雅山哲士
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|---|---|---|---|---|
| 基礎情報 | ||||
| 四股名 | 雅山 哲士 | |||
| 本名 | 竹内 雅人 | |||
| 愛称 | マサト | |||
| 生年月日 | 1977年7月28日(35歳) | |||
| 出身 | 茨城県水戸市 | |||
| 身長 | 186cm | |||
| 体重 | 183kg | |||
| BMI | 52.9 | |||
| 所属部屋 | 武蔵川部屋→藤島部屋 | |||
| 得意技 | 突っ張り、右四つ、寄り、引き、叩き | |||
| 成績 | ||||
| 現在の番付 | 引退 | |||
| 最高位 | 西大関 | |||
| 生涯戦歴 | 654勝582敗68休(88場所) | |||
| 幕内戦歴 | 599勝563敗68休(82場所) | |||
| 優勝 | 十両優勝2回 幕下優勝2回 |
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| 賞 | 殊勲賞2回 敢闘賞5回 技能賞1回 |
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| データ | ||||
| 初土俵 | 1998年7月場所 | |||
| 入幕 | 1999年5月場所 | |||
| 引退 | 2013年3月場所 | |||
| 引退後 | 年寄:二子山 | |||
| 趣味 | パチンコ | |||
| 備考 | ||||
| 金星2個(朝青龍2個) | ||||
| 2013年3月24日現在 | ||||
雅山 哲士(みやびやま てつし、1977年(昭和52年)7月28日 - )は、藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)所属の元大相撲力士。茨城県水戸市出身。本名は竹内雅人(たけうち まさと)、愛称はマサト。身長186cm、体重183kg、血液型はO型。最高位は西大関(2000年(平成12年)7月場所)。好きな食べ物はリンゴ、焼肉。好きな飲み物は酒、ブラックコーヒー。ZARDとやなせたかし作『アンパンマン』に登場するメロンパンナちゃんのファン。
得意技は、突き押し相撲だが、四つでも取れた。相手の顔面に向けて行なわれる小刻みな突き・腕の動きを効果的に使う取り口が特徴的。また、重い突きを繰り出してから土俵際を回り込みながらの引き、叩きの巧さもあった。腰が重い力士としては珍しく足腰が強い力士であり、対戦相手がいなしたり、出し投げを放とうとしても、その恐るべき足腰のバランス感覚でクルリと1回転して難なく相手をかわしてしまう技術は高い評価を受けていたが、体重の影響による足の怪我も少なくなかった。
目次 |
来歴 [編集]
実家は旧茨城交通グループのオーナー一族。武双山(現藤島)の父に指導を受け強くなった。子どもの頃好きだった力士は琴椿(現白玉)である。
「怪物」から「お荷物」へ [編集]
明治大学を中退して当時の武蔵川部屋(現・藤島部屋)に入門し、1998年(平成10年)7月場所に幕下付出で初土俵を踏む。2場所連続幕下優勝で同年11月場所に十両に昇進した。勢いは止まらず初土俵から4場所連続優勝という記録を作り、1999年(平成11年)3月場所には新入幕を果たした。このときの番付は東前頭7枚目であった。当時は早すぎる昇進のために髪の長さが足りずに髷が結えず、長髪の荒々しい風貌から「20世紀最後の怪物」と呼ばれ、右肩のコブが印象的な力士だった。またこの場所は9勝6敗で敢闘賞を受賞した。
