白鵬翔
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|---|---|---|---|---|
| 基礎情報 | ||||
| 四股名 | 白鵬 翔 | |||
| 本名 | ムンフバティーン・ダワージャルガル Мөнхбатын Даваажаргал |
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| 愛称 | ダワー | |||
| 生年月日 | 1985年3月11日(26歳) | |||
| 出身 | モンゴル国ウランバートル市 | |||
| 身長 | 192cm | |||
| 体重 | 153kg | |||
| BMI | 42.31 | |||
| 所属部屋 | 宮城野部屋 | |||
| 得意技 | 右四つ、寄り、左上手投げ | |||
| 成績 | ||||
| 現在の番付 | 東横綱 | |||
| 最高位 | 第69代横綱 | |||
| 生涯戦歴 | 653勝158敗21休(65場所) | |||
| 幕内戦歴 | 559勝110敗21休(46場所) | |||
| 優勝 | 幕内最高優勝21回 十両優勝1回 |
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| 賞 | 殊勲賞3回、敢闘賞1回、技能賞2回 | |||
| データ | ||||
| 初土俵 | 2001年3月場所 | |||
| 入幕 | 2004年5月場所 | |||
| 趣味 | 読書、チェス、テレビゲーム | |||
| 備考 | ||||
| 金星1個(朝青龍1個) | ||||
| 2012年1月22日現在 | ||||
白鵬 翔(はくほう しょう、1985年3月11日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で宮城野部屋所属の現役大相撲力士、第69代横綱。本名はムンフバティーン・ダワージャルガル[1](モンゴル語キリル文字表記:Мөнхбатын Даваажаргал、ラテン文字転写:Mönkhbatyn Davaajargal)、モンゴル語での愛称は「ダワー」。得意手は右四つ、寄り、左上手投げ。身長192cm、体重153kg(2011年1月場所現在)、血液型はA型。好物は焼肉、嫌いなものは納豆とあんこ[2]、趣味は読書、チェス、ビデオゲーム。既婚。
現在では、貴乃花および朝青龍とともに「平成の大横綱」の一人に数えられる。[3]
目次 |
[編集] 来歴
父ジグジドゥ・ムンフバトはブフ(モンゴル相撲)で、5年連続6度の優勝をした元アヴァルガ(大相撲の横綱に相当)で、メキシコ五輪のレスリング重量級銀メダリスト(モンゴル初の五輪メダリスト)となったモンゴル国の国民的英雄である。母は元外科医である。来日前にブフは10 - 12歳の時に遊びでやっていた程度で経験らしい経験はなく、バスケットボールに熱心に取り組んでいた。
大相撲で活躍していた同じモンゴル出身の旭鷲山をつてに、2000年10月25日に6人のモンゴル人と共に来日。大阪府内の摂津倉庫で相撲を習っていた(この会社からは以前、前頭にも上がった大飛翔を輩出)。共に来日した猛虎浪(立浪部屋)、千昇(式秀部屋)、大河(式秀部屋)らの入門が決まるなか、小柄だった白鵬を受け入れてくれる部屋は最後までなかった。少年白鵬は当時日本語が分からなかった為か英語で"I don't want to go back..."と言って泣いたという。その失意の帰国前日12月24日、彼を哀れんだ旭鷲山が自らの師匠の大島(元大関・旭國)と会食中に相談し、大島は友人であった宮城野(元幕内・竹葉山)に受け入れを申し入れた。当時の宮城野部屋は文字通り弱小部屋だった為に厳しいしきたりも少なく、育ちの良い白鵬には伸び伸びとやれる環境で結果的に良かったのだとされる。こうした経緯から宮城野が元十両の金親に代替わりしたのちも、熊ヶ谷を襲名して宮城野部屋付きとなった先代宮城野の指導を内弟子として受けた(後に熊ヶ谷は再度宮城野を襲名して白鵬の師匠に復帰する)。
こうして角界入りとなるものの、部屋の先輩力士に「若くてすらっとしている子」という条件で連れてこさせた少年を見た宮城野は、父親の実績を知る由もなく、その小柄な体から大きな期待はしていなかったという。しかし一方で、大きな手足と腰、柔らかい筋肉などから、もしかしたら化けるかもしれないと思い、入門してからの2カ月間は稽古をさせず、毎日吐く程に食べさせ、牛乳を飲ませた。
四股名は、横綱大鵬と柏戸に因んで柏鵬(はくほう)とする案があったが、色白だったことから白鵬と付けられた(幕内・千代白鵬と四股名が比較されるが、命名は千代白鵬が先)。2001年3月場所に初土俵を踏むが、番付に名前が載った翌5月場所は身体の小ささもあり3勝4敗の成績で、後の横綱としては異例の序ノ口での負け越しを経験する。しかし、入門当時身長175cm、体重68kgだった体は、食文化の違いを苦にせず大食漢だったことと熱心な稽古によって大きく成長し続けた。急激な肉体の成長と才能の開花に歩を合わせるかのように番付を駆け上がり、部屋で稽古を付けていた光法(現・年寄二子山)は、「あの白鵬って子、一晩眠るたびに強くなっている。2~3年後には化粧まわしや白い稽古まわし(共に関取の象徴)を身につける身分になりますよ!」と驚いていた。実際、皆勤して負け越したのは前述の2001年5月場所と三段目時代の2002年7月場所(3勝4敗)の2場所だけで、これ以降は休場を除いて負け越していない。
尚、幕下時代に朝帰りをし、土下座し謝り許しを得ようとするも、師匠は激怒し破門を切り出したことがあった。この時に部屋付きの親方衆や兄弟子たちが師匠を諫めていなかったら、白鵬は引退に追い込まれ、後の横綱・白鵬は出現しなかったとも言われている。
[編集] 十両
2003年11月場所では、東幕下9枚目で6勝1敗の好成績を上げ、関取の定員増もあり翌2004年1月場所に新十両に昇進し、翌場所、十両2場所目で追風海との優勝決定戦を制し優勝。十両はわずか2場所で通過し、入門からわずか3年での入幕となった。
[編集] 新入幕
2004年5月場所で新入幕となる。19歳1ヶ月での新入幕は貴花田(後の横綱・貴乃花)、北の湖、花田(後の大関・貴ノ花)に次ぐ当時史上4位の若さであった。その場所、千秋楽まで単独で優勝争いの先頭に立っていた北勝力を立合いの変化で破り、星1つの差で追っていた同じモンゴル出身の横綱朝青龍の「援護射撃」を果たし、自らも12勝3敗の好成績で貴花田の18歳7ヶ月に次ぐ19歳2ヶ月の若さで初三賞(敢闘賞)を受賞した。新入幕での12勝は、15日制になってから歴代3位タイ。入幕を果たした際には「親方、一番強い人を倒したときの懸賞を持ってきます。待っていてください」と熊ケ谷親方と約束した。2004年11月場所11日目、白鵬は朝青龍を送り出しで破って初金星を獲得。その夜、この一番に掛かった懸賞を持って熊ケ谷親方の前にやってくると、「ここまで来られたのも親方のおかげです。受け取ってください」と差し出した。この懸賞は熊ケ谷親方の自宅の居間の一番見えるところに飾ってあるという。
[編集] 幕内
入幕1年目にして横綱最有力候補と目され、2005年3月場所には関脇に昇進し、直近の2場所で12勝・11勝を上げていた事から大関獲りの場所と目された。達成すれば貴乃花を上回る史上最年少での昇進となったものの序盤からまさかの3連敗で、終盤追い上げて8勝7敗と勝ち越しはしたものの、大関昇進を逃がした。
