森嶋猛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
森嶋猛
森嶋猛の画像
プロフィール
リングネーム 森嶋猛
本名 森嶋猛
ニックネーム ドント・ストップ(DON'T STOP)・モンスター
ハイ・テンション・モンスター
和製モンスター
太った少女
リング・クラッシャー
重戦車
和製テリー・ゴディ
ジャンボの再来
クロフネ
身長 190cm
体重 130kg
誕生日 1978年10月15日(35歳)
出身地 東京都江戸川区
所属 プロレスリング・ノア
スポーツ歴 柔道
トレーナー 田上明
三沢光晴
デビュー 1998年3月22日
テンプレートを表示

森嶋 猛(もりしま たけし、男性、1978年10月15日 - )は、日本プロレスラー東京都江戸川区出身。プロレスリング・ノア所属。愛称はモリシーモリシ。必殺技はバックドロップ

概要・人物[編集]

長身・巨漢という日本人離れした体躯が特徴のレスラー。

東京学館浦安高校時代に柔道を経験し、卒業後柔道部の阿部新二監督の知人であった三沢光晴が所属する全日本プロレスへ入門。同期生として、橋誠丸藤正道がいる(丸藤は少し入門時期が遅れているが、ほぼ同期扱い)。三沢の付人になるが、約1か月後の丸藤入門後に、丸藤と代わる形で田上明の付人となる。

デビュー当初は高い身長を活かせず、対戦相手に合わせてしまうため、自分の能力を発揮できずに消化不良になる試合が多かった。体型やファイトスタイルが似ており、若手時代の最大のライバルであり、「WILD II」の盟友でもあった力皇猛が早い時期から活躍して注目されるのと比較される事もよくあった。

しかし、2005年後半からその体躯や容姿を含めて往年のレスラーであるテリー・ゴディを彷彿とさせる豪快さを身に付け、また使用する技もジャンボ鶴田ベイダーなどスケールの大きな往年のレスラーをミックスした「肉体的圧力で相手を潰す」ファイトスタイルに変わってきている。2010年頃から同じ巨漢レスラーの吉江豊と対戦したり、「ピンク・ゴディ」を結成した頃より「巨漢のヘビー級レスラーならではの醍醐味をみせる」試合を信条とする発言を折に触れて行っている。

また、一度暴れだすと見境が無くなることがある。例えば、2008年に三沢とのシングル対決が決まったシリーズでは開幕の後楽園大会から既に気合に満ち溢れており、試合に敗れながらも興奮収まらぬ森嶋は対戦相手の小橋建太本田多聞金丸義信を次から次へとラリアットでなぎ倒し、しまいには同じチームであったKENTAにまでラリアットを見舞うほどであった。

2010年9月にベルトを全て失い、さらに怪我により欠場して以降は、しばらくスランプに陥っていたが、2011年終盤にグローバル・リーグ戦に優勝して以降は、GHCヘビー級王座を再度獲得するなど、スランプから脱した。

体重は、最重量時(2005年1月の欠場からの復帰後)には170kgを越えていたが、本人曰く「この方が自分にとっては動きやすい」としていた。その後、2010年11月の欠場からの復帰以降は130kgに減量している。

来歴[編集]

