安芸乃島勝巳

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安芸乃島勝巳 Sumo pictogram.svg
Akinoshima 2012 Jan.JPG
基礎情報
四股名 安芸乃島 勝巳
本名 山中 勝巳
愛称 アキちゃん
生年月日 1967年3月16日(47歳)
出身 広島県豊田郡安芸津町
(現在の東広島市
身長 176cm
体重 155kg
BMI 50.0
所属部屋 藤島部屋二子山部屋
得意技 左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 関脇
生涯戦歴 822勝756敗78休(128場所)
幕内戦歴 647勝640敗78休(91場所)
優勝 十両優勝1回
幕下優勝1回
序二段優勝1回
殊勲賞7回
敢闘賞8回
技能賞4回
データ
初土俵 1982年3月場所
入幕 1988年3月場所
引退 2003年5月場所
引退後 高田川部屋師匠
趣味 日本刀鑑賞
備考
金星16個(大乃国2個、千代の富士4個、北勝海4個、旭富士4個、1個、武蔵丸1個)
2013年12月12日現在

安芸乃島 勝巳(あきのしま かつみ、1967年3月16日 - )は、広島県豊田郡安芸津町(現在の東広島市)出身で二子山部屋(入門時は藤島部屋)所属の元大相撲力士。本名は山中勝巳(やまなか かつみ)。現役時代の体格は身長176cm、体重155kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東関脇。愛称は「アキちゃん」、趣味は日本刀鑑賞、血液型はA型、魚座。現在は年寄高田川勝巳。

来歴[編集]

安芸乃島の手形

中学進学までは柔道をしていたが、力士になろうと志し、相撲を始め全国大会にも出場した。偶然にも広島に巡業に訪れていた大関貴ノ花(12代藤島→11代二子山)に勧誘されたことがきっかけで卒業後に藤島部屋に入門した。

1987年昭和62年)9月場所に十両昇進して藤島部屋初の関取となり、1988年(昭和63年)3月場所には弱冠20歳にして新入幕を果たした。入幕後は上位キラーとして知られる様になり、金星獲得は歴代最多の16個を数えるとともに対戦した横綱全てから金星を獲得した。初金星は1988年9月場所の大乃国からで、固太りで重心が低く左四つになると力を発揮した。横綱の中では特に旭富士と相性が良く、対戦成績で通算12勝8敗(不戦勝1を含む)と勝ち越した。反面、攻めが遅い部分があったため、速攻相撲が得意の相手に取りこぼすこともあり、特に琴錦を大の苦手とし、幕内対戦成績は安芸乃島の9勝39敗である。最後の対戦となった2000年平成12年)3月場所では安芸乃島が勝ったが、その相撲で琴錦は右肘の故障を悪化させ翌日から休場、引退の原因となった。

1990年(平成2年)~1992年(平成4年)の頃には、横綱昇進がかかっていた元大関小錦にめっぽう強く「小錦キラー」と呼ばれ、小錦の最大の壁として横綱昇進を阻止した(対戦成績でも25勝10敗と大きく勝ち越している)。また1991年(平成3年)7月場所8日目には、進退を懸けていた横綱大乃国を一方的に押し出して下したが、4勝4敗と不調だった大乃国はこの一番を最後に現役引退を表明、結果的に引導を渡す格好となった。

1994年(平成6年)9月場所から1995年(平成7年)3月場所までの4場所間は、10勝5敗を一度はさんで11勝4敗3度の計43勝17敗という好成績を残したものの、大関昇進はならなかった。追い込まれると強引な首投げに出るという悪い癖があり、特に琴錦戦でこの形で幕切れをするシーンが多く見受けられた。これで逆転するケースは少なく、彼の場合は投了の形と見られても仕方ないと言われるものがある。三役陥落後も常に幕内中位で相撲を取り続けていたが、2003年(平成15年)5月場所14日目の取組に敗れ6勝8敗と負け越し、十両陥落が決定的になり現役を引退した。安芸乃島は、昭和時代に幕内を経験した最後の関取力士となった。

