隠岐の海歩

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隠岐の海歩 Sumo pictogram.svg
09 Sep Okinoumi.JPG
基礎情報
四股名 隠岐の海 歩
本名 福岡 歩
愛称 あゆみ
生年月日 1985年7月29日(28歳)
出身 島根県隠岐郡隠岐の島町
身長 188cm
体重 163kg
BMI 46.12
所属部屋 八角部屋
得意技 右四つ・寄り
成績
現在の番付 前頭13枚目
最高位 西小結
生涯戦歴 322勝283敗20休(56場所)
幕内戦歴 165勝175敗20休(24場所)
優勝 幕下優勝1回
敢闘賞2回
データ
初土俵 2005年1月場所
入幕 2010年3月場所
備考
金星1個(日馬富士1個)
2014年6月30日現在

隠岐の海 歩(おきのうみ あゆみ、1985年7月29日 - )は、島根県隠岐郡隠岐の島町出身で八角部屋所属の現役大相撲力士身長188cm、体重163kg、血液型はO型。島根県立隠岐水産高等学校出身。本名は福岡歩(ふくおか あゆみ)、愛称はあゆみ。長身に胴長短足[1]、深い懐[2]を活かした右四つ・寄りが持ち味。最高位は、西小結2013年5月場所、11月場所)。 好きな食べ物はエビチリと坦々麺。

来歴[編集]

入門まで[編集]

島根県隠岐郡西郷町(現・隠岐の島町)で生まれる。出身の隠岐島には、神社の改修などの慶事があれば夕方から翌日の昼まで相撲を取り続ける「古典相撲」の風習があり、本人もそれに親しみ4歳から廻しをつけていた。本格的に相撲を始めたのは西郷小学校4年生からで、兄や周囲の友達が始めた影響で中学3年まで近くの相撲クラブに通った。地域の相撲クラブに通って稽古で鍛えた結果、全国大会にも小学校4年生から小学校6年生まで出場するなど結果を残した。しかし相撲にそれほど興味もなく「正直、行くのが嫌で嫌で仕方なかった」そうだったが、稽古が終わった後に一緒に食べる食事などが楽しかったと後に当時を語っている。[3]相撲以外でも小学校・中学校とバスケットボール部に所属し、小学校2年生から小学校6年生まで柔道をしていた。また兄と共に海で素潜りをし、サザエアワビを突いていた。

西郷中学校でも相撲を続け、3年生の時には全国中学校体育大会にも出場した。進学した隠岐水産高校では3年連続でインターハイにも出場し、ベスト32の実績を持っている。しかし、後に同期生となる豪栄道(埼玉栄)と栃煌山(高知・明徳義塾)が高校横綱を始めとして数々のタイトルを手にしたことに比べて実績に劣っていたことから力士になりたいという憧れはなく、代わりに船を操舵する航海士を目指し、実習船に乗りハワイへ航海に出た。[3]同じく高校在学中に3級海技士の筆記試験に合格、同校卒業後は2年間の専攻コースに進学し再び実習船に乗り、3ヶ月ほど航海をしたが集団生活になじめなかったことで今後航海士としてやっていけるか心配になり、同年11月に高校の専攻コースを中退した。

将来に漠然とした不安を感じていたとき、高校相撲部の顧問から電話がかかってきた。八角親方(元横綱北勝海)とその知人が高校相撲部の後輩の竹谷(現・隠岐の富士)をスカウトしに島を訪れるので、食事会に一緒に来ないかという。「旅行感覚だった」という八角に「軽い気持ちで」参加した隠岐の海であったが、親方の知人に熱心に勧誘され「ここで終わる人間じゃない。やっぱり夢を見たい」とその気になった。父も後押ししてくれたことで1週間で八角部屋への入門を決断し、新弟子検査の2日前に上京した。[4]ちなみに八角親方の現役時代は全く知らず、師匠に出会っていなければ力士になっていなかったという。2005年1月場所に初土俵を踏んだ同期には、豪栄道豊響栃煌山、同部屋の朱雀らがいる。長身で懐も深く、体型は白鵬似で同じ色の廻しを着用することもある。相撲は右四つで取るが、後述の怪我の影響で左でも相撲を取ることが出来る。タテ社会になじめず航海士の夢をあきらめたが「もう後には引けないと思った。辞めたら、島には帰れない」と踏ん張り、大相撲の水になれていった。[4]

新十両へ[編集]