同年7月場所では7日目まで6勝1敗と優勝争いをしていたが、中日の普天王戦で左足関節靭帯損傷及び内反捻挫の怪我を負い、初土俵以来初めて休場し翌9月場所では、平幕落ちした。翌11月場所は、2場所ぶりに小結に復帰し9勝6敗。
[編集] 大関獲り
関脇に復帰した2006年1月場所では、12日目に朝青龍を小手投げで破る。千秋楽では大関昇進で先を越された琴欧州に寄り倒しで圧勝し、栃東との優勝決定戦を待ったが、栃東が朝青龍に勝ち優勝決定戦にはならなかった。この時初めて千秋楽まで優勝に絡んだ。
翌3月場所は、自身2度目の大関獲りの場所であった。11日目に全勝の横綱朝青龍との相星決戦で、左四つに組み合った後、左手で朝青龍の左ももを払いながらの上手出し投げで完勝し、大関昇進の基準といわれる33勝目をあげた。千秋楽では魁皇に敗れたが、優勝を争っていた朝青龍も栃東に敗れたため優勝決定戦で再び朝青龍と対戦。朝青龍に得意の右四つからの下手投げで敗れ優勝は逃したが、技能賞と殊勲賞を獲得するなど高く評価された。この一番はモンゴル国内において、瞬間視聴率は驚異の93パーセントを記録したとされる。
場所終了後の3月29日、日本相撲協会は大阪市内で番付編成会議を開き、白鵬の大関昇進を満場一致で決め、理事会で承認された。正使として友綱理事(元関脇・魁輝)、副使に春日山審判委員(元幕内・春日富士)が、大阪府堺市の西本願寺堺別院に派遣された。師匠の宮城野(元十両・金親)夫妻とともに紋付き袴姿で出迎え、「謹んでお受け致します。大関の地位を汚さぬように、全身全霊をかけて努力します。本日は誠にありがとうございます。」と昇進口上を述べた。
[編集] 大関
2006年5月場所の新大関で14勝1敗、本割で唯一負けた雅山との優勝決定戦で、取組前にかいた汗により雅山の突きが滑るという幸運にも恵まれて勝ち、新大関の勝ち星記録更新という快挙も成し遂げて初優勝を果たした。21歳4ヶ月での初優勝は貴乃花、大鵬、北の湖に次ぐ歴代4位の若さだった。12日目の帰りの車の中で「君が代」を教わり練習し、初優勝を果たした千秋楽では君が代を歌った。優勝パレードの旗手は、兄弟子の光法が務めた。
[編集] 綱獲り
初の綱獲りとなった2006年7月場所初日、朝赤龍、9日目に雅山に敗れたが、その後順調に勝ち星を積み重ね、千秋楽ではここまで全勝の朝青龍に寄り倒しで土をつけ13勝2敗で場所を終えた。
横綱昇進が有力視されたが、日本相撲協会の放駒審判部長(元大関魁傑)は、朝青龍の独走を許したという理由で、理事会の招集も横綱審議委員会への諮問も行わず、横綱推挙は見送られた。千秋楽後の朝青龍の優勝インタビューの際、NHKのアナウンサーが白鵬の横綱推挙が見送られたことを朝青龍に伝えると、会場は大きなため息に包まれた。番付上、東横綱・朝青龍と東大関・白鵬との対戦が組まれるのは千秋楽であるため、そこまで優勝争いがもつれなかったという意味で「独走を許した」という表現となった(14日目の時点では横綱が14勝0敗で優勝決定、白鵬が12勝2敗)。横綱昇進を見送られた白鵬は、モンゴルの温泉で疲れを取るため帰国した。
翌9月場所で再び綱獲りを目指したものの、初日に稀勢の里に敗れ、その際右膝を負傷。12日目でようやく勝ち越すが、その後千秋楽まで連敗。8勝7敗で横綱への挑戦は白紙に戻った。
翌11月場所は、場所直前の11月1日稽古場のある公園内の階段でトレーニング中つまずき、左足親指を怪我、翌日、左母趾基節骨遠位端骨折と診断され福岡市内の病院で手術(ボルトを入れ4針縫う)し入院。9日に抜糸し退院したが、同日宮城野親方が会見を開き、怪我の回復を優先させる事から休場を発表、初の全休となった。次の2007年1月場所は、自身唯一の角番であったが、12日目で8勝目を挙げ、角番を脱した。
3月場所前の2007年2月に当時学習院大学に在籍中の学生であった徳島県徳島市出身の和田紗代子と結婚。このとき夫人は第1子を身ごもっており、同年5月10日に第1子(長女)が誕生した。義父は実業家で、元朝青龍全国後援会長の和田友良。
3月場所は千秋楽の優勝決定戦で、立合いの変化で朝青龍を下し優勝したものの、日本相撲協会や横綱審議委員会ではその相撲内容が十分でないとの意見もあった。それでも翌5月場所では千秋楽も堂々たる相撲振りで朝青龍に完勝し、自身初の15戦全勝優勝を達成。日本相撲協会からの諮問後の横綱審議委員会でも「満場一致」の横綱推薦となり、横綱昇進が決定した。なお横綱土俵入りは熊ヶ谷親方の推薦もあり、熊ヶ谷の入門時の師匠である元横綱・吉葉山と同じ不知火型を選択(白鵬自ら5月場所の全勝優勝インタビューで「部屋の大先輩である横綱吉葉山と同じ不知火型をやります」と宣言していた)。土俵入りの指導は同立浪一門で、元横綱・旭富士の安治川(現・伊勢ヶ濱)親方が行った。
[編集] 横綱
[編集] 2007年
7月場所は横綱として初の土俵。16連勝の中で初日を迎え、白星を重ねていったが、10日目に琴光喜に敗れて連勝は25でストップ。12日目の魁皇戦では、土俵際で魁皇が突き落としたが行司・木村庄之助の軍配は白鵬に上がった。これに物言いが付き協議の結果取り直しとなった。
この日の大相撲中継の解説であった北の富士勝昭、実況アナウンサーの刈屋富士雄は、魁皇の勝ちであるように見えたと発言している。この相撲で魁皇は負傷し、取り直しの一番は一方的に白鵬の勝利。翌日から魁皇は休場した。翌13日目の琴欧洲、14日目の千代大海との取り組みに敗れ、横綱として初の連敗を喫し、この時点で3敗に後退して3連覇の可能性が断たれた。
千秋楽は実に4年10か月振りとなる横綱同士の対戦(2002年9月場所の武蔵丸 - 貴乃花以来)で朝青龍に寄り切りで敗れ、3連敗を喫し、11勝4敗に終わった。
翌9月場所は朝青龍が自身の不祥事の為に出場停止処分となり、事実上の1人横綱となった。初日に安馬(現:日馬富士)に敗れ、中日までは安美錦を追う形となった。さらに11日目には豊ノ島に敗れ(自身初の金星配給)、新入幕の豪栄道に優勝争いのトップを明け渡してしまったものの、13勝2敗で横綱昇進後初となる通算4度目の優勝を果たした。
9月場所直前、白鵬は出場停止となった朝青龍を気遣い、同情的なコメントを寄せている。8月23日には朝青龍の外出について感想を求められて「いいんじゃないですか?」と答え、朝青龍帰国に際しては「けがを治すなら、落ち着いてやるのがいい。体よりも心の痛みが強いと思う」と語った。
11月場所では朝青龍の休場(出場停止)もあり、自身初の東横綱の座に就いたがこの場所も初日琴奨菊に寄り切りで敗れた。14日目に11勝2敗の相星対決で負かした大関千代大海が右肘負傷により千秋楽を休場するアクシデントが発生した為、取組を待たずに5回目の優勝が決まった。その千秋楽結びの一番の琴光喜戦では下手投げで裏返しにされて敗北し、祝勝気分に自ら水を差した格好になった。なお、日本相撲協会によれば千秋楽に優勝を争う一方の力士が休場することによって幕内最高優勝が決まったのは、1927年(昭和2年)10月の不戦勝制度適用以来初めてのことだった。又同2007年、自身初となる年間最多勝(74勝)を受賞した。
[編集] 2008年
2008年1月場所、初日から好調で優勝争いのトップを走った。そして西横綱朝青龍も白鵬に並走し、2002年9月場所の武蔵丸 - 貴乃花以来となる東西横綱同士の千秋楽相星決戦となった。注目の一番は白鵬が朝青龍を得意技の左上手投げで下し、3場所連続6度目の優勝を決めた。