2000年(平成12年)1月場所に新小結で12勝3敗。翌3月場所と5月場所には関脇の地位で、2場所連続で11勝4敗を挙げる。「三役で3場所合計34勝」の成績により、5月場所後に大関昇進が決定する。しかし、相撲にこれといって強みが無く勢いのみで勝ち続けた面があり、さらに当時の武蔵川部屋には横綱に武蔵丸(現武蔵川)、大関に武双山・出島(現大鳴戸)がおり、「この3力士と対戦せずの3場所34勝は物足りない」という意見も出ていた。通常なら満場一致の賛成となる相撲協会理事会での大関昇進推挙の議題に対し、理事10名の内3名も反対者が出る異例の事態となり、その行く末は当初から不安視されていた。
新大関の2000年7月場所は、初日の栃東(現玉ノ井)戦で右肩を怪我した影響で6勝9敗と負け越し。翌9月場所はいきなり大関角番となり、勝ち越して角番を脱したものの8勝7敗だった。その後も負け越しては角番脱出の繰り返しが続き、2001年(平成13年)7月場所では千秋楽に敗れ7勝8敗と負け越し。3度目の角番で迎えた2001年(平成13年)9月場所でも序盤から波に乗れず、9日目の海鵬戦で左足首関節及び左足根骨脱臼の大怪我に見舞われて途中休場、同部屋の出島の後を追うように場所後関脇へ陥落してしまう。また、大関の在位数はわずか8場所で、短命大関としての順位は年6場所制以降大受(現朝日山、在位5場所)・増位山(現三保ヶ関、在位7場所)に次いで3位である。さらに大関在位時代の二桁勝利は一度も無く、大関時の成績が57勝58敗5休と通算敗北数が勝利数を上回るなどし、相撲雑誌の識者による座談会ではかつてのキャッチフレーズにかけて「21世紀最初のお荷物」などと言われる有様だった。
大関再挑戦へ [編集]
関脇に陥落した平成13年(2001年)11月場所は公傷全休が適用され、平成14年(2002年)1月場所では関脇の地位で10勝以上挙げれば大関特例復帰だったが、怪我の回復が大幅に遅れ又も全休。公傷適用では無い為、翌3月場所は東前頭8枚目まで下がってしまったが、9勝6敗と5場所ぶりに勝ち越した。しかしその後も暫くは平幕の地位に低迷、時折三役に上がっても全く勝ち越せない状況が続いた。平成15年(2003年)1月場所では横綱貴乃花との取組で疑惑の判定に巻き込まれた上に右足を負傷するなどの不運を被った(後述)。だが、平成16年(2004年)7月場所に平幕で12勝3敗と優勝次点の好成績を挙げて大勝し、翌9月場所に関脇に戻ると9勝6敗の成績を挙げ、大関昇進を決めた場所以来となる三役での勝ち越しを果たした。それ以来上位に定着して、再度の大関挑戦を期待されるようになる。
前頭4枚目で迎えた平成17年(2005年)11月場所は当時の3大関(魁皇(現浅香山)、千代大海(現佐ノ山)、栃東)全員を倒し10勝5敗の成績を挙げ、大関陥落後初めてとなる三賞(敢闘賞)を受賞した。平幕に据え置かれた翌平成18年(2006年)1月場所も先場所と同じ顔ぶれの3大関を破る(この場所新大関の琴欧州には敗れる)活躍を見せて8勝7敗と勝ち越した。更に小結に戻った翌3月場所も西小結の地位で琴欧州、千代大海、栃東の3大関を倒す活躍で10勝5敗の成績をあげ、大関再昇進への足がかりをつかんだ。続く5月場所では序盤から快進撃を見せ、新大関の白鵬を含む対戦した全4大関を撃破し、千秋楽までと白鵬ともに優勝争いをリードした。結局白鵬との優勝決定戦にもつれ込んだが、白鵬の汗に突っ張りが滑り惜しくも敗れ初優勝を逃した。それでも成績は14勝1敗の好成績で、翌場所に大関再昇進を賭ける事になった。
その平成18年7月場所では、序盤こそ緊張から苦戦したが終盤5連勝し、結局10勝5敗で場所を終えた。これで1度目の大関昇進時と同様に「三役で合計3場所34勝」の成績となり、審判部の判断が注目されたが、不運にも昇進は見送られた。この理由として、直前場所10勝5敗での昇進は昭和40年代以来ほとんど例が無かった事[1]や、10日目を終えて5勝5敗と優勝争いに全く参戦できなかった事、また雅山が再昇進すれば当時前例の無い1場所6大関になる事[2]も不利に働いてしまった。綱取りがかかっていた白鵬が、雅山の大関昇進と同時にところてん式に横綱昇進できれば、5大関に収まったがこちらも見送られた。
