力皇猛

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力皇 猛
プロフィール
リングネーム 力皇 猛
井上 猛
本名 井上 猛
ニックネーム 無双
天下無双
怪力無双
身長 191cm
体重 125kg
誕生日 1972年12月20日(41歳)
出身地 奈良県桜井市
所属 プロレスリング・ノア
スポーツ歴 大相撲
トレーナー 小橋建太
三沢光晴
デビュー 2000年5月28日
引退 2012年7月22日
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力皇 猛(りきおう たけし、1972年12月20日 - )は、日本の元プロレスラー、元大相撲力士(元鳴戸部屋所属)。奈良県桜井市出身。本名および旧リングネームは、井上 猛(いのうえ たけし)。力士時代の四股名は、力櫻 猛(りきおう たけし)。最高位は西前頭4枚目。愛称は「リキ」「リキさん」、血液型はB型。

来歴[編集]

大相撲時代[編集]

桜井東中学校時代は野球部に所属していたが、元横綱隆の里鳴戸親方から熱心に勧誘されて二子山部屋に鳴戸親方の内弟子として入門した。1988年3月場所に本名で初土俵を踏むが、同期には(後に第64代横綱)、貴乃花(後に第65代横綱)、若乃花(後に第66代横綱)、魁皇(後に大関)、和歌乃山(後に小結)など、多くの強豪力士がおり「花の六三組」と称された。

本人自身は二子山部屋に残ることを希望したが、内弟子としての入門であったため、1989年2月に鳴戸親方が二子山部屋から分家独立して鳴戸部屋を創設した際、鳴戸部屋に移籍した。移籍後は師匠の厳しい指導方法に反発し、ことあるごとに鳴戸親方とは対立した。幕下時代には門限に遅れたことを叱責されてを切り落としたほどであった。

1996年7月場所、ライバルながら仲良しだった琴龍と共に新入幕を果たす。腕力が強く強烈な上手投げを打つ豪快な取り口で、将来は三役も嘱望された。しかし幕内8場所目の1997年9月場所前に当時自身の交際相手であった女性の話を巡って師匠および師匠夫人と対立し部屋を飛び出してしまう。その1997年9月場所は、自身最高位の前頭4枚目まで昇進しながら、初日から全休だった(当初は肝機能障害による病気の理由で休場届を提出していた)。その後鳴戸部屋には戻ることもなく、そのまま24歳で角界から引退した。一説には力櫻自身が自ら破門を申し入れ、鳴戸親方もそれに応じる形で引退届を提出したともいわれる。それゆえに、引退の記者会見が行われることもなかった。なお力櫻の断髪式は鳴戸親方らは出席せず、相撲関係者の有志がそれぞれ集まった上で行われ、最後の止め鋏を入れたのは小錦(元大関・当時佐ノ山親方)であった。

プロレス時代[編集]

1999年8月、全日本プロレスに入団。2000年3月11日、後楽園ホールでのバトルロイヤルで井上猛の名でプレ・デビューする。5月28日、同い年で親友の魁皇(現・浅香山親方)と武双山(現・藤島親方)も応援に駆け付けるなか、後楽園ホールで、力皇猛のリングネームで正式デビュー。

2000年6月にプロレスリング・ノア旗揚げに参加し、小橋建太をリーダーに同期で小橋の付人・小林健太(KENTA)らと(新生)バーニングというチームを結成した。また、この時期から小橋が力皇にかけた「チェンジ・ザ・ボディー」という言葉を合言葉にして肉体改造を試み、相撲時代からのアンコ型の体型からお腹の出ていない引き締まった体型になった。小橋が膝の手術で長期欠場に入ると三沢光晴率いるWAVEに加入した。

2001年4月18日、日本武道館でのZERO-ONE旗揚げ第2戦において、小川のシュートマッチ対策として三沢のパートナーに抜擢され、小川直也&村上和成組に勝利し評価を上げる。打たれ強さを活かし、小川や村上の顔面への打撃を受けきり、三沢がバックドロップホールドで村上からフォールを取った瞬間も、場外で小川から完全にマウントポジションをとって、打撃を放っていた。

同年森嶋猛とのタッグチーム「WILD II」を結成する。2002年2月17日、日本武道館大会で「WILD II」として大森隆男&高山善廣組を倒し、GHCタッグ王座を戴冠。しかし、9月23日の日本武道館大会で齋藤彰俊&秋山準組に敗れ、GHCタッグ王座を失った。

2004年半ば頃、オリジナルの必殺技「無双」を開発した。この技を駆使し、11月27〜28日の札幌メディアパークスピカでのヘビー&ジュニアヘビー・ミックスド・タッグ・2デイズ・トーナメントに丸藤正道と組んで出場し、決勝進出。決勝で小橋建太&KENTAと対戦し、小橋を無双で破り優勝した。

2005年3月5日、日本武道館大会で小橋を破り、第7代GHCヘビー級王座を戴冠。9月18日には日本武道館大会で三沢に勝利し、GHCヘビー級王座を防衛。しかし11月5日の日本武道館大会で田上明に敗れ、GHCヘビー級王座4度目の防衛に失敗した。この年、2005年度プロレス大賞殊勲賞を獲得。

2006年1月22日、曙太郎と組み、小橋建太&泉田純至組から合体技『リキボノ・スプラッシュ63』で泉田純至を2人で押しつぶし、曙が泉田からフォール勝ちを収めた。

2007年4月1日、秋山準とのタッグで森嶋猛・モハメド・ヨネ組に勝利。第14代GHCタッグ王座に就くも、8月14日から頸椎損傷のため大会を欠場、出場していたGHCヘビー級選手権次期挑戦者決定リーグ戦は、モハメド・ヨネ戦に勝利した試合以外は全て不戦敗となってしまった。

2008年2月28日、秋山とのタッグで田上・泉田組を相手に復帰戦を行った。

2009年1月、モハメド・ヨネと新軍団ディスオベイを結党。6月14日、三沢光晴死去の翌日に行われた博多スターレーン大会のメインイベントで潮崎豪とGHCヘビー級選手権を戦い敗北。12月6日には、ヨネとのタッグで、森嶋猛&佐々木健介組を破り、GHCタッグ王者となる。

2010年4月14日、バイソン・スミス&キース・ウォーカー組に敗れ、GHCタッグ王座陥落。5月、新日本プロレスIWGPヘビー級王者真壁刀義に挑戦を表明。6月19日のIWGPヘビー級タイトル挑戦が決定したものの、その後ヘルニアの発症による欠場を発表し、タイトル戦をキャンセルした。

2011年11月27日、ノア有明大会にリングに上がり、重度の頚椎ヘルニアが完治しないため年内で現役引退を発表。

2012年7月22日にノア初進出となる両国国技館において、「力皇猛引退セレモニー大会」と題して興行が行われ、全試合終了後に引退セレモニーが華々しく執り行われた。また、今後の去就として翌23日付でGHCタイトル管理委員に就任することも発表された[1]

引退後[編集]

2013年12月5日、奈良県天理市でラーメン店「麺場 力皇」をオープン。 プロレス引退後、店のオープン1年前から、燕三条ラーメンの人気店として有名な新潟県燕市のラーメン店「潤 燕総本店」に弟子入りしてラーメン修業をしていた。

人物[編集]

  • デビュー前、元力士(関取)であるという理由で、小橋からエドモンド井上というリングネームを命名されそうになったが拒否した。
  • 大相撲時代はオレンジ色の廻しを締めることが多かった。
  • 甘党である。「週刊プロレス」の選手名鑑コーナーにある好きな食べ物の欄には、「シュークリーム」「プリン」「メロンパン」と書かれている。
  • ラグビーファンである。

大相撲時代の成績等[編集]

主な成績[編集]

  • 通算成績:307勝248敗20休(58場所)
  • 幕内成績:54勝51敗15休(8場所)
  • 十両優勝2回(1996年1月場所、1996年5月場所)

場所別成績[編集]

力櫻 猛
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1988年
(昭和63年)
x (前相撲) 西 序ノ口 #17
4–3
 
東 序二段 #127
4–3
 
東 序二段 #93
3–4
 
東 序二段 #114
7–0
 
1989年
(平成元年)
東 三段目 #101
3–4
 
西 序二段 #17
4–3
 
西 三段目 #93
4–3
 
東 三段目 #71
4–3
 
西 三段目 #52
3–4
 
東 三段目 #67
1–1–5
 
1990年
(平成2年)
西 序二段 #8
3–4
 
東 序二段 #34
5–2
 
西 三段目 #97
6–1
 
東 三段目 #42
3–4
 
東 三段目 #61
3–4
 
西 三段目 #76
6–1
 
1991年
(平成3年)
東 三段目 #25
2–5
 
東 三段目 #50
5–2
 
西 三段目 #21
5–2
 
西 幕下 #56
4–3
 
東 幕下 #43
6–1
 
東 幕下 #19
3–4
 
1992年
(平成4年)
東 幕下 #26
3–4
 
西 幕下 #34
6–1
 
東 幕下 #14
4–3
 
西 幕下 #8
5–2
 
西 幕下 #2
3–4
 
東 幕下 #7
4–3
 
1993年
(平成5年)
東 幕下 #4
3–4
 
東 幕下 #7
4–3
 
西 幕下 #3
5–2
 
東 十両 #12
6–9
 
東 幕下 #2
3–4
 
西 幕下 #5
3–4
 
1994年
(平成6年)
東 幕下 #9
4–3
 
東 幕下 #5
4–3
 
西 十両 #13
8–7
 
東 十両 #12
8–7
 
東 十両 #9
7–8
 
東 十両 #11
9–6
 
1995年
(平成7年)
東 十両 #8
8–7
 
東 十両 #7
9–6
 
東 十両 #4
10–5
 
西 十両 #2
5–10
 
東 十両 #7
9–6
 
西 十両 #2
4–11
 
1996年
(平成8年)
東 十両 #9
優勝
10–5
西 十両 #4
9–6
 
西 十両 #3
優勝
12–3
西 前頭 #14
9–6
 
西 前頭 #9
6–9
 
東 前頭 #15
8–7
 
1997年
(平成9年)
西 前頭 #13
8–7
 
東 前頭 #12
6–9
 
西 前頭 #15
8–7
 
東 前頭 #12
9–6
 
西 前頭 #4
引退
0–0–15
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 1989年1月場所の番付では序二段東44枚目にランクされていたが、これは番付編成上のミスだったので、三段目最下位格で土俵にあがった。