2008年11月場所で、西幕下筆頭で十両昇進の目安である5勝を挙げるも十両下位に大きく負け越した力士が少なく、東十両8枚目で5勝10敗の玉飛鳥や西十両12枚目で7勝8敗の白馬との比較で十両昇進は見送られた。幕下筆頭で5勝を挙げながら十両昇進を見送られたのは1966年9月場所の代官山(東幕下筆頭)以来42年ぶり。

2009年1月場所では、東幕下筆頭で登場し、十両の玉飛鳥、北桜に勝利するなど、7戦全勝で幕下優勝を果たし、場所後の番付編成会議において十両昇進が決定。同時に、四股名を本名の「福岡」から「隠岐の海」と改めた。島根県出身の関取は、忍の山春日野部屋1976年11月場所十両最終在位)以来33年ぶり、戦後6人目。また隠岐島出身の新十両は1958年9月場所の隠岐ノ島時津風部屋1960年3月場所まで十両に在位)以来、51年ぶり2人目である。そして、2009年3月2日に発表された3月場所番付で東十両7枚目と発表された。新十両が7枚目となるのは、2001年1月場所の朝青龍以来の高番付である。

新十両で迎えた3月場所は初日に清瀬海の変化で敗れた時に右肩を負傷、これが大きく響き、10日目で土佐豊寄り切りで破れ負け越し、4勝11敗という十両デビューとなった。十両に昇格して2場所目、東13枚目で迎えた5月場所も、11日目の磋牙司戦に押し出しで破れ、2場所連続の負け越しが決まった。最終的に5勝10敗に終わり、十両2場所で一度も勝ち越すことなく幕下へ陥落となった。幕下陥落にあたり、再び四股名を本名の「福岡」に戻した。その7月場所は4勝3敗と勝ち越し、場所後の番付編成会議で1場所での十両復帰が決まった。その際、四股名を再び「隠岐の海」に戻した。十両復帰の9月場所は、12日目に十文字を寄り切りで破り、十両初の勝ち越しを決め、最終的に優勝次点となる10勝5敗の好成績を収めた。自身最高位で迎えた11月場所は、初日から4連敗と調子が出なかったものの、中日以降は調子を取り戻し、千秋楽で勝ち越しとなる8勝目を挙げ、2場所連続の勝ち越しを決めた。2010年1月場所は、初日から6連勝と好調な滑り出しだったが、7日目に安壮富士に敗れ、そこから3連敗。しかし、徐々に持ち直し12日目で清瀬海に寄り切りで勝ち、3場所連続で勝ち越しを決めた。また、中日に初めて幕内の土俵に上がり、岩木山と対戦した。その際は、押し出しで敗れた。13日目にも幕内の土俵に上がり、栃乃洋と対戦した。その際は、上手投げで勝利した。

新入幕へ[編集]

2010年3月場所の番付編成会議で東前頭12枚目と発表され、新入幕が決まった。島根県出身の関取では、1922年春場所(当時1月場所)で新入幕を果たした若常陸太刀ノ海以来88年ぶり。また隠岐の島出身力士としては初めての幕内力士の誕生である[5]。その3月場所の初日、新入幕となってから初めて幕内の土俵に立ち、時天空との初顔合わせでは、肩透かしで敗れた。3日目、玉乃島に寄り切りで勝ち、入幕後初白星を飾った。中盤まで負けが先行していたが終盤3連勝し、千秋楽で8勝7敗と勝ち越しを決めた。5月場所の番付編成会議で自己最高位の西前頭10枚目と決まった。その5月場所は初日から6連敗し、5勝10敗と大きく負け越した。

2010年6月23日大相撲野球賭博問題日本相撲協会の調査に自己申告した力士29人の中に、隠岐の海も含まれていると報じられた[6]6月28日に開かれた日本相撲協会の臨時理事会で野球賭博に関与した隠岐の海らを謹慎処分にすることを決めた。

7月場所の謹慎を受け、十両に陥落した9月場所は、13日目に玉飛鳥を寄り切りで破り、勝ち越しを決めた。また、11月場所の番付編成会議で再入幕を決めた。11月場所は、7勝7敗で迎えた千秋楽に十両優勝をかけて臨む豊響と対戦し、下手投げで勝利。8勝7敗と勝ち越しを決めた。

幕内定着へ[編集]

2011年1月場所は、5日目から9連勝し、13日目まで優勝争いに加わった。14日目には普通13枚目という番付では当たらない関脇稀勢の里と対戦した(寄り切りで敗れる)。この場所は11勝4敗の好成績で敢闘賞を初受賞した。