1998年
2000年
  • 6月、全日本を離脱し、ノアの旗揚げに参加。
  • 力皇猛とライバル関係が生まれ、前座戦線で激しく火花を散らす。
  • 小橋建太・三沢光晴等に反旗を翻し、秋山準等とともにユニット「スターネス」を結成。
2001年
  • スターネスを離脱、ライバルであった力皇猛とのタッグチーム「WILD II」を結成。主にタッグ戦線で実績をあげる。
2002年
2003年
  • 9月12日ロン・ハリスを破り、WLWヘビー級王座に輝き自身初のシングルタイトル獲得。その後2回の防衛に成功。
2004年
2005年
2006年
  • 3月5日、日本武道館大会の5大シングルマッチで三沢光晴に挑むも敗れる。
  • 12月10日、日本武道館のメインのGHCヘビー級選手権で、三沢が丸藤を倒して同王座を奪回すると、試合終了後すぐさまリングインし、次期挑戦者として名乗りを上げ、三沢もこれを快諾。
2007年
  • 1月、タイトルマッチの前哨戦となるタッグ戦で三沢&田上組と対戦し、田上をバックドロップで葬り初めて師匠・田上越えを果たした。
  • 1月21日、 日本武道館にて三沢の持つGHCヘビー級王座に挑戦、ランニングエルボーの前に敗北。
  • 2月、米国ROHに参戦、同17日にホミサイドを破りROHヘビー級王座に就いた。
  • 3月4日、日本武道館にて、KENTAとROH世界選手権を行い、バックドロップで勝利。V2。
  • 4月1日秋山準&力皇猛組に敗れGHCタッグ初防衛に失敗、王座転落。
  • 8月12日9月9日、GHCヘビー級選手権次期挑戦者決定リーグ戦に出場。このリーグ戦で秋山準にシングルで初勝利し優勝決定戦へ進むも、秋山戦直後に試合だったためか疲労は大きく、丸藤正道に必殺技のポールシフトを完璧に決められて敗れ、準優勝に終わる。
  • 10月6日、ROHヘビー級王座防衛戦でナイジェル・マッギネスに敗れて王座転落。
2008年
2009年
2010年
  • 3月19日メキシコシティで行われたAAA世界タッグ選手権において、石森太二とのタッグで王者組のニチョ・エル・ミジョナリオ&ジョー・リーダーに勝利し、AAA世界タッグ王座(第5代)を獲得した。
  • 5月23日新潟市体育館で行われたAAA世界タッグ選手権において、潮﨑豪&青木篤志組に敗れ、王座から陥落した。
  • 7月10日、かねてより再戦を希望されていた吉江豊とシングルマッチで対戦し、勝利。その後、次はタッグを組みたいと発言し、のちに「ピンク・ゴディ」を結成することになる。
  • 9月13日、この日より、左足関節外側側副靭帯損傷により欠場。
  • 11月23日、欠場前から体重を130kgにおとして、後楽園ホール大会で佐々木健介とのタッグで杉浦貴&谷口周平を相手に復帰戦。杉浦から1分39秒、バックドロップでフォールを奪う。試合後、杉浦は森嶋の挑戦を受けることを表明する。
  • 12月5日、日本武道館大会で杉浦の持つGHCヘビー級王座に挑戦するが、杉浦の五輪予選スラムにより敗れる。
  • 12月31日付けで選手会長を辞任。杉浦が就任する。
2011年
  • 4月16日より開催されたグローバル・タッグ・リーグ戦2011に吉江豊との「ピンク・ゴディ」で出場。結果は3チーム同位の2位となった[1]
  • 6月11日、杉浦のGHCに再び挑戦表明するも、ディファ有明大会にて、同じく挑戦表明をしていた潮崎豪との挑戦者決定戦で敗れ、挑戦権を逃してしまう[2]
  • 7月23日、大阪府立体育会館で、吉江豊とのタッグ「ピンク・ゴディ」で、新日本プロレスのジャイアント・バーナード&カール・アンダーソンに流出中であったGHCタッグ選手権へ挑戦するも、敗北[3]
  • 11月に行われたグローバル・リーグ戦2011に出場。11月20日、札幌コンベンションセンター大会での優勝決定戦へ進出し、優勝候補だったKENTAにバックドロップで勝利し、初優勝する[4]
2012年
  • 1月22日、大阪府立体育会館で行われたGHCヘビー級選手権試合で、バックドロップで潮崎豪を下し、4年ぶり2度目の戴冠を果たした。リング上の勝利者インタビューで「どんな試合でも厳しい試合をしている、あの人とやりたい」と言い、杉浦貴を次期挑戦者に指名。
  • 3月18日、横浜文化体育館大会で、初防衛戦を行う。当初決定していた杉浦が負傷欠場したため、杉浦の盟友で森嶋の同期生である丸藤正道へ変更された。12分25秒、バックドロップからの片エビ固めで勝利して初防衛に成功した[5]。しかし、試合後の勝利インタビューの後、マイバッハの襲撃を受け、ともに現れたマイバッハの盟友のKENTAの口からマイバッハの挑戦表明を受ける。翌日、5月9日後楽園ホール大会で、マイバッハを相手に2度目の防衛戦が行われることが決定。当日マイバッハを撃破し、2度目の防衛に成功[6]
  • 4月11日より始まったグローバル・タッグ・リーグ戦2012に、GHCジュニアヘビー級王者・中嶋勝彦とGHCシングル王者同士のタッグチーム「チーム・ドント・ストップ」を結成して参加。これは、森嶋の主張に共感を抱いた中嶋側より森嶋へタッグ結成を打診したことにより結成された[7]
  • グローバル・タッグ・リーグ戦中にBRAVEがマイバッハに暴行を見舞われているときに森嶋が救済に入り、最終戦の4月29日の試合後に森嶋とBRAVEメンバーが一緒に恒例の締めのコールを行った。その後、控室で丸藤が森嶋にBRAVEに勧誘。森嶋がBRAVE加入を承諾した[8]
2013年
  • 1月27日大阪ボディーメーカーコロシアム大会で、KENTAと9度目の防衛戦を行うが、GAME OVERの前に敗れてGHCヘビー級王座陥落[9]
  • 6月に再度欠場。欠場時に肉体改造を行い、同年10月に復帰[10]
  • 11月に開催されたグローバル・リーグ戦で、決勝に進むが、永田裕志に敗れて準優勝となる[11]
2014年
  • 1月5日、後楽園ホールのメインでGHCヘビー級王者KENTAの10度目の防衛戦の相手として対戦し、勝利。一年ぶりに王座に返り咲く(20代王者)。試合後、BRAVEメンバーをリング上へ呼び寄せ、恒例の「やる気、元気。モリシ」「ドント・ストップだ、この野郎」のコールをするのかとおもいきや、乱入してきた拳王マイバッハ谷口とともにメンバーを攻撃。BRAVEを離脱して、3人による新軍団を結成を宣言した[12][13]