再び大関挑戦の場所となった翌9月場所では、9日目までで既に5敗目を喫してしまい、結局場所後の二度目の大関昇進は果たせなかったが、白鵬に善戦するなど(本人曰く『今場所最高の相撲』)して9勝6敗と勝ち越し、終盤にかけて気持ちを切らさなかったことは高く評価された。当時の北の湖理事長は「大勝ちすれば、話題性の出てくる可能性はある。よくここまでもってきた」とコメントするなど、大関復帰の可能性は残っていると見られた。しかし、翌11月場所は千秋楽にようやく勝ち越しの8勝7敗という成績に留まった。さらに続く平成19年(2007年)1月場所では5勝10敗と大負けし、5場所連続で務めた関脇の座から平幕へ陥落してしまい、再大関の夢は潰えた。
もともと押し相撲主体ながら四つの巧さも持っており、大関陥落後暫くは四つ主体にすべきか迷った時期もあったが、その迷いを捨てて突き押しを徹底したことが、この頃の好調の原動力になっており、相撲の内容は大関昇進から在位時代より遙かに上回っているとされていた。
再大関取り失敗、そして引退 [編集]
平幕に下がった翌2007年(平成19年)3月場所2日目の朝青龍との取組では、横綱の足をぐらつかせるほどの激しい突っ張りの後、寄り倒して勝った。これが自身初の金星であった[3]。朝青龍は前日の初日に小結・時天空に敗れており、これで2連敗スタートとなった。2日連続で大阪府立体育館内を大量の座布団が舞った。その後も7日目まで4勝3敗であったが、7日目に旭天鵬を寄り切った際に、右の太ももを痛め、中日から休場した。
それ以降は約5年間、平幕の地位であった。関脇を滑った当初は横綱・大関と対戦する幕内上位でも健闘していたが、次第に上位では大負けするようになった。平成21年5月場所では、入幕以来初めての前頭2桁台(11枚目)まで下がってしまった。しかし中位ではまだ頭一つ抜けた存在であり、大勝も収めている。平成20年(2008年)9月場所では再び朝青龍から金星を挙げたが4勝11敗の大敗に終わった。翌11月場所では、初日から7連勝を果たし、9日目に勝ち越しを決め、中盤戦まで優勝争いに絡んだ。終盤に失速したものの10勝5敗と平成18年7月場所以来の2ケタの白星を挙げた。それから1年後の平成21年(2009年)11月場所では、西前頭9枚目の地位で12勝3敗を挙げ、白鵬と優勝を争った平成18年5月場所以来となる3年半ぶりの三賞(敢闘賞)を受賞した。
2010年(平成22年)に起きた大相撲野球賭博問題では野球賭博に関わったとされ、特別調査委員会から名古屋場所での謹慎休場を勧告され、相撲協会もそれを受け入れている[4]。7月場所は謹慎のため全休となり、翌9月場所は東十両2枚目に陥落となった。元大関での十両陥落は1977年の大受以来2人目の珍事。しかし同場所では元大関の実力を見せ付け、12勝3敗の好成績を挙げ1場所で幕内に復帰した。
2011年(平成23年)3月3日、大相撲野球賭博問題に関する「賭博開帳図利容疑」で書類送検された[5]。
2011年11月場所では西前頭6枚目で11勝4敗の好成績を収め、翌2012年(平成24年)1月場所は東小結に復帰。2007年1月場所以来29場所振りに三役へ返り咲いたが、元大関で十両まで陥落した後に三役復帰を果たしたのは、雅山が大相撲史上初めてとなる。
2012年の1月場所は初日からの6連敗が響き、11日目に負け越し。中日に大関の琴奨菊を叩き込みで下す殊勲の星を挙げたものの、3勝12敗の大敗に終わった。3月からは、加齢による衰え、足裏にまで巻かれたテーピングや足袋の所為か、膝から滑って落ちる負け方が目立つようになった。2012年3月場所には西前頭9枚目の地位で8勝7敗と勝ち越したが、西前頭5枚目で迎えた5月場所は4勝11敗と大きく負け越した。その後、7月場所は8勝7敗と勝ち越すも、9月場所は5勝10敗の負け越し。11月場所は西前頭11枚目の地位で相撲を取り、ここで5勝10敗の負け越しを喫したため、番付運次第では翌場所の十両陥落が起こりうる状況にあったが、1月場所番付発表では東前頭16枚目に付けており、幕尻より半枚上の番付に留まることができた。