同様に「1度は優勝したい」と公言して、1992年(平成4年)3月場所は14日目を終えて12勝2敗と優勝争いをしたが、千秋楽には琴錦との割が組まれてこれに敗れて優勝を逃した。三賞19回、金星16個の各最多記録を保持しており、現役時代には「これだけあったら誰か賜杯1ツと取り替えてよ」とこぼした事もある。最後の16個目の金星は武蔵丸からであるが、その金星は武蔵丸が新横綱の1999年(平成11年)7月場所だった。なお、朝青龍が横綱昇進した2003年(平成15年)3月場所以降は幕内下位に低迷し、結局横綱になった朝青龍との対戦は実現しなかった。

現役引退後は年寄藤島を襲名(2003年3月に自身が2002年9月から所有していた山響の名跡と貴乃花が所有していた藤島の名跡を交換済み)するとともに二子山部屋(後に貴乃花部屋)の部屋付親方として後進の指導に当たった。後に年寄名跡を藤島から千田川に変更したが、この頃から現役時代は弟弟子だった貴乃花親方と指導方針の違いから確執が表面化し、2004年(平成16年)9月27日付で高田川部屋に移籍した。移籍許可書類への押印を貴乃花親方が拒否したため、破門をも申し入れる事態に発展。病床に臥していた11代二子山親方に判を押してもらい事無きを得たが、これにより貴乃花部屋とは完全に訣別した。

高田川部屋に移籍してからは積極的に若手力士に稽古を付けるとともに、2009年(平成21年)8月5日には高田川と年寄名跡を交換する形で高田川部屋を継承した[1]。2009年9月5日には、東京都江東区清澄に部屋を新築・移転した。新築した部屋には、通常よりも多い5本の鉄砲柱を立て、「1日に1000回の四股と鉄砲」を目標として弟子に課し、「相手を敬う古風な力士を育てたい」と抱負を述べた。

また、高田川部屋は先代高田川が1998年に高砂一門より破門されて以来、安芸乃島が部屋を継承した後もどの一門にも属さない無派閥であったが、2011年(平成23年)1月17日には部屋継承時から希望していた二所ノ関一門への加入が認められた[2]

エピソード[編集]

  • 若い頃から「負けた力士に失礼だ」という理由で、テレビの殊勲インタビューなどでは最低限の言葉しか発せず、現役時代は批判の対象となるほどに寡黙な印象を与えていた。しかし実際の性格は明朗快活で、部屋の力士からはしばしば実態とイメージの乖離が言われていた。引退後はテレビ解説者として饒舌な面をファンにも披露しているが、「命懸けで」「死ぬ気で」という語を多用して土俵態度を戒めるその語り口はNHK大相撲中継の解説者の中でも随一の辛口として知られる。2011年の大相撲八百長問題では、「命をかけてきた者からいえば信じられない。八百長に関わった奴は腹を切って死んでもらいたい」と切り捨てた[3]
  • 後に本人の告白によると、場所中に死にそうになったことがあるらしい。1995年5月場所、剣晃戦で右手の小指に裂傷を負い、治療後、抗生物質を飲んだところ、薬物アレルギーが出て病院に救急車で運ばれた、というもの。(読売「大相撲」1999年3月号)
  • 藤島部屋在籍時代のある時期、当時幕下で部屋頭だった安芸乃島が弟弟子達に度を越したかわいがりを行ったことがあるという事実が本人や師匠(貴ノ花)の口から何度か語られており、かわいがりを受けた1人として貴乃花がいた。貴乃花はある日、安芸乃島のかわいがりに耐えかね実父であり師匠でもある藤島(当時)に助けを求めたという。腹に据えかねた藤島は安芸乃島を破門しそうになった。この事実から、安芸ノ島と貴乃花の確執は取的時代まで遡ると言える。[要出典]
  • 1996年9月場所11日目の曙戦で五輪砕きの体勢となったが当時の規定では技として規定されておらず行司も「勝負あり」を宣告しなかったためやむなく土俵を割って事なきを得た(寄り倒しで安芸乃島の負け)。[4]
  • 2014年3月13日には東広島市が同市安芸津町出身者として安芸乃島を新たな名誉市民に制定した。制定した理由として、現役時代の実績や地元「安芸」の名を広めたことやスポーツ文化の高揚などが伝えられている。[5][6]