エピソード等[編集]

  • 巨体と共にさらさらヘアがトレードマーク。
  • 2005年3月の日本武道館大会のタッグ戦で戦った天龍源一郎はテキサス・コスチュームに身を包み、ジャンボ鶴田のテーマ曲「J」で入場した森嶋を見て「ジャンボってあんなのだったっけ?」と不信感を見せた。そして手を合わせたところ「(鶴田を思い起こさせる所は)ありません。もうね、森嶋の身体見たら夢想だにしないよ。どこが似てんだ、あんなもん。バカヤロウ!『嶋』って名前の付くヤツで、あんなおどろおどろしいヤツも珍しいよ(天龍の本名は嶋田源一郎)。恥ずかしいよ。ルーツはどこか知らないけどさ」と酷評。以後は、天龍とタッグチームを組むことも多くなり、天龍自身も「次はいつ森嶋にジャンボをやらせようかなぁ」と語っている。森嶋自身はこの後、直接的にジャンボを思い起こさせるような仕掛けは封印したものだと思われていたが、2006年7月16日の日本武道館大会では、テーマ曲はパートナー・力皇猛のものであったものの、テンガロンハットとテキサス・コスチュームを久々に身に付けて入場した。
  • WWEにおけるダークマッチはビンス・マクマホンも試合を見たようだがレスリング・オブザーバー誌のニュースレターによるとビンスは「森嶋は巨大で太った少女のようだ。ジョン・ロウリネイティス[14]はこのようなずんぐりしていてパッとしないレスラーを売り込むことに時間を浪費している」と森嶋本人のみならず森嶋を売り込んだジョン・ロウリネイティスを含めて酷評している。
  • 2011年後半頃より「やる気・元気・モリシー」「ドント・ストップ(DON'T STOP)だ、この野郎」をキャッチフレーズとしており、また、その際観客に対し「立て、オラ!」と催促するのが恒例となっている。観客にとっては無理強いをさせられている面が強いが、森嶋自身が自らを鼓舞するために行なっている面もあり、継続している。