3月場所は、八百長問題により中止。

5月技量審査場所は、魁皇との初顔の一番で勝利している(魁皇は翌場所引退したため土俵上ではこの1戦のみ。翌場所も割が組まれたが本人の不戦勝)。7勝7敗で迎えた千秋楽、鶴竜に敗れ7勝8敗と負け越しとなった。7月場所は、7勝7敗で迎えた千秋楽、琴欧洲に寄り切りで勝利し、8勝7敗と勝ち越しを決めた。9月場所は、7勝7敗で迎えた千秋楽、朝赤龍に引き落としで勝利し、8勝7敗と2場所連続で勝ち越しを決めた。また、前頭筆頭で勝ち越したため三役昇進の可能性もあったが番付編成会議で東前頭筆頭と発表され、三役昇進はならなかった。[7]11月場所は、13日目で負け越しが決まったがその後、連勝して7勝8敗と負け越しを最小限に留めた。

2012年1月場所は、初日から8連敗で中日に負け越しが決まり、その後、白星を重ねるも4勝11敗と大きく負け越した。3月場所は、7勝7敗で迎えた千秋楽、隆の山突き倒しで勝利し、8勝7敗と勝ち越しを決めた。5月場所は、千秋楽まで10勝4敗と好成績であり、横綱白鵬ら5人と優勝を争っていた。千秋楽に敗れて10勝5敗に終わり優勝を逃した。7月場所は、序盤の横綱、大関戦で星を落とし、中日に大関琴欧洲を破るも、9日目で負け越しが決まり、4勝11敗の大敗に終わった。9月場所は、自身最速となる9日目で勝ち越しを決め、最終的に11勝4敗の好成績を挙げた。11月場所は、2日目に新横綱の日馬富士から自身初の金星を獲得し、同時に幕内100勝を達成した。しかし8日目の豪栄道戦で負傷し、10日目から左第三趾骨折により休場することとなった[8]。休場は2010年7月場所以来2度目で、負傷による休場は初めて。

2013年1月場所は、7勝7敗で迎えた千秋楽、北太樹に寄り切りで勝利し、8勝7敗と勝ち越しを決めた。翌3月場所は、12日目まで2敗で全勝の白鵬を追っていたが13日目の栃煌山戦に敗れた(白鵬は優勝を決めた)。しかし、千秋楽の妙義龍戦に勝ち、11勝4敗の好成績で2回目の敢闘賞を受賞した。翌5月場所で新三役(西小結)に昇進した。島根県からの新三役は、1892年6月場所の谷ノ音以来、約121年ぶりのことである。その場所は7日目に琴欧洲から三役で初白星を挙げたが、4勝11敗と大きく負け越した。9月場所は、7勝7敗で千秋楽を迎えたが対戦相手の安美錦が休場で不戦勝となり、8勝7敗と勝ち越しを決めた。場所後の10月16日には年寄名跡『君ヶ濱』を前君ケ浜親方(元関脇北瀬海)から取得した。[9]翌11月場所は、2013年5月場所以来3場所ぶりに三役復帰(西小結)した。その場所は千秋楽を7勝7敗で迎えたが、碧山に敗れて7勝8敗と負け越した。

合い口[編集]

いずれも2014年3月場所終了現在。
  • 横綱・白鵬には12戦全敗。
  • 横綱・日馬富士には3勝9敗だが、日馬富士の横綱昇進後は1勝3敗。最近では2012年11月場所で勝利し、この一番で日馬富士の連勝が32でストップした。
  • 横綱・鶴竜には4勝7敗。鶴竜の大関昇進後は4連敗していたが、2013年11月場所で2011年9月場所以来の白星を挙げ、並びに大関昇進後では初の白星を挙げた。それ以降は現在まで3連勝中であり、2014年1月場所・3月場所で連続14勝(うち優勝1回)を挙げて横綱に昇進した鶴竜が喫した黒星はともに隠岐の海がつけたのものである。
  • 大関・琴奨菊には2勝9敗。最近では2014年1月場所で勝利した。
  • 大関・稀勢の里には1勝12敗。2013年7月場所まで9戦全敗だったが、2013年9月場所において初白星を挙げた。
  • 元大関・琴欧洲には7勝3敗と勝ち越し、3連勝を2度するなど相性が良かった。
  • 元大関・把瑠都には1勝5敗だった。把瑠都が当時大関だった2011年11月場所で勝利している。

人物・評価[編集]