2013年1月場所では初日から8連敗で負け越してしまった。負け越しが決まった翌日に玉鷲を引き落としで破りようやく初場所初勝利を挙げた際には館内が暖かい拍手に包まれ花道で思わず涙を流した。そして「(十両陥落は濃厚だが)まだ気持ちは切れていない」と十両陥落となった場合でも土俵に上がる決意を表した。この場所は3勝12敗で取り終えた。
翌3月場所は東十両9枚目となり、自身2度目(元大関大受を含めると史上3度目)の十両陥落となり、さらに自身の持っていた元大関の最低地位の記録を更新してしまった。更にその場所も10日目に負け越してしまい、13日目で幕下への陥落が濃厚となり、鬼嵐に勝って3勝12敗で取り終えた千秋楽当日の3月24日、ついに現役引退を表明。今後は年寄「二子山」を襲名し、後進の指導にあたる[6]。尚引退した同年3月場所で、雅山は大関陥落後に関脇以下の地位を務め続けて68場所となったが、これは2009年7月場所限りで引退した出島武春(武蔵川部屋)の48場所を大きく超える史上最長記録となった。
エピソード [編集]
人物 [編集]
- 生まれたばかりのとき体重が7キロもあったという。
- 明治大学を中退したのは、約1年間にわたって下級生部員2人に殴る蹴るの暴行を加えていたことが発覚したためである。その結果当時の相撲部監督から自主退学するよう求められ、監督自身も引責辞任することとなった。
- 普段は明るい性格で、愉快なコメントを数多く残している。豊ノ島、普天王(現稲川)と仲がいい。
- 雅山の四股名は、武双山の父が考えたものだが、本人は「雅風」と考えていた。現在でも雅風に未練が残っているという。
- 平成18年7月から、好評だった部屋の公式ブログから独立する形で自身のブログを立ち上げた。しかし過去に自身のブログでファンと口論になったことがある。なお、ブログは2008年11月を最後に休止してしまっている。
- 平成20年9月に7歳年下の女性と結婚。平成21年6月に結婚披露宴を行った。妻との間に息子が2人いる。
大相撲 [編集]
- 同部屋の元横綱・武蔵丸を慕っており、武蔵丸が引退した時には武双山、武雄山(現山分)らと共に大泣きしたという。武蔵丸の引退相撲での横綱土俵入りでは露払いを務めた。
- 同学年の玉乃島(現放駒)とは子供の頃からライバル関係である。また、若兎馬からもライバル視されていた。千代天山とライバル関係だった時期もあった。
- 平成18年5月場所から平成19年1月場所まで、5場所連続で琴光喜とともに関脇を務めた。5場所連続同じ力士が関脇を務めたのは131年振りであった。
- 新入幕の平成11年3月場所を前頭7枚目で迎え、その後長きにわたって前頭二桁枚数の経験がなかった。雅山が初めて二桁枚数となったのは平成21年5月場所の前頭11枚目で、幕内在位62場所目のことだった。
- 勝ち名乗りを受けるときには右手で右ひざを叩いていた。
- 朝青龍との対戦成績は5勝34敗。このうち2勝は金星。
- 大関再昇進をかけていた頃は当時の大関陣に対して相性がよく、大関キラーと呼ばれたこともあった。
- 突き押し力士らしく長らくツラ相撲傾向だったが、晩年はヌケヌケ傾向にあった。
- 雅山の引退により、旧基準の幕下付出(幕下60枚目格付出)で初土俵を踏んだ力士は全て引退となった。
平成15年1月場所 [編集]
この場所西前頭筆頭だった雅山は2日目、休場明けの横綱貴乃花と当たった。取り組みでは雅山の二丁投げが決まって貴乃花は裏返しになって左肩から落ちた。多くの人が雅山の勝利であると確信し、また立行司木村庄之助の軍配も雅山の方を指した。しかし勝負審判から物言いがつき、「両者同体」という判定により取り直しとなった。取り直しの一番では貴乃花の上手投げが決まり、雅山は敗れた。