得意技[編集]

前述の通り、往年の長身レスラーや巨漢レスラー(特に全日本系の外国人)を彷彿とさせる技が特徴的である。彷彿とさせるレスラーがいる技の場合、そのレスラーも合わせて紹介する。

バックドロップ
メイン・フィニッシュ・ホールド。森嶋は全日本時代の先輩ジャンボ鶴田に倣い「ヘソで投げる」バックドロップを使用する。ヘソで投げるとは、相手を抱え上げる際、自分のへそ部分に相手の重心を置き後方へ反り投げるといったもの。森嶋の場合はあまりブリッジはきかせずに、自身の身長を生かして相手を高く持ち上げ高角度から叩きつける。フィニッシュとしての説得力を十二分に持ち、受ける選手にとっても大変に危険な技。
ラリアット
フィニッシュ技への繋ぎとして用いられることが多く、通常型の他に体重を乗せた倒れこみ式を得意とする。他に、スタン・ハンセンを彷彿とさせる、後ろから走ってきた相手に振り向きざまに行うラリアットがある。また、テリー・ゴディを彷彿とさせる、コーナー串刺し式の「魚雷ラリアット」も使用する。近年ではバックドロップに次ぐフィニッシュとして使用することもある。
アメイズ・インパクト
首を後ろから掴み、のど輪落としの要領で持ち上げて顔面から落とす。リバース式のど輪落とし。森嶋のオリジナル技で故障欠場以前にはフィニッシュとして多用されていた。
スクラップ・バスター
ロープから帰ってきた相手の脇をすくうように持ち上げ、そのままサイドに背中から叩きつける。繰り出す際、会場中に響き渡るような大声をあげながら落とす。若手時代の決め技で、現在も随所で使用。
ヒップアタック
座っている相手に自ら走りこんで尻を当てる技。フライング・ニールキックの要領で横回転を加えて放つタイプ(ローリング・ヒップアタック)を「モリシ・ローラー」とも呼ぶ。後述の側転式も使用。
モリシ・ハンマー(オープン・ハンド・ブロー)
手首から肘までの下腕部を使い、右へ左へと相手の側頭部を左右に力強く殴りつける。かつてノアにもレギュラー参戦したレスラー、ベイダーの「ベイダーハンマー」と全く同型であり、森嶋の場合はコーナーに相手を押し込んだ状態で連続で打ち込むことが多い。
スカッド・ミサイル
丸藤正道が命名。いわゆるトップコーナーからのミサイルキック。
側転ボディアタック、側転ヒップアタック
コーナーの相手に武藤敬司のスペースローリングエルボーの様に側転で飛び込み、ボディアタックまたはヒップアタックを浴びせる技。スーパーヘビーの巨体が側転でダイブするため、インパクトは強烈である。ノア中継では、「ロンダート式」と実況されることもある。側転式のボディアタックは、スティーブ・ウィリアムスが繋ぎ技として使用していたのを連想させる。
エルボー・バット
体重が乗っており非常に重い打撃技。帝王高山善廣に、食らうと意識が飛び、威力はエルボーの名手である三沢光晴に匹敵すると言わしめている。
フライング・ボディシザース・ドロップ
空中胴締め落とし。ロープの反動を利用して突進し、正面から飛び掛り全体重を浴びせつけ、相手を仰向けに押し潰した後、そのままフォールを狙う。ジャンボ鶴田が得意とした技で、開発者の名前を取ってテーズ・プレスとも呼ばれる。森嶋は自らの巨体を生かせる有効な技として、鶴田へのオマージュを込めてバックドロップと共に使用している。
裏投げ
長身を利用した高々と相手を跳ね上げるフォーム故に、かけられる相手はかなりの高さから落とされることになる。
パワーボム
テリー・ゴディが初期の頃に使用した型のように、自分の両膝を着いて体重を浴びせるように倒れ込みながら叩き付けるタイプを使用する。場外パワーボムで三沢を半失神状態に追い込んだこともある。
雷電ドロップ
主に投げ技を仕掛けてきた相手への切り返しとして使用し、全体重を乗せた尻で押し潰す。
ボディ・プレス
至近距離からジャンピング式を連発したり、ランニング式を使用する。全盛期のアンドレ・ザ・ジャイアントを彷彿とさせる技。
トペ・スイシーダプランチャ・スイシーダ
145kgの巨体ながら、大一番ではトペやコーナーポストからのプランチャなどの場内から場外へ向けての飛び技を繰り出す。
モンスター・ムーンサルト・プレス
巨漢でありながらとても身軽に動ける為、使用頻度は少ないもののムーンサルト・プレス敢行する事がある。また、体重の関係で落下速度が非常に速く低空になる為、相手にとっては非常に対処しにくくなっているが、低空になってしまう為に頭から落ちるような形になってしまうこともある。
ファイナル・モリシ・コンビネーション
エルボー・バット→バック・エルボー→裏拳→ビッグブーツ→ラリアットのコンビネーションの通称。

