白馬毅
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入場する白馬
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| 基礎情報 | ||||
| 四股名 | 白馬 毅 | |||
| 本名 | アリオンバヤル・ウヌルジャラガラ | |||
| 愛称 | ウヌル | |||
| 生年月日 | 1983年5月5日(28歳) | |||
| 出身 | モンゴル国ウランバートル市 (出生地はトゥブ県) |
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| 身長 | 185cm | |||
| 体重 | 128kg | |||
| 所属部屋 | 立田川部屋→陸奥部屋 | |||
| 得意技 | 左四つ、寄り | |||
| 成績 | ||||
| 現在の番付 | 引退 | |||
| 最高位 | 東小結 | |||
| 生涯戦歴 | 347勝303敗12休(67場所) | |||
| 幕内戦歴 | 55勝65敗(8場所) | |||
| 優勝 | 幕下優勝1回 序二段優勝1回 |
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| データ | ||||
| 初土俵 | 2000年1月場所 | |||
| 入幕 | 2008年5月場所 | |||
| 引退 | 2011年4月 | |||
| 趣味 | 映画鑑賞 | |||
| 備考 | ||||
| 2011年4月5日現在 | ||||
白馬 毅(はくば たけし、1983年5月5日 - )は、モンゴル・ウランバートル(出生地はトゥブ県)出身で陸奥部屋に所属(入門時は立田川部屋)した大相撲力士。本名はアリオンバヤル・ウヌルジャラガラ(Ariunbayar Unurjargal)。身長185cm、体重128kg、血液型O型。得意手は左四つ、寄り。最高位は東小結(2010年7月場所)。2011年4月、大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け、引退した。
目次 |
[編集] 来歴
1998年12月、見習い生として陸奥部屋に入る。1999年末、外国人枠の影響で同じ時津風一門の立田川部屋に入門し、2000年1月場所で初土俵。同年9月21日に元関脇・青ノ里の立田川親方が停年で部屋を閉じたことにより陸奥部屋に移籍した。
2001年1月場所は7戦全勝で序二段優勝。新生陸奥部屋としては初の優勝だった。三段目で足踏みしたものの、2003年1月場所で幕下昇進。小兵のため幕下中位で2年以上苦労したが、2006年に入ると幕下上位に定着し、同年11月場所には自己最高位の東幕下2枚目で7戦全勝で幕下優勝し、2007年1月場所の十両昇進を決めた。ただ、番付運が悪く東十両11枚目への昇格に留められた。
その2007年1月場所では勝ち越したものの、西十両10枚目に移るだけであった。2007年3月場所でも続けて勝ち越し、翌5月場所は負け越したものの7月場所では勝ち越した。しかし、7月場所と9月場所の間の夏巡業の間に膝を痛め、同年夏に右膝を手術した(そのため、右膝の半月板は現在では8割方欠落している状態である)。場所前も稽古ができず、2007年9月場所の前半には5連敗を喫したが、途中から盛り返し、8勝7敗と勝ち越した。翌11月場所では5勝10敗と跳ね返された。2008年3月場所では西十両3枚目で8勝7敗の成績を挙げ、翌5月場所で新入幕を果たした。
新入幕で迎えた2008年5月場所では西前頭16枚目の地位で4勝11敗の成績しか残せず、1場所での十両陥落となった。その後1年半もの間十両にとどまった後、2010年1月場所で再入幕を果たし、9勝6敗と幕内で初の勝ち越しを果たした。
自身最高位の東前頭9枚目に上がった2010年3月場所は、途中まで一進一退の状況が続く。千秋楽に8勝目を挙げて勝ち越しを決めた。なお、9日目には高見盛を小褄取りで倒している。
2010年5月場所は、自身初の幕内上位である西前頭5枚目に躍進。この場所では、10日目に勝ち越し、2大関(日馬富士・琴欧洲)を初顔で破る活躍を見せ、10勝5敗という幕内で自身初めてとなる二桁勝利を挙げた。しかし、三賞を手にすることはできなかった。
