朝赤龍太郎

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朝赤龍太郎 Sumo pictogram.svg
Asasekiryu 2008.jpg
基礎情報
四股名 朝赤龍 太郎
本名 バダルチーン・ダシニャム
Бадарчийн Дашням
愛称 ダシ
生年月日 1981年8月7日(32歳)
出身 モンゴル国ウランバートル市
身長 183cm
体重 147kg
BMI 43.90
所属部屋 若松部屋高砂部屋
得意技 右四つ、寄り、投げ
成績
現在の番付 西十両6枚目
最高位 西関脇
生涯戦歴 580勝547敗36休(86場所)
幕内戦歴 400勝422敗33休(57場所)
優勝 十両優勝1回
序二段優勝1回
殊勲賞1回
敢闘賞1回
技能賞2回
データ
初土俵 2000年1月場所
入幕 2003年3月場所
備考
2014年6月30日現在

朝赤龍 太郎(あさせきりゅう たろう、1981年8月7日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で高砂部屋(入門時は若松部屋)所属の現役大相撲力士。本名はバダルチーン・ダシニャムモンゴル語キリル文字表記:Бадарчийн Дашнямラテン文字転写Badarchiin Dashnyam)、愛称はダシ。四股名と部屋の兄弟子朝青龍の本名にちなんで赤ドルジとも呼ばれる。身長183cm、体重147kg、血液型B型、趣味は映画観賞。得意手は左四つ、寄り、投げ。最高位は、西関脇2007年9月場所、2007年11月場所)。

来歴[編集]

ブフ(モンゴル相撲)のナチン(小結)の二男。6~12歳までナーダムの競馬大会に出場し、子供には難しいといわれる調教を会得した。明徳義塾高等学校朝青龍[1]とともに来日し、活躍した。高校卒業後、大学進学か相撲部屋に入門か迷ったが朝青龍も入門していたため、高校在学中の2000年1月に朝青龍と同じ若松部屋(当時)に入門し初土俵を踏んだ。

5月場所には早くも全勝で序二段優勝、11月には早くも新幕下。兄弟子の朝青龍ほどの早さではないが、それでも順調に番付を駆け上がり、2002年7月場所で十両へ昇進した。初土俵から所要15場所での新十両で、年6場所制以降では史上10位タイのスピード出世であった。この時の新十両には春日王がいる。新十両の場所では6勝9敗と躓いたが幕下への陥落は免れた。翌9月場所からは3場所連続で2ケタ勝利を挙げ、特に西十両筆頭で迎えた2003年1月場所では11勝4敗の成績をあげ、武雄山との決定戦を制して十両優勝。なお、この場所の幕内では大関朝青龍が優勝を果たしており、高砂部屋勢が2つの優勝をさらった形になった。結局朝赤龍は4場所で十両を通過した。

2003年3月場所に豪風と共に新入幕。入幕後しばらくはパッとしなかったが、2004年3月場所では幕内下位ながら好調で、横綱朝青龍、大関魁皇、大関千代大海と共に初日から11連勝。12日目には魁皇を破って12連勝としたが、翌日千代大海との全勝対決は、突き合い押し合いの大激闘の末、押し出しで敗れた。それでも千秋楽まで優勝争いを展開し(優勝は全勝の朝青龍)、結局13勝2敗の優勝次点で終えて殊勲賞技能賞を同時に受賞した。

その後は下位で大勝ちすることもあるが上位にはなかなか通じずに大敗するといった状況が続き、更には右膝を痛めてしばらく低迷した。それでも次第に地力をつけて2006年3月・5月は10勝5敗と連続2桁勝利。特に5月場所は上位で初めて勝ち越したのみならず4大関(魁皇、栃東、千代大海、琴欧州)を破る健闘を見せて、敢闘賞を受賞。翌場所には稀勢の里と同時に新三役小結)を果たした。新三役の場所では初日に綱取りを目指していた白鵬を破ったが、翌日の魁皇との取組で左足の靭帯を痛め、翌日から休場してしまった。

2007年5月場所では上位との対戦はなかったが、12勝3敗で2度目の優勝次点の成績を挙げ、自身2度目の技能賞を受賞した。翌7月場所は前頭筆頭で8勝7敗と勝ち越し、9月場所に関脇昇進を果たした。新関脇の場所は8勝7敗で三役で初めて勝ち越した。その後は、2008年までは上位での土俵が多く三役も務めたが、2009年以降は前頭中位以下に低迷している。2012年5月場所では東前頭14枚目の地位で6勝9敗と負け越し、十両に陥落した。東十両筆頭で迎えた7月場所では9勝6敗と3場所ぶりに勝ち越した。2013年1月場所を途中休場したことで翌3月場所は西十両11枚目まで番付を後退させ「幕下に落ちれば高砂部屋が135年ぶりに関取消滅」[2]という危機に瀕していたが、この場所は10日目に勝ち越しを決めるなど好調であり、終盤失速するも10勝5敗の成績で締め括った。2014年3月場所は西十両3枚目の地位を与えられたが13日目に負け越しを確定させ、その後千秋楽まで2連勝して7勝8敗と食い下がるも再入幕を果たせず悲願(後述)は持ち越しとなった。