タイトル歴[編集]

プロレスリング・ノア
  • GHCヘビー級王座
    • 第12代(防衛2回)
    • 第18代(防衛8回)
    • 第20代
  • GHCタッグ王座
    • 第4代(防衛4回)w/力皇猛
    • 第11代(防衛2回)w/モハメドヨネ
    • 第13代(防衛0回)w/モハメドヨネ
    • 第18代(防衛1回)w/佐々木健介
    • 第30代w/マイバッハ谷口
  • グローバル・リーグ戦優勝(2011年)準優勝(2013年)
WLW
ROH
AAA
プロレス大賞
  • 2007年 敢闘賞
  • 2012年 殊勲賞

入場テーマ曲[編集]

  • Burning Through The Night
  • LAST MAN STANDING / Bon Jovi(モハメド・ヨネとのタッグ時)
  • EXTRA STATUS(作曲・鈴木修) - 現行

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ グローバル・タッグ・リーグ戦2011結果2012年4月15日閲覧。
  2. ^ 2011年6月11日試合結果2012年4月15日閲覧。
  3. ^ 2011年7月23日試合結果2012年4月15日閲覧。
  4. ^ 2011年11月20日試合結果2012年4月15日閲覧。
  5. ^ 3月18日試合結果2012年4月15日閲覧。
  6. ^ 森嶋猛選手記者会見2012年4月15日閲覧。
  7. ^ 森嶋猛選手&中嶋勝彦選手記者会見2012年4月15日閲覧。
  8. ^ 「グローバル・タッグリーグ2012」最終戦 4月29日(日)後楽園ホール大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト2012年10月閲覧
  9. ^ 2013年1月27日(日) 16:00~ ボディメーカーコロシアム(大阪府立体育会館)|試合結果|プロレスリング・ノア公式サイト2014年1月閲覧
  10. ^ 健介戦で復帰!森嶋が過酷な“囚人特訓”| 東スポWeb – 東京スポーツ新聞社2014年1月閲覧
  11. ^ 「グローバル・リーグ戦2013」~最終戦~ 11月10日(日)後楽園ホール大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト2014年1月閲覧
  12. ^ 「New Year Navig.2014」~新春ノア初め~ 1月5日(日)後楽園ホール大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト2014年1月閲覧
  13. ^ 森嶋猛、マイバッハ谷口、拳王選手会見の模様|プロレスリング・ノア公式サイト2014年1月閲覧
  14. ^ かつて「ジョニー・エース」のリングネームで全日本プロレスへ長期にわたりレギュラー参戦していたプロレスラー。引退後にWWEへ裏方として入社してからは選手のブッキングなどを担当しており、現在はWWEのタレント・リレーション部副社長。全日本プロレス時代の繋がりから、潮崎豪や森嶋猛をWWEに推薦した経緯がある。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]