しかしこの取組直後から、雅山が勝っていたとする抗議の電話が、相撲協会とNHKに、100件以上も殺到した。また、雅山は最初の二丁投げを放った際、右足関節外果を剥離骨折しており、それをおして出場した翌日の大関朝青龍との取組に負けた相撲で更に悪化させ、4日目から休場した。一方の貴乃花も、投げを喰らった際に左肩鎖じん帯を損傷させ翌日から途中休場。ケガが完治しない中5日目から再出場したが、結局8日目の取組後に貴乃花は現役引退を表明した。
ちなみに雅山は、貴乃花と11回幕内で対戦はしたものの、一度も勝利することは出来なかった。最高位が大関でありながら10回以上対戦して全敗した記録は雅山以外では汐ノ海が羽黒山に対して記録した例があるだけである。
主な成績 [編集]
- 通算成績:654勝582敗68休 勝率.529
- 幕内成績:599勝563敗68休 勝率.515
- 大関成績:57勝58敗5休 勝率.496
- 現役在位:88場所
- 幕内在位:82場所(歴代9位)
- 大関在位:8場所
- 三役在位:20場所 (関脇14場所、小結6場所)
三賞・金星 [編集]
- 三賞:8回
- 殊勲賞:2回(2000年1月場所、2006年5月場所)
- 敢闘賞:5回(1999年3月場所、2000年3月場所、2000年5月場所、2005年11月場所、2009年11月場所)
- 技能賞:1回(2006年5月場所)
- 金星:2個
- 朝青龍2個(2007年3月場所、2008年9月場所)
各段優勝 [編集]
- 十両優勝:2回(1998年11月場所、1999年1月場所)
- 幕下優勝:2回(1998年7月場所、1998年9月場所)
場所別成績 [編集]
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998年 (平成10年) |
x | x | x | 幕下付出 #60 優勝 7–0 |
西 幕下 #6 優勝 7–0 |
西 十両 #11 優勝 12–3 |
| 1999年 (平成11年) |
西 十両 #1 優勝 14–1 |
東 前頭 #7 9–6 敢 |
西 前頭 #2 6–9 |
東 前頭 #4 7–8 |
東 前頭 #5 10–5 |
西 前頭 #1 8–7 |
| 2000年 (平成12年) |
西 小結 12–3 殊 |
西 関脇 11–4 敢 |
東 関脇 11–4 敢 |
西 大関 #1 6–9 |
西 大関 #2 8–7[7] |
西 大関 #2 9–6 |
| 2001年 (平成13年) |
西 大関 #2 8–7 |
東 大関 #2 7–8 |
西 大関 #2 9–6[7] |
東 大関 #2 7–8 |
西 大関 #2 3–7–5[7][8] |
西 関脇 #2 休場[9][10] 0–0–15 |
| 2002年 (平成14年) |
東 関脇 #2 休場[11] 0–0–15 |
東 前頭 #8 9–6 |
東 前頭 #3 10–5 |
東 小結 6–9 |
東 前頭 #1 7–8 |
東 前頭 #2 8–7 |
| 2003年 (平成15年) |
西 前頭 #1 1–3–11[12] |
西 前頭 #9 9–6 |
東 前頭 #5 10–5 |
東 前頭 #1 10–5 |
西 関脇 4–11 |
東 前頭 #4 6–9 |
| 2004年 (平成16年) |
西 前頭 #7 11–4 |
東 前頭 #1 8–7 |
東 小結 3–12 |
東 前頭 #7 12–3 |
西 関脇 9–6 |
西 関脇 9–6 |
| 2005年 (平成17年) |
西 関脇 9–6 |
東 関脇 5–10 |
東 前頭 #3 8–7 |
西 小結 7–8 |
東 前頭 #1 6–9 |
東 前頭 #4 10–5 敢 |
| 2006年 (平成18年) |
東 前頭 #1 8–7 |
西 小結 10–5 |
西 関脇 14–1[13] 殊技 |
東 関脇 10–5 |
東 関脇 9–6 |
東 関脇 8–7 |
| 2007年 (平成19年) |
西 関脇 5–10 |
東 前頭 #3 4–4–7[14] ★ |
西 前頭 #9 9–6 |
東 前頭 #5 7–8 |
