ラリアット

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シェルトン・ベンジャミンによるラリアット

ラリアットLariat)は、プロレス技の一種である。アメリカ合衆国では主にクローズラインClothesline)と呼称される。

相手の首元や胸に自分の腕の内側部分を打ち当てる打撃技である。後述するように、ラリアートと表記される場合もある。

目次

[編集] 概要

1970年代後半にスタン・ハンセン(前PWF会長)が自身のフィニッシュ・ホールドウエスタン・ラリアット(西部式投げ縄打ち)」の名称で使い始め、以後日本マット界で広く使われるようになった。海外マットでは同型の技が「クローズライン」として普及しているが、ハンセン曰く「ラリアットは自身のアメリカン・フットボール経験を活かしたオリジナル技であり、激突時の衝撃を吸収する柔軟かつ強靭な下半身が必要」という(後述)。1970年代後半、ハンセンはこの技でアントニオ猪木のライバルとなる足がかりを掴み、やがて日本でスーパースターの地位を築いた。それと同時にラリアットは彼の代名詞的な必殺技となる。技を編み出す際の逸話として「ハンセンが全日に初来日した際に見たジャイアント馬場の必殺技であるランニング・ネックブリーカー・ドロップをヒントにした」という俗説があるが上記の通りハンセンは否定している。

アメリカでは、ブラックジャック・マリガンマスクド・スーパースタービッグ・ジョン・スタッドなど、1970年代後半にハンセンと同じテリトリー(WWWFジョージアミッドアトランティックなど)をサーキットしていた大型選手もラリアット(クローズライン)を使用することがあった。マスクド・スーパースターは自身の得意技であるフライング・ネックブリーカー・ドロップについて、日本のプロレス雑誌のインタビューにおいて「1976年頃、ハンセンのウエスタン・ラリアットを見たマネージャーグレート・マレンコのアドバイスで使用するようになった」と語っている[1]

1980年代に入るとハンセン以外の選手にも多く使用されるようになる。ハンセンとほぼ同時期に新日本プロレスに来日していたハルク・ホーガンは、改良型のラリアットを「アックスボンバー」という名前で日本マット参戦時の必殺技として使い(肘の角度と打点にラリアットとの差異がある。後述を参照)、ロード・ウォリアーズによるアニマルが肩車した対戦相手へホークがコーナーから飛び込んでラリアットを使う複合技など、アレンジ技も開発されるようになった。

WWE世界チャンピオンのジョン・ブラッドショー・レイフィールド(JBL)のクローズライン・フロム・ヘルはフットボールで鍛えたダッシュ力を生かし、体ごとぶち当たる勢いで突進し、腕を振り抜いて叩きつける。彼は同郷であるスタン・ハンセンを尊敬しており、かつてはハンセンのリングコスチュームまでそっくり真似ていたこともあるが、ラリアットに関しては、テリー・ゴディの打ち方を参考にしたと語っている。

日本のプロレスにおいては、1970年代まではフィニッシュ・ホールドやオリジナルホールドは、他のレスラーは使ってはいけないという暗黙のルールがあったが、アントニオ猪木がハンセン戦で掟破りの逆ラリアットを決めてみせた。そんな中、長州力はハンセンと何度となく対戦し、ラリアットによってことごとく撃沈されていた。その破壊力を身をもって知った長州は、これを自分の技に出来ないものかと工夫した結果、スタン・ハンセンが新日離脱後の1982年1月1日後楽園ホールでの試合で、アニマル浜口への試し斬りに成功し、自分のフィニッシュ・ホールドにしてしまう。レスラーとしては背の低い長州の出すラリアットは相手に低い体勢をとってもらう必要があった。