3月場所では4日目の平幕安美錦戦で早くも土がつき、12日目も千代大海に敗北、それまで全勝の朝青龍に引き離されていた。しかし朝青龍が12日目と13日目で土がつき、14日目の時点で両横綱共に2敗で並んだため、1995年3月 - 5月場所の貴乃花 - 曙戦以来、約13年ぶりの2場所連続の千秋楽横綱相星決戦となった。結果は朝青龍に右小手投げで敗れ、4連覇を逃した。
5月場所は9日目まで全勝だったが10日目の安馬(現:日馬富士)戦で敗れた際に左足首を捻挫、その影響で優勝争いから脱落する。千秋楽結びの一番で、朝青龍に引き落とされて両手をついて敗れた後、横から駄目押しされたためか、白鵬が立ち上がり、朝青龍に右肩をぶつけ両者が睨み合うという事件を起こした。その翌日の5月26日、北の湖理事長は師匠である宮城野親方を国技館に呼び厳重注意、5月27日には当事者の白鵬と朝青龍に対してもそれぞれ口頭で厳重注意の処分となった。
7月場所、6日目から朝青龍の途中休場により1人横綱となったが、13日目に魁皇を下し7回目の優勝、千秋楽には琴欧洲も降し横綱昇進後初となる通算2度目の全勝を果たした。これで各場所すべて優勝(全6場所制覇)を成し遂げたことになる(歴代10人目、不知火型の横綱では初)。ちなみに歴代の不知火型の横綱で年6場所制になってからは、玉の海の優勝6回を上回り最多となり、昭和以降では年6場所制以前の羽黒山と並んだ。優勝制度が始まって以降の当時の最多記録は太刀山の9回だった。
9月場所前の9月3日、第2子(長男)が誕生。
9月場所、3日目の東前頭筆頭の琴奨菊との取り組みで左上手投げで勝ったが、立合い直後の「琴奨菊の手つき不十分」として放駒審判長(元大関魁傑)から「待った」がかかっていた(これは行司も気づかなかった)。やり直しの一番も寄り倒しで制し、“1日2勝”することとなる。5日目に稀勢の里(0勝4敗)に横綱になって初めて敗れ、19で連勝はストップし金星を与える。14日目に、自分の取組前に安馬と琴光喜が敗れ、結びの一番で琴欧洲と対戦、上手投げで相手を屠って8回目の優勝を決めた。またこの日同時に、年間勝利数が2位の安馬と16勝差となり、11月場所を残して2年連続2回目の年間最多勝(2008年は79勝)を決めた。千秋楽で琴光喜を破り、14勝1敗で9月場所を終えた。
11月場所、初日に安美錦に敗れるスタート。この場所の序盤は相撲内容が良くなく、苦しみながら勝つという状況が続いて、12日目に大関昇進を目指す安馬(現:日馬富士)に敗れた。優勝争いは千秋楽の本割終了時点に於いて13勝2敗で安馬と並び、優勝決定戦となった。決定戦では両者白熱した攻防の末、白鵬が上手投げで安馬を下し、3場所連続9回目の優勝賜杯を獲得した。この優勝で、歴代の不知火型の横綱では史上最多タイの優勝回数となった。
[編集] 2009年
1月場所は初日から9連勝で4場所ぶりの土俵となった朝青龍と並んでいたが10日目に日馬富士に敗れて朝青龍にリードを許した。その後も全勝の朝青龍との星1つの差は変わらず、優勝争いはこの2者に絞られていった。千秋楽の本割では朝青龍を寄り倒し、優勝決定戦に持ち込んだが、優勝決定戦で朝青龍に敗れて4連覇を逃した。
3月場所も朝青龍と熾烈な優勝争いを演じていた。10日目に朝青龍が日馬富士に敗れた後も単独トップを維持し、14日目に10回目の優勝を決めた。これにより、不知火型の横綱の最多優勝記録を更新した。翌日の千秋楽も朝青龍を破って自身3度目の全勝で締めくくった。
5月場所は12日目まで日馬富士と全勝で優勝争いのトップを走っていた。13日目の全勝対決において裾払いで日馬富士を破り、33連勝になった。この日の勝利で従来羽黒山が持っていた取り直し制度導入後の不知火型の連勝記録(32連勝)を更新した。だが、14日目の琴欧洲戦で、琴欧洲の上手投げを食らい、連勝記録は33で止まった。千秋楽は朝青龍を下して日馬富士と同成績の14勝1敗で終わり優勝決定戦に臨んだが敗れて優勝を逃した。しかし、千秋楽の白星で前年7月場所からの6場所間での勝ち星が85となり、年度にこだわらない任意の場所の連続6場所としては北の湖(1977年9月から1978年7月にかけて)に並ぶタイ記録を樹立した。
7月場所は、11日目に琴光喜に敗れ1敗を喫するも、13日目に同じく1敗で並ぶ琴欧洲との直接対決を上手投げで制し単独トップに立つと、そのまま千秋楽まで1敗を守り11回目の優勝を決めた。
9月場所は6日目に平幕の翔天狼に金星を許して1敗、その後14日目まで全勝の朝青龍を1差で追っていた。千秋楽結びの一番では朝青龍を寄り切って勝利。14勝1敗同士の優勝決定戦へもつれ込んだものの、決定戦では朝青龍にすくい投げで敗北、同年1月場所同様に逆転優勝はならなかった。この結果、2009年は東京場所での優勝を果たせなかった。
しかし、先場所の時点で玉の海(1970年9月―1971年3月)や千代の富士(1988年5月―11月)と並んでいた「4場所連続14勝以上」の記録を、千秋楽の勝利で「5場所連続14勝以上」に延ばし、単独トップとなった。また、9月場所を終えた段階でこの年75戦71勝(優勝決定戦を除く)となり、11月場所の14日目で琴光喜を上手投げで下し、12回目の優勝を決めるとともに年間勝ち星の新記録達成した。(このとき同時に「6場所連続14勝以上」を記録)更に翌日の千秋楽で朝青龍を左上手投げで下し、2005年に朝青龍が記録した年間最多勝記録84を2勝更新する86勝4敗の新記録を打ち立て、4度目の全勝優勝、九州場所3連覇で2009年を締めくくった。同時に白鵬自身と北の湖がもつ、年度にこだわらない任意の場所の連続6場所での勝ち星85をも更新した。
[編集] 2010年 -63連勝-
1月場所初日は、横綱土俵入りの所作に於いて、四股を自分の足元を見て踏む形に変更したことに気を取られたため、せり上がりを忘れるハプニングがあった。この日は2007年以来の天覧相撲となったが、土俵入りは今上天皇・皇后の到着前だったため、大きな問題とはならなかった。
7日目に把瑠都に敗れて連勝が30で止まり、12日目に日馬富士に敗れて2008年九州場所以来となる2敗目を喫した。翌13日目も魁皇に敗れ、久々の連敗で3敗となった(それまで魁皇には17連勝中だった)。14日目は結び前の一番で琴欧洲に勝ったものの、朝青龍がその後結びの一番で日馬富士に勝利し、朝青龍に25回目の優勝を決められた。翌千秋楽の結びの一番、白鵬は朝青龍を寄り倒したが、この一番が横綱朝青龍と本場所での最後の対戦となった。
1月場所後の2月4日に朝青龍が急遽現役引退を表明したため、3月場所からの番付は史上9人目の一人横綱となった。不知火型の横綱が番付上でも一人横綱となるのは、現在の型の元祖とされる太刀山以来、史上初のことである。その一人横綱となった2010年3月場所は、大関昇進を目指した関脇・把瑠都との優勝争いとなったが、11日目に把瑠都との無敗対決を制し、その後も連勝を続けて15戦全勝で13回目の優勝を飾る。これによって12回優勝の双葉山と武蔵丸を抜いて、優勝回数が歴代単独6位となった。ちなみに東横綱での全勝優勝は自身初。また地方場所での2年連続全勝優勝は史上初で、場所を問わない4年連続での全勝優勝達成は、双葉山、大鵬、北の湖に並ぶ記録である。