西 前頭 #5 9–6 |
西 前頭 #1 7–8 |
| 2008年 (平成20年) |
西 前頭 #2 7–8 |
西 前頭 #2 7–8 |
東 前頭 #3 6–9 |
東 前頭 #5 9–6 |
西 前頭 #1 4–11 ★ |
東 前頭 #7 10–5 |
| 2009年 (平成21年) |
東 前頭 #2 6–9 |
東 前頭 #3 4–11 |
東 前頭 #11 9–6 |
東 前頭 #4 8–7 |
西 前頭 #1 4–11 |
西 前頭 #9 12–3 敢 |
| 2010年 (平成22年) |
西 前頭 #2 5–10 |
東 前頭 #7 10–5 |
西 前頭 #1 5–10 |
西 前頭 #5 休場 0–0–15 |
東 十両 #2 12–3 |
西 前頭 #14 9–6 |
| 2011年 (平成23年) |
東 前頭 #10 6–9 |
八百長問題 により中止 |
東 前頭 #16 8–7 |
東 前頭 #8 8–7 |
東 前頭 #5 7–8 |
西 前頭 #6 11–4 |
| 2012年 (平成24年) |
東 小結 3–12 |
西 前頭 #9 8–7 |
西 前頭 #5 4–11 |
東 前頭 #9 8–7 |
東 前頭 #7 5–10 |
西 前頭 #11 5–10 |
| 2013年 (平成25年) |
東 前頭 #16 3–12 |
東 十両 #9 引退 3–12–0 |
x | x | x | x |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
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幕内対戦成績 [編集]
| 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 碧山 | 0 | 2 | 蒼樹山 | 1 | 2 | 安芸乃島 | 6 | 5 | 曙 | 2 | 6 |
| 朝青龍 | 5 | 34 | 朝赤龍 | 16(1) | 9 | 朝乃翔 | 2 | 0 | 朝乃若 | 3 | 0 |
| 旭日松 | 1 | 2 | 安美錦 | 11 | 13 | 阿覧 | 2 | 5 | 勢 | 0 | 1 |
| 岩木山 | 7 | 4 | 潮丸 | 2 | 0 | 皇司 | 2 | 1 | 大碇 | 0 | 1 |
| 大日ノ出 | 1 | 0 | 小城錦 | 1 | 0 | 隠岐の海 | 2 | 2 | 魁皇 | 15(1) | 31(1) |
| 魁聖 | 3 | 2 | 海鵬 | 9 | 4 | 臥牙丸 | 1 | 5 | 鶴竜 | 2 | 6 |
| 春日王 | 7 | 2 | 春日錦 | 4(1) | 1 | 稀勢の里 | 4 | 16 | 北桜 | 1 | 0 |
| 北太樹 | 3 | 4 | 木村山 | 5 | 1 | 旭鷲山 | 12 | 5 | 旭天鵬 | 19 | 18 |
| 金開山 | 2 | 0 | 豪栄道 | 1 | 8 | 光龍 | 1 | 1 | 五城楼 | 2 | 0 |
| 黒海 | 17 | 5 | 琴欧洲 | 5 | 22 | 琴奨菊 | 9(1) | 11 | 琴錦 | 2 | 0 |
| 琴ノ若 | 7 | 6 | 琴光喜 | 17 | 24(1) | 琴勇輝 | 0 | 1 | 琴龍 | 9(1) | 6 |
| 磋牙司 | 1 | 0 | 佐田の富士 | 3 | 1 | 敷島 | 3 | 0 | 霜鳳 | 8 | 5 |
| 十文字 | 3 | 0 | 常幸龍 | 1 | 0 | 松鳳山 | 1 | 2 | 蒼国来 | 0 | 1 |
| 大善 | 3 | 0 | 大道 | 2 | 1 | 貴闘力 | 4 | 2 | 貴ノ浪 | 5 | 13 |
| 貴乃花 | 0 | 11 | 隆乃若 | 5 | 6 | 高見盛 | 15 | 10 | 髙安 | 1 | 5 |