彼は後に藤波辰爾との抗争で、自らロープに飛んだ反動で相手に向かって走って行き、相手の喉下に腕を叩き込むのと同時にマットに叩きつける技をリキ・ラリアットと呼ばせている。全日本プロレスでは長州同様に背の低い阿修羅・原が、同じようにハンセンにラリアットによって倒され続けた後、これを真似て自らの必殺技とした(「ヒットマン・ラリアット」と呼ばれた)。その後、様々な選手のラリアットに、レスラーのリングネームやニックネームに関連した名称が付けられた(ラッシャー木村の「ラッシング・ラリアット」、ジャンボ鶴田の「ジャンボ・ラリアット」など)が、多くのレスラーが使うようになった1990年代以降は、一部の例外を除いて(後述の項目を参照)単に「ラリアット」と呼ばれている。

2000年代にはこの技は強靱な上半身を誇る小橋建太佐々木健介小島聡らがフィニッシュ・ホールドとして使っている他、繋ぎの技として多くのレスラーが使っている。

橋本真也は全くと言って良いほどラリアットを試合では繰り出すことはなかった。他の闘魂三銃士蝶野正洋武藤敬司)も試合でラリアットを使うことはほとんど無い(武藤はラリアットを「ただ腕を横に出すだけ」と評している。ただしグレート・ムタは花道ラリアットを得意としていた)。

ハンセンは多くの選手がラリアットを使用していることについて「皆が使いたがるのはこの技がいい技である証拠だ」とコメントしており、不快感を抱いたりはしていない。ハンセン自身が相手のラリアットで負けたことも何度かある。

[編集] 受け方

ラリアットは食らった相手が倒れる際後頭部に高い衝撃がかかるため、通常は打たれたら後ろ受け身をとる場合がほとんどである。だが、後ろ受け身の他に以下のような受け方をするレスラーもいる。

  • 真正面から受けて倒れずに、挑発して更にラリアットを打つのを促したり、自分がラリアットを打ちにいったりする。パワーファイター同士の対戦では打ち合いになることもある。
  • 回転して(半回転〜1回転半)受け身をとる。身体能力が優れていて受け身がうまいレスラーが使用する。後頭部強打を防ぐだけでなく、相手のラリアットの威力を引き立たせる効果がある。パット・タナカニコライ・ボルコフのクローズラインを受けた際、勢いがつき過ぎて腕を軸にして後方一回転する形になったことから多用するようになり、広まった受け方だといわれている(中邑真輔腕ひしぎ逆十字固めへの切り返しもこのパターンの応用)。

受けない場合のバリエーションには次のようなものがある。

  • 上半身を丸くして相手の腕の下をくぐり抜ける。
  • 飛ばされたときにロープをつかんで戻って来ないようにする。
  • こちらもラリアットに行く(猪木の有名な逆ラリアット)。
    • ラリアットを得意とする選手同士の場合、ラリアットをラリアットで迎撃する場合もある。
  • ラリアットに来る腕を取って脇固めに行く。
  • ラリアットに来る腕にカウンターキックを打つ(1984年7月のPWF戦で馬場がハンセンを破ったときに使用)。
  • ラリアットに来る腕に袈裟斬りぎみにラリアットを打つ(佐々木健介の対ラリアット迎撃技「かまいたち」、同型のラリアット迎撃法は、小島聡も使用する)。
  • ラリアットに来る腕に袈裟斬りチョップを打つ。

[編集] 技名称について

日本においてこの技はラリアートと呼ばれたり、表記されたりしている場合もある。

これは技の考案者であるスタン・ハンセン新日本プロレスの常連外人として来日していた時代にテレビ実況を務めていたアナウンサー古舘伊知郎が「ウエスタン・ラリアート」と呼んだことがすべての始まり。

1980年当時の金曜8時台は日本テレビ系列「太陽にほえろ!」、TBS系列「3年B組金八先生」など著名な人気番組がしのぎを削る激戦区だった。対するNET(現:テレビ朝日)は同時間帯に「ワールドプロレスリング」のタイトルで新日本プロレスの試合を毎週生中継し、アントニオ猪木のカリスマ的人気と、同年にプロレス中継実況デビューしたアナウンサー、古舘伊知郎のいわゆる“過激な実況”を背景に、裏番組に負けず劣らずの高い視聴率を叩き出していた。