かつて第68代横綱・朝青龍の土俵入りでは、ほぼ毎場所太刀持ちあるいは露払いを務めていた。また、2010年10月3日に開催された朝青龍の引退相撲での横綱最後の土俵入りでも露払いを担当した(太刀持ちは同じモンゴル出身で大関の日馬富士が務めた)。温和な性格で多くの人に好かれているが、同部屋の朝青龍の存在感があまりにも強烈だったため、それほど目立たない存在である。

2012年2月にモンゴル人女性と入籍して2013年10月25日にはすでに第2子が誕生したが、2013年以降十両で低迷しているため入籍から2年近く経過した現在に至るまで挙式は自粛している。本人は「幕内に復帰したら挙げたいけど、まずは親方と相談してから。」という意向を示している。[3]

略歴[編集]

取り口[編集]

根は左四つであるが、日本相撲協会公式サイトの「大相撲データ」(外部リンク参照)や一部の書籍雑誌ベースボール・マガジン社の『大相撲力士名鑑』など)では何故か右四つ得意とされている。技能派で派手さは無いが、右前褌を取ると力を発揮する。出し投げなどで上手く相手を崩しながら寄り切る

エピソード[編集]

  • 「朝赤龍太郎」の名は横綱・朝青龍明徳(青→赤)と、師匠が現役時代に名乗った四股名・朝潮太郎に因んだ。
  • 朝青龍とは異なり温和な性格で多くの人に好かれている。
  • 2006年1月3日日本テレビで放送されたものまね番組で同郷の白鵬旭天鵬と共にサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」のものまねを披露した。
  • かねてより結びで相撲を取りたいという思いがあったという。同部屋の朝青龍が3年半(21場所)一人横綱であったためその夢は長い間叶わなかったが、朝青龍が休場した2006年5月場所の5月14日、千代大海との対戦で初めて結びでの相撲を実現し勝利を収めた。
  • 花相撲でも勝利に貪欲であり、立ち合い変化も厭わない。
  • 2007年11月14日の九州場所4日目の対時天空戦にて、行司木村玉光から3回(呼び上げで2回、勝ち名乗りで1回)にわたり「朝龍」と呼び間違えられた。なお、それまでの成績は3勝1敗と好調だったが、残りの11日間は全て敗れ、3勝12敗に終わった。
  • 2008年1月場所14日目は安馬(のち日馬富士)が相手だったが、負傷で相撲がうまく取れないため一策を考え、立会いで低く相手の足に向かって飛び込み、足取りで白星を挙げた。決まり手自体は珍しくはないが特殊なやり方ゆえ、館内は一瞬どよめきに包まれた。
  • 新十両と新入幕の場所はともに6勝9敗と負け越しており、師匠の高砂親方いわく「新」のつく場所に弱いらしい。ただし、新関脇で迎えた2007年9月場所は8勝7敗と勝ち越した。
  • 2010年2月4日、第68代横綱・朝青龍が度重なるトラブルに責任を取る形で、現役引退を表明。その日朝青龍本人から突然電話で引退を聞かされた瞬間、激しく動揺したまま号泣したという。「11歳で知り合って兄弟以上の関係。寂しいって言うより胸の中から何か取られたよう」とショックを隠せずも、「凄くて素晴らしい男。一緒にいると運をもらえた。これからも一生付き合っていくつもり」とコメントした。
  • 2010年6月18日モンゴル国立大学言語文化学部の通信教育課程を6年半かけて卒業。卒業論文は「日本相撲の歴史と文化」 [4]
  • 2013年11月場所2日目には同郷の大先輩である朝赤龍に対して照ノ富士が時間前からつっかけるという場面が見られた(取り組みは照ノ富士が寄り切りで勝利)。

主な成績[編集]

2014年5月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 生涯成績:580勝547敗36休(86場所)
  • 幕内成績:400勝422敗33休
  • 幕内在位:57場所
  • 三役在位:5場所(関脇2場所、小結3場所)

各段優勝[編集]

