う。

年度 会長名
2001年 小川良成
2002年 秋山準
2003年 井上雅央
2004年 本田多聞
2005年 泉田純
2006年 金丸義信
2007年 志賀賢太郎
2008年 川畑輝鎮
2009年 森嶋猛
終身名誉選手会長 ラッシャー木村

[編集] スタッフ

[編集] レフェリー

[編集] リング・アナウンサー

[編集] 試合中継

  • CS放送(日テレG+
    • NOAH di コロッセオ
    • 独占NOAH情報
    • プロレスNOAH スペシャル
  • インターネット配信
    • インターネットプロレスリングNOAH

[編集] マット・スポンサー

大会スポンサー

[編集] 関連書籍

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク