旭道山和泰
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| 基礎情報 | ||||
| 四股名 | 旭道山 和泰 | |||
| 本名 | 波田 和泰 | |||
| 愛称 | 南海のハブ | |||
| 生年月日 | 1964年10月14日(47歳) | |||
| 出身 | 鹿児島県大島郡徳之島町 | |||
| 身長 | 182cm | |||
| 体重 | 107kg | |||
| 所属部屋 | 大島部屋 | |||
| 得意技 | 右四つ、上手投げ、張り手 | |||
| 成績 | ||||
| 現在の番付 | 廃業 | |||
| 最高位 | 西小結 | |||
| 生涯戦歴 | 538勝551敗(100場所) | |||
| 幕内戦歴 | 325勝380敗(48場所) | |||
| 優勝 | 序ノ口優勝1回 | |||
| 賞 | 殊勲賞2回 敢闘賞2回 |
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| データ | ||||
| 初土俵 | 1980年5月場所 | |||
| 入幕 | 1989年1月場所 | |||
| 引退 | 1996年11月場所 | |||
| 引退後 | 衆議院議員、タレント、実業家 | |||
| 備考 | ||||
| 金星1個(曙1個) | ||||
| 2012年1月15日現在 | ||||
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きょくどうざん かずやす
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| 生年月日 | 1964年10月14日(47歳) |
| 出生地 | 鹿児島県大島郡徳之島町 |
| 出身校 | 徳之島町立亀津中学校 |
| 前職 | 大相撲力士 |
| 所属政党 | (新進党)→ (新党平和→) 無所属 |
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| 選挙区 | 比例近畿ブロック |
| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 1996年10月20日 - 2000年6月2日 |
旭道山 和泰(きょくどうざん かずやす、1964年10月14日 - )は鹿児島県大島郡徳之島町出身で、大島部屋所属の元大相撲力士、元衆議院議員、タレント、実業家。本名は波田和泰。力士時代の体格は182cm、107kg[1]で、最高位は西小結(1992年11月場所、1993年5月場所)。実弟は、幕内格行司の木村寿之介、元五等呼出の松男(現役の十両呼出とは別人)。
目次 |
[編集] 来歴
1980年5月場所に初土俵を踏み、1988年7月場所に十両に昇進し、1989年1月に新入幕を果たした。
入幕当初は100kgにも満たない軽量力士だった[2]が、正攻法の相撲を貫き幕内上位で健闘した実力者で、小結を通算3場所務め、そのうち1場所では勝ち越しを果たしている。右を差して廻しを取るとしぶとく、投げや捻りもあり、「南海のハブ」の異名を取った。また時折見せる立ち合いの右張り手は一発で相手を仕留めるほどの威力があった。細い体で正攻法の相撲を取ったので怪我をすることも多かったが、初土俵から廃業まで一度も休場しなかった。
新入幕の1989年1月場所で9勝を挙げ、敢闘賞を受賞した。1990年3月場所2日目には、横綱千代の富士との一番で、取り直しの大熱戦を演じた[1][3]。1992年7月場所は横綱が不在の上大関曙が全休していたが、出場した2大関(小錦、霧島)の両方を破る活躍で、殊勲賞を受賞した。翌9月場所に晴れて新小結となったが、2日目には関脇武蔵丸を張り手一発で倒している[1]。この場所も横綱不在の場所ではあったが、見事に勝ち越して、自身2度目の敢闘賞を受賞した。東前頭2枚目だった1993年3月場所では、6日目にこの場所新横綱の曙を下手捻りで下し、自身唯一の金星を挙げた[4]。また、13日目は久島海との一番だったが、この時久島海は西前頭2枚目で既に7勝しており、あと一番勝てば三役が確実な状況だった。だが、旭道山は久島海を立合いの右張り手一発で土俵に沈め、途中休場に追い込んだ。一方の旭道山はこの場所で最終的に9勝を挙げて自身2度目の殊勲賞を受賞した上に、翌5月場所に3度目の小結に昇進したが、もう一方の久島海は三役目前で挫折した格好となり、結果的には引退までに三役に一度も上がれなかった。
1996年10月、第41回衆議院議員総選挙に新進党から比例区で立候補し、近畿ブロック10位で当選した。新進党の当選者156人のうち153番目に当選が確定している。出馬当初は廃業届を日本相撲協会の境川理事長(元横綱佐田の山)に渡したが保留扱いとなっていた。これは境川理事長が落選の際のために配慮したもので、当選後に正式に廃業届が受理された。その結果、翌11月場所の番付に四股名を残したまま国会議員としての活動を始めた。断髪式までは丁髷を結ったまま登院した。
新進党が解党した後は新党平和を経て無所属となったが、院内会派は自民・公明連立の中に無所属ただ一人で参画した。2000年6月の衆議院解散に伴い政界を勇退した。旭道山は勇退の際、「3年8ヶ月、衆議委員在任中、一番手がけた重要法案は、介護保険法、その当時、厚生委員会の委員であり反対多数の中を賛成に持って行った。その後、2期目のお話を頂いたがお断りをした」と語っている。また、当時の自民党幹事長・野中広務は、勇退の際のパーティーの会場で「こいつは次があるのに普通は受けるのに自分でそれを辞退をした。自分の生き方をつらぬいた。年は違うけど戦友と旭道山の事を私は呼ぶ」と語った。
政界勇退以降現在に至るまで、タレント・実業家として活動している。2000年秋には有限会社「旭ドリーム」を設立し健康食品の販売なども始めた。また、2009年3月18日に銀座に焼肉店「焼肉kyoku」を開店した。
[編集] 主な成績
- 通算成績:538勝551敗 勝率.494
- 幕内成績:325勝380敗 勝率.461
- 幕内在位:48場所(うち小結3場所)
- 三賞:殊勲賞2回(1992年7月場所、1993年3月場所)、敢闘賞2回(1989年1月場所、1992年9月場所)
- 金星:1個(曙)
- その他の記録:1089回通算連続出場
- 各段優勝:序ノ口1回(1980年7月場所)
[編集] 著書
- 待ったなし人生―旭道山和泰自伝(1997年、ISBN 4583034296)
[編集] エピソード
- 北勝鬨と共に平成初の新入幕力士であった。
- 1991年11月場所12日目、寺尾 - 琴ヶ梅戦の取組前の事だったが、旭道山が土俵下で控えていたときに、突然土俵に上がろうとした一般の泥酔男性客に対し、旭道山がその泥酔者をつまみ出すというハプニングがあった。そのエピソードは、2003年11月7日放送のテレビ番組「謎を解け!まさかのミステリー」で取り上げられた。この一件は雑誌などで「○旭道山-泥酔者● (掬い投げ)」などと書かれた。ちなみに同様に高見盛も土俵に上がろうとした一般客を取り押さえたこともある。
- 旭道山の廃業後、「廃業」では語感が悪いということで、「廃業」の呼称を取りやめ、現役力士がそのまま角界から身を引いた場合は「引退」に統合し、親方の廃業は「退職」に改めた。よって旭道山は角界最後の廃業力士である。
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