翌7月場所は東小結へと昇進するものの、横綱・大関(途中休場した魁皇を除く)陣に全敗するなど不振で、4勝11敗の成績に終わった。10日目にウランバートルにいる父親が急死したという訃報が知らされ、千秋楽の翌日にモンゴルに帰国した。
2011年の大相撲八百長問題では、特別調査委員会から八百長に関与したと認められ[1]、4月1日の相撲協会臨時理事会の結果、引退勧告を受けた[2]。他の処分を受けたモンゴル人力士や白鵬と話し合った結果[3]、引退届を提出し受理された[4]。「僕は八百長はしていない[5]。騒がせて申し訳ない。僕がやめることでこの問題が良くなり、日本の文化である相撲が良くなるのならば犠牲になっても構わない。日本の文化を愛していきます」とコメントした[6]。4月7日、保志光と共にスーツ姿で相撲協会を訪れ、最後の挨拶をした。放駒理事長には「今までお世話になりました」と挨拶している[7]。4月9日、モンゴルに帰国。この引退によりモンゴルに住む家族が中傷されているため、同じく八百長問題で引退した徳瀬川、光龍、猛虎浪、保志光とモンゴルで釈明会見を近日中に行う予定[8]。6月18日に断髪式及び結婚披露宴を行われた。今後は都内で母親が経営するモンゴル料理店を手伝う[9]。
[編集] 人物・エピソード
- 入門のきっかけは日本に住んでいた叔母(父親の姉)から「力士になってみない?」と言われたことと、元々叔母の知り合いが前立田川親方と友人関係で、「体の大きな少年がいる」と誘われたことによる[10]。「日本に対する憧れと、飛行機に乗ってみたい」という軽い気持ちで決意したが、「まさか入門するとは思わなかった」という。中学卒業後の1998年12月に来日。すぐに陸奥部屋に入門予定だったが、所属していた星誕期の日本帰化がなかなか実現できなかったため、1年間稽古を積みながら部屋で生活していた[11]。この1年間は3ヶ月のビザが切れると10日間帰国するという日々を過ごしていたが、「辞めても帰るところがない」と辛抱を続けていた[12]。
- 多くのモンゴル人力士とは異なり、モンゴル相撲の経験はなく、ごく普通の家庭で育った。親戚にもモンゴル相撲の力士はいなかった。入門以前のスポーツ歴は遊びでバスケットボール、柔道を2週間ほどやった程度。また大相撲もたまにテレビで見る程度で、強い憧れもなかった。
- 四股名の「白馬」は名古屋市在住で故人の陸奥部屋後援者が名づけた。モンゴルといえば馬、それと白星にちなんでのもの。同じ名前ということで長野県白馬村では後援会が作られた[13]。
- 2008年10月に結婚、2009年11月3日に長女が誕生したことを2010年に公表した[14][15]。夫人は同じモンゴル出身の時天空の妹にあたる。なお母親のエンフトヤは2009年6月から、両国でモンゴル料理店「ウランバートル」を経営している[16][17] 。
[編集] 主な成績
2011年1月場所終了時点
[編集] 通算成績
- 通算成績:347勝303敗12休(67場所)
- 幕内成績:55勝65敗
- 幕内在位:8場所
[編集] 各段優勝
- 幕下優勝:1回(2006年11月場所)
- 序二段優勝:1回(2001年1月場所)
[編集] 場所別成績
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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| 2000年 (平成12年) |
(前相撲) | 西 序ノ口 #35 4–3 |
東 序二段 #130 5–2 |
東 序二段 #80 5–2 |
東 序二段 #37 1–1–5 |
東 序二段 #72 休場 0–0–7 |
| 2001年 (平成13年) |
東 序二段 #72 7–0 |
西 三段目 #68 4–3 |
西 三段目 #50 4–3 |
東 三段目 #34 3–4 |
西 三段目 #51 4–3 |
西 三段目 #40 4–3 |
| 2002年 (平成14年) |
西 三段目 #27 4–3 |
東 三段目 #14 2–5 |
西 三段目 #40 4–3 |
東 三段目 #26 2–5 |
東 三段目 #51 6–1 |
西 三段目 #1 5–2 |