5月場所も、把瑠都ら上位陣が星を落としていく中で連勝を続けた。そして独走の中で迎えた13日目に琴光喜を破り、輪島に並ぶ14回目の優勝を決めた。14日目からは、輪島のトレードマークだった黄金色の締め込みで出場。14日目は琴欧洲、千秋楽は日馬富士を退け、2場所連続6度目の全勝優勝を果たした。直近4場所で3度の全勝優勝は、15日制の下では初の快挙である。横綱昇進後の夏場所の優勝も初めてである(横綱の5月場所優勝自体2005年の朝青龍以来5年ぶり)。なお、横綱昇進後丸3年となるこの場所を終えた段階での横綱勝率は.900という近代の大相撲では驚異的な数字にまで達した。この14回目の優勝インタビューにおいて次の目標を聞かれ、「次は平成の大横綱、貴乃花関の記録に並びたい。その先は大鵬関の記録も追い抜きたい」と答えた。優勝回数に関しては大鵬という大きな目標を出したが連勝記録については一切触れなかった事に関して、解説の北の富士は「連勝記録について何も言わなかったのは、彼自身、優勝は重ねていけても連勝を伸ばしていくのは難しいと実感しているからじゃないですかね。」と言っていた。
2010年5月に起きた大相撲野球賭博問題に関連し、花札で金を賭けていたことを上申書で申告したが、賭け金が軽微とみなされ、厳重注意以外の処分は行われなかった[4]。その直後の7月場所では、15戦全勝で連勝記録を47に伸ばし、輪島を抜く15回目の優勝を果たした。千秋楽も把瑠都を上手投げで下して全勝優勝を果たし、1場所が15日制で定着した1949年5月場所以降初となる「3場所連続15戦全勝優勝」という快挙も成し遂げた。年間3回の全勝優勝も初である。
9月場所3日目で50連勝を達成。富岡八幡宮にある超五十連勝力士碑に名を刻むこととなった。14日目、自らの取組前に追う2敗力士が敗れたため、16回目の優勝が決定。更に千秋楽、日馬富士を下し、4場所連続、8回目の全勝優勝で双葉山、大鵬に並ぶ。連勝記録は62となる。また自身がもつ、年度にこだわらない任意の場所の連続6場所での勝ち星記録86を更に塗り替え、87とした。
11月場所、初日栃ノ心を上手投げで下し、江戸時代の大横綱谷風に並ぶ63連勝を達成したが、2日目に稀勢の里に右上手を許してしまい寄り切りで敗れ、連勝記録は歴代記録2位の63で止まった。このあと呆然とした表情で、報道陣に「これが負けか」とつぶやいている。しかしその後は白星を重ねて14勝1敗で平幕の豊ノ島との優勝決定戦を制し、5場所連続17回目の優勝を達成した。また千秋楽の白星で「2年連続年間最多86勝」を樹立した。
[編集] 2011年
1月場所は先場所からの連勝を再び延ばし、7日目に栃煌山を下して自身5度目の20連勝を達成するも、11日目にまたしても稀勢の里に敗れ、連勝は23でストップ。11月場所に続く稀勢の里戦の黒星で、横綱になってから同じ力士に連敗したのは、朝青龍、日馬富士に続き、3度目。しかし14日目には把瑠都を掬い投げで下して自身18回目の優勝を決める。優勝を決めた翌日(千秋楽)には紗代子夫人に第3子となる女児が誕生、相撲も魁皇を送り出しで破って初場所を締めくくった。また、この一番で自身がもつ、年度にこだわらない任意の場所の連続6場所での勝ち星記録87を更に塗り替え、88とした。
2月に発覚した大相撲八百長問題では関与は見られず、白鵬自身も記者会見で「ないとしか言えない」と否定しているが、この影響で出演していたCMが放映自粛に追い込まれている。なお春場所で7連覇がかかっていたが、この八百長問題で春場所自体が中止となった。
5月技量審査場所は再び7連覇がかかった場所となった。2場所連続で敗れていた稀勢の里にリベンジを果たすなど12日目まで連勝を続けていたが、13日目に日馬富士に敗れた。千秋楽は魁皇に敗れて久々に2敗で取り終えたが、追っていた栃ノ心も千秋楽の本人の取組前に敗れたため、7場所連続(朝青龍と並んでタイ記録)19回目の優勝を果たした。なお、魁皇に敗れたことで2008年5月以来久々の千秋楽結びでの黒星となったが、魁皇は翌7月場所の10日目で引退を表明したため、一門の大先輩である魁皇との対戦はこれが最後となった。
7月場所は新記録の8連覇がかかっていたが、11日目に大関昇進を懸ける琴奨菊に初黒星を喫し、14日目には全勝だった日馬富士との直接対決に敗れ、一人横綱となって以来初めて優勝を逃した。千秋楽も把瑠都に不覚を取り、2010年1月以来8場所ぶりの12勝3敗に終わった。
9月場所は琴奨菊と稀勢の里の両関脇と優勝を争う展開となり、11日目まで全勝も終盤に両関脇を相手に連敗(横綱昇進後初めて関脇以下の力士に連敗)。千秋楽では稀勢の里が3敗を守り2敗だった琴奨菊が敗れたため、3人での優勝決定巴戦の可能性もあったが、日馬富士を破って13勝2敗での優勝を決め、ついに大台の20回目の幕内優勝を達成した。
11月場所は初日から連勝を続け、優勝を争っていた新大関の琴奨菊や大関昇進のかかる稀勢の里らを退け、13日目に琴欧洲を豪快な下手投げで破り優勝を決めた(13日目での優勝決定は自身3度目)。優勝が早々に決まったことで、この年に入ってから未だ成し遂げられていない全勝優勝を目指すのみとなったが、千秋楽の把瑠都戦でついに敗れ、史上最多の9回目の全勝優勝達成はならなかった。また、この場所の7日目で5年連続5回目の年間最多勝を確定させたが、5年連続の年間最多勝は史上4人目のタイ記録である。さらに、平幕に一つも星を落とすことなく1月場所から11月場所までを終えたことで、年5場所での記録ではあるものの、史上初となる年間金星無配給を達成した。
[編集] 2012年
3連覇をかける1月場所は2日目、3日目と続けて6人の上位陣全員が勝利するなど、好調な大関陣との優勝争いとなった。白鵬自身は5日目の雅山戦で以前も負傷した経験のある左足親指を痛めるというアクシデントもありながら9日目まで連勝して星を重ねたものの、10日目にこれまで20戦全勝と圧倒していた鶴竜に初めて黒星を喫し1敗に後退。全勝の把瑠都を追いかける形となったが、12日目に日馬富士の注文相撲に屈し2敗となり、あっけなく自力優勝が消滅してしまう。13日目には琴欧洲に約3年ぶりの黒星を喫し連敗。これで把瑠都との星の差が3つとなり、大関に13日目に初優勝を決められるという屈辱的な展開となった。千秋楽は前場所に自らの全勝優勝を阻まれた把瑠都に雪辱を果たし把瑠都の全勝優勝を阻止、12勝3敗で場所を終えた。
[編集] 略歴
- 2001年3月場所 - 初土俵(一番出世)
- 2004年1月場所 - 新十両
- 2004年5月場所 - 新入幕
- 2005年1月場所 - 新小結
- 2005年3月場所 - 新関脇
- 2006年5月場所 - 新大関
- 2007年7月場所 - 新横綱
[編集] 取り口
右四つを得意とするが左四つでも十分取れる。立合いは主に鋭く踏み込み、右でカチあげて素早く右を差し込んで左上手を狙う取り口が主体である。体質が極めて柔軟で、腰が重く、摺り足も良く、192cmと大柄な部類に入る力士ながら常に低い体勢で腰が割れている。強い投げと基本に忠実な寄り身を武器としている。受けの力も強く、相手の好きなように攻めさせておきながら最後は自分の型で勝ついわゆる「横綱相撲」が出来る力士である。 しかし幕内に上がってきた頃の取り口は、前に攻めるよりも投げや引き技で安易に勝負を決めてしまう傾向があった。そのような中でも立合いから左前褌を狙って踏み込む相撲には光るものがあり、しだいにその形が身についていった。ただ大関時代に研究されて立合いに左前褌が取れなくなり、綱取りを逃したこともあって、両差しなど他の型の相撲も見せるようになった。