そういった時代背景の中で、タイガー・ジェット・シンに替わる猪木の新たなライバル候補として来日していたハンセンは一撃必殺の破壊力を秘めたラリアットを武器に頭角をあらわし、この時期ついに新日本プロレスのトップ外国人レスラーとして猪木と並びえる位置まで上り詰める。その過程でラリアットを巡る攻防は、猪木対ハンセンを語る上で重要なファクターとなり、その盛り上がりの一翼を担っていたアナウンサー古舘伊知郎が昂揚する激情を込めて「ウエスタン・ラリアート!!」と毎週連呼していたことで、“ラリアット”は“ラリアート”とファンの間に認識されることになる。

その後敵対する全日本、新日本の間で加熱した外国人レスラー引き抜き合戦の中で、1981年末の第4回世界最強タッグ決定リーグ戦決勝戦においてハンセンが全日本に電撃移籍し乱入、場外にいたテリー・ファンクにラリアットを見舞った際、当時全日本プロレス中継の実況担当だったアナウンサー、倉持隆夫の問いかけに対し、解説の竹内宏介(当時『月刊ゴング』編集長)が「ウエスタン・ラリアットですね」と答えたことでプロレスファンの間に混同が生じ、「正しいのは“ラリアート”か?“ラリアット”か?」と論争が起こる。

当時はまだインターネットはなく、テレビ以外でプロレスを伝える主な媒体としては、スポーツ新聞もしくは月刊誌の『月刊プロレス』、『月刊ゴング』などであり、ファンもその中に書かれた記事に従って技の正式名称を覚えていったように、月刊専門誌から月1回得られる情報は、ファンにとって観る側の知識を決定づける重要な要素だった。竹内はかつてライバルである『月刊プロレス』の前身『月刊プロレス&ボクシング』の編集長を務めていた時期もあり、その豊富な知識と経験はプロレスファンにとって「最も信頼できるプロレス記者のひとり」として当時から認識されていたのである。

そのことを踏まえて

  • 竹内が全日本社長のジャイアント馬場と個人的にも懇意であったこと
  • 竹内自らが実況中継の中でアナウンサーの問い掛けに対し「英語の発音としてはラリアットが正しい」と発言したこと
  • 移籍以後ハンセンが全日本に長期定着したこと

から、「ハンセンに関する報道は、全日本プロレス中継とゴングが正しい」という機運がファンの間にも徐々に浸透し、各報道機関の名称もウエスタン・ラリアットとして統一されていった。

長州が1987年新日本に復帰した後、解説を勤めたマサ斎藤が海外生活が長かったこともあり“ラリアット”と発音したことで実況のアナウンサー辻義就(現辻よしなり)もこれに習い「リキ・ラリアット」と呼称している。これ以降のプロレスのテレビ中継で「ラリアート」の名が聞かれることはなくなった。

一部のプロレスを題材としたコンピュータゲームにおいては、近年になっても技名の表記が「ラリアート」になっているものが存在している。

アメリカ合衆国ではラリアットのことをクローズライン (Clothesline) と呼ぶのが一般的である。語源は、洗濯物を干す縄が転じて、道に糸などを張りオートバイなどで通過する人間の首に引っ掛けるフットボールで腕を相手の首に引っ掛けて倒す反則としても知られる。スタン・ハンセンがフットボーラーだった頃に当時は反則でなかった「腕タックル」としてよく使用していた、と著書「魂のラリアット」で述べている。

なお、クローズラインは日本では古くからタッグの連携技としてクロスラインという名称で普通に存在しており、ツープラトンの攻撃として互いの手を繋いでカウンターで相手の首にラリアットと同じ形で攻撃する。国際プロレス1977年IWAワールドシリーズタッグ決勝で優勝したビッグ・ジョン・クインクルト・フォン・ヘス組がアニマル浜口寺西勇組に繰り出した。