主な成績[編集]

  • 通算成績:822勝756敗78休 勝率.521
  • 幕内成績:647勝640敗78休 勝率.503
  • 通算出場回数:1575回
  • 現役在位:128場所
  • 幕内出場回数:1283回
  • 幕内在位:91場所
  • 三役在位:27場所(関脇12場所、小結15場所)
  • 金星:16個(大乃国2個、千代の富士4個、北勝海4個、旭富士4個、1個、武蔵丸1個)(史上1位)
  • 三賞:19回(史上1位)
    • 殊勲賞:7回(1988年9月場所、1990年3月場所、1990年5月場所、1990年11月場所、1992年3月場所、1993年7月場所、1999年3月場所)
    • 敢闘賞:8回(1988年7月場所、1989年3月場所、1990年7月場所、1991年5月場所、1992年3月場所、1995年1月場所、1995年3月場所、1999年9月場所)
    • 技能賞:4回(1990年5月場所、1998年5月場所、1999年1月場所、1999年9月場所)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1988年1月場所)
    • 幕下優勝:1回(1987年5月場所)
    • 序二段優勝:1回(1982年7月場所)

場所別成績[編集]

安芸乃島勝巳
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1982年
(昭和57年)
x (前相撲) 西 序ノ口 #17
6–1
 
東 序二段 #82
優勝
7–0
西 三段目 #73
3–4
 
西 序二段 #1
5–2
 
1983年
(昭和58年)
東 三段目 #55
4–3
 
東 三段目 #43
2–5
 
東 三段目 #72
3–4
 
東 三段目 #85
6–1
 
東 三段目 #27
5–2
 
東 三段目 #1
1–6
 
1984年
(昭和59年)
東 三段目 #32
4–3
 
東 三段目 #20
3–4
 
西 三段目 #36
5–2
 
西 三段目 #4
1–6
 
東 三段目 #39
4–3
 
西 三段目 #23
3–4
 
1985年
(昭和60年)
西 三段目 #40
6–1
 
東 幕下 #56
5–2
 
東 幕下 #34
5–2
 
西 幕下 #21
5–2
 
西 幕下 #11
3–4
 
東 幕下 #20
3–4
 
1986年
(昭和61年)
西 幕下 #29
5–2
 
西 幕下 #15
2–5
 
東 幕下 #33
6–1
 
東 幕下 #15
3–4
 
西 幕下 #25
6–1
 
西 幕下 #7
2–5
 
1987年
(昭和62年)
東 幕下 #20
5–2
 
東 幕下 #9
3–4
 
西 幕下 #14
優勝
7–0
東 十両 #12
8–7
 
西 十両 #10
8–7
 
西 十両 #6
9–6
 
1988年
(昭和63年)
東 十両 #4
優勝
12–3
東 前頭 #12
7–8
 
東 十両 #1
10–5
 
西 前頭 #10
11–4
西 前頭 #2
8–7
西 小結
7–8
 
1989年
(平成元年)
東 前頭 #1
7–8
西 前頭 #1
8–7
西 関脇
6–9
 
東 前頭 #1
7–8
東 前頭 #2
7–8
西 前頭 #2
5–10
 
1990年
(平成2年)
西 前頭 #6
8–7
 
西 前頭 #2
8–7
東 前頭 #1
10–5
東 関脇
9–6
東 関脇
6–9
 
東 前頭 #1
10–5
1991年
(平成3年)
東 小結
5–10
 
東 前頭 #3
8–7
東 前頭 #1
9–6
東 小結
8–7
 
東 小結
9–6
 
西 関脇
4–11
 
1992年
(平成4年)
東 前頭 #5
8–7
西 前頭 #2
12–3
東 小結
9–6
 
東 関脇
10–5
 
東 関脇
8–7
 
東 張出関脇
7–8
 
1993年
(平成5年)
東 前頭 #1
9–6
 
西 関脇
0–2–13[7]
 