得意の右四つは年々完成度を増しており、右を差し込むだけで相手が棒立ちになるような力強さも出てきた。力強さと柔らかさを兼ね備えており、安定感抜群で近年は史上類を見ない驚異的な成績を残すようになってきている。
同じ平成の大横綱として貴乃花とよく比べられる事があるが、それぞれと取組をした経験のある力士は「白鵬はどんどん白鵬の有利な形にしていく強さがあり、貴乃花はこちらが何をしようとしてもそれを殺してくる強さがあった」「白鵬は思いっきり首を絞めてくるような強さ、貴乃花はジワジワと締めてくるような強さだった」と語っている。また、魁皇(元大関・現浅香山)は歴代の対戦力士で一番強かったと思うのは誰かというインタビューに対し、「タイプは全然違うけど、全盛期の貴乃花と白鵬」と答えていた。
[編集] 主な成績
2012年1月場所終了現在
[編集] 通算成績
- 通算成績:653勝158敗21休(65場所)
- 幕内成績:559勝110敗21休(46場所)
- 横綱成績:365勝40敗(27場所)
- 幕内在位:46場所
- 横綱在位:27場所
- 大関在位:7場所
- 三役在位:7場所(関脇5場所、小結2場所)
- 年間最多勝:5回(5年連続最多勝は大鵬・北の湖・朝青龍と並び歴代1位タイ)
- 2007年(74勝16敗)、2008年(79勝11敗)、2009年・2010年(86勝4敗・歴代1位)、2011年(66勝9敗)
- 連続6場所勝利:88勝(2010年3月場所~2011年1月場所・歴代1位)
- 通算(幕内)連続勝ち越し記録:30場所(2007年1月場所~継続中・通算では武蔵丸の55場所、北の湖の50場所に次いで歴代3位)
- 幕内連続2桁勝利記録:30場所(2007年1月場所~継続中・北の湖の37場所に次いで歴代2位)
- 幕内連続12勝以上勝利:21場所(2008年7月場所~継続中・歴代1位)
[編集] 連勝記録
白鵬の最多連勝記録は、63連勝である。(2010年1月場所14日目~2010年11月場所初日・双葉山に次いで歴代2位)
下記に、白鵬のその他の連勝記録を記す。(20連勝以上対象)
| 回数 | 連勝数 | 期間 | 止めた力士 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 25 | 2007年3月場所千秋楽~2007年7月場所9日目 | 琴光喜 | 2007年5月場所全勝優勝 |
| 2 | 33 | 2009年1月場所11日目~2009年5月場所13日目 | 琴欧洲 | 2009年3月場所全勝優勝 |
| 3 | 30 | 2009年9月場所7日目~2010年1月場所6日目 | 把瑠都 | 2009年11月場所全勝優勝 |
| 4 | 63 | 2010年1月場所14日目~2010年11月場所初日 | 稀勢の里 | 2010年3月場所~9月場所4場所連続全勝優勝 |
| 5 | 23 | 2010年11月場所3日目~2011年1月場所10日目 | 稀勢の里 |
- 上記の通り、20連勝以上5回、30連勝以上3回記録している。
[編集] 各段優勝
- 幕内最高優勝:21回
- 歴代単独6位
- 場所別優勝回数(東京場所:10回 地方場所:11回)
- 初場所:2回
- 春場所(大阪):3回
- 夏場所:4回
- 名古屋場所:3回
- 秋場所:4回
- 九州場所:5回(2007年より5連覇中、横綱昇進後すべて優勝)
- 連覇:7連覇(2010年3月場所~2011年5月技量審査場所。朝青龍と並んで史上1位タイ)
- 全勝優勝:8回(双葉山・大鵬と並んで歴代1位タイ)
- 十両優勝:1回(2004年3月場所)
[編集] 三賞・金星
- 三賞:6回
- 殊勲賞:3回(2004年11月場所、2006年1月場所、2006年3月場所)
- 敢闘賞:1回(2004年5月場所)
- 技能賞:2回(2005年1月場所、2006年3月場所)
- 金星:1個
- 朝青龍:1個
[編集] 場所別成績
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001年 (平成13年) |
x | (前相撲) | 東 序ノ口 #16 3–4 |
東 序ノ口 #18 5–2 |
東 序二段 #97 5–2 |
西 序二段 #55 4–3 |
| 2002年 (平成14年) |
東 序二段 #33 5–2 |
東 三段目 #98 6–1 |
東 三段目 #38 4–3 |
西 三段目 #23 3–4 |
西 三段目 #44 4–3 |
西 三段目 #28 4–3 |
| 2003年 (平成15年) |
東 三段目 #16 5–2 |
西 幕下 #54 4–3 |
西 幕下 #44 5–2 |
東 幕下 #30 4–3 |
東 幕下 #23 6–1 |
東 幕下 #9 6–1 |
| 2004年 (平成16年) |
東 十両 #12 9–6 |
西 十両 #8 優勝 12–3 |
東 前頭 #16 12–3 敢 |
東 前頭 #8 11–4 |
東 前頭 #3 8–7 |
西 前頭 #1 12–3 殊★ |
| 2005年 (平成17年) |
西 小結 11–4 技 |
西 関脇 8–7 |
東 関脇 9–6 |
東 関脇 6–3–6[5] |
西 前頭 #1 9–6 |
西 小結 9–6 |
| 2006年 (平成18年) |
西 関脇 13–2 殊 |
東 関脇 13–2[6] 技殊 |
西 大関 14–1[7] |
東 大関 13–2 |
東 大関 8–7 |
西 大関 #2 休場[8] 0–0–15 |
| 2007年 (平成19年) |
西 大関 #3 10–5 |
西 大関 13–2[6] |
東 大関 15–0 |
西 横綱 11–4 |
西 横綱 13–2 |
東 横綱 12–3 |
| 2008年 (平成20年) |
東 横綱 14–1 |
東 横綱 12–3 |
西 横綱 11–4 |
西 横綱 15–0 |
東 横綱 14–1 |
東 横綱 13–2[9] |
| 2009年 (平成21年) |
東 横綱 14–1[6] |
西 横綱 15–0 |
東 横綱 14–1[9] |
東 横綱 14–1 |
東 横綱 14–1[6] |
西 横綱 15–0 |
| 2010年 (平成22年) |
東 横綱 12–3 |
東 横綱 15–0 |
東 横綱 15–0 |
東 横綱 15–0 |
東 横綱 15–0 |
東 横綱 14–1[10] |
| 2011年 (平成23年) |
東 横綱 14–1 |
八百長問題 により中止 |
東 横綱 13–2 |
東 横綱 12–3 |
東 横綱 13–2 |
東 横綱 14–1 |
| 2012年 (平成24年) |
東 横綱 12–3 |
x | x | x | x | x |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
||||||
[編集] 主な力士との幕内対戦成績
| 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 普天王 | 8 | 1 | 旭天鵬 | 22 | 2 | 玉鷲 | 2 | 0 |
| 安美錦 | 22 | 3 | 琴欧洲 | 28 | 8 | 土佐豊 | 2 | 0 |