| 宝富士 | 3 | 1 | 豪風 | 9 | 9 | 玉飛鳥 | 1 | 1 | 玉春日 | 14 | 0 |
| 玉乃島 | 17 | 3 | 玉力道 | 1 | 0 | 玉鷲 | 6 | 0 | 千代大海 | 22(1) | 24 |
| 千代大龍 | 0 | 2 | 千代天山 | 6 | 2 | 千代の国 | 1 | 0 | 寺尾 | 2 | 0 |
| 天鎧鵬 | 1 | 0 | 闘牙 | 5 | 7 | 時津海 | 11(1) | 3 | 時天空 | 17 | 11 |
| 土佐ノ海 | 12 | 15 | 土佐豊 | 0 | 3 | 栃東 | 16(1) | 19 | 栃煌山 | 7 | 4 |
| 栃栄 | 7 | 0 | 栃ノ心 | 6 | 5 | 栃乃洋 | 24 | 12(1) | 栃乃花 | 4 | 1 |
| 栃乃和歌 | 1 | 0 | 栃乃若 | 3 | 3 | 豊桜 | 2 | 0 | 豊ノ島 | 5 | 6 |
| 豊響 | 10 | 4 | 白馬 | 0 | 1 | 白鵬 | 4 | 23 | 白露山 | 1 | 0 |
| 濵錦 | 1 | 0 | 濱ノ嶋 | 2 | 0 | 追風海 | 4 | 3 | 把瑠都 | 5 | 10 |
| 日馬富士 | 6 | 12 | 肥後ノ海 | 7(1) | 0 | 富士東 | 3 | 2 | 普天王 | 9 | 0 |
| 寶智山 | 1 | 0 | 豊真将 | 4 | 4 | 北勝力 | 12 | 6 | 舛ノ山 | 0 | 1 |
| 湊富士 | 3 | 0 | 猛虎浪 | 3 | 2 | 山本山 | 0 | 1 | 燁司 | 1 | 0 |
| 芳東 | 1 | 0 | 嘉風 | 5 | 6 | 龍皇 | 1 | 0 | 露鵬 | 10 | 5 |
| 若荒雄 | 3 | 4 | 若の里 | 16 | 20 | 若乃花 | 1 | 2 |
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2013年3月場所終了現在、現役力士)
改名歴 [編集]
四股名 [編集]
- 竹内 雅人(たけうち まさと)平成10年(1998年)7月場所 - 平成10年(1998年)9月場所
- 雅山 哲士(みやびやま てつし)平成10年(1998年)11月場所 - 平成25年(2013年)3月場所
年寄名 [編集]
- 二子山 雅人(ふたごやま まさと)平成25年(2013年)3月24日 -
関連項目 [編集]
注釈 [編集]
- ^ それから5年後の平成23年(2011年)11月場所後、稀勢の里が関脇の地位で3場所合計32勝の成績で、さらに直前場所では10勝止まりながらも大関昇進した例が有る。
- ^ それから6年後の平成24年(2012年)3月場所後、鶴竜の大関昇進により、大相撲史上初の1場所6大関(琴欧洲・日馬富士・把瑠都・琴奨菊・稀勢の里・鶴竜)となっている。
- ^ 金星は当然ながら前頭が横綱を倒した時にしか得られないので、横綱大関へのスピード昇進を果たした力士の金星の数は得てして少ないものである。同様に大関陥落後に初金星を挙げた力士には貴ノ浪(現音羽山)がいる。
- ^ 朝日新聞 2010年6月29日
- ^ 野球賭博:元琴光喜ら書類送検 捜査終結へ 毎日新聞(毎日jp) 2011年3月3日
- ^ “大相撲:元大関・雅山が引退表明 春場所3勝12敗”. 毎日.jp. (2013年3月24日)
- ^ a b c 角番(全3回)
- ^ 左足関節及び左足根骨脱臼により途中休場
- ^ 関脇陥落
- ^ 公傷制度適用
- ^ 右肩インピンジメント症候群及びSLAP症候群
- ^ 右足関節外果剥離骨折により途中休場
- ^ 白鵬と優勝決定戦
- ^ 右大腿四頭筋挫傷により途中休場
外部リンク [編集]
- 雅山 哲士 - goo 大相撲
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