  • 2009年の大相撲界を総括するNHK総合テレビ『大相撲・とことん言います!2009』の番組で、パネラーのデーモン閣下から期待の若手力士として挙げられた。端正な顔立ちから一部からは「イケメン力士」と言われている。また、NHK専属相撲解説者北の富士勝昭舞の海秀平も期待の若手力士として挙げ「顔つきに色気がある」「華がある」と評価している。しかし、その反面「まだ甘い」という声もある。
  • 筋金入りの稽古嫌いであり、解説者北の富士勝昭も、「師匠が行ってきた稽古の3分の1で横綱になれる大器なのに。」と嘆いているという。[10]新三役会見の席では師匠や記者の前で稽古嫌いを自認しており、本人曰く「稽古、大っ嫌いですもん。実りのある稽古ならいいけど、やらされているような稽古はやりたくない。」とのことである。[11]
  • 幕内で9場所、千秋楽を7勝7敗で迎えており、そのうち、7場所勝ち越している。2013年9月場所は、不戦勝で勝ち越しを決めている。
  • 普段は青系の締め込みで本場所の土俵に上がるが、2012年7月場所では9日目から茶色の廻しで取組を行った。サガリがすべて切れてしまったためと、本人は答えていた。[12]
  • 稽古嫌いである一方高校時代は航海士を目指し10種の資格を取得した努力家という一面もある。同部屋の兄弟子である大岩戸とは同じ水産高校出身者として、船を操縦する免許や資格の話で盛り上がったこともある。[13]
  • 2020年東京オリンピックの招致ビデオ「Cool Japan Tokyo for Olympics 2020」に出演している。[14]

主な成績[編集]

2014年5月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:322勝284敗20休(56場所)
  • 通算勝率:.531
  • 幕内成績:165勝175敗20休(24場所)
  • 幕内勝率:.485
  • 十両成績:47勝43敗(6場所)
  • 幕下成績:80勝53敗(19場所)
  • 三段目成績:15勝6敗(3場所)
  • 序二段成績:11勝3敗(2場所)
  • 序ノ口成績:4勝3敗(1場所)

各段優勝[編集]

  • 幕下優勝:1回(2009年1月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:2回
    • 敢闘賞:2回(2011年1月場所、2013年3月場所)
  • 金星:1個(日馬富士1個)

場所別成績[編集]

隠岐の海歩
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2005年
(平成17年)
(前相撲) 西 序ノ口 #33
4–3
 
東 序二段 #112
6–1
 
東 序二段 #30
5–2
 
東 三段目 #95
4–3
 
西 三段目 #77
6–1
 
2006年
(平成18年)
西 三段目 #21
5–2
 
東 幕下 #58
4–3
 
西 幕下 #48
5–2
 
東 幕下 #29
2–5
 
西 幕下 #48
5–2
 
西 幕下 #33
5–2
 
2007年
(平成19年)
東 幕下 #21
4–3
 
東 幕下 #16
3–4
 
東 幕下 #24
3–4
 
西 幕下 #32
2–5
 
西 幕下 #47
5–2
 
西 幕下 #31
5–2
 
2008年
(平成20年)
東 幕下 #19
2–5
 
西 幕下 #33
5–2
 
東 幕下 #18
5–2
 
西 幕下 #9
4–3
 
西 幕下 #7
5–2
 
西 幕下 #1
5–2
 
2009年
(平成21年)
東 幕下 #1
優勝
7–0
東 十両 #7
4–11
 
東 十両 #13
5–10
 
東 幕下 #4
4–3
 
西 十両 #14
10–5
 
西 十両 #5
8–7
 
2010年
(平成22年)
東 十両 #2
10–5
 
東 前頭 #12
8–7
 
西 前頭 #10
5–10
 
西 前頭 #14
出場停止[15]
0–0–15
東 十両 #8
10–5
 
西 前頭 #16
8–7
 
2011年
(平成23年)
東 前頭 #13
11–4
八百長問題
により中止
東 前頭 #4
7–8
 
東 前頭 #4
8–7
 
西 前頭 #1
8–7
 
東 前頭 #1
7–8
 
2012年
(平成24年)
東 前頭 #2
4–11
 
東 前頭 #9
8–7
 
東 前頭 #5
10–5
 
西 前頭 #2
4–11
 
西 前頭 #8
11–4
 
東 前頭 #1
2–8–5[16]
2013年
(平成25年)
西 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #7
11–4
西 小結
4–11
 