| 土佐ノ海 | 6 | 1 | 玉乃島 | 7 | 1 | 北太樹 | 4 | 0 |
| 黒海 | 9 | 2 | 露鵬 | 5 | 0 | 白馬 | 1 | 0 |
| 豪風 | 12 | 1 | 時天空 | 14 | 1 | 隠岐の海 | 5 | 0 |
| 北勝力 | 11 | 0 | 豊ノ島 | 19 | 1 | 若荒雄 | 2 | 0 |
| 高見盛 | 5 | 1 | 日馬富士 | 21 | 10 | |||
| 垣添 | 9 | 1 | 稀勢の里 | 24 | 7 | |||
| 出島 | 10 | 2 | 琴奨菊 | 28 | 3 | |||
| 栃乃洋 | 7 | 2 | 把瑠都 | 20 | 3 | |||
| 雅山 | 23 | 4 | 鶴竜 | 20 | 1 | |||
| 朝赤龍 | 13 | 2 | 豊真将 | 12 | 0 | |||
| 栃東 | 8(2) | 5 | 豪栄道 | 13 | 0 | |||
| 魁皇 | 27(1) | 6(1) | 海鵬 | 2 | 1 | |||
| 千代大海 | 21 | 6 | 若ノ鵬 | 3 | 0 | |||
| 武双山 | 2 | 0 | 栃ノ心 | 11 | 0 | |||
| 琴光喜 | 23(1) | 9 | 嘉風 | 5 | 0 | |||
| 朝青龍 | 13 | 12 | 栃煌山 | 12 | 0 | |||
| 岩木山 | 6 | 3 | 翔天狼 | 0 | 1 | |||
| 若の里 | 11 | 6 | 阿覧 | 9 | 0 | |||
| 霜鳳 | 2 | 0 | 春日王 | 1 | 0 |
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太字は2012年1月場所終了現在、現役力士)
[編集] 人物・エピソード
[編集] 土俵上の記録・合い口
- かつて大関昇進前までは若の里に分が悪く、初顔合わせから6連敗をしていた。しかしそこから10連勝して、現在の対戦成績は勝ち越している。
- 横綱昇進後は日馬富士に分が悪く、それまで初顔合わせから5連勝していたが横綱昇進後の成績に限ると16勝10敗(優勝決定戦を含めると17勝11敗)となっている。一時3連敗したこともあり、その後5連勝したものの、2011年5月技量審査場所で6場所ぶりに黒星を喫し、同年7月場所も2連敗して幕内優勝は7連覇でストップした。
- また、2010年11月場所2日目で連勝の記録を63でストップさせられた稀勢の里にも、その場所以降2011年1月場所11日目と2011年9月場所12日目でそれぞれ敗戦、いずれも初日からの連勝を止められてしまっている。
- 過去優勝決定戦に8度進出し、4勝4敗。ただその4勝の内3勝はいずれも本割では負けている。逆に4敗は本割で勝っている(残り1勝は本割での対戦なし)。
- 2009年は、年6度の本場所すべてで朝青龍と千秋楽結びの一番をつとめ、全てで白鵬が勝利した。1月場所、5月場所、9月場所では直後の優勝決定戦で敗れて優勝を逃している。尚、千秋楽結びの一番を年間6場所全て同じ相手で迎えるのは大相撲史上6例目。その6場所全てで勝利したのは白鵬が初めてである。
- 朝青龍には2009年1月場所から本割では2010年1月場所まで7連勝、また本割の対戦成績も13勝12敗と逆転していた。また、朝青龍にとっては2010年1月場所千秋楽の白鵬戦が、現役最後の取組相手となった。
- 2010年3月場所で新横綱以来の連続2桁勝利が、大鵬(元・一代年寄)と2代目若乃花(現・間垣親方)の16場所を超える、17場所の新記録を達成。2012年1月場所で27場所となり、現在も自身の記録を大幅に継続中である。
- 2011年1月場所から2012年1月場所にかけて、「6場所連続幕内中日(8日目)勝ち越し」の記録を達成。これは1場所15日制が定着した1949年5月場所以降、玉の海(1970年9月場所~1971年7月場所)と並ぶ史上最多タイ記録となった。
- 2012年1月場所現在までの横綱在位27場所で365勝40敗(勝率9割0分1厘)。この勝率は昭和以降の横綱では双葉山(勝率8割8分2厘)を上回り、現在史上1位である。白鵬は横綱昇進から既に4年経過しているが、今もなお横綱勝率が9割を超えており、年6場所制定着以降では史上最長記録である。これまでの最長は貴乃花が横綱昇進から13場所目(全休1場所を含む)まで横綱勝率9割超であった。年2場所制時代では常陸山がおよそ9年間、20場所(全休5場所を含む)に渡って9割超を維持したが、場所数では白鵬が抜き歴代横綱最長である。また昭和以降の横綱では、現在白鵬ただ1人のみ横綱勝率が9割を超えており、特に2009年3月場所から2010年9月場所までの10場所は144勝6敗、勝率9割6分という驚異的な成績を残している。なお、第27代横綱栃木山の引退(1925年)以降、最終的な横綱勝率が9割を超えた横綱は未だ出ていない。
- 2012年1月場所現在まで、横綱在位27場所で与えた金星は僅か5個であり、1場所平均で約0.19個と非常に少ない。
- なお金星を配給した相手のうち、1つ目の豊ノ島、5つ目の稀勢の里以外の3人はその場所を負け越しており、いわゆる「取りこぼし」になっている。
- また同年1月場所で、通算(幕内)連続勝ち越し及び幕内連続2桁勝利が、現役幕内力士では最多の30場所を記録。さらに幕内連続12勝以上勝利も21場所となり、歴代1位を大きく更新中(歴代2位は貴乃花の13場所、3位は北の湖の12場所)。
- 過去14日目まで全勝だった8場所はすべて千秋楽で勝利、合計8回の全勝優勝を果たしていた。しかし2011年11月場所千秋楽は大関把瑠都に敗れ、9回連続での9回目の全勝はならなかった。また千秋楽結びの一番では、2011年5月場所の千秋楽で魁皇に敗れるまで過去最長記録となる16連勝(2009年7月場所~2011年1月場所)を達成している。
- 2010年11月場所で地方場所を8連覇したが、2011年7月場所で優勝を逃し地方場所の連覇がストップ(歴代1位は朝青龍の9連覇。ちなみに2004年3月場所から2010年11月場所まで地方場所では朝青龍と白鵬の二人だけの優勝が続いていた)。なお白鵬は11月場所においては、歴代1位の千代の富士(8連覇)に続く5連覇中(2007年~2011年)である。
- 横綱昇進後、九州場所(11月場所)は毎年優勝している。
- 横綱昇進後は一度も休場していない。なお2012年1月場所終了時点では、歴代2位となる405回連続出場中である(歴代1位は北の湖の653回)。
横綱としては礼儀作法をしないことは品格に掛けているのでちゃんと腰の位置まで深くするべきである
[編集] その他相撲関連
- 横綱土俵入りで四股を踏む際、少し体を沈めてから四股を踏むという特徴がある。これは初期の頃には殆ど分からない程度だったが、場所を重ねるごとに体の沈め方が深くなり、今ではハッキリと分かる程になっている。
- 腰に持病を抱えており、長い相撲を取った翌日に影響が出る場合が多い。
- 大相撲中継で藤井康生アナウンサーが誤って熊ヶ谷親方の事を「白鵬の師匠の宮城野親方」と言い間違えた事がある。これは熊ヶ谷親方が以前宮城野を名乗っていたための間違い。また山口達也アナウンサーが「白鵬と同じ熊ヶ谷部屋で指導する」と言い間違えたこともある。それだけ師弟の関係が深いといえる。なお、2010年12月24日の理事会において11代宮城野と15代熊ヶ谷との年寄名跡交換、部屋の師匠交代の勧告があり、双方が受け入れたことで、15代熊ヶ谷が12代宮城野として再び宮城野部屋の師匠に就任しているため、2011年現在では「白鵬の師匠の宮城野親方」という表現は誤りではない。[11]