[編集] 主な使用者および技名称

※五十音順

以下、特別な技名はないがラリアットを得意とするレスラー

[編集] 派生技

[編集] ショートレンジ・ラリアット

通常は離れた位置から助走をつけて決めるラリアットを、至近距離から助走なしで、立ったままその場で決める技。相手の頭や肩や腕などを片腕で掴んで逃がさないように固定して放つ場合もある。助走がないので、その分、パワー・打点・タイミング・技術などの要素が必要。

主な使用者は、ジェイク・ロバーツスタン・ハンセンビル・イーディー小橋建太高岩竜一力皇猛ベイダースコット・ノートン荒谷望誉宮本和志潮崎豪など。

[編集] カウンター・ラリアット

助走をつけての通常型ラリアットとショートレンジ式ラリアットを足したような型。 通常型(助走型)でも走ってきた相手にカウンターで使用するが、これは走ってきた相手に対し、カウンターで助走なしのラリアットを当てる。 多くのレスラーは逆転技として使用するが、スタン・ハンセン小島聡はフィニッシュとして使用する場合がある。その場合は相手をハンマースルーでロープに振って、返ってきたところにカウンターで決める。森嶋猛は、背後からの攻撃に対して振り向きざまに見舞うラリアットも得意としている。

[編集] 延髄ラリアット

後頭部へのラリアット。助走をつける場合と、ショートレンジ式で放つ場合とがある。

主な使用者は、スタン・ハンセン川田利明など。

[編集] ローリング・ラリアット

その場で後ろ回りに旋回してからショートレンジ式ラリアットを繰り出す。諏訪魔KENTAが使用。

[編集] 起き上がり小法師ラリアット

相手の片腕を自らの片腕で掴んで、もう片方の腕でショートレンジ式ラリアットを放ち、相手が倒れても片腕を離さず、すぐに相手を引き起こしてもう一度ラリアットを放つ。これを数度繰り返す。

主な使用者は、テリー・ゴディ田上明など。

[編集] 串刺しラリアット

マーク・ヘンリーによる串刺しラリアット

魚雷ラリアット背後霊ラリアットとも呼ばれる。コーナーポストに寄り掛かっている相手へ対してのラリアット。テリー・ゴディの串刺しラリアットは、魚雷ラリアットとも呼ばれ、コーナーに相手を振り、その直後自分もコーナーに走り、相手がコーナーのターンバックルに背中を打ち付けた瞬間、ラリアットを打ち込む。衝撃の逃がし場所がないため、相手はもろに体重(ゴディは195cm、135kg)のたっぷり乗ったラリアットを浴びせられて仰け反った後、前のめりに倒れ込む。後ろにピッタリ付いてくる姿から「背後霊」ラリアットとも呼ばれた。後にスーパー・ストロング・マシーンも同様のラリアットを「追っかけラリアット」として使用し、最近では森嶋猛なども使用している。

[編集] フライング・ラリアット

その名のとおり相手にぶつかる寸前にジャンプして全体重をかけるようにするラリアット。これも使い手はたくさんいるがWWEジ・アンダーテイカーは2m越えの巨体からの高い跳躍力のそれを得意とする。三沢光晴は飛びつき式でラリアットを決めるフライング・ラリアットを使用する。この場合、うまく決まった場合には「巻きついた!」と独特の表現がしばしば用いられる。また三沢はラリアットを打ち込んだ後、前受け身を取る形ですばやく立ち上がるという進化系を一時期盛んに見せていたが、晩年は膝に不安を抱えほとんどの飛び道具を封印したためほとんど見せていなかった。この三沢独特のフライング・ラリアットはきりもみ式もしくはスクリュー式などと呼ばれ、AKIRAは横ではなく、縦に回転する飛びつき式のフライング・ラリアットを使用している。