| 2003年 (平成15年) |
西 幕下 #40 4–3 |
東 幕下 #32 4–3 |
西 幕下 #26 3–4 |
西 幕下 #33 3–4 |
東 幕下 #41 3–4 |
西 幕下 #52 5–2 |
| 2004年 (平成16年) |
東 幕下 #29 4–3 |
西 幕下 #21 3–4 |
西 幕下 #31 3–4 |
西 幕下 #38 4–3 |
西 幕下 #31 2–5 |
西 幕下 #45 5–2 |
| 2005年 (平成17年) |
東 幕下 #30 3–4 |
東 幕下 #40 5–2 |
東 幕下 #29 3–4 |
西 幕下 #35 3–4 |
西 幕下 #46 3–4 |
西 幕下 #53 6–1 |
| 2006年 (平成18年) |
西 幕下 #24 6–1 |
西 幕下 #9 6–1 |
西 幕下 #2 3–4 |
西 幕下 #6 5–2 |
西 幕下 #2 4–3 |
東 幕下 #2 7–0 |
| 2007年 (平成19年) |
東 十両 #11 8–7 |
西 十両 #10 8–7 |
東 十両 #8 7–8 |
西 十両 #8 8–7 |
西 十両 #3 8–7 |
西 十両 #2 5–10 |
| 2008年 (平成20年) |
西 十両 #8 11–4 |
西 十両 #3 8–7 |
西 前頭 #16 4–11 |
西 十両 #5 5–10 |
東 十両 #11 7–8 |
西 十両 #12 7–8 |
| 2009年 (平成21年) |
東 十両 #14 11–4 |
東 十両 #4 6–9 |
西 十両 #7 8–7 |
西 十両 #3 7–8 |
東 十両 #5 9–6 |
西 十両 #1 8–7 |
| 2010年 (平成22年) |
西 前頭 #14 9–6 |
東 前頭 #9 8–7 |
西 前頭 #5 10–5 |
東 小結 4–11 |
西 前頭 #5 8–7 |
東 前頭 #4 4–11 |
| 2011年 (平成23年) |
西 前頭 #10 8–7 |
八百長問題 により中止 |
東 前頭 #7 引退 –– |
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| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
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引退時の番付は2月28日発表の順席による。
[編集] 脚注
- ^ 八百長問題:白馬ら陸奥部屋3人も 調査委が関与認定 2011年3月30日 毎日jp
- ^ 八百長関与23人に厳罰=理事3人も引責辞任-相撲協会 時事ドットコム 2011年4月1日
- ^ 処分者が引退・退職届を全員提出へ…八百長問題 スポーツ報知 2011年4月5日
- ^ 八百長認定力士22人が引退届提出 谷川親方だけが拒否 asahi.com 2011年4月5日
- ^ NHKニュース 2011年4月5日
- ^ 土俵去る八百長関与力士、無念の表情 サンケイスポーツ 2011年4月5日
- ^ 元白馬ら理事長にあいさつ 八百長関与認定で引退 MSN産経ニュース 2011年4月7日
- ^ 関与認定19力士全員が引退届提出も「納得はしていない」…八百長問題 スポーツ報知 2011年4月6日
- ^ 元白馬が結婚式と断髪式、白鵬らも出席 デイリースポーツ 2011年6月19日
- ^ 雑誌・相撲、2007年1月号「花の新十両データバンク」より
- ^ 雑誌・相撲、2006年4月号「大銀杏が待っている」より本人談
- ^ 大相撲 2006年4月号「幕下訪問」より抜粋
- ^ 大相撲「白馬関」の後援会設立 2009年10月14日付、信濃毎日新聞朝刊より
- ^ 結婚していた白馬、幕内で初の勝ち越し 2010年1月20日、スポーツニッポン
- ^ 白馬“愛の力”で初の勝ち越し 2010年1月19日、デイリースポーツ
- ^ 白馬が平幕勝ち越し一番星 2010年1月20日、日刊スポーツ
- ^ モンゴル料理ウランバートル
- ^ “Hakuba Rikishi Information”. Sumo Reference. 2009年3月23日閲覧。