- アナウンサーによって四股名のアクセントの付け方が2種類に分かれる。基本NHK・TBSなどでは『く』にアクセントを置いて読むが、日本テレビなどでは『は』にアクセントを置いて読む。
- 横綱になった2007年、本来は毎年開かれている歴代横綱親睦会が、時津風部屋力士暴行死事件のあおりで中止(2000年以来2度目)になってしまった。本人は楽しみにしていた。
- 2009年4月15日、日本外国特派員協会に招かれ、「(将来は)親方になって弟子を育てたい」と語った。親方になるには帰化の申請をして日本国籍を取得する必要があるが、白鵬はこれについて前向きに検討している[12]。
- 2009年8月、タオルで体を拭かないことについて、第67代元横綱・武蔵丸の振分親方や記者から「汗を拭け」「礼儀の問題」と指摘されている[13]。
- 2010年1月場所後の2月4日に、第68代横綱・朝青龍が度重なるトラブルに責任を取る形で、突如現役引退を表明。一人横綱となった白鵬は、宮城野部屋での緊急記者会見で「事実ですけど信じたくない。同じモンゴル出身の目標であり、自分を引っ張ってくれる横綱だった。まだやり残した事が有るんじゃないか」と、最大のライバルの引退にショックを隠せず、終始大粒の涙を拭い時折声を詰まらせた[14]。なおその数日前、朝青龍が1月場所中に知人男性に暴行したという報道を受け、それに関して白鵬は「もし本当だったら良くないこと。自分は三段目に上がった頃、先輩からは『力士の手は刀になる』と教えられてきた」とコメントしていた[15]。
- 2010年7月場所は大相撲界の賭博問題によるテレビ・ラジオ中継の生放送及び天皇賜杯などの表彰自粛があったが、場所後に今上天皇からねぎらいの書簡が送られた。天皇が優勝力士に書簡で気持ちを伝えるのは異例のことである[16]。また、それを受けて「天皇陛下万歳」「モンゴル万歳」を行った。
- 2010年12月10日、日本漢字能力検定協会が「今年の漢字」として「暑」を選んだが、これに関連し、朝稽古後に報道陣が今年一年を象徴する漢字は何かと尋ねた。白鵬は「運・夢・心」の三文字を挙げ、理由を「心で頑張って、夢をつかむ。それには運も必要だから」と語っている[17]。
- 前述の通り白鵬の横綱土俵入りは不知火型を選択したが、2011年12月4日に双葉山生誕100年を記念して、大分県宇佐市の宇佐神宮で行なわれた奉納相撲では、双葉山に敬意を表して雲竜型の土俵入りを自ら提案し行なった[18]。宇佐神宮で横綱土俵入りを行ったのは1938年の双葉山以来、73年ぶり2人目。なお現役横綱が通常と異なる型で土俵入りを行ったのは、1971年8月の八郎潟町巡業で、雲竜型の北の富士が不知火型の土俵入りを披露して以来40年ぶり2人目。また不知火型の横綱が雲竜型で土俵入りをを行ったのは、白鵬が史上初めてである。
[編集] 土俵外の出来事・交友関係
- 2008年4月1日のプロ野球公式戦「巨人対中日」(東京ドーム)において、始球式を務め、真ん中高めのストライクゾーンへ112キロの速球を投げ込み、ベンチから見守っていた巨人の原辰徳監督に「見事!」と絶賛され、観客から大きなどよめきが起こった。背番号は第69代横綱に因んで「69」だった。
- また徳島ヴォルティスのオープニングセレモニーにも出席。白鵬は「嫁さんの地元だから、ヴォルティスに勝ってほしいね」と言ったが、ヴォルティスは逆転負けを喫してしまった。
- 2009年の第60回NHK紅白歌合戦で審査員を務めた。角界からの審査員は2005年の琴欧洲以来。
- 入籍から3年後の2010年2月21日に東京都内で結婚披露宴を行った。なお引退直後の朝青龍は姿を見せず、祝電が届くのみであった[19]。2月27日には夫人の出身地である徳島県鳴門市にある大塚国際美術館でも結婚披露宴を行っている。
- ボクシングの内藤大助とは友人の間柄で、度々内藤の試合を観戦に訪れている。また、白鵬が内藤の所属する宮田ジムを訪れたこともあるし[20]、逆に内藤が宮城野部屋でトレーニングを敢行したこともある[21]。この関係は、白鵬のライバルである朝青龍が内藤のライバルである亀田興毅と親密である事と、好対照を成している。
- 2011年1月10日に初の写真集『横綱白鵬写真集』が発売された。
- 2011年6月8日に本人公認のオフィシャル応援歌として、元・幕内力士で現在は歌手の大至の歌による『天運』(エイフォース・エンタテイメント、2011年)というシングルCDが発表された。CDの発売に際しては白鵬が推薦文を寄せているほか[22]、CDの売り上げ金から大相撲を志す未来の力士などを両国国技館に「白鵬シート」として招待する計画を予定していて、その第1弾として2011年9月場所7日目(2011年9月17日)に東日本大震災の被害で福島県双葉町から埼玉県内に避難している被災者23名を両国国技館の「白鵬シート」に招待した。
[編集] モンゴルでの出来事
- 小さい頃、兄とタルバガンを獲りに行った時に、兄が獲物を銃で撃つ事に夢中で遠くに行ってしまい、羊の群れと一緒に草原に置き去りにされた。そこで羊を狙う狼とハゲワシに遭遇したが奇跡的に助かった。
- 父のムンフバトによるとモンゴルの新聞では毎場所の様に結婚の話題が出て、既に20人近くと結婚した事になっている。
[編集] 身体・生活習慣
- あまりにもよく寝るため、部屋の兄弟子が「死んでいるのではないか」と心配したことがある。今でも一日16時間以上の睡眠は欠かさない。場所中以外は朝稽古の後、6時間も昼寝をする。夜も多い時には10時間寝る。初の綱獲り挑戦の2006年7月場所後は、16時間眠り続けた。
- モンゴル出身力士の中では一番酒が強い力士でもある。
- 入門当時から視力検査で一番下 (2.0) まで見えるほど、目は良かったが、最近は疲れ目を訴えており、「たけしの本当は怖い家庭の医学」の収録の過程で検査してもらった際、その原因である乱視が検出され、番組から特注のめがねをプレゼントされた。
- NHKスペシャル「横綱白鵬 〜“最強”への挑戦〜」(2010年11月28日放送)内にて、最新の科学を駆使して白鵬の強さの秘密に迫る試みが行われた。それによれば、白鵬には陸上選手のウサイン・ボルトに匹敵する瞬発力や、反動を起こさずに筋肉を動かせる特技など、力士にとって理想的な身体能力が備わっているという。また立会いの際に上半身の筋力をほとんど使わず、優れた柔軟性と強靭な下半身の筋力によって巧みに相手の力を吸収してしまうという、極めて特異な技術を持っていることも明らかとなった(同番組内で、強くぶつかっても力が吸収されてしまう感覚を受けるという旨の証言を琴欧洲が行っている)。
[編集] 出演
[編集] TV出演
- 2006年1月3日 - お正月スペシャル ものまねバトル 旭天鵬、朝赤龍と共に出演
- 2006年3月10日 - とくダネ! モンゴルの実家紹介
- 2006年4月26日 - 横浜 - 阪神戦で始球式
- 2006年5月21日 - グレートマザー物語 白鵬の母がメインだが、白鵬自身もVTRで出演している
- 2006年7月28日 - にんげんドキュメント 白鵬〜“綱”に挑んだ15日〜
- 2007年4月28日 - キャプテン☆ドみの レギュラーチームの助っ人「ミスターX」として出演