  • 十両優勝:1回(2003年1月場所)
  • 序二段優勝:1回(2000年5月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:4回
    • 殊勲賞:1回(2004年3月場所)
    • 敢闘賞:1回(2006年5月場所)
    • 技能賞:2回(2004年3月場所、2007年5月場所)
  • 金星:なし

場所別成績[編集]

                                                                                                                                                                       

朝赤龍太郎[5]

一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2000年
(平成12年)
(前相撲) 西 序ノ口 #34
6–1
 
東 序二段 #80
優勝
7–0
東 三段目 #72
5–2
 
東 三段目 #45
6–1
 
東 幕下 #56
4–3
 
2001年
(平成13年)
西 幕下 #47
5–2
 
西 幕下 #32
3–4
 
東 幕下 #41
5–2
 
東 幕下 #27
6–1
 
東 幕下 #10
4–3
 
東 幕下 #7
3–4
 
2002年
(平成14年)
東 幕下 #12
5–2
 
東 幕下 #6
5–2
 
西 幕下 #1
5–2
 
西 十両 #11
6–9
 
東 十両 #13
10–5
 
東 十両 #8
10–5
 
2003年
(平成15年)
西 十両 #1
優勝
11–4
東 前頭 #10
6–9
 
西 前頭 #13
8–7
 
西 前頭 #9
10–5
 
東 前頭 #4
7–8
 
西 前頭 #4
3–12
 
2004年
(平成16年)
東 前頭 #12
7–8
 
西 前頭 #12
13–2
東 前頭 #2
3–12
 
西 前頭 #10
11–4
 
東 前頭 #4
4–11
 
東 前頭 #10
7–8
 
2005年
(平成17年)
東 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #8
8–7
 
西 前頭 #7
6–7–2[6]
 
東 前頭 #10
6–2–7[7]
 
西 前頭 #12
9–6
 
2006年
(平成18年)
西 前頭 #4
5–10
 
西 前頭 #8
10–5
 
東 前頭 #2
10–5
東 小結
1–2–12[8]
 
西 前頭 #9
7–8
 
西 前頭 #9
10–5
 
2007年
(平成19年)
東 前頭 #6
10–5
 
西 前頭 #2
4–11
 
西 前頭 #8
12–3
西 前頭 #1
8–7
 
西 関脇
8–7
 
西 関脇
3–12
 
2008年
(平成20年)
西 前頭 #4
10–5
 
東 前頭 #1
8–7
 
西 小結
6–9
 
東 前頭 #2
8–7
 
西 小結
4–11
 
東 前頭 #5
5–10
 
2009年
(平成21年)
東 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #11
9–6
 
東 前頭 #7
5–10
 
東 前頭 #12
9–6
 
東 前頭 #6
6–9
 
東 前頭 #10
8–7
 
2010年
(平成22年)
西 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #11
10–5
 
西 前頭 #4
9–6
 
西 前頭 #1
4–11
 
西 前頭 #6
9–6
 
西 前頭 #2
6–9
 
2011年
(平成23年)
西 前頭 #5
6–9
 
八百長問題
により中止
西 前頭 #9
7–8
 
西 前頭 #9
6–9
 
西 前頭 #12
7–8
 
西 前頭 #13
6–9
 
2012年
(平成24年)
東 前頭 #15
9–6
 
東 前頭 #11
5–10
 
東 前頭 #14
6–9
 
東 十両 #1
9–6
 
東 前頭 #13
8–7
 
西 前頭 #9
0–3–12[9]
 
2013年
(平成25年)
西 十両 #6
5–7–3
 
西 十両 #11
10–5
 
東 十両 #4
5–10
 
東 十両 #8
9–6
 
西 十両 #5
8–7
 
東 十両 #4
6–9
 
2014年
(平成26年)
東 十両 #7
9–6
 
西 十両 #3
7–8
 
東 十両 #4
6–9
 
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 明徳義塾の関係者の判断で朝青龍がホームシックにならないように同郷のダシニャムが帯同したという。
  2. ^ 大相撲初場所:朝赤龍休場で高砂部屋危機 関取消滅か 毎日新聞 2013年01月13日 21時19分(最終更新 01月13日 21時51分)
  3. ^ 『相撲』2013年12月号64頁
  4. ^ 雑誌「相撲」2010年7月号p37
  5. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年9月23日閲覧。
  6. ^ 右膝内側側副靱帯損傷のため13日目から途中休場
  7. ^ 右膝内側側副靱帯損傷のため3日目から途中休場、11日目から再出場
  8. ^ 左第一趾足根中足関節靱帯損傷のため3日目から途中休場
  9. ^ 右足首関節捻挫のため3日目より途中休場

外部リンク[編集]