改名歴[編集]

  • 井上 猛(いのうえ たけし)1988年3月場所
  • 二子桜 猛(ふたござくら - )1988年5月場所 - 1989年1月場所
  • 力桜 猛(りきおう - )1989年3月場所 - 1993年5月場所
  • 力櫻 猛(りきおう - )1993年7月場所 - 1997年9月場所

プロレス時代の得意技・戦績等[編集]

得意技[編集]

無双
股下をクラッチして持ち上げて高角度で背面から体重を浴びせながら落とす変形ロック・ボトム。力皇のオリジナル必殺技。名前は親友である武双山の名前と、「世の中に二つと無い」という意味の言葉の無双をかけたもの。
無双・改
上記無双のアレンジとして開発。無双の状態で担ぎ上げ、そのまま後方へ倒れ込む。小股すくい式バックドロップに類似。
裏・無双
上記無双のアレンジとして開発。相手を表裏逆にしてかける無双。いまのところ、GHCヘビー級選手権試合小橋建太との試合にて一度だけ披露。
天下無双
変形の喉輪式無双。2007年7月15日、日本武道館大会のGHCヘビー級タッグ選手権試合で、川畑輝鎮にこの技で勝利した。
ラリアット
パワーを利したタックルのようなランニング式と腕力を駆使したショートレンジ式を使う。ショートレンジ式は大きく振りかぶって打つ張り手を数発打ってからのコンビネーションで使用することもある。「リキ・ラリアット」とも呼ばれるが、長州力の「リキ・ラリアット」と混同されるので最近はあまりこう呼ばれない。ジュニアの選手に仕掛けると、相手は1回転することがある。
高角度パワーボム
担ぎ上げた後、溜めを作って落とす。師匠である小橋建太が使う、ターンバックルに打ち付ける非常に危険なパワーボムも大試合では敢行する。
ブレーンバスター
力皇は通常のブレーンバスターと言うよりも、自身の体重を浴びせるジャック・ハマーのような体勢で落とすことが多い。
合掌落とし
「合掌捻り落とし」の略。若手時代に開発したオリジナル必殺技。相撲の合掌捻りのように相手の顔を両手で挟み、左右に大きく揺らしてから真上へ持ち上げ背面からマットへ投げ捨てる。どちらかというと「徳利投げ」の要領に近い。最近は使用頻度が減った。
ぶちかまし
相撲の応用技。頭から相手の腹部辺りに体当たりする。ここ一番で出すこともあり、小橋を倒し第7代GHCヘビー級王者になった時は、フィニッシュの無双の直前に繰り出し、リング中央付近から一気にコーナーポストへと押しやった。
突っ張り
相撲の経験を生かした強烈さが持ち味。ビンタ気味に繰り出すタイプでは一撃でグロッキー状態にすることも珍しくない。
張り手
顔面へ大きく振りかぶって見舞う。左右の腕で交互に数発連発し、続けてラリアットを敢行するパターンもある。
ベアハッグ
相手が飛びかかってきたところを捉えてボディを絞め上げる。力皇にはここからの派生技が多い。
ベアハッグブレーンバスター
ベアハッグから相手の首を抱え、相手の腕を自分の首に掛けるように持ち替え、ブレーンバスターを放つ。力皇の定番技。
ベアハッグDDT
ベアハッグから相手の首を抱えるように持ち直し、DDTのように脳天から落としていく荒技。キン肉バスターよろしく全身をガチガチに固められた状態で頭から叩き付けられるため、相手が受身を取り辛い。この技をまともに喰らった齋藤彰俊は、頸椎捻挫胸骨亀裂骨折という大怪我を負った。
ダイビング・ボディ・プレス / ダイビング・クロス・ボディ
大きな試合で使われることが多い。

入場テーマ曲[編集]

  • A Passage In Time / Authority Zero(現行)

獲得タイトル[編集]

GHCヘビー級王座
  • 第7代(防衛3回)
GHCタッグ王座
  • 第4代(防衛4回)w/森嶋猛
  • 第14代(防衛3回)w/秋山準
  • 第19代(防衛2回)w/モハメド・ヨネ

プロレス大賞[編集]

  • 2000年 新人賞
  • 2005年 殊勲賞

脚注[編集]

  1. ^ 「GREAT VOYAGE 2012 in RYOGOKU」7月22日(日)両国国技館大会 試合後コメント

関連項目[編集]

外部リンク[編集]