[編集] ダイビング・ラリアット

トップロープ最上段から飛んでラリアットを放つダイビング・ラリアットロード・ウォリアー・ホークが得意としていたが、ダニー・スパイビーダイビング・ラリアットは、走り込んできた相手に全体重を浴びせる形でダイブしながらカウンターでラリアットを打ち込む。

[編集] ダブル・インパクト

ロード・ウォリアーズが使い出した合体技で、ロード・ウォリアー・アニマルが肩車で相手を抱え上げ、ロード・ウォリアー・ホークがコーナー最上段からダイビング・ラリアットを放つ。『ドゥームズデイ・デバイスDoomsday Device)』とも呼ばれる。この技が有名なため、肩車で抱え上げてもう一人がコーナーから技をかける合体技を〜インパクトと呼ぶようになった。主に日本国内の多くのタッグチームがこの技を使用し、タッグの合体(ツープラトン)技の代名詞的存在となった。

[編集] サンドイッチ・ラリアット

クロス・ボンバーとも呼ばれる。タッグマッチにおいて相手の前後から同時にラリアットを仕掛け挟み撃ちにする技を、サンドイッチ・ラリアットクロス・ボンバーなどと呼ぶ。主に龍原砲天龍源一郎&阿修羅・原)、クラッシュギャルズノーフィアー大森隆男はアックスボンバーの形)らが使用。相手に避けられて誤爆を招き、逆に自チームがピンチを迎えることもことも少なくない。

[編集] アックスボンバー

ハルク・ホーガンのアックスボンバーはホーガンがハンセンのラリアットを参考に開発した技で、ハンマースルーで相手をロープに飛ばすのと同時に自らも反対側のロープに走り、反動をつけて腕をL字型に立てたまま相手の首から顔面に叩き込むもの。この名称は、それ以前から使っていた、肘を相手の額に当てる技「アックス・ブロー」とラリアットを組み合わせていることに由来しているという。ホーガン自身はプロレス誌のインタビューで「ホーガンハンマーと呼んで欲しい」と要望していたが定着しなかった(のちにホーガン自身も「アックスボンバー」と呼んでいる)。現在は大森隆男川畑輝鎮、稀に丸藤正道が使っている。

[編集] レッグ・ラリアット

足でのラリアット。ジャンボ鶴田が開発した技。一見すると、ジャンピング・ニーバットが横に流れた感じで、スネ(もしくは太もも)を相手に当てる。ジャンピング・ニー・パッドと見栄えが変わらないためか、評判が悪かったようで、数回の使用で封印した。

鶴田式とは別のフォームでレッグ・ラリアットも存在している。ジャンプして、ニール・キックのように片足を伸ばし、その太腿の裏やふくらはぎ辺りを顔面や喉元に当てるものである。若手時代の前田日明が使用した他、菊地毅ゼロ戦キックの名称で使用。

[編集] 稲妻レッグ・ラリアット

木村健悟が使用。レッグ・ラリアットからの派生技。相手をロープに飛ばした後、帰ってくる相手に対しジャンプしながら体を90度方向横に流し、ラリアットの要領でキックを咽から胸板に当てる技。後楽園ホールでの藤波辰爾との対戦では、ニーパッドに鉄製の凶器を仕込んだ上でこの技を見舞い、フォール勝ちを奪った(直後に凶器を仕込んでいたことが発覚し、木村の反則負けとなる)シーンが有名。木村が第一線を退いた後は、直接の後継者として木村と同郷である垣原賢人が使用していた。現在は直接の後継者ではないが池田大輔高梨将弘が使用。

[編集] ラフ・ライダー

ザック・ライダーの得意技。相手の喉元へのフライング・レッグ・ラリアットで、打撃技ではなくテーズ・プレスのように体重を乗せて相手をマットに叩き付ける事でダメージを与えるのが特徴。

[編集] 脚注

  1. ^ 『デラックス・プロレス』1982年5月号P95「マイ・フェイバリット・ホールド:マスクド・スーパースターのフライング・ネックブリーカー・ドロップ」(1982年、ベースボール・マガジン社)

[編集] 関連項目

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