- 2008年1月5日 - 史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ 審査員として出演
- 2008年6月2日 - 関口宏の東京フレンドパークII 内藤大助と登場。ホッケーでは7-1と圧勝、グランドスラム達成。パジェロ獲得。
- 2009年5月5日 - 最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 この収録で乱視であることが判明した
- 2009年6月8日 - 人生が変わる1分間の深イイ話 島田紳助が白鵬を「いい方の横綱」と発言した。
- 2009年7月2日 - 関口宏の東京フレンドパークII 安美錦・豊ノ島・高見盛と登場。前回ほどの活躍はできず、金貨も3枚に終わった。
- 2010年4月29日 - ぐるぐるナインティナイン グルメチキンレース・ゴチになります!11に出演。結果は誤差がそれほどではなかったにも関わらず最下位に終わった。
- 2010年9月4日 - 嵐にしやがれ[23]
- 2010年12月30日 - ぐるぐるナインティナイン グルメチキンレース・ゴチになります!11クビスペシャルに出演。前回とは打って変わり、かなりの誤差(6位であった国分太一のほぼ倍の差額だった)で再び2度目の自腹となった。
- 2010年12月30日 - 昭和・平成の興奮再び 大相撲100番名勝負!!人気力士が大集合スペシャル 上記番組の裏番組であり、冒頭の2時間半(18:30 - 21:00。番組は21:30まで)に渡って重複出演していた。
[編集] CM出演
- 2006年10月 - 大塚製薬「オロナミンC」(上戸彩、龍皇をはじめ部屋力士数名と共演)
- 2006年12月 - 歳末たすけあい
- 2009年12月 - 富士ゼロックス「フルカラーデジタル複合機 DocuCentre-IV C2260」
- 2011年1月 - サッポロビール「生ビール・黒ラベル」大人エレベーター25歳編(妻夫木聡と共演)
- 2011年7月 - 住友林業「BF構法「横綱 白鵬の真剣勝負の突っ張り」編」
[編集] その他
[編集] 著書
- 『相撲よ!』 角川書店(2010年)
[編集] 写真集
- 『横綱白鵬写真集』 緒方秀美撮影 白鵬フォトプロジェクト事務局、2011年1月10日、ISBN978-4-9905605-0-8
[編集] 脚注
- ^ 「ムンフバティーン」(Мөнхбатын/Mönkhbatyn)は「ムンフバト(=父親名)の」という意味だが、日本語報道では属格助詞「ын/yn(-ィーン)」を省略して、単に父親名をカナ転写して「ムンフバト・―」と表記されてしまうことが多い(他のモンゴル出身力士の本名についても全く同様の傾向がある。詳細については、モンゴル人の名前#モンゴル国における用例も参照)。自身の名である「ダワージャルガル」は「月曜日の幸福」という意味。彼が生まれた1985年3月11日は月曜日である。
- ^ pen No.259より
- ^ 「昭和の大横綱」の一人である第58代元横綱・千代の富士の九重親方は、2010年9月場所中白鵬に対し「大横綱に近づいている」と評していた。東京新聞2010年9月18日朝刊。
- ^ 2010年7月3日 朝日新聞
- ^ 左足関節靱帯損傷により10日から途中休場
- ^ a b c d 朝青龍と優勝決定戦
- ^ 雅山と優勝決定戦
- ^ 左母趾基節骨遠位端骨折により全休
- ^ a b 安馬(現:日馬富士)と優勝決定戦
- ^ 豊ノ島と優勝決定戦
- ^ 白鵬 3人の“オヤジ”に贈る6連覇!
- ^ 国籍法は帰化の基準について厳格に定めているが、白鵬は日本人の配偶者を持っているので、取得する際には通常より若干基準が緩やかになる。
- ^ わが世の春「白鵬」に物言い付けた「武蔵丸」 週間新潮 2009年8月6日号
- ^ "白鵬、朝青龍引退に涙止まらず".【スポーツ】nikkansports.com.日刊スポーツ.2010年2月4日 閲覧
- ^ "白鵬「力士の手は刀になると教えられてきた」".【スポーツ】スポニチSponichi Annex.2010年1月31日 閲覧
- ^ "白鵬、陛下からねぎらいの書簡に感激の涙" 日刊スポーツ 2010年8月4日 閲覧
- ^ "白鵬が選んだ今年の漢字は「運・夢・心」" デイリースポーツonline 2010年12月11日 同日閲覧
- ^ "73年ぶり 白鵬 土俵入り 双葉山の雲竜型「喜んでくれたのでは」" - スポーツニッポン、2011年12月4日 同日閲覧
- ^ "白鵬「ほれ直しました」結婚披露宴、朝青龍から祝電も".asahi.com朝日新聞.2010年2月22日 閲覧
- ^ 白鵬が宮田ジムへ“出げいこ” 王者・内藤が指導 - MSN産経ニュース.産経新聞.2010年3月21日 閲覧
- ^ 王者内藤が宮城野部屋に「出げいこ」-バトルニュース:nikkansports.com.日刊スポーツ.2010年3月21日 閲覧
- ^ "横綱 白鵬 オフィシャル応援歌 天運 特設サイト"
- ^ 本来は同年7月3日に放送予定であったが、放送の前日に花札賭博が報道されたため、急遽番組内容が変更され放送はされておらず白鵬の回は2ヶ月繰り越しとなった。しかし前週の番組最後の予告、前週の番組終了から報道までの間の予告CM(白鵬翔がゲストとして迎えられる映像)は放送されていた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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| 東 | 番付 | 西 |
| 白鵬 | 横綱 | |
| 三役 | ||
| 把瑠都 | 稀勢の里 | 大関 | 日馬富士 | 琴欧洲 | 琴奨菊 |
| 鶴竜 | 関脇 | 安美錦 |
| 臥牙丸 | 小結 | 栃煌山 |
| 平幕 | ||
| 妙義龍 | 時天空 | 旭天鵬 | 豊ノ島 | 若荒雄 | 松鳳山 | 髙安 | 千代の国 | 隠岐の海 | 佐田の富士 | 朝赤龍 | 大道 | 北太樹 | 宝富士 | 玉鷲 | 翔天狼 | 幕内前頭 | 栃乃若 | 嘉風 | 栃ノ心 | 阿覧 | 豊真将 | 豪栄道 | 豊響 | 豪風 | 雅山 | 碧山 | 天鎧鵬 | 富士東 | 若の里 | 勢 | 寶智山 | 隆の山 |
| 十両 | ||
| 千代大龍 | 磋牙司 | 阿夢露 | 旭日松 | 鳰の湖 | 芳東 | 舛ノ山 | 高見盛 | 武州山 | 德真鵬 | 千代鳳 | 北勝国 | 里山 | 千昇 | 十両 | 琴勇輝 | 土佐豊 | 双大竜 | 魁聖 | 黒海 | 玉飛鳥 | 皇風 | 剣武 | 旭秀鵬 | 北磻磨 | 木村山 | 大岩戸 | 益荒海 | 荒鷲 |
| 関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||
| 德勝龍 | 飛天龍 | 誉富士 | 城ノ龍 | 華王錦 | 大雷童 | 琴禮 | 琴国 | 明瀬山 | 豊乃國 | 鳥羽の山 | 飛翔富士 | 四ツ車 | 垣添 | 佐田の海 | 龍皇 | 千代嵐 | 千代桜 | 仲の国 | 出羽の郷 | 出羽鳳 | 栃不動 | 琉鵬 | ||
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