西 前頭 #6
9–6
 
東 前頭 #2
8–7
 
西 小結
7–8
 
2014年
(平成26年)
西 前頭 #1
7–8
 
東 前頭 #2
4–11
 
西 前頭 #9
6–9
 
東 前頭 #13

 
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

主な力士との幕内対戦成績[編集]

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
碧山 3 4 朝赤龍 2 0 旭日松 1 1 安美錦 5(1) 5
阿覧 4 3 2 1 大砂嵐 0 1 魁皇 2(1) 0
魁聖 3 1 臥牙丸 1 1 垣添 1 0 鶴竜 4 7
春日王 1 1 稀勢の里 1 12 北太樹 8 3 木村山 1 1
旭天鵬 4 6 豪栄道 3 9 光龍 3 0 黒海 1 0
琴欧洲 7 3 琴春日 0 1 琴奨菊 2 9 磋牙司 0 1
佐田の海 0 1 佐田の富士 3 1 霜鳳 1 1 常幸龍 1 1
翔天狼 4 2 松鳳山 1 5 蒼国来 1 1 大道 2 0
貴ノ岩 1 0 隆の山 1 0 高見盛 2 1 髙安 1 5
宝富士 4 2 豪風 7 5 玉乃島 2 0 玉鷲 5 3
千代大龍 4 2 千代の国 1 1 照ノ富士 0 2 天鎧鵬 1 0
時天空 2 3 德勝龍 0 1 德瀬川 1 1 土佐豊 0 2
栃煌山 6 4(1) 栃ノ心 2 2 栃乃洋 3 0 栃乃若 4 3
豊ノ島 5 7 豊響 5 5 白馬 2 0 白鵬 0 12
把瑠都 1 5 日馬富士 3 9 富士東 2 1 武州山 2 0
寶智山 1 0 豊真将 1 3 舛ノ山 2 0 雅山 2 2
妙義龍 4 3 猛虎浪 1 2 嘉風 6 1 若荒雄 2 4
若の里 5 2

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太字は2014年5月場所終了現在、現役力士)

改名歴[編集]

  • 福岡 歩(ふくおか あゆみ)2005年1月場所 - 2009年1月場所、2009年7月場所
  • 隠岐の海 歩(おきのうみ -)2009年3月場所 - 5月場所、2009年9月場所 -

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号58頁
  2. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号15頁
  3. ^ a b 島の伝統、土俵が身近に 大相撲・隠岐の海歩(中) 日本経済新聞 2010/4/21 7:00
  4. ^ a b 大相撲・隠岐の海歩(下) 日本経済新聞 2010/4/21 16:02
  5. ^ 88年ぶり島根出身新入幕イケメン隠岐の海(日刊スポーツニュース)
  6. ^ 大相撲の野球賭博問題 垣添と隠岐の海も自己申告(朝日新聞社ニュース)
  7. ^ この場所の三役のうち、翌11月場所に阿覧が平幕に陥落して琴奨菊が大関に昇進した。それに対して西筆頭で8勝7敗の隠岐の海は翌場所東筆頭どまりであり、東筆頭で10勝の豊真将が西小結に昇進するに留まった。この番付編成に関しては隠岐の海も不服を感じているようであり、『相撲』2012年1月号43頁の記事では「関脇3人にすれば丸く収まるのに。」と豊真将の地位と成績の兼ね合いを理由に11月場所の番付に関脇2枚目(かつての張出制度)を設けるべきであったと主張し、新三役を逸したことを大いに悔しがった。
  8. ^ 隠岐の海が右足指骨折で休場/九州場所(日刊スポーツニュース)
  9. ^ 隠岐の海が年寄名跡取得中日スポーツ 2013年10月23日 紙面から
  10. ^ 朝日新聞2013年3月20日23面
  11. ^ 無類の稽古嫌いで努力家 新三役・隠岐の海のホンネ。 ~五月場所、マイペースな主役候補Number Web 2013/05/12 08:00
  12. ^ 『相撲』 2012年8月号61頁
  13. ^ 10資格取得の隠岐の海が白鵬追う/春場所 nikkansports.com 2013年3月20日9時39分 紙面から
  14. ^ Cool Japan Tokyo for Olympics 2020
  15. ^ 2010年7月場所は大相撲野球賭博問題による謹慎休場
  16. ^ 左第三趾骨折により10日目から途中休場

外部リンク[編集]

執筆の途中です この「隠岐の海歩」は、相撲に関連した書きかけ項目です。記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めていますPJ相撲)。