東 前頭 #10
休場[8]
0–0–15
東 前頭 #10
9–6
西 前頭 #2
9–6
 
西 小結
6–9
 
1994年
(平成6年)
東 前頭 #2
4–11
 
東 前頭 #10
9–6
 
東 前頭 #3
3–12
 
東 前頭 #14
8–7
 
西 前頭 #13
11–4
 
西 前頭 #4
10–5
 
1995年
(平成7年)
東 小結
11–4
西 関脇
11–4
東 関脇
7–8
 
東 小結
1–2–12[9]
 
西 前頭 #7
休場[8]
0–0–15
西 前頭 #7
8–7
 
1996年
(平成8年)
西 前頭 #4
9–6
 
西 小結
6–9
 
東 前頭 #2
5–10
 
西 前頭 #5
10–5
 
西 前頭 #1
7–8
 
東 前頭 #2
9–6
 
1997年
(平成9年)
西 小結
6–9
 
東 前頭 #2
7–8
 
西 前頭 #2
7–8
 
東 前頭 #3
6–9
 
東 前頭 #5
8–7
 
西 小結
7–8
 
1998年
(平成10年)
西 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #2
9–6
 
西 小結
10–5
東 関脇
3–4–8[10]
 
西 前頭 #5
休場[8]
0–0–15
西 前頭 #5
8–7
 
1999年
(平成11年)
東 前頭 #3
11–4
東 小結 #2
11–4
東 関脇
6–9
 
西 前頭 #1
6–9
西 前頭 #3
11–4
西 小結
3–12
 
2000年
(平成12年)
西 前頭 #4
7–8
 
東 前頭 #5
5–10
 
西 前頭 #7
10–5
 
東 前頭 #1
8–7
 
東 小結
7–8
 
東 前頭 #1
5–10
 
2001年
(平成13年)
東 前頭 #4
7–8
 
東 前頭 #5
5–10
 
西 前頭 #9
8–7
 
東 前頭 #6
4–11
 
西 前頭 #11
9–6
 
西 前頭 #6
8–7
 
2002年
(平成14年)
西 前頭 #1
6–9
 
東 前頭 #4
7–8
 
東 前頭 #5
3–12
 
西 前頭 #11
6–9
 
東 前頭 #13
7–8
 
東 前頭 #14
9–6[11]
 
2003年
(平成15年)
西 前頭 #9
6–9
 
西 前頭 #12
6–9
 
西 前頭 #15
引退
6–9–0[12]
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 山中 勝巳(やまなか かつみ)1982年3月場所 - 1986年11月場所
  • 安芸ノ島 勝巳(あきのしま -)1987年1月場所 - 1994年7月場所
  • 安芸乃島 勝巴(あきのしま かつみ)1994年9月場所
  • 安芸乃島 勝巳(- かつみ)1994年11月場所 - 2003年5月場所

年寄変遷[編集]

  • 藤島 勝巳(ふじしま かつみ)2003年5月 - 2004年5月
  • 千田川 虎央(せんだがわ とらお)2004年5月 - 2009年7月
  • 高田川 勝巳(たかだがわ かつみ)2009年8月 -

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ 元安芸乃島が高田川部屋継承=大相撲 時事通信 2009年8月5日
  2. ^ 大相撲:高田川部屋加入を決定…二所ノ関一門に 毎日新聞 2011年1月17日閲覧
  3. ^ 2度頭下げた魁皇、会見断った白鵬 本場所中止受け 2011年2月7日 asahi.com 2010年2月7日閲覧
  4. ^ 大相撲』2004年8月号
  5. ^ 産経新聞 2014年3月14日
  6. ^ 尤も東広島市は山に囲まれた旧賀茂郡を中心として敷かれた市制であり、平成の大合併以前は海沿いの旧安芸津町との交流が薄かった。
  7. ^ 右上腕二頭筋部分断裂により2日目から途中休場
  8. ^ a b c 公傷
  9. ^ 右リスフラン関節損傷・右第 1足根中足関節脱臼により3日目から途中休場
  10. ^ 右大腿二頭筋断裂により7日目から途中休場
  11. ^ 現役最後の勝ち越し
  12. ^ 14日目に引退。年寄・藤島襲名

外部リンク[編集]